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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
残鳴の先へ

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学びの全て

左側面の空白に飛び込んだ瞬間、カイは遊肢を見ていなかった。

 視線をミラージュだけに向け、冴覚でアルベルトの兆しのみを捉える。遊肢の位置はリオンが伝えてくれる。カイは自らの冴覚をミラージュの本体に集中させる。

 FALKEを構える。照準はミラージュではない。

 左側面から見えた鳥型遊肢。急降下の態勢に入ろうとしていた1基がカイの接近に反応して軌道を変えた。翼を広げて制動し、砲口をケストレルに向けようとする。その動作の最中にカイはFALKEの引き金を引いた。

 75mm弾が鳥型遊肢の翼の付け根を打ち抜く。

 翼が千切れ、片翼を失った遊肢が回転しながら落下していった。推進ノズルが不規則に噴射し、地面に激突して砂煙を上げる。1基目。


 アルベルトの声が通信に漏れる。

 いや、声ではなく息を呑む音だった。

 リーヴ戦で学んでいる。遊肢を撃墜された瞬間鋳脈者には幻肢痛が走るのだ。自分の腕を切り落とされたかのような痛み。アルベルトは遊肢を自分の体の一部として運用しており、リーヴよりも深く依存している。ゆえに幻肢痛はリーヴよりも重い。

 ミラージュの動きが一瞬だけ鈍り、弧月刀を構えた右腕が微かに震えた。

 0.2秒。

 その隙にカイはケストレルを回り込ませて残りの遊肢の射線から外れる。ミラージュの左後方。遊肢が右に偏った状態においてそこは最も手薄な角度だった。


 アルベルトが遊肢を引き戻そうとする。

 3基の遊肢が一斉に方向を変え、カイの新しい位置に火線を集中させようとする。攻撃配置から防御配置への切り替え。アルベルトの戦闘スタイルの核である切替の発動だ。

 飛翔型の1基がカイの頭上から撃った。20mm弾2発がケストレルの背部スラスターの外殻を叩く。装甲が凹んだが推進系に損傷はない。カイは振り向かずに前方の飛翔型遊肢をやり過ごし、鳥型の残り1基を探す。

 いた。右上方。翼を広げて急降下の姿勢に入ろうとしている。1基目の撃墜でアルベルトの制御が乱れた鳥型遊肢が元の攻撃パターンに戻ろうとしていた。

 攻防切替の0.2秒の空白。

 リーヴにはなかった隙だ。冴覚が空気の揺れを掴む。遊肢の推進ノズルが出力を落としかけた。

 カイはその0.2秒の間にFALKEをもう1発撃つ。

 狙ったのは2基目の鳥型遊肢だ。切り替えの最中で軌道が不安定になっている。翼を広げかけた状態で急制動をかけようとした遊肢の胴体に75mm弾が直撃した。

 鳥型遊肢が空中で砕ける。機体の半分が吹き飛び、残骸が火花を散らしながら鋼城の側面装甲に叩きつけられた。2基目。


 アルベルトが叫ぶ。

「ぐっ――」

 通信に乗った声は短く潰れている。呻きではなく痛みに耐える声だ。

 右手の薬指と小指が灼けたのだろう。2基目を失った瞬間、指がなくなったかのように。

 ミラージュの右腕が下がる。

 弧月刀を握る手が開きかける。銀灰色の機体の右腕が操手の幻肢痛に引きずられて力を失っていた。


 カイは見ている。

 リーヴならこんな隙は見せなかった。痛みを噛み殺して残りで組み直したはずだ、あの男なら。アルベルトは違う。遊肢を体だと思っている。だから攻める。だから削られると壊れる。


 残り2基。飛翔型が2基。

 カイは距離を詰めない。焦って突っ込めば残りの遊肢に捕まる。幻肢痛で鈍ったアルベルトでも、飛翔型2基の射撃を回避しながらミラージュに接近するのは難しい。

 だからカイは待った。

 ミラージュが体勢を立て直すのを待つ。アルベルトが幻肢痛を噛み殺し、残り2基の遊肢を再配置するのを見ていた。

 冴覚が教えている。アルベルトの殺意はまだ消えていない。痛みの中でもミラージュのメインカメラはケストレルを追い続けている。戦闘を続ける意志がある。

 5秒。10秒。ミラージュが微かに揺れる。右腕が持ち上がりかけてまた落ちる。弧月刀を握ろうとして握れない。幻肢痛が右手の神経を灼き続けている。だがアルベルトは左手で弧月刀を拾い直す。ミラージュの左手が剣を掴んで構える。

 通信がノイズの向こうで途切れる。アルベルトが何か呟いたようだが聞き取れなかった。

 ミラージュの脚部スラスターが噴射する。まだ動く。何にしがみついて立っているのかは分からない。ただ、しぶとい。

 残り2基の飛翔型遊肢が散開した。1基が右、1基が上方。鳥型のような急降下攻撃はできないが水平方向の機動力は飛翔型の方が上だ。20mm速射砲の連射がケストレルの足元を叩き、カイは鳥足で跳んで砲弾の筋を避けた。着地と同時にもう1基が右から撃つ。右肩の装甲に1発が命中して鉄紺色の塗装が剥がれた。

 カイは計器を確認する。FALKEの残弾は3割。遊肢を確実に撃ち落とすには最低2発は必要だ。残弾を考えれば遊肢を潰す余裕はない。本体を直接仕留める方が弾を無駄にしない。

 だがミラージュに近づくには遊肢の火線を越えなければならなかった。


「リオン。残り2基の位置」

「右上方に1基、右側面に1基。左側はまだ空いている」

 また右に偏っている。

 2基しか残っていないのに左をカバーする遊肢がいない。アルベルトの癖は遊肢の数が減っても変わらなかった。攻撃意識が生む右への偏り。それは意識的な戦術ではなく体に染みついた動きだった。


 カイは同じ手を使った。

 ケストレルをミラージュの右前方に位置取らせてFALKEを撃つ。弾はミラージュの胴体装甲に当たって弾かれた。だがそれでいい。攻撃意識を煽り、追わせる。

 アルベルトが応じる。残り2基の遊肢が射撃を開始し、ミラージュ自体も踏み込んでくる。弧月刀を左手に持ち替えていた。右手が使えないのだ。幻肢痛が右手の握力を奪っている。

 リオンの通信。

「遊肢が動いた。2基とも右に寄っている」

 予想通りだった。

 左手の弧月刀が横薙ぎに振られる。利き手ではない振りは威力も精度も落ちる。軌道が大きく振り切るまでに時間がかかった。

 カイは鍛翼刀で弾く。衝撃は先ほどより軽い。左手の剣は重さが足りなかった。振り抜いた弧月刀の軌道が流れ、ミラージュの上体が僅かに開く。

 遊肢が右に集中する。

 左側面が開く。

 カイは跳んだ。

 だが今回はFALKEを遊肢に向けない。遊肢は後で潰す。先にやることがある。

 ケストレルの全推力を叩き込んだ。背部の主スラスター2基と肩部のFALTER2基。4基のスラスターが同時に噴射し、ケストレルが弾丸のように加速する。鳥足が地面を蹴り、低い姿勢のまま突進した。

 ミラージュの左側面。遊肢のカバーがない角度。

 アルベルトが反応する。左手の弧月刀を振って迎撃しようとしたが、左手の振りは遅い。カイの冴覚がその軌道を読み、鍛翼刀の角度を変えた。弧月刀の軌道の下を潜るように鍛翼刀の刃先がミラージュの胴体へ向かう。

 3.8メートルの片刃がミラージュの胸部装甲に突き立った。


 金属が裂ける音が響く。

 鍛翼刀の振動機構が唸りを上げ、高周波振動が装甲の分子結合を引き千切る。刃がミラージュの胸部装甲を貫通し内部構造に達した。銀灰色の装甲が左右に裂け、内部の配管とフレームが露出する。冷却液が噴き出し、白い蒸気が両機の間に立ち昇った。

 ケストレルのスラスターはまだ噴射している。突進の勢いが刃を押し込み、鍛翼刀がミラージュの胸部をさらに深く抉る。ミラージュのフレームが軋み、アルマナック合金の骨格が鍛翼刀の振動に共鳴して高い音を立てた。

 ミラージュの左腕が弧月刀を振った。最後の抵抗だった。だが刃はケストレルの肩装甲を掠めただけで力なく止まる。操手の意識が刃に乗っていない。空振りに近い一撃がアルベルトの限界を示していた。

 ミラージュの動きが止まった。

 残りの遊肢2基が空中で静止する。操手の意識が途切れたのか、遊肢への制御信号が止まったのだ。推進ノズルだけが惰性で噴射を続け、2基の遊肢がゆっくりと高度を落とし始める。やがて地面に落下し、砂煙を上げて転がった。翼のない鳥のように力なく。


 アルベルトの声が通信に入った。

 荒い呼吸。コックピットの中で体を丸めているような苦しげな息遣い。

「認めてやる」

 声が震えている。痛みと悔しさが混ざった声だった。

「鋳脈なしで、ここまでやるやつは初めてだ」

 カイは答えなかった。

 答える言葉がなかった。カイは鍛翼刀を引き抜く。金属が軋んで火花が散り、ミラージュの胸部から黒い煙が吹き出した。

 コックピットハッチが開く。

 銀灰色の装甲の背面から脱出用の射出座席が弾かれた。アルベルトの体がコックピットから射出され、小型パラシュートが開く。鋼城の側面装甲に向かって降下していく。鋼城の表面に着地すれば回収される可能性がある。

 カイはそれを見送った。追撃はしない。


 ミラージュが崩れ落ちる。

 膝の関節が力を失い、10.6メートルの銀灰色の機体が前のめりに倒れる。倒れる動作すら美しかった。蓄光塗料が鋼城の影の中で最後の光を放ち、銀灰色の装甲が薄い青白い輝きに包まれる。蜃気楼のように。そしてその光は消え、ただの鉄の残骸が荒野に横たわった。弧月刀が手から離れて地面に突き刺さる。柄の蓄光塗料だけがまだ微かに光っていた。

 アルマナック No.50 Mirage。蜃気楼は消える。

 リオンの通信が入る。

「確認した。ミラージュ撃破。操手は脱出済み」

 短い報告。だが最後に一言だけ付け加えた。

「よくやった」

 カイは通信に答えなかった。体が震えている。操縦桿を握る手から力が抜けかけていた。戦闘中は冴覚が体を支えていたが、敵が倒れた瞬間に集中の糸が緩んだのだ。こめかみの奥で鈍い脈動が始まっている。冴覚の代償。だが今は無視する。まだ終わっていない。

 ケストレルは立っている。

 立ってはいたが、満身創痍だった。左肩の装甲は半分剥がれ、右脚の外装に亀裂が走り、胴体の左側面には複数の被弾痕がある。鍛翼刀の刃先が欠けている。FALKEの残弾は2割を切っていた。WESPEの30mm弾も残り少ない。

 だがまだ動ける。

 脚が動く。腕が動く。スラスターが噴射する。エンジンが回っている。

 ケストレルはまだ戦える。

 カイはモニターの先に目を向けた。

 鋼城モノリスの側面装甲が目の前にあった。

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