崩壊する巨人
ケーファーの頭部が砕ける。
75mm弾が多脚ドールの正面装甲を貫通し、内部のプロセッサを破壊する。4本の脚が痙攣してケーファーが沈む。2体目が右から来る。上半身を旋回させてFALKEの銃口を向けたが、涙で視界が溶けてクロスヘアが二重にぶれた。
撃った。
弾は外れ、ケーファーの前脚の関節を掠めただけだった。停止することなく突進してくるケーファーの40mm機関砲の砲身が、ケストレルに向く。
冴覚が動く。
意識して発動させたわけではない。涙で視界が潰れ、計器も読めないというのに体が動いた。操縦桿を右に倒すと、ケストレルの上半身が半歩分だけ横にずれる。直後に40mm弾が左肩装甲を掠めて火花が散った。ケーファーとの距離はすでに15メートルに縮まっている。
カイは引き金を引く。2発目。今度はケーファーの胴体中央に命中する。プロセッサが爆砕してドールが崩れ落ちる。
そこに3体目が鋼城の装甲壁から落下してくる。
涙の向こうに灰色が広がった。
静寂。視界から色が抜け落ちていく。エンジン音が遠のき、砲声が水底に沈む。残ったのは自身の心拍と、ケーファーの関節が軋む微かな音だけだった。
勝手に発動している。冴覚がカイの意志を無視して研ぎ澄まされている。涙が頬を伝って顎から落ち、嗚咽が喉の奥にこみ上げる。だがその静寂の中では悲しみすら音を失い、脅威だけが鮮やかに浮かび上がった。落下してくるケーファーの多脚が赤い。右前方から接近する別のドールの砲塔が橙色に光る。
カイの手が操縦桿を操作し、ケストレルを後退させて落下してくるケーファーの着地点を回避する。地面に叩きつけられたケーファーの脚が砕けて破片が飛散した。カイはその隙にFALKEの照準を合わせる。灰色の世界の中、赤い脅威の輪郭だけが鮮明に浮かび上がっていた。
リオンの通信が入った。
「右、2時方向。ケーファー3体」
ポラリスがケストレルの左を駆け抜ける。戦闘の傷だらけになった白銀の装甲を躍動させ、右腕のライフルを連射して2時方向のケーファーの先頭に命中させる。
リオンは何も訊かず、ただ隣で撃ち続ける。カイが泣いている間もその射撃は正確無比だった。関節を撃って動きを止め、頭部を撃ち抜く。無駄のない射撃がカイの周囲の脅威を一つずつ消していく。
カイは涙を拭わなかった。両手を操縦桿とスロットルから離せないため、拭う手がなかったのだ。バイザーの内側が曇り、涙が頬を伝い続ける。視界の半分が潰れていたが、冴覚が残りの半分で脅威を捉えると手が勝手に動いた。
鋼城が音を立てる。
それまでの軋みや崩壊音とは次元が違う、地の底から響くような低い轟音だった。ケストレルのコックピットの床から振動が骨に伝わってくる。
六脚の1本が折れたのだ。
付け根が悲鳴のような金属音を上げ、3.2キロメートルの巨体を支えていた脚が内側へ崩れ落ちる。数百トンの金属が大地を叩く。
衝撃波が走る。
地面が激しく揺れる。ケストレルの脚部が振動で浮き上がり、着地の衝撃で膝の関節が軋む。カイは操縦桿を押さえて機体を安定させる。200メートル先ではボルトのハウラーが片膝をつき、左腕を失った鉄塊のような機体が地震の中で踏ん張っている。ボルトから通信が入った。
「何だ、今の」
「脚が折れた。鋼城の脚が」
リントの声だった。キャリバーが鋼城の外壁から300メートルの位置で停止している。リントの声には動揺が滲んでいたが、射撃の手は止まっていなかった。キャリバーのライフルが暴走ケーファーを正確に撃ち抜き続けている。
2本目が折れる。
左後脚だった。折れるというよりも関節が外れた形だ。制御を失ったサーボモーターが異常な角度に脚を捻り、フレームの強度限界を超えてしまう。脚がねじ切れるように外れると、鋼城の巨体が大きく左に傾いた。
暴走ドールが鋼城の表面から大量に落下し始める。センチネルにケーファー、そしてまだ固定されていたツェアライサー。鋼城の傾斜によって固定ボルトが剥がれ、装甲壁に張り付いていたドールたちが次々と地面に落ちてくる。プログラムが停止していない機体は着地後すぐに起動し、目についた対象を手当たり次第に攻撃し始めた。
「味方識別が完全に落ちてる。ドール同士でも撃ち合ってる」
ジェイスの通信だった。彼の機体は鋼城の後方で暴走ドールの群れと交戦している。
そこにトワの声が割り込んだ。
「落下してくるドールに気をつけろ。上からも来る」
シルフが鋼城の装甲壁に沿って高速で移動し、スラスターの噴射が灰色の空気に白い軌跡を引く。落下してきたケーファーがシルフの進路に転がり込んだが、トワはスラスターの噴射方向を変えて回避した。その動作は流れるように短刀のひと振りに繋がり、ケーファーの前脚の関節を切断した。
カイは泣いている。
泣きながら操縦桿を握り、引き金を引いている。灰色の静寂の中で脅威の色だけを追い続けた。涙は止まらないが、手もまた止まることはなかった。
ガルドはこの中にいる。
天井が崩れ、壁が潰れ、通路が埋まっていく鋼城の中に。工具をベルトに差し、作業着を着たままのガルドが今この瞬間もそこにいるのだ。
操縦桿を握る手に力が入る。
ケストレルが前に出る。暴走するケーファーの群れの中に突っ込み、FALKEが火を噴いて75mm弾が頭部を貫く。次、そして次。灰色の世界の中で赤い脅威を一つずつ消していく。斜め後ろにはリオンのポラリスがついており、カイが撃ち漏らしたドールを的確に仕留めていた。
3本目の脚が折れる。
ついに鋼城モノリスが倒れ始める。
残った3本の脚では3.2キロメートルの巨体を支えきれるはずもなく、鋼城は左への傾斜を加速させ、やがて自重に引かれるように横倒しになっていった。倒壊の速度は遅い。巨体が大きすぎるため、倒れるのにも時間がかかるのだ。
だがその時間の中で全てが壊れていった。
装甲壁が接合部から裂けて内部構造が露出し、配管が折れて蒸気と煙が噴き出す。六脚の残りの脚も倒壊の衝撃で次々と破断し、鋼城の巨体が地面に向かって落ちていく。
着地の衝撃はまさに地震だった。
数十万トンの金属塊が大地を叩き、地面が波打つ。ケストレルの脚部が宙に浮き上がり、着地と同時に両膝の関節が限界まで曲がって警報が鳴り響いた。カイは操縦桿を両手で押さえ込んで機体を安定させる。
砂塵が空を覆った。
鋼城の倒壊で巻き上げられた土砂と灰が視界を完全に遮り、モニターの映像がホワイトアウトする。音だけが聞こえる。金属が潰れる音。構造材が折れる音。大地が震える音。それらが一つの轟音となって灰域の大地を揺らし続けた。
長い時間が経ち、ようやく砂塵が薄れ始めた。
モニターに映像が戻ってくる。灰色の埃の向こうに、横たわる鋼城の残骸が見えた。3.2キロメートルの巨体が地面に倒れ伏し、フレームは折れ曲がって装甲壁が剥がれ、無残にも内部構造が露出している。何箇所かで火災が起きているのか煙が上がっており、黒煙が灰色の砂塵と混ざり合って空を覆っていた。
その向こうに光が見える。
灰色の空の東の端、地平線に近い場所だ。砂塵と煙の向こうに薄い光が差し始めている。夜明けだった。灰域の空は厚い雲に覆われているため、太陽が直接見えることはない。だが雲の向こうから差す光が、空の一角を白く染め上げていた。
灰色の夜明けだった。




