ヘルガの独白
最後の鋳脈者を解放した瞬間、鋼城の制御系が完全に喪失する。
床が大きく傾く。右に30度。接続ポッドの固定ボルトが破断し、6基のポッドのうち2基が床を滑った。金属が金属を擦る耳障りな音が中枢区画を満たす。ガルドは壁際の配管を掴んで体を支える。ユリアが5人の解放者を壁際に集めている。ミーナだけはポッドの中から動かせない。ユリアがミーナのポッドにしがみつき、ポッドが滑らないように体で押さえている。
鋼城の六脚が制御を失っている。
24人を一斉に外す。脚と脚をひとつに繋いでいた神経が、もうどこにもない。鋼城の六脚が揃わなくなっている。脚の接地タイミングが完全にずれ、ガルドの足の下で床が乱れる。
振動が不規則に激しくなった。左の脚が地面を叩き、右の脚が持ち上がり、背部の脚が取り残される。3.2キロメートルの巨体が、酔ったように揺れている。
天井から構造材の接合ボルトが弾け飛んだ。鉄片が床に落ち、跳ねる。梁の溶接部に亀裂が走り、金属が軋む高い音が連続する。壁の配管から蒸気が噴き出す。高温の蒸気がガルドの左腕を掠め、作業着の袖に白い染みができる。
通路が崩れ始めていた。
通信機にノイズが入った。
ガルドはツールベルトの通信機を掴んだ。鋼城内部の通信は本来、中枢の管制システムを経由する。だが管制システムは鋳脈者の切断で機能を失っている。直接通信に切り替えた回線に、断続的な声が混じった。
「――ルド。ガルド」
ヘルガの声だった。
ヘルガ・キルシュ。ノイズの向こうから、聞き覚えのある声が届く。20年以上前と変わらない。主語を省略する癖も、技術的な話題になると早口になる癖も。だが今の声には、あの頃にはなかった疲労が滲んでいた。
「聞こえている」
「接続者は全員切断した?」
「全員外した。6人とも生きている」
短い沈黙があった。ノイズが波のように寄せて引く。
「そう」
ヘルガの声は平坦だった。安堵か諦めか、ガルドには判じられなかった。
「お前はどこにいる」
「第4区画のデータ保管庫。鋳脈接続中のイグニス場変動記録を回収している。あの反応と冴覚の関連を調べなければ」
鋼城が揺れる。通信にノイズが走る。ヘルガの声が途切れ、数秒後に戻った。
「――間に合わないかもしれない。データ端末のバックアップ電源が持つかどうか。構造崩壊が始まっている。第6区画の通路は既に通れない」
「脱出しろ、ヘルガ」
「もう少しだけ。あと3ファイル」
ガルドはヘルガの声を聞きながら、中枢区画の状態を見回す。天井の梁から金属粉が絶えず降っている。壁の配管の亀裂が広がり、蒸気の噴出が増えている。床の傾きが戻らない。右に15度。鋼城の六脚のうち、右側の3脚の制御が特に不安定になっているのだろう。
ヘルガの声が続く。
「ガルド」
「何だ」
「あの反応を制御できなかったから、世界が壊れた」
唐突な言葉だった。だがガルドには文脈が分かった。ヘルガが言っている「あの反応」は、コンバーターの中で起きている現象のことだ。旧世界が制御しようとして失敗し、その失敗が大崩落の引き金になった力。
「そして私たちは」
ヘルガの声が途切れる。ノイズではなかった。ヘルガが言い淀むのを、ガルドは初めて聞いた気がした。
「壊れた世界の上に、同じものをまた作った」
鋼城が揺れる。ガルドの体が壁に押しつけられる。通信のノイズが激しくなり、ヘルガの声が遠くなった。
「鋳脈も。鋼城も。あの反応の上に築いた技術だった。原理が分からないまま、使った。効果があったから。結果が出たから。そして結果の代償を払う人間がいることを、私は知っていた。知った上で、続けた」
ガルドは黙っていた。
ヘルガの言葉を否定する気はなかった。否定できる立場にもなかった。ガルドもまた、同じことをした人間だ。リレー素子を設計した。鋳脈の接続方式を実装した。テオに処置を施した。あの端子を、あのケーブルを、人間の体に埋め込む技術を作った。原理の全ては分からなかった。リレー素子の素材に含まれる旧世界の物質が、なぜ神経との親和性を持つのか。理論上は説明できなかった。だが動いた。機能した。だから使った。
ヘルガと同じだ。
「データは回収できたか」
ガルドは話題を変えなかった。
「2ファイル回収した。あと1ファイル。鋳脈接続者6名分のイグニス場変動ログ。接続中のコンバーター周辺の場の強度変動を0.1秒間隔で記録したもの」
「それを持って脱出しろ」
「ガルドは?」
「俺は残る。中枢装置の制御基盤を壊す。接続回路を全部潰す。二度と誰もここに繋がれないようにする」
ユリアの唇が引き結ばれる。何か言いかけて、飲み込んだ。代わりに小さく頭を下げた。
「ありがとうございました」
「行け」
ユリアとラースがミーナをポッドから持ち上げる。ミーナの体は軽かった。長期の接続で筋肉が落ち、骨と皮膚だけになっている。ラースが右側、ユリアが左側を支え、ミーナの腕を肩に回す。ミーナの足は床に触れていたが、体重を支える力はなかった。引きずるように、3人が中枢区画の出口に向かった。
ヨルグと3人目の男が続く。4人目の女をヨルグが支えている。6人の足音が通路に消えていく。不揃いで、遅い足音だった。
ガルドは一人になった。
中枢区画の中央に立った。
6基の空になった接続ポッド。切断されたケーブルの束。散乱した金属の破片。そして、奥に佇むコンバーターの青白い脈動。
ガルドはツールベルトからハンマーを引き出す。
接続回路の制御基盤は、ポッドと中枢装置を繋ぐ配電盤の中にある。ここを物理的に破壊すれば、仮にポッドを修復しても、人間を接続する回路が機能しなくなる。
ハンマーを握った手に力が入った。
「俺も同じだ」
声に出した。ヘルガに向けた言葉ではなかった。自分への言葉だ。
「壊れるものを、作り続けた」
リレー素子を設計した。鋳脈の接続方式を実装した。テオの体に処置を施した——そして、テオは消えた。ガルドが作った技術が、テオの神経を蝕み、テオの体を壊している。テオだけではない。この部屋にいた6人の人間も。ガルドの設計したリレー素子が、彼らの脳を鋼城に繋いでいた。
ガルドはハンマーを振り上げる。
天井から鉄片が落ちてくる。梁の接合部から剥がれた金属の破片が、ガルドの肩を掠めて床に落ちる。小さな切り傷ができる。作業着の肩口に赤い染みが広がった。
構わなかった。
ハンマーが配電盤の蓋を叩く。金属が凹み、蓋が外れる。内部の回路基板が露出する。ガルドはハンマーを振り続ける。基板が砕ける。端子が折れる。配線が千切れる。一撃ごとに、接続回路の復旧が不可能になっていく。
鋼城が揺れる。壁から蒸気が噴き出し、天井の照明が明滅する。通路の向こうで崩壊音が続いている。
ガルドの手は止まらなかった。




