出撃
朝の灰域にエンジンの始動音が重なった。
1台、2台と続き、やがて数え切れない金属の咆哮が大地を揺らし始めた。残殻の駆動機関はどれ一つ同じ音を出さない。グランヴェルトの正規軍用を流用したものは低く唸り、クレスタの旧式はかすれた高音を混ぜ、出所不明の廃品を無理やり積んだ機体は不規則な振動を吐き出す。14の音がそれぞれ違う声で灰色の空に昇っていく。寄せ集めで統一された軍ではないが、その不揃いの音こそが灰域連合の全戦力だった。
カイはケストレルのコックピットに座り、操縦桿を握った。
使い込まれた革の表面が掌に馴染み、体温を吸ってすぐに温かくなる。計器パネルに光が灯った。推進剤残量は左右ともに80パーセントで、ガルドが調整した数字だ。弾薬は満載し、鍛翼刀は右腰部に懸架している。左前腕内蔵のWESPEは、給弾機構が正常を示す緑のランプが点灯した。
エンジン始動。
ケストレルの駆動機関が目覚め、コックピット全体に低い振動が伝わる。計器の数字が安定するまで30秒。ガルドが清掃した右スラスターの噴射弁は左と同じ回転数で回っており、詰まりは取れていた。
機体が立ち上がる。逆関節の脚部が伸び、3本爪の足が大地を掴む。10.4メートルの鉄紺色の機体がストーンクロスの外れの荒野に立った。背部のスラスターユニットが冷たい朝の空気を吸い、排熱口から白い息のような蒸気を吐き出す。
隣では白銀の機体が立ち上がった。
ポラリス。リオンの銘殻が朝の薄い光の中で静かに起動する。白銀の装甲に深い紺色のアクセントが入り、横長のバイザー型メインカメラが細く光った。ケストレルの鳥足型とは異なる幅広で安定型の足裏が、砂を踏みしめて地面に沈む。
リオンの通信が入った。
「機体正常。全系統良好」
声は短く硬かった。昨夜の静かな時間の名残はどこにもない。コックピットに座った瞬間、リオンはセルヴィスの士官に戻る。感情を排した報告口調だが、呼吸が浅い気がした。
「こっちも問題ない」
カイは短く返した。
後方ではハウラーが地面を踏みつける。
33トンの鉄塊が歩くたびに大地が軋む。継ぎ接ぎの装甲板が擦れ合い、がしゃがしゃと耳障りな音を立てる。左肩のグランヴェルト製の角張った装甲と右肩のセルヴィス製の丸みを帯びた増加装甲が、朝の光の下で色の違いを晒していた。歩く廃車置場のような姿だが、右前腕のパイルバンカーの砲口だけが冗談では済まない存在感を放っている。
ボルトの声が通信に割り込んだ。
「全機、エンジンかかったな。寝ぼけてる奴がいたら今のうちに降りろ。戻ってきてから文句を言う暇はねえぞ」
通信が静まる。
マイロの声が全周波数に流れた。
「全部隊に通達します。最終確認を行います」
マイロの偵察型残殻リレイは部隊の最後方にいた。センサーと通信機能を強化した軽装機だ。マイロの役割は前線でなく、黒板の前に立つ教師のように戦場を俯瞰することだ。
「第1群。ボルト指揮。残殻8機、補給車両4台。鋼城正面に展開し、護衛部隊の注意を引きつける。目的は鋼城のセンサーを正面に集中させること」
「了解だ」
ボルトが低い声で応じた。
「第2群。カイ、リオンを中心に残殻4機、鹵獲汎殻2機。鋼城の左側面から接近し、シンダー護衛部隊を突破する。潜入経路上の護衛機を排除し、第3ドール射出口までの回廊を確保」
「了解」
カイが答えると、隣のポラリスのバイザーが微かに首を振るように動いた。リオンも了解の意思を示している。
「第3群。ガルド単独。護衛2機が射出口近くまで同行。射出口からは単独で内部に侵入し、鋳脈接続中枢を破壊する。所要時間40分」
通信に沈黙が落ちた。40分という数字の重さを全員が知っていた。外で護衛部隊と戦い続ける40分の間に、弾薬が尽きるか、機体が壊れるか、操手が死ぬか。どれが先に来ても作戦は終わる。
「補給車両は第1群に4台、第2群に4台を分配。弾薬と燃料の補給は戦闘の合間に各群の判断で実施。補給中は他機が援護すること。以上が最終配置です」
マイロの声が途切れ、教師が板書を終えたように一拍の間が空く。
「各員の健闘を祈ります」
マイロらしくない言葉だった。
* * *
部隊が動き始めた。
ストーンクロスの外れから荒野に向かって、14機の残殻と3機の鹵獲汎殻が不揃いの足音で大地を踏む。その後ろには補給車両8台が砂塵を巻き上げて続いた。車輪が荒野の石を踏み、車体が跳ねるたびに荷台の弾薬箱ががたがたと鳴る。
ストーンクロスの外門の前にはバートンが立っていた。
55歳の首長はスーツに近い仕立ての上着の襟を正し、出撃する部隊を見送っている。小指のない右手が門の石壁に置かれている。隣にはタリアがおり、通信機を抱えた16歳の少女が遠ざかる鉄殻の列を見つめている。
バートンは何も言わず、背筋を伸ばして去っていく鉄殻の背中を見つめていた。
カイはケストレルのカメラで後方を確認した。バートンの姿が小さくなり、ストーンクロスの石壁が荒野の灰色に溶けていく。
通信に別の声が入った。ガルドだった。
「カイ」
短い呼びかけ。ガルドは既に別ルートで動いていた。鋼城の背面に回り込むための単独の迂回路を、護衛の2機を連れて本隊とは逆方向に進んでいる。
「行ってこい」
それだけで、帰ってこいとは言わなかった。
「ああ」
カイが答えると通信が切れ、それが最後の平穏な通信になった。
* * *
荒野を西に進んだ。
灰域の荒野は錆苔が冬枯れした赤茶色の大地だった。旧世界の送電鉄塔の残骸が等間隔に並んで地平線まで続いている。鉄塔の骨格だけが残り、電線は全て朽ち果てていた。大崩落から30年。
残殻の足が枯れた錆苔を踏み砕き、赤茶色の粉が舞い上がって機体の脚部にまとわりつく。乾いた風が荒野を横切り、砂と灰を運んでいく。2月の灰域の空は低く、雲が鉛色の蓋のように大地を覆っていて太陽の位置が分からない。灰域では方角を雲の色で判断するが、西の空がやや暗かった。鋼城が巻き上げる砂塵が雲に混じっているのかもしれない。
20分が過ぎた頃、カイは足元の感覚の変化に気づいた。
ケストレルの3本爪の足が大地から微かな振動を拾っている。操縦桿を握る指先に断続的な揺れが伝わった。鉄殻の歩行による振動ではなく、もっと深く、もっと重い。大地そのものが一定の間隔で震えていた。
通信にリオンの声が入った。
「感じるか」
「ああ」
「鋼城の歩行振動だ。六脚が地面を踏むたびに、この振動が出る。距離は30キロ以内」
30キロといえば、残殻の巡航速度で1時間弱だ。もうそこまで来ている。
カイが前方を見ると、地平線の向こうに影があった。
灰色の空に溶け込んだ不規則な形の暗い塊を、最初は雲の一部だと思った。だが雲は動くのに対し、あの影は動かない。いや、動かないのではなくこちらに向かって来ているのだ。大きすぎて動きが分からないだけだった。
全長3.2キロメートル。
その数字を頭では理解している。タリアの報告で聞き、マイロの計算で把握し、偵察で望遠鏡越しに見た。だがこの距離で自分の機体の足元から振動が伝わってくるという体験は、数字とは別の次元の恐怖だった。
大地が震えている。
鋼城の六脚が地面を踏む振動が、ここまで届いているのだ。
あの影の下に24人の鋳脈者が繋がれ、あの影を護る部隊が荒野のどこかに展開している。そしてあの影は止まらない。灰域に向かって、一歩ずつ。
操縦桿を握る右手に痺れが走った。薬指と小指に感じる、いつもの冴覚の前兆だ。だが今は冴覚なのか恐怖なのか区別がつかなかった。
カイは息を吸い、操縦桿を握り直した。
前方の影に向かって、17機の鉄殻が進んでいく。




