決戦への道
ストーンクロスの正門が開いた。
鉄と石を組み合わせた二重扉が左右に引かれる。蝶番の軋む音が朝の冷えた空気に響いた。門の外に広がるのは凍結した灰色の平原だった。地面の水分が夜のうちに凍り、薄い氷の膜が大地を覆っている。踏めば割れ、鉄殻の脚で踏めば粉になって散る。
カイはケストレルの操縦桿を握った。
コックピットの中は狭い。計器盤の光が薄暗い空間を照らし、正面の装甲スリットから外の景色が見えている。鉄紺色の装甲に囲まれたこの視界にも慣れた。最初に乗った時は息が詰まるほど狭く感じたコックピットが、今は自分の体の一部のように馴染んでいる。
右手の薬指と小指に痺れが残っていた。操縦桿を握ると指先が冷たい。冴覚の代償だ。次に使えばもっと深いところまで持っていかれる。それでも指は操縦桿を離さない。
正門を抜けた。
ケストレルの脚が凍った地面を踏んだ。氷が砕ける音がして、10メートルを超える鉄殻の全重量が灰域の大地に刻まれた。一歩、もう一歩。関節駆動の低い唸りがコックピットの床から伝わってくる。ガルドが整備した駆動系は相変わらず正確で、踏み込んだ力がそのまま前進に変わる。
左側に白い影が並んだ。
ポラリスだった。リオンの銘殻がケストレルと歩幅を合わせて進んでいる。白を基調にした軽装甲。セルヴィスの精鋭機が灰域の荒野を歩いている。半年前なら考えられない光景だった。敵だった機体が今はカイの左隣にいる。
通信が入った。
「全機、出撃確認。隊列を維持してください」
マイロの声だった。丸い眼鏡の奥で細い目を光らせている顔が浮かんだ。マイロはリレイで後方に位置し、通信中継と全体の指揮を担っている。声は平坦だがいつもより僅かに早口だった。マイロの癖だ。緊張すると言葉が詰まるのではなく速くなる。
「先頭、ケストレルとポラリス。第2列、ハウラー、キャリバー。第3列、シルフ。ストーンクロス防衛隊は後方。速度は巡航。燃料を無駄にしないでください」
カイは了解の短い通信を返す。
後方を確認する。計器盤の端に映る背面カメラの映像には、ボルトのハウラーが重い足取りで続いていた。廃棄された鋼城護衛用の重装甲パーツを寄せ集めた残殻だ。装甲だけは灰域で最も厚いが、一歩ごとに地面が軋む。ハウラーの横にはリントのキャリバーが並走している。赤みがかった塗装の残殻だ。首元に巻かれた赤いスカーフの布地がコックピットのハッチの隙間から覗いていた。妹の形見をいつも身につけるのはリントの癖だった。
さらに後ろにトワのシルフ。装甲を限界まで削った骨格のような機体がフレームを剥き出しにしたまま歩いている。黒ずんだ灰色の体表に溶接の跡が走り、前方を向いた単眼カメラだけが周囲を見張っていた。装甲は薄いが、この機体に乗るトワは灰域で29年を生き延びた傭兵だ。装甲の代わりに腕がある。
その後ろにストーンクロスの防衛隊。残殻6機のうち完全稼働は4機で、残り2機は脚部に問題を抱えたまま行軍に加わっている。
合計13機。
* * *
隊列が平原に伸びていた。
上空から見れば灰色の大地の上に点々と並ぶ鉄の影だっただろう。統一された塗装はなく、同じ型の機体も一つとしてない。鉄紺色のケストレル、白いポラリス、鉄塊のようなハウラー、赤みの残るキャリバー、骨のようなシルフ。その後ろに続く防衛隊の残殻は錆びた緑、剥げた灰色、溶接で継ぎ接ぎされた鉄板の地色。それぞれの機体に修理の跡があり、交換された部品の色が元の装甲と違っている。左腕だけ別の機体から移植したやつ。胸の装甲に弾痕を溶接で塞いだ跡。右脚の膝が一歩ごとに異音を立てている。
寄せ集めだった。
旗もなければ名前もない軍勢だった。
凍った平原が鉄殻の脚の下で砕けていく。13機分の重量が大地を踏み、白い氷の破片が灰色の土の上に散った。風は西から吹いていた。乾いた冷たい風だった。灰域の冬の終わりに吹く風だ。焦土紀の暦ではもうすぐ春になる。春が来ても灰域の大地は灰色のままだが。
通信が鳴った。
タリアの声だった。
「全集落に通達完了。避難も完了。あとは、あなたたちに任せます」
16歳の少女の声が廃材で組んだ通信中継網を通じて届いている。ラストヘイムからストーンクロスの中継局を経由し、行軍中のケストレルまで。タリアが独学で構築した灰域の通信網だ。鉄殻に乗れなくても情報が繋がれば人は守れるとタリアは言っていた。
声は落ち着いていた。震えてはいなかったが、落ち着きすぎていた。本当に平気なタリアはもっと軽口を叩く。
「了解した」
カイは短く返した。それ以上は言わなかった。言えることはなかった。帰ってくるとも、大丈夫だとも。嘘になるかもしれない言葉は口にしなかった。
通信が切れる。
* * *
行軍は続く。
平原の地形が変わり始めていた。凍った平地が緩やかな起伏に変わり、ところどころに旧世界の構造物の残骸が顔を出している。コンクリートの破片。錆びた鉄骨。何かの基礎だったらしい四角い枠。大崩落から30年が経ち、灰に埋もれて原形を留めないものばかりだった。
ボルトの通信が入った。
「カイ。前方に動くものは見えるか」
カイは正面の装甲スリットとセンサーの両方を確認した。地平線まで灰色の大地が続いているが、動くものはない。
「何もない」
「よし。もう少しで高台に出る。そこからなら、先が見える」
ボルトの声には緊張がなかった。30年を灰域で過ごした傭兵の声だ。戦場に向かう足取りに迷いがない。
リントの通信が割り込んだ。
「ボルト。燃料の消費が想定より速い。キャリバーの右脚の駆動系が重い」
「走れるか」
「走れる。ただ、戦闘前に調整したい」
「高台で一度止まる。そこでやれ」
短い会話だった。必要なことだけを言い、終わる。戦場に向かう人間の通信は無駄が削がれていく。
トワの通信は入らなかった。シルフは隊列の三番目を黙って歩いている。トワは必要がなければ喋らない。29年の傭兵生活で身についた習性だ。通信を開くのは敵を見つけた時と誰かが死にかけた時だけだとカイは知っている。
カイは操縦桿を握り直した。痺れのある右手の指が金属の感触を捉えている。この操縦桿を父も握っていた。テオ・セヴァルが座っていた椅子に今はカイが座っている。父の銘殻を父と同じ荒野で走らせている。
左を見た。ポラリスの白い装甲が灰域の灰色の中で際立っていた。リオンはコックピットの中で何を考えているのだろう。セルヴィスを離れて灰域の寄せ集め軍に加わり、かつての所属国が建造を支援した鋼城に向かって歩いている。複雑な立場だ。だがリオンの歩みに迷いはなかった。ポラリスの足取りは一定で、ケストレルとの間隔を正確に保っている。
高台に差しかかった。
緩やかな斜面をケストレルの脚が登る。凍った地面が傾斜に沿って割れ、氷片が斜面を滑り落ちていく。一歩ごとに視界が高くなり、灰色の平原が広がっていく。
頂上に立った。
前方の地平線が一望できた。
カイの呼吸が止まった。
地平線の向こうに影があった。
灰色の空と灰色の大地の境界線に何かが立っている。距離がありすぎて輪郭しか見えない。だがその輪郭だけで、それが何であるかは分かった。
大地の上に壁があった。
壁が動いている。地平線を踏み潰しながらこちらへ。
鋼城モノリス。
全長3.2キロの移動要塞が灰域の地を踏んでいた。
通信網が一瞬、静まり返った。13機の鉄殻に乗る全ての操手が同じものを見ていたが、誰も声を出さなかった。
脂汗の滲む掌で操縦桿を握り潰したまま、カイは自分の心拍だけを聞いていた。
カイは操縦桿を握る手に力を込める。痺れた指が白くなるまで金属を掴んでいた。




