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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
残鳴の先へ

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ユリアの選択

医療区画の扉を開けた先に白衣の女がいる。

 ガルドは反射的に壁際に身を寄せ、右手がツールベルトの工具に触れた。武器ではない。レンチだった。だがガルドが持てる最も硬い金属だった。

 女は通路の真ん中に立っている。

 身長は低く、160にも届いていない。白衣の下に紺色のインナーを着て、首からストラップで個人端末を下げている。黒髪を後ろで低く結び、目の下には深い隈があった。

 女はガルドを見ている。

 逃げる素振りも声を上げる気配もない。隈の落ちた目がまっすぐガルドを捉えている。ずっとここで待っていたとでもいう立ち方だった。

 ガルドはペンライトを女の顔から外す。直接目に光を当てるのは配慮に欠ける。光を床に落とし、間接的な明かりのなかで女の表情を読んだ。

「警報を鳴らすか」

 ガルドの声は低かった。轟音の残る耳鳴りの中で自分の声が遠く聞こえる。

「鳴らしません」

 女の声は静かだった。震えてはいなかったが、強くもなかった。疲弊した人間の声だった。

「監視モニターで見ていました。整備通路のC-09区画からずっと」

 ガルドの眉が動く。整備通路にも監視カメラがあることは知っていたが、戦闘中にそれを監視している人間がいるとは想定していなかった。

「止めなかったのか」

「止めませんでした」

 女は目を逸らさなかった。茶色の目は乾いて涙の痕跡はなかったが、隈の深さが、この女が長い間泣くことすらできなかったことを示していた。

「私はもう見ていられない」

 声が僅かに揺れる。

「あの人たちの苦しみを」


 * * *


 ユリア・ターナー。

 鋼城の鋳脈接続オペレーター。24名の鋳脈者の生体データを監視し、接続状態を管理する技術者だ。ガルドはその名前と役職を知っていた。鋼城内部の情報は潜入前に可能な限り収集している。

 医療区画の通路は機関区画とは違って静かだった。動力炉の轟音は気密扉と隔壁に遮られ、低い振動だけが壁面に残っている。照明は最低限の非常灯のみで、通路の両側に並ぶ扉の表面が青白く光っていた。

 ユリアが歩き始める。

 ガルドの方を振り返りもせず通路の奥に向かって歩いていく。ガルドに背を向けており、無防備だった。ガルドが何者であれ、背中を向けることにためらいがない。

 ガルドは後を追った。

「接続者の状態は」

「最悪です」

 ユリアの声は歩きながら前方に向けられ、振り返ることはなかった。

「24名のうち、まだ会話ができるのは9名。意識が断続的にしかない者が11名。残る4名は言葉を発する機能が失われています」

 ガルドの足音が一瞬だけ止まり、すぐに歩き直す。

「投薬で安定させていますが、限界です。神経安定剤の投与量を3ヶ月前の2倍に増やしています。それでも接続中の神経負荷が投薬の効果を上回っている。痛みだけが鮮明で、それ以外の感覚が日ごとに消えていく」

 ユリアの声には感情が薄かった。

 接続オペレーターとしての報告だった。ユリアの声に抑揚はなく、バイタルの読み上げと変わらない調子で人間の壊れ方を並べていく。その平坦さのほうが叫ばれるよりこたえた。

「味覚を完全に喪失した者が16名。聴覚に異常がある者が19名。視覚が光の明暗のみになった者が4名」

 数字を並べるユリアの声が通路に響く。

「人間をデータで語るのは嫌いです。でもデータでしか伝えられない。あの人たちの苦しみは、言葉にすると嘘になる。数字のほうがまだ正確です」

 ガルドは数字を反芻する。味覚喪失16名。聴覚異常19名。視覚が光の明暗のみ4名。テオもそうだった。右耳が聞こえなくなっても潰れた指で操縦桿を握り続けた男。あれは人間ひとりと鉄殻一機の話だ。ここは24人がひとつの鋼城に喰われている。ガルドの足音が知らず速くなった。

「退職を願い出たことは」

「一度だけ。機密保持を理由に却下されました。鋼城の内部構造と接続者の情報を知る人間を、外に出すわけにはいかない、と」

 ユリアの足が一瞬だけ遅くなった。

「それ以来、申請はしていません。申請しても通らないからではなく、ここを離れたらあの人たちの名前を呼ぶ人間がいなくなるからです」

 名前を呼ぶ。

 接続者はデータ上ではA-01からF-04の識別コードで管理されているが、ユリアだけが名前で呼んでいる。


 通路が曲がった。

 ユリアが角を曲がり、ガルドが続く。角を曲がった先には厚い金属扉があった。電子錠が緑色に点滅するセキュリティドアだ。

「鋳脈接続中枢まで案内します」

 ユリアが立ち止まり、初めて振り返った。

 目が据わっている。恐怖はなく、覚悟だけがあった。

「セキュリティの巡回は20分間隔です。次の巡回まであと14分。このドアの先の通路を右に進めば、エレベーターシャフトの保守用階段に出ます。階段を2層分降りれば鋳脈接続中枢のある区画です」

 ガルドはユリアの顔を見る。

「カメラは」

「中枢に向かう通路に3台。うち1台は先月故障したまま修理されていません。残り2台のうち1台は角度が固定で、壁際を歩けば映りません。最後の1台は」

 ユリアが個人端末を操作すると、画面に監視カメラの映像一覧が表示された。

「今、オフにします」

 端末の画面の一つが黒くなった。

「戻した時に記録を確認されたら」

「録画データは私が管理しています。該当時間帯のデータを上書きすれば痕跡は消せます」

 ユリアの指が端末の画面を操作する動きは速く正確で、オペレーターとしての技術は確かだった。

「あなたはここで何年働いている」

「3年です。接続者の状態管理を始めてから3年。最初の1年は、自分の仕事に意味があると信じていました。接続者の苦痛を少しでも和らげるために、投薬のタイミングを最適化し、バイタルの異常を早期に検知する。それが私の仕事だと思っていました」

 ユリアの声が低くなった。

「2年目に気づきました。私の仕事は苦痛を和らげることではなかった。接続者が壊れないように、ぎりぎりの線で維持し続けることでした。壊れたら交換が必要になる。交換には時間とコストがかかる。だから壊れないように管理する。人間を部品として管理する。それが私の仕事の本質でした」

 ガルドは黙って聞いている。

「3年目の今、もう限界です」

 ユリアの足が止まった。振り返ることはなく、前を向いたまま声だけが通路に落ちた。

「ラース・ヘイデンという接続者がいます。26歳。まだ会話ができます。意識が戻るたびに私に言うんです。『外してくれ』と。毎日。毎日同じ言葉を」

 ガルドの喉が動く。

「ミーナ・フロストという接続者がいます。23歳。接続期間が最も長い。もう言葉が出ません。名前を呼んでも反応しない日が増えています。でも時々、ほんの時々だけ、瞬きをすることがある。私の声が聞こえているのか分かりません。でも私は毎日呼びます。ミーナ、と」

 ユリアの背中が僅かに震え、すぐに止まった。

「行きましょう」


 * * *


 ユリアがセキュリティドアの電子錠にカードを通すと、ロックが解除される音が響いた。重い金属扉がスライドし、奥の通路が現れる。

「行きましょう」

 ユリアが先に歩き出す。

 ガルドは扉をくぐる前に通路の左右を確認する。人影はない。戦闘中の鋼城の内部では要員は持ち場を離れない。医療区画の通路を歩いているのはユリアとガルドだけだった。

 保守用階段を降りる。

 金属の階段を靴底が叩く音が狭い階段室に反響する。ユリアの足取りに迷いはなく、この場所を何百回も歩いた人間の足取りだった。

 2層分を降りる間に空気の圧が明らかに増し、ガルドの呼吸がさらに浅くなった。胸の奥の圧迫感が鉛のように重くなっていた。冴覚ではないが、体が反応している。イグニス・コンバーターに近づいている証拠だった。

 階段の最下段でユリアが立ち止まり、振り返った。

「ガルドさん」

 ガルドは階段の途中で足を止める。ユリアの目が非常灯の青白い光のなかでガルドを見上げている。

「あなたがあの技術を作った人だと聞いています」

 ガルドの表情は変わらなかった。

 あの技術。

 ガルドの指先が無意識にツールベルトをなぞる。後頭部に埋める小さな素子。人間の神経と鉄殻を繋ぐために自分が図面を引いた。その図面がいま、24人をこの鉄の塊に縛りつけている。

「ああ」

 ガルドは目を逸らさなかった。

「だから、俺が壊す」

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