一人目
指先が震えている。
ガルドは絶縁手袋を嵌めた両手を胸の前で握り、呼吸を整える。1回、2回。3回目で手が止まる。
接続ポッドの蓋を開けると中に人間がいる。
男だった。20代の後半か。筋肉が落ちて頬が削げている。顎から首にかけて産毛のように細い管が数本刺さり、栄養輸液の透明なラインが首筋を這っている。後頭部から頸椎にかけてリレー素子の接続ケーブルが4本、灰色の金属端子に刺さっていた。端子の周囲の皮膚が赤く腫れている。慢性的な炎症だ。定期的に消毒はされているが根本の負荷が消えない限り治らない症状だった。
ガルドはこの端子を設計した人間だった。
端子の形状。素材の配合。皮膚との接触角度。全てガルドが図面を引いたものだ。20年以上前、シビル・ヴェーゲナーの研究室で脊髄損傷患者の感覚回復のために設計した接続部品だった。それが今では人間を鋼城に繋ぎ止める鎖になっている。
ユリアが背後から声をかける。
「バイタルは安定しています。心拍62、血圧は低いですが許容範囲内。神経信号のフィードバックレートが毎秒1200パルス。切断の前に800まで落とす必要があります」
「分かっている」
ガルドはポッドの側面パネルを開ける。内部の配線が露出する。リレー素子の中枢装置との接続回路だ。ここを外す。
3段階のロック機構のうち、1段目は物理ロックだった。端子の外周に嵌め込まれたリテーナーリングを90度回転させて外す。ガルドは精密ドライバーの先端をリングの溝に差し込んで慎重に回した。金属が微かに軋む音がしてリングが外れ、端子のカバーが浮く。
2段目は電磁ロック。中枢装置からリレー素子に流れている微弱な保持電流を遮断する。ガルドはクリッパーを取り出して回路基板の指定箇所に当てた。電流を遮断すると鋳脈のフィードバックが一時的に増幅されるため、その瞬間に接続者の神経へ逆流電位が走る可能性があった。
「フィードバックレートを下げる。600まで」
ユリアがモニターを操作すると接続ポッドの制御端末に数値が表示される。1200、1100、1000。数字がゆっくりと下がっていく。
「800」
「もう少し」
「700」
「まだ」
「600。安定しました」
ガルドはクリッパーの刃を回路に当てて保持電流のラインを切った。
接続者の体が一瞬だけ跳ねる。痙攣ではなく反射だ。神経に走った微弱な衝撃が脊髄を通じて筋肉に伝わり、3秒で収まった。ユリアがバイタルモニターを確認して小さく頷く。
「心拍78。上がりましたが、許容範囲です」
3段目は神経フィードバックの段階的遮断だ。ここが最も危険な工程だった。
リレー素子は4本の接続ケーブルで中枢装置に繋がっている。4本を同時に抜けば神経への負荷が一気にゼロになり、脳がショックを起こしてしまう。1本ずつ順番に外さなければならない。感覚系統から先に外し、運動系統は最後にする。順序を間違えれば運動神経への信号が感覚回路に逆流し、脳に不可逆的な損傷を与える。
ガルドは1本目のケーブルを指で挟んだ。手袋越しに金属の冷たさが伝わる。
「感覚系第1経路。外す」
ケーブルを引き抜くと端子から細い蒸気が立ち上った。接続面に溜まっていた体液の蒸発する音が微かに聞こえる。
男の瞼が震える。
「2本目。感覚系第2経路」
引き抜く。男の口が開く。声は出ない。唇だけが動いている。
「3本目。運動系第1経路」
ここからは慎重だった。ガルドの指が止まり、ケーブルの接続面を確認する。端子の腐食が他の3本より進んでおり、引き抜く角度を間違えれば端子の欠片が残ってしまう。ガルドは精密ドライバーで端子の縁を0.5ミリだけ持ち上げ、接触面を確認してからケーブルを引いた。
男の体が大きく震える。
「心拍92。上昇中です」
「許容範囲だ。最後の1本に行く」
4本目。運動系第2経路。最後のケーブルだ。これを外せば鋼城との接続が完全に切れる。
ガルドは呼吸を止める。引き抜いた。
男の体が弛緩する。緊張が一気に解ける。全身の力が抜け、接続ポッドの中で体が沈み込み、頭が微かに横へ傾く。
* * *
数秒の沈黙があった。
男の目が開いたが焦点は合っていない。天井を見ているのか何も見ていないのか分からない目だった。唇が動く。今度は声が出た。
「音が」
掠れた声だった。長く使われていなかった声帯が空気を震わせることを思い出すように、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「自分の、声が……聞こえる」
男の目から涙がこぼれる。本人も気づいていないのか、頬を伝う水を拭おうともしない。
ユリアが接続ポッドの横に屈み込んで男の手を取った。
「聞こえますか。あなたの名前は分かりますか」
男は口を開閉させる。自分の名前を思い出そうとしているのか、声の出し方を思い出そうとしているのか。数秒かかって言葉が漏れる。
「……ヨルグ。ヨルグ・リース」
「ヨルグさん。大丈夫。もう繋がっていません。あなたは自由です」
男の――ヨルグの顔が歪んだ。笑おうとしたのか泣こうとしたのか分からない表情だった。頬の筋肉がどちらの動きも忘れていた。
ガルドはヨルグの様子を見届けてから次のポッドに移った。
2人目。
ポッドの蓋を開けると中にいたのは女だった。30代前半。ヨルグと同じ接続状態だがリレー素子周辺の炎症がより重い。皮膚が紫色に変色して端子の縁が肉に食い込んでいる。接続期間がヨルグよりも長いことを示している。
女の目は開いている。
ガルドと目が合った瞬間に女の喉が鳴り、体が硬直する。1人目の金属が軋む音も、ケーブルが抜ける湿った音も、体が跳ねる振動も、隣のポッドの中で全部聞いていたのだ。次は自分だと目が語っている。
女の唇が震えている。声にならない声で何かを繰り返している。
ユリアが女のポッドの横に来てモニターを確認し、額に手を当てる。
「大丈夫。終わります。すぐに終わります」
ユリアの声は穏やかだった。だがガルドには見えるものがある。女の額に当てた指先が白くなるほど力んでいる。穏やかな声を出すためにどこかへ力を逃がしているのだと分かる。
ガルドは手を動かし、同じ手順を繰り返す。
女の体は最初の保持電流の遮断でヨルグより大きく跳ね、心拍が104まで上がる。落ち着くまで30秒待った。4本のケーブルが外れるたびに女の口が開き、声にならない音が漏れる。
最後の1本。
引き抜く。
女の体が弛緩する。目が閉じた。それきり動かなかった。
* * *
2人目が解放される。
ガルドは工具を握ったまま接続中枢の空気を吸い込んだ。金属と消毒液と体液が混じった空気だ。20年前にも嗅いだことがある。グラオシュタインのリレー素子工場。あの時はこの匂いの向こうに未来があると思っていた。
鋼城の振動が変わる。
微かな変化だった。床を通じて伝わる六脚の歩行振動のリズムがほんの僅かに乱れ、歩幅が不均一になっている。2人抜いた。それだけでこの巨体は脚の運びを揃えられなくなっている。ガルドは床から伝わるその乱れを靴底で感じ取った。
外の戦闘の音が一瞬だけ静かになった気がする。
気のせいかもしれない。鋼城の装甲壁は厚く外の音はほとんど届かない。だが振動の変化は確かだった。鋼城の動きが僅かに鈍くなっている。
ガルドは3人目のポッドに目を向ける。
まだ4人。




