繋がれた人々
扉が開いた瞬間、ガルドの足が止まる。
鋳脈接続中枢。鋼城モノリスの胴体下部、最深部に位置する区画だった。整備通路の暗さに目が慣れていた分、急に広さが抜ける。天井が遠く、両側の壁も遠い。円筒形の空間の大きさがガルドの背筋を一瞬だけ押す。
照明は暗く、天井のパネルが青白い光を放っていたが、出力は最低限に絞られている。接続者の瞳孔に過剰な光刺激を与えないための措置だ。自分が設計に関与した仕様だった。
区画は6つに区切られている。円筒形の空間を6等分する隔壁が放射状に配置され、各区画に4基ずつ、合計24基の接続ポッドが設置されている。ポッドは傾斜した寝台のような形状で、接続者の上半身がやや起きた姿勢で固定されている。各ポッドの背面から太いケーブルの束が伸び、天井の配線ラックを伝って区画の中央へ向かう。
中央。6つの区画の全てのケーブルが集まる場所に、それがあった。
球形の装置だった。直径はおよそ3メートル。表面は滑らかな金属で覆われて継ぎ目がない。鋳造でも切削でもない、旧世界の技術で成形された、継ぎ目のない金属球体だ。その表面から青白い光が滲み出ている。発光しているのではなく、光が装置の内部から表面を透過して漏れ出ているのだ。脈動するように明滅を繰り返している。収縮と弛緩。心臓の拍動と同じリズムだった。
イグニス・コンバーター。
旧世界の遺物だ。何をどう吸い上げてこの鉄塊を動かしているのか、設計に関わったガルド自身いまだに分からない。分かるのは一つだけ——あの球体が24人の人間から何かを吸い続けているということだ。
空気の圧がここで最も強かった。
ガルドの胸が締め付けられ、呼吸が浅くなる。肺が十分に膨らまない。冴覚を持たない人間でも、この距離ではイグニス・コンバーターの影響を受ける。整備通路で感じた圧迫感の数倍がガルドの胸を押している。
* * *
ガルドは最も手前の区画に足を踏み入れる。
4基のポッドが並んでいる。
1基目。年齢30前後の男だった。開いた瞳孔で天井の照明パネルを見つめてはいるが、何も見ていない。焦点が合っておらず、虹彩が微かに痙攣し。口は半開きで、乾燥した唇の端には唾液の痕があった。身体は拘束帯で固定されている。胸部、腹部、両腕、両脚の5点拘束。後頭部からは太いケーブルが1本と、それに巻きつくような細いケーブル3本が首筋を這い、天井の配線ラックへと吸い込まれていく。生きた人間の頭から機械の腱が生えていた。
ガルドはポッドの横に立ち、接続者の後頭部に目を寄せる。リレー素子の埋設部位である頭蓋骨の後頭部、大後頭孔の上方に小さな金属プレートが見える。皮膚との境界は赤く炎症を起こして腫れていた。プレートの表面から主回線のコネクタが突出し、ケーブルのプラグが嵌め込まれている。3段階のロック機構で固定されている。ガルド自身が設計したロック機構だった。
2基目は女だった。意識はない。眠っているのではなく、神経負荷による意識喪失だ。呼吸は浅いが規則的で、生体モニターの数値は投薬によって安定範囲内に保たれていた。
3基目の男は微かに呻いている。整備通路で聞こえた呻き声はこの男のものだったのかもしれない。口から漏れる声に言葉はなく、ただの痛みの排出だった。
4基目の女は目を閉じている。不規則に指先だけが微かに動いている。何かを掴もうとするような動きだったが、ポッドの中には何もない。掴むもののない空間で指だけが動き続けている。
ガルドは6つの区画を順に見て回る。
2番目の区画の4名。1名は意識がありガルドの姿を目で追ったが、声は出ない。口が動いても音にはならなかった。残り3名は意識がない。
3番目の区画の4名。全員が意識喪失状態であり、生体モニターの数値だけが彼らがまだ生きていることを示していた。
4番目の区画の4名。1名が目を開けて天井を見ており、もう1名が微かに身体を動かして拘束帯を軋ませている。残り2名は静かだった。
そして5番目の区画。
ここでガルドは足を止める。
ラース・ヘイデンがいる。
ポッドの中で目を開いている。頬がこけて目の周りの骨が浮き出た痩せた顔。くすんだ茶色の髪が乱れ放題に枕部へ広がり、唇はひび割れて肌は青白い。だが目だけは生きていた。暗い緑色の虹彩がガルドを捉えて離さない。
ラースの口が動く。
「......外して、くれ」
掠れた声だった。喉が渇き切った人間の、音というより息の震えに近い響き。だがそれは確かに意味のある言葉だった。
「外して......頼む......もう......」
ラースの手が動こうとするが、拘束帯が手首を押さえている。僅かに持ち上がった指先がガルドの方へ向かって伸びたものの、届かない。指はすぐに力を失い、ポッドの上に落ちる。
ガルドはラースの顔を見つめる。
26歳。カイと同じだ。ガルドはそれ以上年齢を数えるのをやめた。
ユリアが横に来る。
「ラース。分かる? 人が来てくれたの」
穏やかな声だった。番号ではなく名前で接続者に話しかける時の声。
ラースの目がユリアに向く。
「ユリア、さん......この人は......」
「助けに来てくれた人よ」
ラースの目からゆっくりと涙がこぼれた。頬を伝ってポッドの枕部に染みを作る。声は出ず、ただ涙だけが流れていた。
ガルドは隣のポッドに目を移す。
ミーナ・フロスト。
最も接続期間が長い鋳脈者だ。4年。19歳で接続され、今は23歳になっている。だが目の前の女性は23歳には見えなかった。白に近い灰色の髪が腰まで伸びてポッドの中で絡まっている。肌は紙のように白く、頬骨と鎖骨が鋭く浮き出ていた。目は開いていたが何も映していない。くすんだ灰色の瞳は虹彩が動かず、焦点が存在しなかった。
ユリアがミーナの傍に膝をつく。
「ミーナ。聞こえる? ミーナ」
何度も名前を呼んだ。
しかしミーナは反応しない。まばたきすらもせず指も動かないまま、浅い呼吸だけが続いていた。生体モニターの数値は安定している。生きている。だがそれだけだった。
ユリアがミーナの手に触れ、その細い指を自分の手で包んだ。
「大丈夫。もうすぐ終わるから」
ミーナの手は冷たいのだろうとガルドは思った。接続ポッドの中で血行が悪化し、手足の末端に血が十分に届いていないのだ。
* * *
ガルドは中枢区画の中央に立つ。
イグニス・コンバーターの青白い光がガルドの全身を照らしている。収縮と弛緩を繰り返しながら脈動する光。鋼城の心臓。
24基のポッドから伸びるケーブルが天井を伝って中央の球体に集まっていた。被覆の奥を青白い光が脈に乗って流れていく。普通の銅線では決して流れないものが、いま確かに流れていた。
ガルドはこの設計を知っていた。
鋳脈のリレー素子に使われているイグニス反応性物質。なぜその素材配合で動くのかは理論で説明できないが、旧世界の素材がそれを可能にしていた。ガルドはその事実を受け入れて設計を進めた。原理は分からんが動く。それだけで図面を引き続けたのだ。
だがその「動くもの」がここにあった。
24人の人間を拘束して後頭部からケーブルで繋ぎ、神経信号を吸い上げて3.2キロメートルの鉄の塊を動かす。ガルドが設計したリレー素子がその鎖の一環を担っている。
ガルドは立ち尽くす。
自分が作ったものがここまで歪められている。鋳脈は本来、操手と鉄殻の感覚を繋ぐための技術だった。操手が鉄殻を「自分の体」として感じることで、操縦の精度と反応速度を飛躍的に向上させる。テオに施した鋳脈がそうだった。テオはケストレルを自分の体のように動かして灰域の伝説と呼ばれるまでになった。代償として神経が壊れていったが、それでもテオは自分の意志で鉄殻に乗っていた。
ここにいる24人は違う。
自分の意志で接続されたわけではない。「志願」の形式が取られたものの拒否権はなかった。一度接続されたら二度と外されない。鋼城が停止するか、あるいは接続者の神経が完全に壊れるまで。そして鋼城は停止しない。イグニス・コンバーターが動き続ける限り止まらないのだ。だから接続者は壊れるまで繋がれ続け、壊れれば交換される。
ガルドの視線が24基のポッドを一つずつ辿る。
6区画の各4基ずつで計24人。一人一人に名前があり家族がいる。それぞれに接続される前の人生があった。ラースには手紙を書く趣味があり、ミーナには技匠になる夢があった。
ガルドは目を閉じなかった。
全てを見る。一つも目を逸らさなかった。
ユリアがガルドの横に立った。
「全員を確認しましたか」
「した」
「それなら」
ユリアがガルドを見上げる。
「お願いします」
ガルドはツールベルトに手を伸ばす。
精密ドライバー、ヘキサゴンレンチ、ピンセット、ニッパー、ケーブルカッター。リレー素子の解除に必要な工具が全て揃っている。自分が設計したロック機構を解除するための工具だ。
ガルドは最初のポッドに向かって歩き始める。
5番目の区画にあるラースのポッド。ラースの目がガルドを見ている。涙の痕が頬に残り、口が動く。
「......お願い、します」
ガルドはポッドの横に立ち、工具を手に取った。
「一人ずつ、安全に外す」
声は静かだった。
一人ずつ外す。それだけを考えた。




