蜃気楼の|遊肢《ゆうし》
シルヴァンのパティナが膝をつく。
左膝関節の冷却系を断たれ、フレームの応答速度が低下していた。カイの鍛翼刀が最後に切り裂いたのはパティナの右腕の肘関節だ。コンバットナイフを握る腕が下がり、刃先が地面を擦る。
シルヴァンは抵抗を止めない。パティナの左腕のROOKを持ち上げ、40mm弾をケストレルに向けて撃った。だが照準はずれている。右腕の関節が壊れたことで重心が崩れ、左腕の射撃姿勢が安定しないのだ。弾丸はケストレルの右を大きく逸れた。
カイはケストレルを止め、鍛翼刀をパティナの胴体に突き刺すことができた。だがそうしなかった。
「シルヴァン。降りろ」
通信にノイズが乗っている。鋼城の電磁干渉が近距離でも声を歪ませる。それでもシルヴァンの声は聞こえた。
「契約は終わりだ。護衛対象の前で片膝をつかされた傭兵に、もう契約の価値はない」
パティナが右腕を下ろす。コンバットナイフが手から離れて地面に落ちる。2.2メートルの旧式短刀は40年分の傷を纏ったまま荒野の土に突き刺さった。
「……行け、若いの」
カイは応えず、ケストレルの背部スラスターに火を入れる。パティナの横を通過し、鋼城の第3脚に向かって走った。振り返らなかった。
* * *
鋼城の第3脚を回り込んだ先に、銀灰色の機体が立っている。
ケストレルが停止する。カイの右手が痺れる。痺れの深さがシルヴァンの時とは桁違いだった。指先だけではない。手の甲や手首から前腕、そして肘へ。痺れは右腕全体を走り抜けて肩まで達した。脅威の色が視界の端で赤く燃える。
灰色が落ちかける。冴覚が勝手に研ぎ澄まされようとしている。カイは意識的にそれを抑え込んだ。今ここで灰色の静寂に沈めば相手の全容を把握する前に戦闘が始まってしまう。まず、見る。
銀灰色の装甲が鋼城の脚部から漏れる照明に照らされていた。関節部と装甲の先端に蒼白く光る蓄光塗料が塗布され、薄暗い鋼城の足元で機体の輪郭が淡く浮かび上がっている。月光を纏ったような異質な美しさだった。
頭部は流線型で、中央に大型のメインカメラが1つ。その周囲を環状のセンサーアレイが取り囲んでいる。正面から見ると月輪のようだった。
全高10.6メートル、重量27トンでケストレルより一回り大きい。胴体は同系統の薄型前傾シルエットだが、背部から上方に張り出す構造物が決定的に異なっていた。
遊肢懸架ユニット。
4基の遊肢が背部のアームに懸架されている。まだ展開されていない。折り畳まれた状態で銀灰色の装甲の上に沈黙している。だが冴覚はそれを感じ取っている。4つの殺意が操手の意識の中で眠っていた。起動の兆しが右手を灼いている。
ミラージュ。グランヴェルトの銘殻。リーヴの対抗馬として作られた機体。
銀灰色の機体のコックピットから通信が入った。
ノイズの中から若い男の声が聞こえる。低いが、硬い。声の奥には押し殺した熱があった。
「テオ・セヴァルの息子だそうだな」
カイは答えなかった。操縦桿を握り直し、鍛翼刀の柄に左手を添える。FALKEの残弾を確認する。12パーセントで7発前後。WESPEの30mm弾は3割。DONNERの擲弾2発はまだある。
「リーヴに勝ったと聞いた。鋳脈なしで」
アルベルト・ヴァイスの声が続く。
「俺はリーヴを超えるために鋳脈を受けた。お前がリーヴに勝ったなら、お前を倒せばリーヴを超えた証明になる」
カイの口が動く。
「証明なんか要らない。どけ」
「どかない」
アルベルトの声から一瞬だけ抑えていた熱が漏れる。
「お前を倒す。それだけだ」
ミラージュの背部が動く。
遊肢懸架アームが展開を開始する。4基の遊肢が折り畳まれた状態から起き上がり、背部から上方へと伸びていく。2基は標準飛翔型で残る2基は鳥型だった。異なる形態の遊肢が混在している。飛翔型はディスク状の扁平な本体にスラスターと射撃機構を備え、鳥型は翼を折り畳んだ猛禽のようなシルエットだ。
4基が一斉に射出される。
飛翔型2基が左右に展開し、ケストレルを挟む位置に移動する。鳥型2基は上空に急上昇して高度50メートルで旋回を始めた。4つの遊肢がケストレルの周囲を囲む配置。上下左右の全方位。
リーヴのソルスティスを思い出す。遊肢4基の展開と、灰色の静寂の中で感じた4つの意識。だがリーヴの展開は「包囲と制圧」だった。4基が均等に散らばり、どの方向にも対応できる配置で守りと攻めを両立させていた。
アルベルトの展開は違った。
4基全てが攻撃位置にいる。防御の配置がない。左右の飛翔型は牽制ではなく射撃位置につき、上空の鳥型は旋回ではなく急降下の態勢を取っていた。全方位から同時に撃って逃げ場を奪う配置。
攻撃全振り。
* * *
遊肢が火を吐く。
左の飛翔型が30mm弾を連射し、右の飛翔型も同時に射撃を開始する。上空から鳥型の1基が急降下して対装甲弾を投下した。3方向からの同時攻撃がケストレルに集中する。
カイは前方に跳んだ。背部スラスターを全開にし、3方向の射線が交差する位置から離脱する。30mm弾が足元の地面を抉り、対装甲弾がケストレルの背後で炸裂した。爆風が背部装甲を叩き、機体が前のめりに揺れる。
離脱の瞬間にミラージュ本体が動く。
銀灰色の機体が右腕を振り上げ、両前腕のWESPEが火を吐く。30mm連装が2基。ケストレルの離脱方向を読み、着地点に弾幕を張っていた。カイは着地直前に鳥足の角度を変えて進行方向を右にずらす。30mm弾が左肩の装甲を掠め、金属片が散った。
4基の遊肢が位置を変える。ケストレルの移動に合わせて新しい配置に移行する。再び全方位を覆う攻撃配置で、移動しても逃げ場がない。遊肢がケストレルの動きに追従し、常に射撃可能位置を維持し続けている。
リーヴの遊肢より速かった。
リーヴの弾は一拍置いてから来たが、こいつは違う。撃ち終わる前に次が重なってくる。
次の斉射が来る。
左の飛翔型、右の飛翔型、上空の鳥型2基。4方向からの同時射撃。カイの冴覚が4つの兆しを同時に感じ取った。右手の痺れが4本の指に分かれて走る。薬指が左の飛翔型、小指が右の飛翔型。中指が上空の鳥型で、人差し指がもう1基の鳥型。4つの殺意が同時に鳴っている。
体が動く。冴覚が読み取った兆しに従い、操縦桿を右前方に倒す。FALTERの追加スラスターが点火し、ケストレルが斜め前方に跳んだ。4方向の射線が交差する点をすり抜ける。30mm弾が背中の後ろを通過し、対装甲弾が左脇の空間で炸裂した。爆風が左腕の装甲を叩き、外装の1枚が剥がれ落ちる。
避けた。だが装甲が削られた。
冴覚で兆しを読めている。リーヴ戦で学んだ遊肢の「兆しの分離」ができている。4基それぞれの殺意を個別に感じ取り、射線を予測できていた。だが見えることと避けることは別だ。一番速い弾だけ避けて次を逸らしたが、残りは装甲で受けた。
受けるたびに装甲が削れる。
アルベルトの本体が前進してくる。
遊肢が射撃している間にミラージュ本体が距離を詰めていた。右腰部から弧月刀を抜いている。3.5メートルの曲剣。蓄光塗料が塗布された刃が、薄暗い鋼城の足元で白く光っていた。
遊肢で射線を張りながら本体で斬りに来る。リーヴと同じ戦法だが、リーヴは遊肢の半分を防御に回していた。アルベルトは遊肢を攻撃に全振りしたまま本体でも攻撃してくる。その密度が防御の不在を補って余りあった。
カイは鍛翼刀でミラージュの弧月刀を受ける。曲剣と直刃がぶつかり火花が散る。衝撃が手首から肘に走った。ミラージュのフレームもアルマナック合金で、応答速度はケストレルと同等だ。パティナとは違い駆動系も最新型で、フレームの性能を完全に引き出している。
刃を合わせた瞬間に上空から鳥型遊肢が急降下してくる。
頭上からの攻撃。カイは鍛翼刀を弧月刀から引き剥がし、後方へスラスターで跳んだ。鳥型遊肢の対装甲弾がケストレルの足元で炸裂して地面が抉れる。砂塵が舞い上がり、視界が遮られた。
砂塵の中から左の飛翔型が射撃してくる。30mm弾が右大腿部の装甲を貫通し、フレームの外縁を掠めた。ケストレルの右脚に微かな振動が走る。装甲の穴から冷気が入り込み、内部機構の温度が変化していく。
カイは歯を噛みしめる。右脚の装甲に穴が開く。鳥足の動作に支障はないが、次に同じ箇所へ被弾すればフレームに到達する。
FALKEを飛翔型に向けて撃つ。75mm弾は飛翔型の下を通過して外れた。飛翔型は既に位置を変えている。遊肢は小さく速い。FALKEの75mm弾で当てるには近距離でなければ難しい。だが近づけば他の3基の射線に晒されてしまう。
* * *
アルベルトの攻撃が続く。
遊肢4基の射撃が休みなく降り注ぐ中で、ミラージュ本体が弧月刀を振るう。カイは鍛翼刀で受け、避け、反撃を試みる。だが反撃のたびに遊肢の射撃が妨害してきた。鍛翼刀を振り上げた瞬間に飛翔型が脇腹を狙い、踏み込んだ瞬間に鳥型が頭上から降ってくる。
右胸部の装甲板が1枚剥がれる。左肩のスラスターカバーに被弾痕が走る。右大腿部の穴が広がり、フレームの一部が露出した。腰部の装甲にも亀裂が入っている。
ケストレルの装甲が1枚ずつ削られていく。
カイの冴覚はアルベルトの兆しを読んでいた。操縦桿を握る若い男の手から発せられる信号。攻撃の意志。遊肢を動かす集中力。弧月刀を振る腕の力み。全てが読めていた。だが読めることと避けられることは別だった。4方向からの攻撃に1機で対応するには限界がある。
リーヴ戦ではリオンのポラリスが遊肢の一部を引き受けてくれた。だが今、リオンはここにいない。ケーファーの群れの中でカイの突破路を支えている。カイは1人でアルベルトの遊肢4基と本体を相手にしていた。
ミラージュの弧月刀がケストレルの左前腕を斬った。
WESPEの砲身が切断される。30mm三連装の銃口が3つとも歪んで射撃不能になった。左前腕の内蔵武装が1つ失われた。
カイは後退しながらDONNERの擲弾筒に手をかける。温存していた擲弾。重装甲目標への瞬間火力。ミラージュ本体に撃つか、遊肢に撃つか。
遊肢は速すぎて当たらない。なら本体だ。一発で止まりはしないが、それでも一瞬足を止められれば。
DONNERを右腰から引き抜き、ミラージュの胴体に向けて撃った。擲弾が弧を描いて飛び、ミラージュの胸部装甲に直撃する。爆発。銀灰色の装甲が割れ、蓄光塗料が破片と共に飛散した。ミラージュが半歩後退する。
だが止まらなかった。
胸部装甲に穴が開いたが、内部フレームは無傷だった。アルマナック合金のフレームが擲弾の衝撃を吸収していた。ケストレルと同じフレームであり、同じ耐久性だ。擲弾1発では貫けない。
アルベルトの声が通信に入った。息が荒かったが、声には笑みが混じっている。初めて聞く、熱を帯びた声だった。
「いいな。お前は本気で来る。リーヴの記録よりずっといい」
遊肢4基が再び配置を変える。ケストレルの全方位を覆う攻撃配置。銀灰色の月光が遊肢の蓄光塗料と共にケストレルの周囲で光っていた。
カイの装甲は半分近くが損傷している。左前腕のWESPEは使えない。FALKEの残弾は5発。DONNERは残り1発でNEBELの煙幕が2発。FALTERの追加スラスターの推進剤も残り少ない。
満身創痍だった。だがフレームは生きている。アルマナック合金のフレームが、装甲を失っても動き続けている。
アルベルトの通信が再び入った。
「テオ・セヴァルの息子だそうだな。親父を超えてみせろ。鋳脈なしで」
カイは操縦桿を握り直す。汗で滑る手をグローブの中で握りしめる。
鋳脈なしで。
侮辱でも挑発でもない。冴覚が拾ったのは、もっと剥き出しのものだった。鋳脈なしの俺が自分を超えてみせるのか——それを見たくてたまらないという飢え。
カイは答えなかった。
ケストレルの鳥足が地面を蹴った。鍛翼刀を握り直し、遊肢4基の射線の中へ飛び込んだ。




