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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
残鳴の先へ

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238/270

銀色のパティナ

ケーファーの群れを抜けた先に鋼城の第3脚が聳えていた。

 直径80メートルの巨大な脚柱が荒野の地面に深く沈み込んでいる。脚の根元から見上げると鋼城の胴体が空を覆う天井のように広がっていた。全長3.2キロメートルの鉄の大地が頭上を横切っている。

 ケストレルが第3脚の根元から200メートルの地点に到達したとき、右手が痺れた。

 薬指と小指。冴覚の前兆だ。

 だがケーファーやツェアライサーには反応しないはずの痺れだった。この感覚は人間の兆しを感じたときにしか現れない。殺意や焦り、判断の揺らぎといった、操縦桿を握る人間の手から発せられる微かな信号だ。

 前方に影があった。

 鋼城の第3脚の陰から1機の鉄殻が歩み出てきた。


 古い機体だった。

 全高9メートル。錆びた鉄色の装甲が全身を覆い塗装は一切残っていない。素地の鋼鉄がそのまま露出している。頭部は丸みを帯びた旧式のセンサーブロックで銘殻や汎殻の鋭角的な頭部とは明らかに違う。兵器というより道具の顔をしていた。

 胴体は角張った箱型で脚部は標準二脚。全てが標準的で特化した部分が何もない。右腕に旧式のFALKEを、左腕には40mm機関砲ROOKを装備している。右腰部には全長2.2メートルのコンバットナイフを提げ、左肩には廃材を溶接した簡易装甲板を取り付けていた。

 灰域のどこにでもある残殻に見えた。

 だが冴覚は嘘をつかなかった。


 操縦桿を握る手が熱い。

 右手全体が痺れている。指先だけでなく手の甲から手首まで深く。この類の痺れは銘殻に乗る操手を相手にしたときにしか感じたことがない。ゼルマやリーヴ、シーラのように、銘殻と一体化した操手から機体を通じて滲む気配だ。

 残殻からそんな気配がするはずはなかった。

 カイは目を細めてモニターの映像を拡大した。錆びた装甲の下に関節部の構造が見える。膝関節。肘関節。肩関節。錆の下に覗く金属の色が周囲の装甲とは違っていた。装甲は鋼鉄の灰色だが関節部のフレームは微かに青みを帯びた銀色だった。

 見覚えのある色だ。

 ケストレルの関節を構成するフレーム。ガルドが「この合金だけは替えが利かない」と言ったアルマナック合金だ。旧世界で鋳造され再現する技術が失われたその合金と、まったく同じ色をしていた。


 残殻が動く。

 右腕のFALKEが持ち上がりケストレルに向けられる。動作に無駄がない。銃口を上げて照準を合わせ、引き金に指をかけるまでの一連の動作が一つの呼吸のように滑らかだった。

 カイは操縦桿を左に倒してケストレルを横に跳ばした。75mm弾が右胴部を掠めて装甲表面を削る。金属片が飛散しコックピットに微かな衝撃が伝わった。

 精密だった。

 弾は右胴の縁を削っていた。芯ではない。装甲板が重なって最も薄くなる一筋の隙間だ。旧式のFALKEで跳んだ機体のそこだけを正確に抜いてきた。

 カイもFALKEを構えて撃ち返した。75mm弾が残殻の胴体正面へと向かう。

 残殻は回避せず左肩の簡易装甲板を前に出して被弾面を作った。廃材の装甲板が75mm弾を受け止めて衝撃で変形する。装甲板は半ば剥がれたが胴体本体は無傷だった。

 廃材の板がちょうど間に合う角度で滑り込んでいる。


 * * *


 2射目を撃ったときカイの冴覚が異変を捉えた。

 残殻の動きにフレームの応答が追いついていた。旧式の駆動機関が操手の操作に対して銘殻並みの応答速度で反応している。ありえないことだった。駆動系が旧式なら遅延が生じるはずなのに、フレームが入力に置いていかれない。

 フレームの応答速度が駆動系の性能を超えていた。

 ケストレルと同じだ。

 カイの口が開く。

「このフレームは……アルマナックだ」

 通信が開いたままだった。ノイズ混じりの回線を通じてリオンの声が返ってくる。

「なら弱点も同じ。関節の冷却系を狙って」

 リオンはケストレルの構造を知っている。ポラリスとケストレルの整備を手伝う中でガルドからアルマナック・フレームの特性を聞いていたのだ。応答速度の代償として関節部の発熱が通常のフレームより大きい。長時間の高負荷運用で冷却系がオーバーヒートすれば応答速度は急激に低下する。


 残殻のコックピットから通信が入った。

 ノイズが多い。鋼城のイグニス・コンバーターによる電磁干渉に加え旧式の通信機の出力が足りないのだ。だが声は聞こえた。低く落ち着いた老人の声だった。

「テオの息子か」

 カイの手が止まった。

「テオの機体に乗っている。見れば分かる」

 シルヴァン・トーネ。灰域の老傭兵であり、テオ・セヴァルに操縦の基礎を教えた男だ。以前に焚き火を囲んで父の若き日を聞いたことがある。あの穏やかな目の老人が鋼城の護衛として立ちはだかっていた。

「シルヴァン」

「ヴィルヘルムに雇われた。契約は鋼城の護衛。近づく者は排除する」

 声に感情はなかった。シルヴァンの操縦と同じで必要なことだけを必要なだけこなす。

「なぜグランヴェルトの護衛なんか受けた」

「金だ。灰域の傭兵に理由はそれ以外にない」

 嘘だ、とカイは思った。シルヴァンは統治機構体からの契約を受けない男だ。灰域の集落からの護衛依頼しか請けないと自分で言っていた。なぜグランヴェルトの契約を受けたのか。今はその答えを問い詰めている暇はなかった。


 パティナのFALKEが再び火を吐く。

 75mm弾がケストレルの左肩装甲を掠める。カイは右に回避しながらFALKEを撃ち返した。パティナが左に動く。ケストレルの弾が簡易装甲板の残骸を貫通して胴体装甲に浅い傷を残した。

 シルヴァンの操縦は正確だった。派手な動きは一つもない。最小限の移動で弾道を逸らし最小限の動作で反撃してくる。40年間同じ機体で同じことを繰り返してきた男の磨き上げられた基礎だ。銘殻の高性能に頼らず操手の技量だけで成り立っている。

 だがフレームはアルマナックだった。

 40年間の基礎の上にアルマナック・フレームの応答速度が乗っている。シルヴァン自身がどこまで意識しているかは分からない。だがフレームの性能が老傭兵の基礎操縦を異常な精度にまで引き上げていた。

 カイは鍛翼刀を抜いた。射撃戦では埒が明かない。シルヴァンの射撃は正確すぎるため、弾薬を消費し合えば残弾の少ないカイが先に尽きてしまう。

 ケストレルの鳥足が地面を蹴った。背部スラスターが点火して機体が前方に加速し、パティナとの距離が急速に縮まる。

 シルヴァンが右腰部からコンバットナイフを引き抜いた。全長2.2メートル。鍛翼刀の半分しかない旧式の短刀がパティナの右手に握られる。刃の形が元の形状から変わっていた。磨耗と研ぎ直しを繰り返した40年分の歴史が刃の曲線に刻まれている。

 鍛翼刀とコンバットナイフが交差した。

 金属と金属がぶつかる衝撃が両機のフレームを伝わった。ケストレルのフレームが衝撃を吸収して0.03秒で次の動作に移る。パティナのフレームも同じ速度で応答した。同じ合金で同じ応答速度だ。刃を合わせた瞬間にカイの手の中へ奇妙な感覚が走った。

 鏡を見ているようだった。

 返ってくる軋みと跳ね返る反動——ケストレルに乗っているのと寸分違わない。敵を斬っているのに自分を斬っている。

 カイは鍛翼刀を引いて腰部サブスラスターで後退した。パティナのコンバットナイフが空を切るがシルヴァンは追撃しない。距離を詰めるのではなく間合いを維持して機体に無理をさせないのだ。

 カイは間合いを変えた。左に回り込みながらパティナの右側面に向かう。シルヴァンは機体を右に旋回させて正面を維持するが、旋回速度がわずかに遅れた。パティナの駆動系は旧式だ。フレームの応答速度がいくら速くても駆動系の旋回速度には限界がある。

 その0.2秒の遅れにカイは飛び込んだ。

 鍛翼刀がパティナの左膝関節に向かって振り下ろされた。狙うは関節の冷却系、リオンが指摘した弱点だ。アルマナック・フレームの関節は応答速度の代償として発熱が大きい。冷却パイプが関節部の外側を走っており、そこを断てばフレームの応答速度が落ちる。

 シルヴァンが反応する。コンバットナイフを下に振って鍛翼刀の軌道を逸らす。刃と刃が擦れ合って火花が散った。鍛翼刀は膝関節に届かなかったが、冷却パイプの1本を掠めていた。細い金属管が裂けて冷却液が噴き出す。

 パティナの左膝関節の温度が上がり始めた。

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