|鋼城《こうじょう》への道
鋼城モノリスの側面装甲がケストレルの手の届く距離にあった。
手を伸ばせば届く距離に灰色の鉄の壁があった。リベットの打たれた継ぎ目が水平に走っている。装甲板1枚の厚さがどれほどあるかは分からない。FALKEの75mmで傷ひとつ入らないことだけは見れば分かった。
装甲の表面にセンチネル・ドールが張り付いている。固定砲台型の歩哨ドールだ。半球形の砲塔が装甲にボルト留めされ、40mm機関砲の砲身が一定の間隔で左右に首を振っている。視界に入るだけで8基。鋼城の側面全体では少なくとも50基以上が配備されているはずだった。
カイはケストレルを鋼城の側面装甲から100メートルの位置で止めた。これ以上近づけばセンチネル・ドールの射程に入る。
リオンの通信が入った。
「センチネル・ドールの射程は推定200メートル。固定砲塔だから追尾速度に限界がある。高速で移動すれば砲塔の旋回が追いつかない」
「だが止まったら撃たれる」
「止まらなければいい」
リオンの声には疲労が滲んでいたが、判断は的確だった。
ボルトの通信が割り込んだ。
「聞こえてるか、カイ」
声が荒かった。背後で金属がぶつかる音が響いている。
「聞こえてる」
「センチネル・ドールは俺とリントで引きつける。お前はそのまま鋼城に取り付け」
カイは振り向く。400メートル後方でハウラーとキャリバーがケーファーの残党を蹴散らしながら鋼城に接近していた。ハウラーの左腕は既にない。ツェアライサーの自爆で吹き飛ばされた空洞がむき出しになっている。右腕だけで戦い続けている33トンの鉄塊が、右腕のFALKEを鋼城の側面に向けて撃った。75mm弾がセンチネル・ドールの1基に命中し、砲塔が火花を散らしながら砕ける。
リントのキャリバーがハウラーの左に並んだ。75mmライフルが精密にセンチネル・ドールの砲塔基部を撃ち抜いていく。1発で1基。リントの射撃には無駄がなかった。
「弾は持つのか」
「持たせる」
ボルトの返答は短かった。
トワの通信が入った。
「あたしはケーファーの残りを片付ける。お前は気にするな」
シルフが戦場の後方を駆けている。骨格のような機体が4基のスラスターを噴射させ、散発的に現れるケーファーの脚を切って回っていた。戦闘短刀の刃は既に何度も欠けている。だがトワは刃が欠けた短刀で関節を抉り、ケーファーを転倒させ続けている。
カイは前を向く。
鋼城の装甲壁。100メートル先の灰色の鉄の壁。ボルトとリントがセンチネル・ドールを引きつけている間にその壁に取り付く。壁面のどこかにガルドが見つけた整備用ハッチがある。鋼城の内部に通じる入口だ。
カイは操縦桿を握り直す。
右手に痺れが走った。
* * *
冴覚が深くなっていた。
アルベルト戦の疲労が残っているはずだった。こめかみの奥に鈍い脈動がある。鼻の奥に鉄の味が微かに残っている。どれも冴覚を使いすぎた時の兆候だったが、感覚は鈍くなるどころか研ぎ澄まされ続けていた。
鋼城の中から何かが脈動している。
音でも振動でもない。冴覚だけが拾っている何かだった。鋼城の中から何かが押してくる。装甲とケストレルの鉄をすり抜け、カイの胸の奥を直に押す。
心臓のように。
鋼城の深部で何かが鼓動している。規則的な脈動。収縮と弛緩を繰り返す圧力波。ケストレルの計器には何も映っていない。音響センサーにも振動計にも反応はなく、カイの冴覚だけがそれを感じ取っていた。
体の芯が熱かった。右手の痺れが手首を越え、前腕にまで広がっている。鋼城に近づくほど痺れが深くなっていた。灰色の静寂が視界の端に滲んでいる。意識して冴覚を発動させたわけではない。勝手に研ぎ澄まされていく。鋼城の存在そのものが冴覚を引き出しているようだった。
カイはそれが何なのか分からなかった。
動力炉の振動か。それにしては規則的すぎた。
操縦桿を握る手が震える。
何だ、これは。
リオンの声がコックピットに響いた。
「カイ。大丈夫?」
カイはリオンの声で我に返った。モニターに映るポラリスが200メートル後方にいた。白銀の装甲が戦闘で傷だらけになっている。リオンのバイザー越しの視線がカイを真っ直ぐ見ている。
「大丈夫?」
もう一度、同じ言葉だった。声がわずかに上ずっている。
「分からない」
カイは正直に答える。
「体が変だ。冴覚が勝手に動いてる。鋼城の中から何か感じる。でも、計器には何も出てない」
リオンは数秒黙った。
「あなたの冴覚が鋼城に近づいて増幅されている可能性がある。原因は分からない。でも今は無視して」
「無視できるか分からない」
「できなくても、止まらないで」
リオンの声に力が入った。
「分からない。でも、止まれない」
カイは操縦桿を前に倒す。
ケストレルが鋼城に向かって走り始める。
* * *
センチネル・ドールの砲塔が旋回する。
40mm機関砲の連射がケストレルの進路を叩く。弾丸が地面を抉り、砂と岩片が噴き上がった。カイはケストレルの鳥足で地面を蹴って左に跳び、着地と同時に右に切り返す。砲塔の旋回速度を冴覚で感じ取り、射線が追いつく前に移動方向を変え続けた。
ボルトのハウラーが鋼城の側面に張り付いたセンチネル・ドールにFALKEを撃ち込んだ。砲塔が1基砕ける。リントのキャリバーが2基目を撃ち抜いたが、センチネル・ドールの数が多い。2基倒しても隣の砲塔がすぐに火線を補ってきた。
「止まるなよ!」
ボルトの怒鳴り声。カイは止まらなかった。ケストレルが全速で鋼城の側面を駆け抜け、センチネル・ドールの射界を通過する。砲塔の旋回が追いつかず、砲弾がケストレルの背後を叩いた。
装甲壁が眼前に迫った。
灰色の鉄の壁。リベットの列。継ぎ目のライン。その壁面の一角に他と異なる形状のパネルがあった。整備用ハッチ。ガルドが事前に特定していた鋼城内部への入口の一つだ。ガルドは別のハッチから入っているため、これは彼が予備として教えておいたものだった。
カイはハッチの位置を確認し、ケストレルを装甲壁の陰に滑り込ませる。センチネル・ドールの射角の死角だ。砲塔は壁面に固定されているため、壁面に密着した位置を射撃できない。
通信にノイズが混じった。
鋼城の装甲が通信電波を遮断し始めているのだ。壁面に密着すると通信が途切れやすくなる。
ノイズの向こうからガルドの声が聞こえた。
「中に入った」
低い声だった。呼吸が落ち着いている。戦闘中の声ではなく、鋼城の整備通路を歩いている声だった。
「ここからは俺の仕事だ」
カイは答える。
「待ってる」
短い沈黙。通信のノイズが波のように寄せて引いた。
「カイ」
ガルドの声がもう一度呼んだ。
「時間がかかるかもしれない。だが必ず止める。外は任せた」
通信が途切れる。
カイは操縦桿を握ったまま鋼城の装甲壁に背を預ける。ケストレルの背部装甲が鉄の壁に触れ、機体越しに鋼城の振動が伝わってくる。6本の脚が大地を踏む振動。内部で稼働する動力炉の唸り。そして、冴覚だけが捉えている脈動。
あの脈動が壁一枚を隔てた向こうにある。
カイには分からなかった。あれが何なのか。なぜ自分の冴覚がそれに反応するのか。
ガルドがあの中にいる。それだけだ。
ケストレルのエンジンが低く唸っていた。傷だらけの機体が鋼城の壁面に張り付いて息を潜めている。FALKEの残弾は僅か。WESPEの30mm弾もほとんどない。鍛翼刀は刃先が欠けている。DONNERの擲弾2発だけがまだ温存されていた。
カイはモニターの先を見つめた。




