一撃離脱
トワの声が通信に割り込んだ。ノイズに削られた乾いた短い声だった。
「聞こえてる。汎殻は片付いた。そっちに行く」
カイが口を開くより早く、モニターの端に高速の機影が映り込んだ。灰域連合で最も軽い16.5トンの骨格のような機体が荒野を斜めに横切っている。黒ずんだ灰色のフレームが剥き出しになった異形の残殻。前方に突き出た小さな単眼カメラは昆虫の頭を思わせる。背部と腰部にある4基のスラスターが青白い噴射炎を引き、逆関節の長い脚が大地を蹴るたび砂塵が線状に舞い上がった。
それはシルフ。トワ・カジャの残殻だった。
「トワ、遊肢をもう1基引き剥がしてくれ。リントが1基を引きずり出している。あと1基減らせればゼルマの本体に届く」
「分かった」
トワの返事は短く、確認も質問もなかった。
シルフがライムに向かって加速したが正面からではない。ライムの右後方から遊肢の巡回軌道の外縁を掠めるように接近していく。射程に入る前に方向を変え、射線の外側を走り抜ける。
「射線の外を走る」
カイが呟いたのはトワが教えてくれた戦術だ。遊肢の射線を読んで避けるのではなく、射線が届かない位置を選んで移動し続けるのだ。
* * *
シルフが遊肢の巡回軌道の縁に触れたがトワは射撃しなかった。左腕のROOKを構えたまま引き金を引かず、代わりにシルフの速度そのものを武器にする。
脚部スラスターが噴射してシルフが右から左へ急激に方向を変える。遊肢のセンサーがこれを捉えて追尾を開始した。巡回軌道を離れてシルフに向かって加速し、追加装甲前面の速射砲が火を噴く。
だが弾は空を切り、シルフは既にそこから消えていた。トワの残殻は射線が届く位置に0.5秒と留まらない。連続する方向転換と脚部の逆関節が跳躍を予測不能にし、腰部スラスターが空中で機体の向きを強制的に変える。軌道が直線にならないため遊肢の射撃予測が追いつかないのだ。
ゼルマの遊肢が巡回軌道を完全に離れてシルフを追い始め、母機からの距離が100メートル、150メートルと開いていく。
ゼルマが足首のジャイロペダルを踏み込んで遊肢の追尾速度を上げたが、逃すまいとするその操作よりもシルフの方が速かった。装甲を極限まで削った16.5トンの機体は遊肢の推進力を上回る機動力を備えている。
200メートル、250メートル。母機から離れるほど操作精度が落ちるため、遊肢の動きにぎこちなさが出始めた。リントが引き出した遊肢と同じ現象だ。今のゼルマは2基の遊肢を同時に母機から離れた位置で操作しなければならない。
シルフが腰部ディスペンサーからNEBELの白煙を噴出して自らの軌道を覆い隠す。煙幕に惑わされた遊肢のセンサーが追尾を一瞬途切れさせ、その隙にシルフは方向を90度変えて煙幕の反対側へ抜け出た。
遊肢が煙幕を突き抜けて旧位置に到達した時、トワの残殻は既に300メートル先に到達している。
「引き剥がした」
トワの声は息を切らしていなかった。心拍が上がっていないわけがないのに、その響きには微塵の動揺もない。
ライムの周囲に残された最後の遊肢がゼルマの本体を回っている。正面を通過してから背面へ戻るまでの間、ライムの脇腹が一瞬だけ開く。そこが狙い目だった。
* * *
だがゼルマは揺るがず、遊肢が3基から1基に減ったことで即座に戦術を切り替えた。残る1基を最も重要な正面防御に固定し、側面と背面は本体の操縦技術だけで対応する構えを取る。ライムの太い脚が大地を踏みしめて低重心の蹲踞姿勢になり、右腕のFALKEを正面に構えつつ左腕のAEGISで胴体左側を覆った。
遊肢の防御が剥がれたところでライムの本体そのものが堅牢な壁だった。
カイはケストレルを前進させた。7度目の接近ともなれば遊肢1基の巡回軌道は読みやすい。冴覚が右手の痺れとして遊肢の位置を鮮明に伝えてくる。正面を通過する遊肢の裏側へ回り込むと、そこに隙間が空いた。
カイは背部スラスターを全開にして突入し、鍛翼刀を右手にライムの左肩を狙う。遊肢の死角を突いた本体への直接攻撃だった。
だがゼルマが動いた。ライムの全身が蹲踞から一気に立ち上がり、30.5トンの重厚な機体が信じがたい速度で回転する。左腕のAEGISがケストレルの鍛翼刀の軌道上に割り込んで刃を受け止めると同時、ライムの右脚が地面を蹴って機体ごと体当たりを仕掛けてきた。
ケストレルの25.2トンに対しライムは30.5トン。その質量差がそのまま衝撃へと変わり、押し戻されたケストレルの逆関節の脚が地面に深い溝を刻む。コックピットが激しく揺れてカイの肩にハーネスが食い込んだ。
そこへリオンが側面から撃ち込み、穿月銃の90mm弾がライムの右脇を狙う。遊肢が正面にいる今、側面は無防備のはずだった。
ゼルマは左腕のAEGISで鍛翼刀を弾きながら右腕のFALKEを側面へ向けて撃ち返した。正面と側面を同時に相手取る2対1の状況でもゼルマは崩れない。分厚い正面装甲で弾を弾き、太い脚で衝撃を吸収し、その堅牢な機体で2機からの攻撃を受け止め続けたのだ。
「本体だけでこの強さか」
カイは歯を食いしばる。遊肢さえ引き剥がせば勝てるという考えは甘かった。
リオンの穿月銃が再び火を噴き、今度はライムの脚部関節を狙う。放たれた弾は右膝の装甲を叩いたものの傾斜装甲に逸らされてしまう。ゼルマは被弾を予測した箇所へあらかじめ計算された角度で装甲面を向けていたのだ。
カイはケストレルを後退させて鍛翼刀を構え直す。ゼルマは強いが決して無敵ではないと冴覚が伝えていた。2対1の状況が続けばいずれ綻びは出るし、操縦がいかに精緻でも正面と側面を同時に捌き続ければ必ず反応に遅延が生まれるはずだ。
「リオン、挟み撃ちを続ける。ゼルマの反応が遅れる瞬間を探す」
「了解。だが穿月銃の残弾が少ない。あと6発」
残る6発でゼルマの本体に届く一撃を見つけなければならない。
その時、ゼルマのライムが右腕を振り上げた。FALKEを構えたのではなく、右腕を背後へ回して左腰部に懸架されたBEILを掴み取る。接近戦の切り札である戦斧。ゼルマが近接武装を抜き放ち、射撃ではなく斧で迎え撃つ構えを見せた。
その滑らかな動きに一切の迷いはない。20年間戦場を生き延びてきた老兵の重い一撃が迫っていた。




