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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
残鳴の先へ

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霧氷を砕く

ゼルマのライムが右腕を振り下ろした。

 FALKEの銃口が炎を吐き、75mm弾がケストレルの頭部を掠める。金属が弾ける高い音がコックピットの天井を叩く。装甲表面が削れた振動が、操縦桿を伝わって指先まで走った。

 カイは操縦桿を左に倒し、腰部サブスラスターを噴射してケストレルを横に弾き、直後に右へ切り返す。ライムの次弾が、一瞬前までケストレルがいた空間を通り過ぎた。弾丸が空を切る音がコックピットの装甲越しに聞こえる。

 遊肢はいない。

 リントが1基を300メートル以上引き離している。トワが2基目をシルフの異常な機動力で翻弄し、射程の外へ引きずり出していた。そしてリオンのポラリスが残る3基目を正面から受け持っている。白銀の装甲が遊肢の追加装甲板と火花を散らすなか、ポラリスの回避機動が遊肢の巡回軌道を崩し続けていた。

 鉄の繭が砕け、ゼルマの本体が初めて剥き出しになっていた。

 カイの心臓は速く打っている。汗が額から流れ、操縦ヘルメットの内側を伝う。15分以上の戦闘で体力を削られていたが、体の底に残っている力は今この瞬間のために使われるのだと分かっていた。


 * * *


 暗緑色の重厚な機体が荒野の大地に両足を踏みしめていた。

 ライム。全高10.6メートル、30.5トン。5回の大規模改修を経て原型を留めない銘殻が遊肢なしで立っている。角張ったブロック型の頭部。横一文字のメインカメラが感情のない目でケストレルを捉えていた。右腕にFALKE、左腕にAEGIS。左腰部に戦斧BEIL。太い脚が大地を掴み、低重心の構えは微動だにしない。

 20年以上この機体に乗り続けた男の気配が装甲の向こうから滲んでいた。

 冴覚が右手の痺れとして警告を発している。遊肢がなくてもこの男は危険だ。銘殻と操手が完全に噛み合った一体感。操縦桿を握る手と機体の動きの間にずれはない。ライムの動きはゼルマそのものだった。

「カイ」

 リオンの通信が入った。息が上がっている。ポラリスが遊肢と格闘しながら声を絞り出していた。

「遊肢は押さえている。長くは持たない。3分」

 3分。

 カイは奥歯を噛んだ。3分でゼルマを倒す。遊肢3基の鋳脈者を本体だけで。

 ケストレルの背部スラスターが咆哮し、機体が前に飛んだ。


 ライムのFALKEが火を吐いた。

 75mm弾が正面から飛来する。カイは上体を右に捻りながらスラスターの推力方向を変え、弾道を紙一重でかわした。2発目が左肩の装甲を掠めて金属片が散り、3発目は胴体の右脇を通過する。

 ゼルマの射撃は正確だった。移動目標に対して3発とも有効射程内に収めている。だが正確さのなかに迷いはない。感情を排した射撃。淡々と弾丸を送り込む精密さだった。

 だがケストレルのフレームはライムとは違う。

 アルマナック合金。ガルドが組み上げたフレームはカイの操作に0.03秒で応答する。関節の追従速度がライムの改修フレームを上回っていた。ケストレルの鳥足が荒野の地面を蹴り、斜め前方に跳ぶ。着地と同時に方向を変えてライムの右側面に回り込んだ。

 ゼルマが反応する。

 ライムの胴体が旋回し、FALKEの銃口が追いかけてくる。だがケストレルの方が速い。

 カイは右腰部から鍛翼刀を引き抜いた。3.8メートルの片刃の実体剣が荒野の薄い光を受けて鈍く光る。ガルドが鍛えた刃。テオのために作られ、カイが受け継いだ剣。その重さが右腕を通じ、確かな手応えとしてカイの体に伝わった。

 距離120メートル。ライムの正面装甲が視界を埋める。傾斜した胸部装甲、分厚い肩部の増加装甲板、角張った頭部。20年の戦歴が刻まれた傷だらけの巨体が薄い灰色の空を背にして立っている。


 ライムのAEGISが前に出る。

 ゼルマは盾で迎え撃つつもりだった。鍛翼刀を盾で受け止め、その間にFALKEで撃つ。前回と同じ戦術だ。カイは覚えている。4度目の接近で同じ手でやられた。

 だが今は遊肢がない。背後から殴ってくる追加装甲もない。

 鍛翼刀を振り上げたままカイは突入の角度を変えた。正面ではなくライムの左側面。盾の外側。AEGISの防御範囲から外れた角度へケストレルが滑り込む。

 ゼルマがライムの体を回し、盾を左側面に向けようとする。だが30.5トンの重い機体が旋回する速度は、25.2トンのケストレルの方向転換より遅い。

 その0.5秒の差を別の方向から撃ち抜いた。


 砲声が横から響く。ジェイスだ。

 断鉄衆の残殻がライムの右側面300メートルの位置から75mm砲を撃っていた。汎殻との戦闘を終えたジェイスが残弾を使ってライムの脚部を狙っている。1発目がライムの右膝関節に命中して装甲が弾き飛び、関節部のアクチュエータが露出する。2発目は右脛の装甲を抉った。

 ライムの右脚が一瞬だけ震えた。

 それだけだった。ゼルマは機体のバランスを崩さない。右脚の出力が落ちた分を左脚で補い姿勢を維持している。20年の経験が損傷した機体を即座に補正していた。

 だが旋回は遅れる。

 カイは鍛翼刀の柄にあるスイッチを親指で押した。高周波振動機構が起動し、刃の表面が微細な振動を開始する。空気を切る低い唸りが響いた。

 ケストレルの背部スラスターが全開になり、機体が前に跳んだ。鳥足の脚部が地面を蹴り上げ、推力が背中から機体を押し出す。ライムの左側面、盾の外側。振り返りきれない角度へケストレルが飛び込む。

 鍛翼刀が弧を描く。

 3.8メートルの刃がライムの胸部装甲を横に切り裂いた。

 高周波振動が装甲の表面に食い込み、鍛造合金が軋みながら裂ける。傾斜装甲の内側にある増加装甲板ごと胸部の装甲が左から右へと切断された。切り口から火花が散って内部のフレームが露出し、駆動機関の外殻に鍛翼刀の先端が触れて金属が甲高い悲鳴を上げた。

 ライムが後退した。

 右脚を引きずりながらゼルマが距離を取ろうとする。だが右膝のアクチュエータが損傷して踏み込みが効かず、後退の速度が遅い。

 カイは追撃しない。

 鍛翼刀の刃を見る。先端部が僅かに欠けていた。ライムの装甲が硬かったのだ。5回の改修で積み重ねられた装甲には、鍛翼刀の高周波振動でも一撃で断ち切れない厚さがあった。

 だが胸部装甲は裂けた。ライムの正面防御の要が失われた。


 * * *


 ライムが動きを止めた。

 荒野の大地に両足を踏みしめたまま暗緑色の機体が静止している。右脚の膝関節からオイルが垂れて地面に黒い染みを作っていた。胸部装甲の裂け目から駆動機関の外殻が見えている。もう一撃入れれば駆動機関ごと断ち切れる。

 FALKEの銃口が下がった。

 カイの冴覚が右手の痺れを通じて伝えてくる。脅威の色が変わっている。鮮やかな赤からくすんだ橙色に。攻撃の意図が薄れていた。

 ライムの胸部装甲の裂け目が圧搾空気の音と共に広がり、ハッチが内側から開く。

 コックピットから人影が現れた。

 ゼルマ・ヴォルフ。42歳の男が損傷したライムの胸部から身を乗り出した。短く刈り込んだ灰白色の髪。彫りの深い顔に刻まれた皺。薄い灰色の目がケストレルのメインカメラを真っ直ぐに見ている。

 感情のない目だった。勝った者を見る目でも、負けた者の目でもない。それ以上はカイには分からない。

 ゼルマは何も言わず、ライムのコックピットから降りて地面に足をつけた。操縦桿から手を離し、機体の横に立つ。それが灰域の降伏の作法だった。ハッチを開放し、操縦桿から手を離して待つ。統治機構体の正規軍とは異なる非公式の慣習。だがゼルマはそれを知っていた。灰域の慣習を。

 カイは鍛翼刀を下ろした。

 ケストレルのメインカメラが地面に立つ小さな人間の姿を映している。10メートルの鉄殻と1.8メートルに満たない人間。ゼルマは空を見上げもしない。ライムの傍らに立ち、灰色の荒野の風に短い髪を撫でられながらただ立っていた。


 * * *


 通信が入る。

「こちらマルツ・ケラー、シンダー中隊長。護衛部隊の残存兵力を代表して通告する」

 若い男の声だった。30歳。ゼルマの補佐役。生真面目な軍人の声が震えを押し殺しながら通信に流れた。

「ゼルマ隊長が戦闘を中止した。我々も従う。全機、武装を解除する」

 カイのモニターに映る戦場が変わった。

 護衛汎殻の残存3機が次々とFALKEを地面に置いた。ハッチが開き、操手たちが手を上げて機体から降りていく。汎殻のメインカメラの光が消え、駆動機関が停止する低い音が響く。

 リオンの通信が入った。

「遊肢が停止した」

 ゼルマのライムから切り離された遊肢3基が鋳脈のフィードバックを失って大地に落下していた。リントが引きつけていた1基が荒野に突き刺さり、トワが翻弄していた2基目が地面に転がる。リオンが相手にしていた3基目はポラリスの足元に静かに沈んだ。

 ボルトの声が通信に割り込んだ。

「カイ、ゼルマは」

「降りた。マルツが降伏を宣言した」

 沈黙が数秒あった。

「そうか」

 ボルトの声に感情は薄かった。だがその薄さのなかに息を吐くような安堵が混じっている。

 リントの通信が入った。若い声が僅かに上ずっている。

「護衛部隊は片づいた。道は」

 リントの言葉が途切れた。

 カイもその理由が分かった。前方にそれが見えたからだ。


 護衛部隊がいなくなった荒野の向こう。灰色の空を背負って巨大な影が大地を踏みしめていた。

 6本の脚。各脚の直径は80メートル、長さ400メートル。その脚が一歩を刻むたびに10キロ以上先まで地震のような振動が伝わる。上部構造物は台形の巨大な城壁。前面に主砲塔群、側面に副砲群、上面に対空砲台が並んでいる。胴体に無数のリベットと溶接痕が走り、表面にドールの群れが張り付いていた。

 全長3.2キロメートル。

 鋼城モノリス。

 歩く山脈が灰色の空を背負って立っていた。

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