|鋼城《こうじょう》モノリス
大きさが分からなかった。
目で見ているのに脳が処理を拒否していた。目の前にあるものは建物でも都市でもなく、地形だった。灰色の空の下を地形が歩いている。
ケストレルのモニターに距離が表示されている。鋼城モノリスまで4000メートル。4キロ。その距離でさえ、鋼城の全容はモニターに収まらなかった。上部構造物の天辺が画面の上端から切れ、視野角を広げても6本の脚の全てが入りきらない。
ケストレルの逆関節の脚が無意識に半歩後退していた。カイの体が頭で考えるよりも先に反応していたのだ。
カイは操縦桿を握ったまま呼吸を忘れていた。
「カイ」
リオンの声が通信に入った。
「呼吸をしろ」
カイは息を吸った。肺に灰域の冷たい空気が入り込み、胸が広がる。操縦桿を握る指が白くなっていることに気づいた。力を込めすぎていたのだ。
ポラリスがケストレルの右に並んでいた。白銀の装甲が薄汚れ、遊肢との戦闘で肩部に擦過痕がついている。リオンの声は平静だったが呼吸が浅い。彼もまた、同じものを見ている。
鋼城モノリスの6本の脚が大地を踏みしめて進んでいる。
1本の脚が持ち上がり、前に出て地面に下ろされる。それだけの動作で大地が揺れた。ケストレルの足裏から振動が登り、脛を伝い、膝の逆関節を通り、操縦桿を通じて指先に届く。4キロ離れていてこの振動だ。1キロまで近づいたら立っていられるかどうか分からない。
脚の根元は直径80メートルで、ケストレルの全高の8倍。脚の1本がケストレルの全長の40倍もの長さを持っている。
脚の間に胴体の下部が見えた。腹部にはドール射出口である大きなハッチが8つ並んでいる。そのうちの一つが開き、何かが地面に落下した。着地して歩き始めた小さな人型のシルエットはドールだった。鋼城の胎内から生まれ、地面に降り立った鉄の人形が周囲の群れに合流していく。
胴体の表面に張り付いているのはセンチネル・ドールだった。固定砲台型の歩哨が胴体の装甲に直接ボルト留めされている。側面だけで数十基もあり、砲身が一定の間隔で左右に首を振っている。
そして鋼城の足元に群れが見えた。
四脚の昆虫のような機体が数十体いる。グランヴェルト制式のアサルト・ドール、ケーファーだ。甲虫を思わせる低い姿勢で鋼城の周囲を巡回している。ダークグリーンの塗装が荒野の灰色に溶け込もうとしているが、数が多すぎて地面が暗緑色に染まっていた。
その群れの中に、さらに小さな個体が混じっていた。全高3メートルに満たない、球体に近い胴体に4本の短い脚がついた不格好な形だ。装甲はなく、外殻が炸薬容器を兼ねている。表面が妙に滑らかで、ケーファーの武骨な外殻とは質感が違う。爆発するためだけに作られた形だった。
走る爆弾ことバースト・ドール、ツェアライサー。
内蔵された指向性爆薬は1.1トン。接触面に集中して貫通力を発揮する対装甲設計だ。汎殻の装甲を一撃で大破させる威力があり、残殻なら触れただけで終わる。
ボルトの通信が入った。
「あれが鋼城か」
声が低かった。何百もの戦場を経験してきた灰域の傭兵であるボルトの声から、初めて色が消えていた。
「ああ」
カイは短く返した。
「あの足元を突破して、取り付くのか」
「ガルドが中に入る。俺たちは外で暴れる」
「暴れる、か」
ボルトの息が通信に乗った。荒い呼吸ではなく、深く長い息だった。
「上等だ」
* * *
カイの右手が痺れた。
薬指と小指。いつもの冴覚の前兆だが、今回は違った。
痺れが深い。
指先だけではなく手の甲から手首へ、手首から前腕へと広がっていく。操縦桿を握っている右手全体が微かに震えていた。熱い。手の内側が熱い。発熱しているのではなく、体の芯から湧き上がってくる熱が腕を伝って指先に溜まっている感覚だ。
冴覚が勝手に研ぎ澄まされていく。
灰色が落ちた。
モニターの映像から色が薄れ、世界が灰色のモノクロームに沈んでいく。エンジン音が遠ざかり、通信の雑音が水底に沈んでいく。いつもの灰色の静寂だが、底が抜けていた。水底ではなく海溝の底だ。
残ったのは心臓の音だけ。
そして鋼城が、灰色の世界の中で色を帯びていた。脅威の色だ。だがその色がいつもより鮮やかすぎた。鋼城の輪郭が赤く燃え、6本の脚が橙に光り、胴体が深い赤に染まっている。ドールの群れは薄い赤の点として散らばり、視界の全てが脅威の色で塗り潰されていた。
見たことのない光景だった。
体の芯が熱い。
理由が分からなかった。極限状態の緊張か、あるいは鋼城の大きさが冴覚を過剰に刺激しているのか。
灰色の静寂がゆっくりと解け、色が戻ってくる。灰色の荒野が灰色に戻り、エンジン音が聞こえ始め、通信の雑音が耳に届いた。右手の痺れは残ったままで指先が微かに震えている。額には汗が滲み、背中のフライトスーツが肌に張り付いていた。冴覚が勝手に発動し、勝手に消えたのだ。
「カイ、大丈夫か」
リオンの声だ。カイの異変に気づいたのか、ポラリスが僅かに距離を詰めていた。
「ああ。大丈夫だ」
大丈夫ではなかったが、説明する言葉がない。冴覚がいつもと違う。そうとしか言えなかった。
* * *
リントの通信が入った。
「正面から行くのか」
「正面しかない」
カイは答えた。ガルドが鋼城の裏側から潜入するには、鋼城のセンサーと火力の全てを正面に集中させる必要がある。鋼城の近接防御火器は全周64基の自動散弾砲であり、センチネル・ドールは胴体の全表面に配備されている。主砲は前面4門の800mm、副砲は側面に計24門の300mm。正面で全力で暴れなければ裏側に注意が向いてしまう。
「鋼城の主砲は射程40キロ。だが俺たちのような小さな目標に対しては砲塔の旋回速度が追いつかない。近づけば近づくほど、主砲は撃てなくなる。問題は副砲と、ドールの群れだ」
マイロの通信が補足した。
「副砲の射程は15キロ。面制圧用の300mm連装砲なので、散開すれば直撃は避けられます。ただしドールの群れを突破する間に側面から撃たれる可能性がある。鋼城に取り付くまでの1キロが最も危険です」
「ドールの群れを突破して、鋼城の脚に取り付く。脚部の関節を攻撃すれば、鋼城は止まるかもしれない。止まらなくても、脅威を感じれば火力をこちらに集中させる」
トワの声が入った。短く乾いていた。
「ドールが何体いる」
リオンが答えた。ポラリスのセンサーが数えた数字だ。
「ケーファー、確認できるもので40体以上。ツェアライサーは群れの中に混在していて正確な数は不明。最低でも20体」
「60体以上か」
ジェイスの声が割り込んだ。断鉄衆の残殻がケストレルの後方に追いついてきている。ゼルマの護衛汎殻との戦闘で弾薬を消費しており、残弾は少ないはずだった。
「正気か」
「正気じゃない作戦しか残ってない」
ボルトが笑った。笑い声ではなく、喉の奥で空気が鳴っただけの乾いた音だった。
カイは通信を全周波数に切り替えた。灰域連合の全機に届く周波数だ。ゼルマの護衛部隊を突破して残った全機体であり、第1群と第2群の生き残りでもある。
「全員、聞いてくれ」
カイの声が荒野の通信回線に流れた。
「俺たちの仕事は派手に暴れることだ。鋼城の目を、全部こっちに向ける」




