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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
残鳴の先へ

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ラースの涙

3人目の切断は最も速かった。

 若い男だった。接続期間が短いらしくリレー素子の端子の状態は比較的良好だった。炎症は軽度でケーブルの接続面にも腐食はない。ガルドの手が迷いなく動く。リテーナーリング、保持電流の遮断、そして4本のケーブルの順次引き抜き。1人目のヨルグで12分かかった作業が3人目では7分で終わった。

 男は目を覚まし、自分の手を見つめ、それから何度も開閉させる。握る。開く。握る。開く。自分の指が自分の意志だけで動くことを確認しているようだった。

 今や指は指だけだった。

 男は何も言わず、泣きもしなかった。ただ自分の指を見つめ続けている。


 4人目は30代の女だった。この女の端子は3段目の作業で苦労する。運動系第1経路のケーブルが端子の内壁に癒着しかけていたのだ。接続期間の長さと炎症の影響で金属と生体組織の境界が曖昧になりつつあった。ガルドは精密ドライバーの先端でケーブルの接触面を0.2ミリずつ剥がし、癒着部分を慎重に分離する。

「心拍116。危険域に入ります」

 ユリアの声に緊張が走る。

「あと10秒」

 ガルドの指が動く。癒着を剥がしてケーブルを引く。女の体が大きく跳ね、喉の奥から叫びが漏れる。声ではなく空気が無理やり押し出されたような音だった。

 4本目を引き抜いた。

「心拍102。下降中……96。安定に向かっています」

 ガルドは額の汗を手の甲で拭った。絶縁手袋が額に触れた時、指先の微かな震えに気づく。疲労だった。精密作業の連続で前腕の筋肉が強張っている。


 * * *


 鋼城の振動が明らかに不規則になっている。

 六脚の歩行リズムが乱れている。左右の接地タイミングがずれ、床が不均等に揺れる。4人抜いた。その乱れをガルドは靴底で聞く。

 ガルドは5人目のポッドの前に立つ。蓋を開けた。

 中にいたのは若い男、ラース・ヘイデンだった。


 ラースの目は開いている。

 意識があった。これまで開けたポッドの顔はどれも意識が濁っていたが、この男の瞳には焦点がありガルドの顔をはっきりと見ている。

 やがて唇が動く。

「あなたが……来てくれたんですか」

 声は掠れていたが言葉は明瞭だった。

 ガルドは答えずポッドの側面パネルを開け、作業の手順に集中する。

「ユリアさんが、言ってました」

 ラースが続ける。

「誰かが来る、って。ずっと。毎日。誰かが来て、外してくれる、って」

 ラースのポッドの横に立つユリアの表情は見えなかった。ラースに背を向けてモニターの数値を凝視している。

「フィードバックレート1100。降下を開始します」

 事務的な声だったが、モニターを操作する指先は微かに震えていた。

 ガルドはリテーナーリングに精密ドライバーを差し込んだ。1段目。回転させて外す。

「待って」

 ラースの手が動く。接続ポッドの中から痩せた腕が伸びてガルドの手首を掴む。握力はほとんどなく指が触れているだけだったが、ラースは決して離さなかった。

「ありがとう」

 ラースの声が震える。

「ありがとうございます」

 繰り返された2回目の言葉は1回目より声が大きかった。声帯が言葉を思い出すように、音が少しずつ力を取り戻していく。

 ガルドはラースの手を見る。かつては操縦桿を握り汎殻を動かしていたはずの細い指は、今は骨と皮だけになっている。点滴の痕が手の甲を覆い尽くし、爪は伸び放題で割れていた。

「外す。動くな」

 ガルドの声は低く短かった。ラースの指を自分の手首からそっと外して作業に戻る。

 2段目。保持電流の遮断。ラースの体が跳ねたが彼は声を上げなかった。歯を食いしばって目を閉じ、反射的な痙攣が収まるのを待つ。

 3段目。ケーブルの順次引き抜き。1本目、2本目と抜くたびにラースの呼吸が荒くなり、3本目を引いた時には口から低い呻きが漏れた。

「最後の1本だ」

 ガルドの言葉にラースは小さく、だがはっきりと頷く。

 4本目を引き抜いた。


 ラースの体が弛緩する。

 だが他の接続者とは違い、ラースはすぐに目を開けて天井を見上げる。接続中枢の暗い天井には金属の梁が格子状に走り、配管が蛇のように這っている。ラースはそれを見上げ、口を開く。

「……寒い」

 それは微かな呟きだった。鋼城の内部は温度が管理されており決して寒くはない。ラースは両腕で自分の体を抱くようにして、感触を確かめるようにゆっくりと擦った。

 やがてその目から涙がこぼれ落ちる。

 今度は反射ではなかった。涙が頬を伝って顎を滑り、接続ポッドの底に落ちる。1滴、2滴。3滴目でラースの顔が崩れた。唇が歪んで眉が下がり、鼻の奥から嗚咽が漏れた。

「泣ける」

 ラースは自分の涙を手の甲で拭い、その手を見つめる。涙で濡れた手の甲を驚いたように見つめている。

「涙が、出る。俺、泣けるんだ」


 ラースは声を上げて泣く。接続中枢の薄暗い空間に26歳の青年の泣き声が響き渡る。ガルドは何も言わずユリアも黙っていた。二人ともラースが泣き終わるまでじっと待っていた。


 * * *


 ラースの泣き声が収まった頃、ガルドは6人目のポッドの前に立っている。

 最後の1人であり、この区画の最後の接続者でもあるミーナ・フロスト。

 ポッドの蓋を開けた時、ガルドの手が止まった。


 彼女は他の5人とは違う。

 後頭部から首筋にかけての接続ケーブルが太いのだ。他の接続者の倍近い直径のケーブルが4本、頸椎の両側から中枢装置に繋がっている。端子の周囲の皮膚は赤ではなく、紫色を通り越して灰色に変色していた。皮膚と金属の境界が曖昧になり、ケーブルの被覆と皮膚が癒着を超えて一体化しつつあった。


 ミーナの目は開いていたが、何も映していなかった。

 瞳孔は開いたまま固定され光の明暗にも反応しない。呼吸はしており胸も微かに上下している。心臓も動いている。だがそこに人間の意識があるかどうか、ガルドには分からなかった。


 ユリアがミーナのポッドの横に来て、モニターを確認してからその手を取った。

「ミーナ」

 名前を呼んだ。

「ミーナ。聞こえる?」

 もう一度。

「ミーナ、もう少しだから」

 3回目の呼びかけにもミーナは反応しなかった。目は開いたまま天井の一点を見つめている。いや、見つめているというのも正確ではない。ただ目が開いているだけで視線に意志はなかった。


 ユリアはミーナの手を握ったままガルドに目を向ける。

「接続期間は6人の中で最長です。4年。神経劣化が最も進行しています。切断による脳へのショックが他の5人より大きい可能性があります」

「分かっている」

 ガルドはポッドの側面パネルを開ける。


 配線の状態を見て息を吐く。ケーブルと端子の癒着が全箇所で進行しており、4人目の女の比ではなかった。剥がすのではなく切るしかない箇所が複数ある。切れば端子の欠片が残る可能性があり、それは後で外科的に除去するしかないが今はここに外科医はいない。

 だが放置すればミーナの神経劣化はさらに進行してしまう。時間は味方しない。

 ガルドは手を動かし始める。


 1段目。リテーナーリングが錆びついて精密ドライバーでは回らなかった。ガルドはツールベルトからワイヤーソーを引き出してリングの溝に当てて切る。金属の粉が散ってリングが外れ、端子カバーが浮いた。


 2段目。フィードバックレートの降下。

「レートが下がりません」

 ユリアの声が硬かった。

「1400のまま固定されています。中枢装置が補償制御に入っています。接続者が減ったことで、残存者への負荷が上がっています」

「強制降下はできるか」

「オペレーター権限で可能ですが、急激な降下はミーナの神経に――」

「800まで。30秒かけて落とせ」


 ユリアが端末を操作すると数値が動き始めた。1400、1300、1200。ミーナの体に変化はなく目は開いたままで呼吸も変わらない。1000、900、800。

「800。安定です。ミーナのバイタルに変動なし」

 保持電流を遮断してもミーナの体は跳ねず反射すら起きなかった。神経の反応が鈍くなっているのか、もう反射する力も残っていないのか。


 3段目。ケーブルの切断。1本目は引き抜けた。2本目は癒着箇所を精密ドライバーで剥がしながら抜き、3本目は端子の内壁と完全に癒着していたためワイヤーソーの先端で接触面を1ミリずつ切り離す。これだけで8分かかった。

 そして4本目。最後のケーブルをガルドは引き抜く。


 ミーナの体には何の変化もなかった。

 弛緩も痙攣も瞬きすら起きない。目は開いたまま天井を見ており、呼吸は続いて心臓も動いている。だがミーナはそこにいなかった。体だけがポッドの中に残され、ミーナという人間からの反応は返ってこない。


 ユリアがミーナの手を握った。

「ミーナ」

 4回目の呼びかけだった。

「終わったよ。もう繋がっていないよ」

 それでもミーナは動かなかった。


 ユリアの目は赤くなったが彼女は泣かず、ただミーナの手を握り続けた。冷たい手だった。点滴と接続ポッドの中で体温調節を機械に委ねられていた体は、自力で熱を作ることを忘れかけている。

 だが脈はあった。

 ユリアの指先に弱い脈動が伝わってくる。ミーナの心臓は動いており体は生きている。意識が戻るかも声が戻るかも分からないが、心臓だけは確かに動いていた。

 ユリアはミーナの手を離さなかった。

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