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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
残鳴の先へ

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カイの慟哭

最後のケーファーが停止する。

 カイが撃った弾ではなかった。リントのキャリバーが300メートル先から放った1発が、暴走ケーファーの頭部を正確に撃ち抜く。ドールは前脚を折り畳むように崩れ、動かなくなった。

 砲声が止んだ。

 エンジン音だけが残った。ケストレル。ポラリス。ハウラー。キャリバー。シルフ。灰域連合の鉄殻が、鋼城の残骸の周囲で立ち尽くしている。

 戦闘が終わっている。

 通信に声がなかった。ボルトも、リントも、トワも、ジェイスも、誰も何も言わなかった。砲声の余韻が消え、砂塵が沈み、灰色の朝の光の中で、鋼城モノリスの残骸だけが横たわっている。


 カイはケストレルを歩かせる。

 鋼城の残骸に向かって。ゆっくりと。脚部のサーボモーターが異音を発している。右膝の関節が引っかかるように軋み、一歩ごとに金属がこすれる音がした。だがケストレルは歩く。

 残骸の前で止まった。

 目の前に、鋼城の装甲壁の断面があった。横倒しになった巨体の側面が大地に接しており、装甲の接合部が裂けて内部構造が露出している。フレームの断面。配管の切れ端。配線の束。旧世界の合金が灰色の朝の光を受けて鈍く光る。

 カイはコックピットのハッチを開ける。

 ヘルメットを外す。灰域の冷たい空気が顔に触れる。朝の空気だった。火薬と金属と砂塵の匂いが混ざっている。それ以外に、何か甘い匂いがあった。燃えた配線の被覆材から出る匂いだった。

 ハーネスを外し、コックピットから降りる。ケストレルの足元に立った。ブーツの裏に灰域の土の感触があった。砂利と灰が混ざった地面だった。

 生身で、鋼城の残骸の前に立った。

 鉄殻に乗っていない。操縦桿もスロットルもない。冴覚も、灰色の静寂も、ここにはなかった。17歳の少年が、崩壊した3.2キロメートルの残骸の前に立っている。

 ガルドはこの中にいる。

 カイは残骸を見上げる。装甲壁の断面が空に向かって突き出ている。高さは30メートル以上あった。横倒しになった鋼城の側面が、壁のように聳えている。その壁の向こうに、中枢区画がある。6基の空になった接続ポッド。ガルドが砕いた制御基盤の残骸。そしてイグニス・コンバーターの青白い脈動。

 ガルドがそこにいる。

 壊れた通路の中で。崩れた天井の下で。ツールベルトに工具を差したまま。火傷の痕が残る左手の中指と薬指を、最後まで動かしていたはずだ。


 膝が折れる。

 立っていられなかった。体の力が抜ける。脚が地面に着き、両手が地面につく。砂利と灰が掌に食い込んだ。小石の角が皮膚に刺さる痛みがあった。だがそれは遠い場所の出来事のように感じる。

 声が出なかった。

 泣き声すら出なかった。コックピットの中では叫べた。ヘルメットの中で、壁を叩いて、声を上げた。だが今、声が出なかった。喉の奥に塊がある。それが声を塞いでいる。呼吸が浅くなった。肩が震える。目の奥が熱かった。涙は枯れていなかった。まだ出る。頬を伝い、顎から落ち、灰域の地面に染みる。

 冴覚が消えている。

 灰色の静寂が消えている。研ぎ澄まされた感覚も、脅威の色も、心拍の鮮明さも、全てが消えている。コックピットを降りた瞬間に消えたのか、膝をついた瞬間に消えたのか、カイには分からなかった。気づいた時には、ただの感覚しか残っていなかった。風の冷たさ。砂利の硬さ。火薬の匂い。

 ただの少年だった。

 7歳の時、初めて残殻のコックピットに座った。父が隣にいた。10歳の時、父が消えた。工房で待っていたガルドが、今は残骸の中にいる。

 右手を見る。操縦桿を握り続けた手だった。指の関節が赤く腫れている。親指の付け根に豆が潰れた痕があった。この手で父の残殻を修理した。この手でケストレルの操縦桿を握った。この手で引き金を引き、ドールを壊した。ガルドが「いい手だ」と言ったことがあった。「技匠の手だ。操手にしておくのが惜しい」と。

 その手が震えている。


 時間が経った。

 どれだけの時間が経ったか分からなかった。灰色の空が少しだけ明るくなった。雲の向こうの太陽が、角度を変えたのだろう。朝の光が残骸の表面を照らし、旧世界の合金が鈍い銀色に光った。

 風が吹く。

 灰域の風だった。乾いた、冷たい風。砂塵を含んだ風がカイの髪を揺らす。目を閉じている。いつ閉じたのか分からなかった。瞼の裏に光が透けている。

 背後に足音が聞こえる。

 鉄殻の足音ではなかった。人間の足音だった。ブーツが砂利を踏む音。軽い。だが確かな足取りだった。

 足音がカイの後ろで止まった。

 リオンだった。

 振り返らなくても分かった。足音の重さ。歩幅。ブーツの種類。セルヴィス支給品の厚底ブーツは、灰域の安全靴とは違う音がする。

 リオンは何も言わなかった。

 カイの後ろに立っている。2メートルほど後ろ。カイの背中が見える距離。手を伸ばせば届く距離。だが手は伸ばさなかった。声もかけなかった。

 ただ、そこにいる。

 灰域の風がリオンの黒髪を揺らしているのが、首を動かさなくても視界の端に映っている。長い黒髪が風に流れ、リオンの横顔の輪郭を描いている。リオンの目も赤かった。泣いていたのだろう。だが今は泣いていなかった。深い紺色の目で、カイの背中を見ている。

 何も言わなかった。

 ただ、そこにいた。

 リオンも、生身でここまで歩いてくる。

 カイが膝をついている間、リオンはカイの後ろに立ち続けた。風が吹いた。砂塵が流れた。灰色の朝の光が、二人の上に等しく降り注いでいる。


 長い沈黙があった。

 鋼城の残骸から煙が上がっている。黒い煙が灰色の空に溶けていく。残骸の中で何かが崩れる音が時折聞こえる。内部構造が自重で崩れているのだろう。ガルドなら、その音を聞いただけで崩壊箇所を特定できたはずだった。梁の接合部か、配管の支持架か、フレームの溶接部か。ガルドの耳なら分かった。

 カイには分からなかった。

 ただの崩壊音だった。鉄が壊れる音。それだけだった。

 掌の砂利を握った。小石が手の中で砕ける。力を入れすぎている。指を開く。砂利の粉が風に飛んだ。

 ガルドの声が頭の中で繰り返している。「いい子だったよ、カイ」。その言葉が何度も戻ってくる。通信が途切れる直前の、ノイズ混じりの声。穏やかで、優しくて、二度と聞けない声。ガルドはあの声で、7年間カイに「どこが壊れた」と訊き続けた。壊れた部品を持っていけば、ガルドは直してくれた。人は、直せなかった。

 息を吸った。

 深く。肺の底まで。灰域の空気は冷たくて、火薬の匂いがして、金属の味がする。

 息を吐く。

 長く。

 もう一度、息を吸った。

 膝に手をつく。砂利が掌に食い込んだ。腕に力を入れる。脚に力を入れる。膝が震える。太腿の筋肉が張っている。コックピットで長時間操縦桿を握り続けた疲労が、今になって全身に来ている。

 立ち上がった。

 脚が震えている。だが立つ。灰色の朝の光の中で、鋼城の残骸の前で、17歳の少年が立ち上がった。

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