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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
鉄の鳴く夜

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ガルドの決意

 作業場の壁に、紙が貼ってあった。

 黄ばんだ紙ではない。ストーンクロスの交易路で手に入る、まだ白さの残った紙だった。ガルドが今朝から3枚書き潰して、4枚目にようやく形になった手描きの図面。インクが乾ききっていない線が、作業灯の黄色い光の中で鈍く光っている。


 30年前の記憶を、指先が辿っていた。


 鋼城(こうじょう)鋳脈(ちゅうみゃく)接続中枢。ガルドがグランヴェルトの神経工学部門にいた頃、計画初期の設計に携わった構造物だ。鋼城(こうじょう)の胴体最深部、装甲に囲まれた暗い空間に据えられる中枢装置。6基のリレー増幅器が放射状に配置され、それぞれが1人の鋳脈(ちゅうみゃく)者の神経系に直結する。6人の鋳脈(ちゅうみゃく)者の感覚を束ね、鋼城(こうじょう)の全センサー系統を一つの知覚網として統合する。鋼城(こうじょう)が「見る」のは、6人の目だ。鋼城(こうじょう)が「聞く」のは、6人の耳だ。24基の動力炉のうち6基がこの中枢の維持に割かれている。残る18基で砲を撃ち、脚を動かし、センチネル・ドールを生産する。


 だが中枢の構造を、設計した本人以外の誰が知るというのか。


 ガルドはインクの乾いた指先で図面の一角を叩いた。リレー増幅器と鋳脈(ちゅうみゃく)者を繋ぐ接続端子。直径12ミリの合金製ソケットが、後頭部のリレー素子と物理的に嵌合する。この嵌合部に安全切断回路がある。設計したのはガルドだ。鋳脈(ちゅうみゃく)者を中枢から外す時に、神経への逆流衝撃で脳が焼けないよう、段階的に信号を減衰させてから接続を断つ機構。テストベンチの上で何度も試作と破壊を繰り返した。


 安全切断回路の操作手順を知っているのは、世界でガルドだけだった。


 設計図面は全てグランヴェルトの金庫に残してきた。テオが持ち出した設計データにも、中枢の操作手順までは含まれていない。あれは鋼城(こうじょう)の全体構造と弱点に関するデータで、中枢の内部操作は別の管理区分だった。ガルドの頭の中にしかない。30年間、一度も紙に書かなかった情報が、今朝から壁に貼られている。


 煙草を咥えた。火をつけなかった。口に何かを挟んでいないと、歯を食いしばりそうだった。


  * * *


 足音が聞こえた。

 石畳を踏む音。歩幅が短く、足運びに癖がある。ケストレルのペダルを踏む時の重心移動が普段の歩行にも出ている。操手(そうしゅ)の歩き方だった。


 扉を叩く前に、ガルドは言った。


「開いてる」


 鉄扉が軋んで開いた。

 カイが立っていた。防寒外套を着て、右手に携帯食の包みを持っている。ガルドに飯を持ってくるのは、昔からの習慣だった。ラストヘイムでもそうだった。ガルドが作業に没頭すると食事を忘れるから、カイが黙って持ってくる。テオもそうしていたらしい。ガルドは知っている。テオの癖が、息子に移っている。


「置いとけ」


 カイは作業台の隅に包みを置いた。そのまま帰るかと思ったが、帰らなかった。壁に貼られた図面に目が止まっている。


 ガルドはカイの視線を追った。図面の意味が分かるかどうか。鉄殻(てっかく)の整備を手伝ってきたカイなら、配線図の読み方くらいは知っている。だが中枢の内部構造図は、通常の鉄殻(てっかく)の回路とは桁が違う。


「これは何だ」


 カイが聞いた。


 ガルドは煙草を口から外した。火のついていない煙草を指先で弄びながら、壁の図面を見つめた。答えるべきかどうかを迷ったのは、一瞬だった。もう隠す時間はない。鋼城(こうじょう)が来る。


鋼城(こうじょう)鋳脈(ちゅうみゃく)接続中枢だ。俺が設計した」


 カイの体が強張るのが、視界の端に見えた。振り返らなくても分かった。空気が変わる。17歳の少年の呼吸が一拍止まり、再開する。その間に、カイの中で何かが繋がったのだろう。ルイの情報。マイロの作戦。中枢を止めなければ鋼城(こうじょう)は撃ち続ける。その中枢を設計した人間が、目の前にいる。


「設計したのは30年前だ。鋳脈(ちゅうみゃく)者6人の神経系を束ねて、鋼城(こうじょう)の知覚を統合する装置。リレー増幅器が6基。それぞれが1人の鋳脈(ちゅうみゃく)者に繋がっている。外から砲で叩いて壊せる場所にはない。装甲の最も厚い胴体最深部に収められている。だから外からは止められない」


 ガルドは図面の中央を指した。6基のリレー増幅器が放射状に並ぶ配置図。その中心に、制御卓の記号がある。


「だが中から止めることはできる。安全切断回路を操作すれば、鋳脈(ちゅうみゃく)者を1人ずつ中枢から外せる。外し方には手順がある。間違えれば鋳脈(ちゅうみゃく)者の脳が焼ける。正しい手順を踏めば、神経への逆流を防いで安全に接続を断てる。6人全員を外せば、中枢は停止する。鋼城(こうじょう)のセンサー網が死に、砲の統合管制が落ちる」


 カイは黙っていた。黙って、ガルドの言葉を聞いている。


「その手順を知っているのは、俺だけだ」


 作業場が静かになった。ケストレルの装甲が作業灯の光を受けて、鉄紺色の影を二人の足元に落としていた。


鋼城(こうじょう)の中に入る」


 ガルドは言った。


「中枢を止める。俺にしかできない」


 カイの視線がガルドに向いた。正面から。暗い灰色の目が、ガルドの目を見ていた。テオと同じ色の目だった。テオが怒った時に見せた、あの真っ直ぐな目。


「一人で行くのか」


「一人で行く」


「俺も行く」


「行かない」


 ガルドはカイの言葉を、出た瞬間に潰した。潰すしかなかった。カイを鋼城(こうじょう)の中に入れるわけにはいかない。


「中枢の操作には最低でも40分かかる。6人を1人ずつ、手順を踏んで切断する。その間、鋼城(こうじょう)の護衛部隊が黙っていると思うか。センチネル・ドールが中に入ってくる。護衛の鉄殻(てっかく)が動く。中で俺を守りながら戦える余裕はない。中は狭い。鉄殻(てっかく)が入れる通路は限られている。入ったところを塞がれたら終わりだ」


「だからこそ、一人で行くべきじゃない」


「だからこそ、お前は外にいるんだ」


 ガルドはカイに向き直った。煙草を作業台に置いた。火のついていない煙草が、金属の天板の上で転がった。


「外の護衛部隊を引きつけるのがお前の仕事だ。鋼城(こうじょう)の周りにいるセンチネル・ドールと護衛の鉄殻(てっかく)を、お前とリオンとボルトと、灰域(アッシュランド)連合の全員で引き受ける。俺が中に入る隙を作れ。入ったら40分稼げ。それだけでいい」


「40分で足りるのか」


「足りなかったら、足りるまでやる」


 カイの拳が握られているのが見えた。外套の袖の下で、指が白くなるほど握り込まれている。反論を探している顔だった。理由を見つけて止めようとしている顔だった。だが理由が見つからない。ガルドにしかできないと、カイ自身が分かっているから。


「なぜ今まで黙ってた」


「言ってどうする。鋼城(こうじょう)が来るまでは、意味のない情報だ。来なければ使う必要のない手順だった」


 それは半分だけ本当だった。もう半分は、言えば自分が行くことになると分かっていたからだ。言った瞬間に退路がなくなる。30年間、逃げ続けてきた過去と向き合わなければならなくなる。


 だが鋼城(こうじょう)は来た。


「30年分の借りを返す」


 声が低くなった。自分でも驚くほど、穏やかな声だった。怒りでも悲壮でもない。ただ、決まったことを口にする声。


「テオに鋳脈(ちゅうみゃく)を施した。テオの体を壊した。壊れていくのを見ていて止められなかった。鋼城(こうじょう)の中枢を設計した。あの技術で、何人の鋳脈(ちゅうみゃく)者が消耗品にされたか分からない。全部俺がやったことだ。俺の手で作った仕組みを、俺の手で止める。それだけだ」


 カイが何か言おうとした。口を開き、言葉を探し、閉じた。もう一度開いた。


「帰ってこなかったらどうする」


 ガルドは笑った。笑ったつもりだった。口元が歪んだだけかもしれない。


「帰ってくるさ。帰ってこなきゃ、ケストレルの次の定期整備をやる人間がいない」


 冗談だった。冗談にしかできなかった。ガルドは自分の防壁が何でできているか知っている。軽口と皮肉と煙草の煙。それで30年間、内側を見せずにやってきた。今さら変えられない。


  * * *


 カイは帰らなかった。

 作業台の隅に置いた携帯食の包みを開き、固いパンを半分に割って、片方をガルドの前に置いた。もう片方を自分の口に運んだ。


 ガルドはパンを手に取った。灰域(アッシュランド)の小麦で焼いた、味の薄い固いパンだった。噛むと顎に響く。歯に押し返される硬さの中に、ほんの僅かな甘みがある。小麦の甘みだ。ネイサンにはもう感じられない甘み。


 二人で黙ってパンを食べた。


 ガルドの視線が壁の図面に戻った。リレー増幅器の配置図。6人の鋳脈(ちゅうみゃく)者の接続端子。安全切断回路の操作手順を、ガルドは壁には書いていなかった。手順は頭の中にある。紙に書けば誰かに渡せる。渡せば、自分以外の人間が行ける。だが手順の中には、リレー増幅器の反応を指先で確認しながら微調整する工程がある。増幅器の振動パターンを掌で読み取り、信号の減衰が十分かどうかを判断する。計器では測れない。設計者の手でなければ分からない。


 技匠(ぎしょう)の手だ。


 ガルドの手を見た。油の染みた指。火傷の痕が残る中指と薬指。爪の間に入り込んだ金属粉。30年間、鉄殻(てっかく)を触り続けてきた手だった。テオの鋳脈(ちゅうみゃく)を施した手であり、ケストレルの装甲を磨いた手であり、カイに工具の持ち方を教えた手だった。


 この手で、終わらせる。


 カイがパンを飲み下す音がした。嚥下の音の後、短い沈黙があった。


「ガルド」


「何だ」


鋼城(こうじょう)の中の鋳脈(ちゅうみゃく)者は、助けられるのか」


 ガルドは手を止めた。


 6人の鋳脈(ちゅうみゃく)者。鋼城(こうじょう)の知覚を支えるために接続された人間。ルイの情報では、意識があるかどうかも分からない状態だった。長期間の接続で神経が磨耗し、中枢から外した時に感覚がどれだけ残っているか。ネイサンのように味覚を失い、視野を失い、触覚を失った人間が、さらにその先にある状態。


「分からん」


 正直に答えた。


「外すことはできる。安全に接続を断つことはできる。だがその後、あの人間たちがまともに動けるかどうかは分からない。何年接続されているかにもよる。脳が焼けていなければ、生きてはいるだろう。だが生きているのと、人間として戻ってこられるのは別だ」


 カイは黙った。黙って、ガルドの横顔を見ていた。


 ガルドには分かっていた。カイが何を考えているか。鋳脈(ちゅうみゃく)者を救えるかもしれない。救えないかもしれない。だがやらなければ、確実に死ぬ。鋼城(こうじょう)と一緒に沈むか、鋼城(こうじょう)が動く限り消耗品として使われ続けるか。どちらにしても、外さなければ終わらない。


「俺にできるのは、外すところまでだ。その先は、クレアに任せる」


 カイが頷いた。小さく、だが確かに頷いた。


 ガルドは立ち上がった。寝台の脇に置いてあった酒瓶を取ろうとして、止めた。今夜は飲まない方がいい。頭を冴えさせておきたかった。図面の手順を、もう一度頭の中で反芻したかった。


 カイも立ち上がった。帰るのだろうと思った。


 だがカイは動かなかった。ガルドの前に立ったまま、何かを言いかけて、飲み込んだ。飲み込んで、また口を開いた。


「親父も、こうだったのか」


 声が小さかった。


「誰にも言わずに、一人で行こうとして」


 ガルドの手が動いた。

 考えるより先に動いていた。右手がカイの頭に伸び、黒い髪の上に落ちた。乱暴な力で、掻き回すように撫でた。整えられていない髪が余計に乱れた。油と金属粉の染みた指が、17歳の少年の頭の上にあった。


「お前の親父にも、同じことをしたことがある」


 声が掠れた。


「あいつが最後の仕事に行く前の晩だった。工房で飯を食って、黙って立ち上がって、行こうとした。俺はあいつの頭を引っ掴んで、こうやって撫でた。あいつは怒った。34の男の頭を撫でるなって。俺は2つしか年上じゃなかったが、あいつにとっちゃ兄貴みたいなもんだったからな」


 カイは振り払わなかった。

 ガルドの手の重さを、頭の上で受けていた。動かなかった。振り払えなかったのか、振り払わなかったのか。どちらでもよかった。


 ガルドの掌に、カイの髪の感触があった。テオより少し柔らかい。テオの髪は針金みたいに硬かった。戦場の砂埃と汗で固まっていた。カイの髪はまだ若い。まだ柔らかい。


 手を離した。


「帰れ。明日から忙しい」


 カイは何も言わなかった。振り返り、鉄扉に手をかけ、作業場を出ていった。扉が閉まる音がして、足音が石畳の上を遠ざかっていった。


 ガルドは一人になった。

 壁の図面が、作業灯の下で黙っている。6基のリレー増幅器。安全切断回路。操作手順。頭の中にある全てを、明日からの数日で実行に移す。


 煙草を拾い上げ、今度は火をつけた。灰色の煙が天井に向かって昇っていく。煙の向こうに、ケストレルの鉄紺色の装甲が見えた。あの機体に、テオが乗っていた。テオが座っていた椅子に、今はカイが座っている。


 テオ。


 声には出さなかった。口の中で、煙と一緒に名前を転がした。


 お前の息子は、お前と同じ目をしてる。お前と同じ顔で怒って、お前と同じ声で反論してきた。俺はまたあの目に負けそうになった。だが今回は違う。お前を送り出した時は止められなかった。今回は、俺が行く。


 煙草の灰が落ちた。作業場の床に、小さな灰色の点が増えた。


 ガルドは煙を吐き出し、図面に向き直った。


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