↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
鉄の鳴く夜

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

216/270

ガルドの決意

作業場の壁に紙が貼ってある。

 黄ばんだ紙ではない。ストーンクロスの交易路で手に入るまだ白さの残った紙だった。ガルドが今朝から3枚書き潰し、4枚目にようやく形になった手描きの図面。インクが乾ききっていない線が作業灯の黄色い光の中で鈍く光っている。


 30年前の記憶を指先が辿っている。


 鋼城の鋳脈接続中枢。ガルドがグランヴェルトの神経工学部門にいた頃に計画初期の設計に携わった構造物だ。鋼城の胴体最深部にあたる、装甲に囲まれた暗い空間に据えられる中枢装置。6基のリレー増幅器が放射状に配置され、それぞれが1人の鋳脈者の神経系に直結する。6人の鋳脈者の感覚を束ねて鋼城の全センサー系統を一つの知覚網として統合する。鋼城が「見る」のは6人の目だ。鋼城が「聞く」のは6人の耳だ。24基の動力炉のうち6基がこの中枢の維持に割かれ、残る18基で砲を撃ち、脚を動かし、センチネル・ドールを生産する。


 だが中枢の構造を設計した本人以外の誰が知るというのか。


 ガルドはインクの乾いた指先で図面の一角を叩いた。リレー増幅器と鋳脈者を繋ぐ接続端子。直径12ミリの合金製ソケットが後頭部のリレー素子と物理的に嵌合する。この嵌合部に安全切断回路がある。設計したのはガルドだ。鋳脈者を中枢から外す時に神経への逆流衝撃で脳が焼けないよう、段階的に信号を減衰させてから接続を断つ機構である。テストベンチの上で何度も試作と破壊を繰り返した。


 安全切断回路の操作手順を知っているのは世界でガルドだけだ。


 設計図面は全てグランヴェルトの金庫に残してきた。テオが持ち出した設計データにも中枢の操作手順までは含まれていない。あれは鋼城の全体構造と弱点に関するデータであり、中枢の内部操作は別の管理区分だった。ガルドの頭の中にしかない。30年間一度も紙に書かなかった情報が今朝から壁に貼られている。


 煙草を咥えたが火はつけない。口に何かを挟んでいないと歯を食いしばりそうだ。


 * * *


 足音が聞こえた。石畳を踏む音だ。歩幅が短く足運びに癖がある。ケストレルのペダルを踏む時の重心移動が普段の歩行にも出ている操手の歩き方だ。


 扉を叩かれる前にガルドは言う。


「開いてる」


 鉄扉が軋んで開き、カイが立っていた。防寒外套を着て右手に携帯食の包みを持っている。ガルドに飯を持ってくるのは昔からの習慣だった。ラストヘイムでもそうだった。ガルドが作業に没頭すると食事を忘れるためカイが黙って持ってくる。テオもそうしていたらしいとガルドは知っている。テオの癖が息子に移っているのだ。


「置いとけ」


 カイは作業台の隅に包みを置く。そのまま帰るかと思ったが帰らず、壁に貼られた図面に目を止めている。


 ガルドはカイの視線を追った。図面の意味が分かるかどうか。鉄殻の整備を手伝ってきたカイなら配線図の読み方くらいは知っている。だが中枢の内部構造図は通常の鉄殻の回路とは桁が違う。


「これは何だ」


 カイが聞く。


 ガルドは煙草を口から外し、火のついていないそれを指先で弄びながら壁の図面を見つめた。答えるべきか迷ったのは一瞬だった。もう隠す時間はない。鋼城が来る。


「鋼城の鋳脈接続中枢だ。俺が設計した」


 カイの体が強張るのが視界の端に見えた。振り返らなくても分かるほど空気が変わった。17歳の少年の呼吸が一拍止まり、再開する。


「設計したのは30年前だ。鋳脈者6人の神経系を束ねて、鋼城の知覚を統合する装置。リレー増幅器が6基。それぞれが1人の鋳脈者に繋がっている。外から砲で叩いて壊せる場所にはない。装甲の最も厚い胴体最深部に収められている。だから外からは止められない」


 ガルドは図面の中央を指した。6基のリレー増幅器が放射状に並ぶ配置図の中心に制御卓の記号がある。


「だが中から止めることはできる。安全切断回路を操作すれば、鋳脈者を1人ずつ中枢から外せる。外し方には手順がある。間違えれば鋳脈者の脳が焼ける。正しい手順を踏めば、神経への逆流を防いで安全に接続を断てる。6人全員を外せば、中枢は停止する。鋼城のセンサー網が死に、砲の統合管制が落ちる」


 カイは黙ってガルドの言葉を聞いている。


「その手順を知っているのは、俺だけだ」


 作業場が静かになる。ケストレルの装甲が作業灯の光を受けて鉄紺色の影を二人の足元に落としている。


「鋼城の中に入る」


 ガルドは言う。


「中枢を止める。俺にしかできない」


 カイの視線が真正面からガルドに向いた。暗い灰色の目がガルドの目を見据えている。テオと同じ色の目だった。テオが怒った時に見せたあの真っ直ぐな目だ。


「一人で行くのか」


「一人で行く」


「俺も行く」


「行かない」


 ガルドはカイの言葉を出た瞬間に潰した。潰すしかなかった。カイを鋼城の中に入れるわけにはいかない。


「中枢の操作には最低でも40分かかる。6人を1人ずつ、手順を踏んで切断する。その間、鋼城の護衛部隊が黙っていると思うか。センチネル・ドールが中に入ってくる。護衛の鉄殻が動く。中で俺を守りながら戦える余裕はない。中は狭い。鉄殻が入れる通路は限られている。入ったところを塞がれたら終わりだ」


「だからこそ、一人で行くべきじゃない」


「だからこそ、お前は外にいるんだ」


 ガルドはカイに向き直り、煙草を作業台に置いた。火のついていない煙草が金属の天板の上で転がる。


「外の護衛部隊を引きつけるのがお前の仕事だ。鋼城の周りにいるセンチネル・ドールと護衛の鉄殻を、お前とリオンとボルトと、灰域連合の全員で引き受ける。俺が中に入る隙を作れ。入ったら40分稼げ。それだけでいい」


「40分で足りるのか」


「足りなかったら、足りるまでやる」


 カイの拳が握られているのが見える。外套の袖の下で指が白くなるほど握り込まれている。彼は口を開きかけて閉じた。


「なぜ今まで黙ってた」


「言ってどうする。鋼城が来るまでは、意味のない情報だ。来なければ使う必要のない手順だった」


 それは半分だけ本当だった。もう半分は言えば自分が行くことになると分かっていたからだ。言った瞬間に退路がなくなる。30年間逃げ続けてきた過去と向き合わなければならなくなる。


 だが鋼城は来た。


「30年分の借りを返す」


 声が低くなった。自分でも驚くほど穏やかな声だった。怒りでも悲壮でもない。ただ決まったことを口にする声。


「テオに鋳脈を施した。テオの体を壊した。壊れていくのを見ていて止められなかった。鋼城の中枢を設計した。あの技術で、何人の鋳脈者が消耗品にされたか分からない。全部俺がやったことだ。俺の手で作った仕組みを、俺の手で止める。それだけだ」


 カイが何か言おうとする。口を開き、言葉を探し、閉じてからもう一度開く。


「帰ってこなかったらどうする」


 ガルドは笑ったつもりだったが、口元が歪んだだけかもしれない。


「帰ってくるさ。帰ってこなきゃ、ケストレルの次の定期整備をやる人間がいない」


 煙草を咥えたままそれ以上は言わない。


 * * *


 カイは帰らない。

 作業台の隅に置いた携帯食の包みを開き、固いパンを半分に割って片方をガルドの前に置くと、もう片方を自分の口に運んだ。


 ガルドはパンを手に取った。灰域の小麦で焼いた味の薄い固いパンだった。噛むと顎に響く。歯に押し返される硬さの中にほんの僅かな甘みがある。小麦の甘みだ。ネイサンにはもう感じられない甘み。


 二人は黙ってパンを食べる。


 ガルドの視線が壁の図面に戻った。リレー増幅器の配置図。6人の鋳脈者の接続端子。安全切断回路の操作手順をガルドは壁には書いていなかった。手順は頭の中にある。紙に書けば誰かに渡せるし、渡せば自分以外の人間が行ける。だが手順の中にはリレー増幅器の反応を指先で確認しながら微調整する工程がある。増幅器の振動パターンを掌で読み取り、信号の減衰が十分かどうかを判断する。計器では測れず、設計者の手でなければ分からない。


 ガルドは自分の手を見た。油の染みた指。火傷の痕が残る中指と薬指。爪の間に入り込んだ金属粉。30年間鉄殻を触り続けてきた手だった。テオに鋳脈を施した手であり、ケストレルの装甲を磨いた手であり、カイに工具の持ち方を教えた手だった。握り込むとずしりとした重みの中に生々しい熱が脈打った。


 この手で終わらせる。


 カイがパンを飲み下す音がした。嚥下の音の後に短い沈黙があった。


「ガルド」


「何だ」


「鋼城の中の鋳脈者は、助けられるのか」


 ガルドは手を止める。


 6人の鋳脈者。鋼城の知覚を支えるために接続された人間。ルイの情報では意識があるかどうかも分からない状態だった。長期間の接続で神経が磨耗し、中枢から外した時に感覚がどれだけ残っているか。ネイサンのように味覚を失い視野を失い触覚を失った人間が、さらにその先にある状態だ。


「分からん」


 正直に答える。


「外すことはできる。安全に接続を断つことはできる。だがその後、あの人間たちがまともに動けるかどうかは分からない。何年接続されているかにもよる。脳が焼けていなければ、生きてはいるだろう。だが生きているのと、人間として戻ってこられるのは別だ」


 カイは黙ってガルドの横顔を見ていた。何を考えているか分からなかった。


「俺にできるのは、外すところまでだ。その先は、クレアに任せる」


 カイが頷いた。小さく、だが確かに頷いた。


 ガルドは立ち上がった。寝台の脇に置いてあった酒瓶を取ろうとして止めた。今夜は飲まない方がいい。頭を冴えさせておきたかった。図面の手順をもう一度頭の中で反芻したかった。


 カイも立ち上がる。帰るのだろうと思う。


 だがカイは動かなかった。ガルドの前に立ったまま何かを言いかけて飲み込み、また口を開いた。


「親父も、こうだったのか」


 声が小さい。


「誰にも言わずに、一人で行こうとして」


 ガルドの手が動いた。考えるより先に動いていた。右手がカイの頭に伸びて黒い髪の上に落ちる。乱暴な力で掻き回すように撫でた。整えられていない髪が余計に乱れた。油と金属粉の染みた指が17歳の少年の頭の上にある。


「お前の親父にも、同じことをしたことがある」


 声が掠れる。


「あいつが最後の仕事に行く前の晩だった。工房で飯を食って、黙って立ち上がって、行こうとした。俺はあいつの頭を引っ掴んで、こうやって撫でた。あいつは怒った。34の男の頭を撫でるなって。俺は2つしか年上じゃなかったが、あいつにとっちゃ兄貴みたいなもんだったからな」


 カイは振り払わなかった。ガルドの手の重さを頭の上で受けていた。動かなかった。振り払えなかったのか振り払わなかったのか。どちらでもよかった。


 ガルドの掌にカイの髪の感触があった。テオより少し柔らかい。テオの髪は針金みたいに硬く、戦場の砂埃と汗で固まっていた。カイの髪はまだ若く、まだ柔らかい。


 手を離す。


「帰れ。明日から忙しい」


 カイは何も言わず、振り返って鉄扉に手をかけ作業場を出ていった。扉が閉まる音がして足音が石畳の上を遠ざかっていく。


 ガルドは一人になった。壁の図面が作業灯の下で黙っている。6基のリレー増幅器。安全切断回路。操作手順。頭の中にある全てを明日からの数日で実行に移す。


 煙草を拾い上げ、今度は火をつけた。灰色の煙が天井に向かって昇っていく。煙の向こうにケストレルの鉄紺色の装甲が見えた。あの機体にテオが乗っていた。テオが座っていた椅子に今はカイが座っている。


 テオ。


 声には出さず、口の中で煙と一緒に名前を転がした。


 お前の息子は、お前と同じ目をしてる。お前と同じ顔で怒って、お前と同じ声で反論してきた。俺はまたあの目に負けそうになった。だが今回は違う。お前を送り出した時は止められなかった。今回は俺が行く。


 煙草の灰が落ちた。作業場の床に小さな灰色の点が増える。


 ガルドは煙を吐き出し、図面に向き直る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。