ケーファーの群れ
ケーファーの最初の1体がカイに向かって走り始めた。
4本の脚が大地を掴み、甲虫のような低い姿勢で突進してくる。全高は5.8メートル。残殻よりも小さいが汎殻の装甲に匹敵する厚さの外殻を持つ。背部の回転砲塔が旋回し、30mm連装機関砲の銃口がケストレルを捉える。
冴覚が反応しなかった。
右手に痺れひとつ来ない。脅威の色も戦闘前のあの灰色の静寂も訪れなかった。メインカメラは光っているが、その奥は空っぽだ——殺意も焦りも迷いもない。プログラムに書かれた座標に向かって走っている。それだけだった。
空っぽだ。
カイはストーンクロス東方でポーンと戦った時のことを思い出した。研ぎ澄ませても迎えに来るものがない。人形が歩いてくる、ただそれだけだ。
人間なら撃つか避けるか、ほんの一瞬だけ迷う。その一瞬を冴覚が掴む。だがこいつには迷いがない。冴覚が掴むものがどこにもない。ゼルマを相手にした時とは根本的に違う恐怖だった。
砲塔が火を吐いた。
30mm弾が4発、ケストレルの正面に飛来する。カイは計器の数値だけを頼りに操縦桿を右へ倒した。冴覚で読むのではなく目で見て避ける。砲塔の旋回速度と発射間隔を計算し、弾道の予測を立てる。人間を相手にする時とは全く違う戦い方だった。
2発が左肩の装甲を掠め、残り2発は胴体の左を通過した。ケストレルの鳥足が地面を蹴って前方へ跳ぶ。距離が詰まる。鍛翼刀を振り下ろし、ケーファーの背部砲塔を叩き斬った。砲塔が胴体から剥がれて地面に転がった。
ケーファーは止まらない。
砲塔を失った四脚の機体が前脚を振り上げ、ケストレルの胴体に叩きつけようとしてくる。突撃用ブレードだ。脚部の先端に溶接された鋭い金属片がケストレルの腹部装甲へと振り下ろされる。カイは腰部サブスラスターを噴射して後退し、ブレードの軌道から逃れた。
直後に左前腕のWESPEを撃つ。30mm三連装の連射がケーファーの胴体正面を貫いた。外殻が砕けて内部の駆動機関が露出し、機体が前のめりに崩れ落ちる。4本の脚が痙攣するように動いた後、3秒で停止した。
1体。
FALKEの残弾表示を確認すると7割を切っていた。ゼルマ戦からの連戦で既に弾薬は減っている。WESPEの30mm弾も消費が始まっていた。DONNERの擲弾2発はまだ温存しているが、ケーファー相手に使うには惜しい。もっと厄介な敵のために取っておく必要があった。
振り返ると、群れが来ていた。
* * *
ケーファーの群れが荒野を埋めていた。
40体以上の四脚機が横一列に並んで前進している。等間隔、同じ速度、同じ姿勢。まるで行進する軍隊のように整然としていた。だが軍隊には指揮官がいて、命令に迷いが生じ、隊列が乱れることもある。このケーファーの群れにはそのどれもない。プログラムが定めた間隔と速度で機械的に前進してくる。
鉄の壁が歩いてくる。
「数で来やがった」
ボルトが通信で怒鳴った。ハウラーの速射砲が火を吐き、30mm弾がケーファーの前列に降り注ぐが外殻に弾かれる。ケーファーの装甲はポーンより厚く、30mmでは正面装甲を貫通できなかった。
「硬えぞ、こいつら」
「正面は無理だ。脚の関節を狙え」
リオンの通信が即座に返る。ポラリスのKRIEGSBOGENが精密射撃を開始した。白銀の機体が片膝をつき、長距離狙撃銃の照準をケーファーの脚部関節に合わせる。1発目が命中してケーファーの左前脚の関節が砕け、バランスを失った機体が横に倒れて後続の進路を塞いだ。
「脚を狙えば転ぶ」
「だが1体ずつだ」
リントが吐き捨てた。キャリバーの75mmライフルがケーファーの脚を撃ち抜いている。だが1発で1本の脚しか壊せない。4本の脚のうち2本を潰さなければ行動不能にならないため、1体を止めるのに最低2発、40体を止めるには80発が要る。リントの残弾では足りなかった。
群れが散開する。
前列のケーファーが射撃を開始しながら左右に広がっていく。背部砲塔の30mm連装機関砲が一斉に火を吐き、弾幕が荒野を覆った。弾丸が地面を抉って砂塵が舞い上がる。
カイはケストレルを左に跳ばした。着地と同時に右へ切り返し、弾幕の隙間を縫う。冴覚が使えない分、目と計器だけが頼りだった。砲塔の旋回速度は秒速30度。ケストレルが方向を変えてから砲塔が追いつくまでに0.4秒の遅延がある。その0.4秒で次の回避方向を決めるのだ。
人間を相手にする時とは全く違う思考の回し方だった。冴覚なら体が勝手に動くが、今は頭で考えなければならない。考えて判断し、操縦桿を動かす。その分だけ遅くなるが確実だった。ケーファーの行動パターンに揺らぎはなく、計算が成り立つ。
FALKEを構えてケーファーの脚部関節を撃つ。75mm弾が関節を粉砕してケーファーが横倒しになった。次の1体は鍛翼刀で胴体を横に切り裂く。外殻が裂けて内部機構が露出し、機体が停止した。
3体目のケーファーが正面から突っ込んでくる。前脚のブレードが振り上げられる。カイは正面からFALKEを撃ち込んだ。75mm弾がケーファーの頭部センサーを吹き飛ばし、視覚を失った機体が方向を見失ってカイの右を通り過ぎていく。背後で地面に突っ込む衝突音が響いた。
4体目は左から来た。砲塔が旋回するより先に、カイは鍛翼刀で砲塔ごと胴体上面を叩き割る。5体目は右後方から。振り向きざまにWESPEの30mm三連装を叩き込んで脚部を粉砕した。倒れたケーファーの上を飛び越え、次の標的に向かう。
体が熱い。操縦桿を握る手が汗で滑る。グローブの内側が湿り、息が荒くなる。だが止まれない。止まった瞬間に群れに呑まれる。
リオンの通信が入った。
「ケーファーの処理速度が追いつかない。群れの密度が上がっている。鋼城が新しい個体を射出し続けている」
鋼城のドール生産施設は行軍中でもケーファーを1時間に3体のペースで新造する。戦闘が始まってから既に30分以上が経過していた。単純計算で1体以上が追加されている。倒しても補充されていく。
* * *
トワのシルフが戦場を横切った。
装甲を限界まで削った骨格のような機体が、ケーファーの群れの間を縫うように走っている。単眼のカメラが前方だけを見据え、背部と腰部の4基のスラスターが青白い噴射炎を吐いていた。シルフの速度にはケーファーの砲塔旋回が追いつかない。砲塔が振り向く前に射程を通過し、次のケーファーの背後へと回り込む。
トワの戦闘短刀がケーファーの後部脚の関節を切った。刃の欠けた短刀が金属を噛み、火花を散らしながら関節部を断つ。後脚2本を失ったケーファーが尻を地面に落とした。砲塔だけが回転を続けているが、トワは既に射程外へ出ていた。
「弾は使わない。刃で行く」
トワの声は短い。シルフの弾薬は元々少なく、ここで消費すればこの先がない。刃が欠けた短刀で四脚の装甲機を切り続ける。一撃離脱を14年間続けてきた女の戦い方だった。
ボルトのハウラーが群れの正面に立っていた。
33トンの鉄塊が両脚を踏ん張り、左腕のFALKEを撃ちながらケーファーの前進を止めている。75mm弾がケーファーの前列を叩く。正面装甲を貫通できなくても衝撃で前進が止まり、その隙にリントとジェイスが側面から脚を狙う。
「弾を食いすぎる」
ボルトが通信で吐き捨てた。FALKE1発で1体のケーファーの前進を1秒止められるが、1秒後にはまた歩き始める。止め続けるには撃ち続けるしかなかった。
「FALKE残弾3割。速射砲の弾倉、あと2本」
ハウラーの右脚にはゼルマ戦で負った損傷がまだ残っている。膝関節のアクチュエータ稼働率は40パーセントを切っていた。踏み込みが効かない状態で、33トンの鉄塊が群れの正面に立ち続けている。
マイロの通信が入った。後方から戦場全体を俯瞰している男の声は相変わらず平坦だったが、メモ帳に鉛筆が走る音が通信越しに微かに聞こえた。
「全部隊の弾薬消費率を確認しました。このペースでケーファーを処理し続けると、全機の弾薬が尽きるのは12分後です」
12分。
カイは歯を食いしばった。ガルドの潜入はまだ始まっておらず、12分では足りない。弾が尽きた後、ケーファーの群れの中で近接戦闘だけで生き残れるか。ケストレルの鍛翼刀は有効だが、40体以上のケーファーに囲まれればいつか足を止められる。足を止めた瞬間に砲塔の一斉射撃が来る。
ジェイスの断鉄衆が群れの側面を叩いていた。残殻3機が横一列に並んで75mm砲でケーファーの脚を撃っているが、残弾が少ない。ゼルマの護衛汎殻との戦闘で大半を消費していたのだ。ジェイスの残殻が1体のケーファーの前脚2本を撃ち抜いて横倒しにした。だが次の弾を装填する前に別のケーファーが側面から接近してくる。ジェイスが機体を旋回させ、残殻の腕で殴り飛ばすと、鉄と鉄がぶつかる鈍い音が響いた。
ケーファーを5体目まで倒した時、異変に気づいた。
群れの中に形の違う個体が混じっている。
四脚ではない。小さく、全高3メートルに満たない。球体に近い胴体に4本の短い脚があり、装甲がない。外殻が妙に膨らんでいて表面が滑らかだった。ケーファーの群れの中に紛れて前進している。3体、5体。いや、もっといる。群れの後方から次々と前列に押し出されてきていた。
ツェアライサー。
自爆型だ。指向性爆薬1.1トン、起爆半径15メートル。汎殻を一撃で大破させる威力があり、残殻なら装甲ごと吹き飛ぶ。
走る爆弾が群れの中に混在していた。ケーファーと同じ速度で前進しているため遠目には区別がつかない。だが近づくと形が違う。四脚の隙間を縫うように、小さな球体が地面を走っている。ケーファーの暗緑色とは異なり、ツェアライサーの外殻は灰褐色で荒野の地面に溶け込んでいた。灰褐色の外殻が荒野の色に溶けて目が滑る。
その1体が急に速度を上げた。
4本の短い脚が回転するように動き、ケーファーの群れを追い越して前方へ飛び出した。熱源追尾。ケストレルのエンジンの排熱を感知したのだ。球体の外殻が、真っ直ぐにケストレルに向かって走ってくる。
リントの叫び声が通信を切り裂いた。
「下がれ!"




