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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
残鳴の先へ

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イグニスの圧

5人目を解放する。

 ガルドは接続ポッドから離れ、腰を伸ばす。背中の筋肉が軋む。左手の中指と薬指——火傷の古傷がある2本だ。精密ドライバーの柄を握り直しても爪の先で端子をなぞっても、触れたかどうかが分からなかった。

 接続中枢の空気が変わっている。

 6基のポッドのうち5基が空になった。切断されたケーブルの端が金属の床に垂れ下がり、端子の残骸が散らばっている。ユリアが5人の解放者を中枢の隅に集めて毛布を掛けている。5人のうち3人は自力で座れたが、1人は横たわったまま自分の手を見つめ、ミーナは目を開けたまま動かない。

 残り1人。

 ガルドは最後のポッドに目を向ける。だがその前に中枢の奥に据えられたものが視界に入った。

 イグニス・コンバーター。

 6基の接続ポッドの中心であり、中枢区画の最深部に鎮座する球形の装置だ。直径は2メートル弱で外殻は銀灰色の合金。

 ガルドは30年以上も機械の合わせ目ばかり見てきた目で継ぎ目を探したが、一つもなかった。ぞわりと首の後ろが粟立った。

 装置が光っている。

 青白い光が表面の溝に沿って脈動している。呼吸するように収縮と弛緩を繰り返す光の波が、2秒の周期で球体の表面を走っている。光源は見えなかった。表面の合金そのものが発光しているようだった。

 ガルドは装置に近づく。3メートルの距離。

 空気が重くなった。

 物理的な重さでも気圧の変化でもなかった。言葉にできない圧力がガルドの全身を押している。胸が詰まる感覚。耳の奥で低い音が鳴っているような鳴っていないような。目の焦点が合いにくくなり、コンバーターの輪郭が蜃気楼のように微かに揺らいでいる。

 ガルドに冴覚はない。

 生まれてから一度も冴覚を感知したことはない。テオにはあったしカイにもあるが、ガルドにはない。それでもこの圧は感じる。体の芯を押す何か。見えない壁に向かって歩いているような抵抗感。

 かつてグランヴェルトの技術部にいた時、この装置の存在だけは聞いていた。鋼城計画の核心であり、旧世界から回収された動力装置。通常の複合動力炉の50倍の出力で燃料の補充はほぼ不要。名前は伏せられ、技術者の間では「主機」とだけ呼ばれていた。ガルドは鋳脈のハードウェア設計者であって動力系統の担当ではなかったため、「主機」の詳細を知らされることはなかった。

 だが今、目の前にある。

「だからか」

 ガルドは呟く。声が自分の耳に届くまでに一瞬の遅延があった。空気が重く、音の伝播すら鈍くなっているように感じる。

「だから鋼城は止まらないのか」

 ようやく腹に落ちる。機械だけでは飼い慣らせない出力がある。人間の神経でなければ手綱を握れない。ガルドたちが繋いできたのは燃料ではなく——手綱だ。

 テオのメモにも書かれている。ガルドがカイに渡したテオの遺品の中に、断片的な走り書きのメモがあった。「主機の近くにいると、空気が変わる。何かがある。計器には映らない。だが確かにある」。冴覚の持ち主だったテオには、もっと鮮明に感じられたはずだ。

 ガルドは2メートルの距離まで近づく。

 圧が強くなった。胸骨の裏側を鼓動の一つ一つが叩いている。コンバーターの2秒周期とは違う自分のリズムだが、叩かれるたびにあの2秒へ寄っていく。喉が干上がった。

 手を伸ばしかける。止まった。

 触れてはならない、と体が言っている。理屈ではなかった。技匠として30年以上機械に触れ続けてきた手が、この装置だけは拒否していた。理解できない機械は壊すこともできない。

 コンバーターの表面を見つめる。銀灰色の合金に刻まれた溝が光の脈に沿って深く刻まれている。これを作った人間が旧世界にいた。壊れた技術の残骸の上に新しい壊れ方を積み重ねたのだ。

 だがガルドの任務は鋳脈者の解放であり、コンバーターの破壊ではなかった。マイロの作戦にコンバーター破壊は含まれていないし、含められなかった。コンバーターを破壊した時に何が起きるか誰にも予測できなかったからだ。爆発するのか、停止するのか、それとも別の何かが起きるのか。

 ガルドはコンバーターに背を向ける。青白い脈動が背中を照らしている。圧がゆっくりと薄れ、2メートル、3メートルと離れるごとに胸の詰まる感覚が和らいでいく。だが完全には消えなかった。中枢区画のどこにいても、コンバーターの存在は空気の底に沈んでいる。

 最後のポッドに向かった。


 * * *


 最後の1人。

 ポッドの蓋を開けた。中年の男だった。40代で接続者の中では最年長だろう。頬がこけ額に深い皺が刻まれている。だが体格は他の接続者より大きく、筋肉の落ち方も緩やかだった。もともと頑健な体だったのだろう。

 ガルドはポッドの側面パネルを開けて配線を確認する。リレー素子の端子の状態やケーブルの癒着の有無。4本のうち2本に軽度の癒着があったが、ミーナほどではなく剥がせる。

 リテーナーリングに精密ドライバーを差し込んだ瞬間、鋼城が揺れる。

 それまでの不規則な振動とは次元が違った。床が大きく傾いてガルドの体が横に流れ、壁に肩をぶつけて工具が手から滑り落ちた。金属の道具が床を跳ね、甲高い音が中枢区画に響く。

 ユリアが叫んだ。

「何が――」

 通路の向こうで鈍い崩壊音が聞こえる。構造材が折れる音だった。5人抜いたため、残り19人では支えきれなくなっている。

 床の傾きが戻った。鋼城の六脚が姿勢を修正したのだろう。だが修正の動きが粗く、制御の精度が落ちている。

 ガルドは床から精密ドライバーを拾い上げポッドに戻った。

 時間がない。

 手順を省略するわけにはいかなかった。省略すればこの男の脳が壊れる。だが鋼城の崩壊が進めばこの区画ごと潰される可能性がある。ガルドは手を動かす。1段目、2段目。いつもより速く、だが正確に。

 鋼城がまた揺れた。天井から金属の粉が落ちてきて、梁の接合部が軋んでいる。

「3段目に入る。ケーブルを外す」

 1本目、2本目。癒着箇所を剥がしながらの3本目。男の体が跳ねて心拍が上昇した。ユリアの声がバイタルを読み上げるのをガルドは聞いていたが、手は止めなかった。

 4本目。最後の1本に手をかける。

 鋼城が激しく揺れた。

 通路の奥で壁が崩れる音がした。構造材が倒れ、金属が金属にぶつかる連鎖的な崩壊音が続いた。床が震えポッドの固定ボルトが軋んだ。

 ガルドは最後のケーブルを引き抜く。

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