旧世界の設計
機関区画に入った瞬間、轟音がガルドの全身を包んだ。
整備通路の気密扉を押し開けると、壁一枚を隔てていた音が一気に噴き出す。ディーゼルとガスタービンの複合動力炉が48基、鋼城の胴体内部に並んで稼働している。それらが同時に唸りを上げる音だった。到底会話などできない。怒鳴っても自分の声すら聞こえないほどの音量が空気を震わせている。
ガルドは両手で耳を塞ごうとはしなかった。
技匠の耳は機関音を聞き、正常な回転音と異常な回転音の違いを聞き分ける。ガルドは轟音の中を歩きながら48基の動力炉の音を聞く。
48基すべてに回転のブレが一つもない。
本来なら個体ごとに必ず出るばらつきがまるで削り取られているようで気味が悪かった。何かが48基を握り、一つの心臓みたいに同じ拍を打たせているのだ。
イグニス・コンバーターだとガルドは理解した。
あの装置が48基の動力炉を統御している。コンバーターが主機関として機能し、複合動力炉は補助動力として従属的に稼働する。主機関のリズムに従って48の心臓が同じ拍動を刻む。
機関区画の通路は整備通路よりも広い。
幅3メートル、天井高4メートル。鉄殻ではなく大型の部品運搬台車が通れる幅に設計されている。両側の壁面はなく代わりに金属の手摺りが腰の高さに渡されているだけだ。その向こうには動力炉の巨体が並んでいる。
ガルドは歩きながら動力炉の外殻へと目を走らせる。
シリンダーブロックの鋳造品質からクランクケースの肉厚、排気マニフォールドの接合方式、冷却水の配管ルートに至るまで全てが精緻だった。ガルドが知るグランヴェルトの最新技術で設計された部分と旧世界から継承された部分が混在している。動力炉そのものはグランヴェルトの設計だが、48基を同期させる制御系統は旧世界の技術だった。
3番目の動力炉の冷却配管に目が留まる。接合部のシール材がグランヴェルト製とは違う。旧世界のシール材だ。グランヴェルト製なら5年で替えるところを、これは30年間も漏らさず止め続けている。何を混ぜたのかガルドも自分の手で分析し、再現できなかったことがある。
通路の壁面には制御盤が埋め込まれている。
ガルドは足を止めて制御盤の表面を見る。計器の配置やスイッチの形状、ケーブルの取り回しに見覚えがある。30年以上前に自分が配線作業に参加した制御盤だった。当時のガルドは鋳脈のリレー素子の設計者であり動力系統の専門家ではなかったが、鋼城計画の初期段階は人手が足りず専門外の作業にも駆り出されたのだ。この制御盤の配線の一部はガルドの手で繋がれたものだった。
指先で制御盤の表面に触れる。
金属は温かかった。通常の機関熱であれば制御盤の表面温度は周辺の空気温度に近いはずだ。動力炉の発熱は排気系統と冷却系統で処理されており制御盤まで熱が伝わることはない。この温かさは機関熱ではなく、もっと深い場所からの熱だった。
* * *
ガルドは動力炉の列の間を歩き続ける。
48基の動力炉が左右に並ぶ通路は鋼城の胴体を縦断する主軸上にあった。前方から後方に向かって動力炉が配置され、通路の突き当たりは鋼城の最深部へと繋がっている。イグニス・コンバーターが安置されている区画への入口だ。
動力炉の排気管が頭上を横切るたびにガルドは身を屈める。排気管の表面温度は300度を超え、触れれば皮膚が焼ける。排気管と通路の間には安全距離が確保されているものの人間一人がぎりぎり通れる程度だった。そもそも鋼城は人間のために作られた機械ではない。人間が中に入るのは整備時の例外でしかなく居住性は考慮されていなかった。
空気が熱い。48基の動力炉が放つ排気熱が機関区画の気温を60度近くまで引き上げている。ガルドの額に汗が浮き、作業着の襟元が首筋に張り付いた。息を吸うたびに喉の奥が焼け、汗が眉から目に流れ込んで視界がにじむ。
12番目の動力炉を過ぎた時、床面に白い線が引かれているのに気づく。旧世界の安全表示である。動力炉から1メートルの範囲を示す危険区域線だ。塗料は褪せていたが線の形状ははっきり残っていた。30年以上前に引かれた線でありながら誰も塗り直していない。塗り直す必要がなかったのだ。旧世界の耐熱塗料が今もなお機能している。
24番目の動力炉を過ぎた時、ガルドの目が止まる。
動力炉の外殻に文字が刻まれている。
製造番号ではなく設計者の署名だ。旧世界の慣習で、大型機関の設計者は完成品の外殻に自分の名前を刻む。品質保証の証でもあり誇りの表明でもあった。文字は小さく意図的に目立たない場所に刻まれている。動力炉の底面や排気管の取り付けフランジの裏側など、整備の際にしか見えない位置だった。
ガルドはペンライトの光を当てる。
名前が読めたが知らない名前だった。だが分かる。自分の作ったものに名を刻まずにいられなかった男なのだ。ガルドの指がその溝をなぞった。
ガルドの手が動力炉の外殻に触れる。
指先に金属の肌理が伝わった。鋳造品の表面にある微細な凹凸の均一さが製造品質の高さを物語っている。旧世界の工作機械で鋳造された部品だ。現在のグランヴェルトの工作機械ではこの精度は出せない。鋳造時の温度管理から冷却速度の制御、型の精度に至るまで全てが旧世界の基準で作られているのだ。
30年以上が経っている。
大崩落で旧世界は崩壊した。技術者は死に、工場は灰になり、設計図の大半は失われた。生き残った人間が瓦礫の中から拾い上げた断片を繋ぎ合わせて今の世界を作ったのだ。グランヴェルトの工業力は現存する統治機構体の中で最も高い。だがそれでも旧世界の技術には届いていない。
この動力炉がその証拠だ。
48基の複合動力炉は設計こそグランヴェルトだが、中核部品の多くは旧世界から回収された既製品を流用している。シリンダーブロック、クランクシャフト、ターボチャージャー。自分たちでは同等品を製造できないため旧世界の遺物を使い続けているのだ。
ガルドは手を引き、指先についた金属粉を親指で擦った。指の腹に残る黒い粉は鉄の酸化物だ。動力炉の外殻表面が微かに腐食している。旧世界の鋳造品であっても30年以上の稼働は表面を蝕む。だが腐食は表層の0.1ミリ程度で止まっていた。鋳造品の内部組成が腐食の進行を抑えているのだろう。グランヴェルト製の同等品であればこの環境下で10年も持たない。
ガルドは壁面に背を預けて動力炉の列を見渡す。
48基の巨大な機関が整然と並んで稼働している。轟音が骨を揺らし排気熱が空気を歪ませる。鋼城の心臓部だ。この音と熱と振動が3.2キロメートルもの鉄の塊を動かしている。
旧世界の設計者は何を考えてこの構造を作ったのか、ガルドには分からなかった。
だが今、この技術は鋼城に使われている。
旧世界の設計者が名前を刻んだ動力炉が、24人の人間を鎖で繋ぐ機械の中で唸っていた。
ガルドは壁面から背を離す。
指先が動力炉の外殻から離れる時、金属の温かさが指に残った。通常の機関熱ではない。もっと深い場所からの熱だ。イグニス・コンバーターが発する熱が48基の動力炉を透過してここまで届いている。
ガルドは呟く。声は轟音に呑まれて自分の耳にも聞こえなかったが、確かに口は動いた。
「30年以上経っても俺たちはこれを超えられていない」
掌に残った金属の温度をガルドは握り込んだ。
ガルドは機関区画を抜け、次の区画への気密扉に手をかける。
扉の向こうは医療区画だった。




