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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
鉄の鳴く夜

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215/218

灰域の旗の下に

 ストーンクロスの集会場に、人が溢れていた。

 旧世界の講堂を再利用した建物だ。壁面には読めない文字が刻まれた配電盤の残骸が並び、天井の照明は半分以上が切れている。生きている灯りだけが、集まった人間たちの顔を斑に照らしていた。


 カイは講堂の奥、壁際に立っていた。

 腕を組んでいる。右手の薬指と小指に、まだ薄い痺れが残っていた。クレアの診療所で処方された神経回復剤を飲み続けているが、完全には戻っていない。冴覚(さいかく)の代償だ。次に使えば、もう少し深いところまで持っていかれる。分かっている。


 講堂の中央にバートンが立っていた。

 55歳の首長は背筋を伸ばし、灰域(アッシュランド)にしては清潔な外套を羽織っている。白髪交じりの黒髪を丁寧に整え、短い顎髭の下の唇が薄く引き結ばれていた。表情は読めない。商談でも政治交渉でもない顔だった。それよりもっと静かで、もっと重い顔だった。


 バートンの前に並んでいるのは、灰域(アッシュランド)連合の全戦力だった。


 ボルトが右側に立っている。大柄な体を革の外套に包み、両腕を胸の前で組んでいる。その後ろにレイダーズの隊員たちが控えていた。フランが壁に背を預けている。左腕を布で吊っていた。肩の弾創はまだ塞がりきっていないが、目は据わっていた。カイはフランの目を知っている。元農民がそういう目をするようになったのは、3年前に残殻(ざんかく)に乗り始めてからだと聞いた。その隣にジップがいた。17歳の最年少。カイと年が近い。顔に新しい擦過傷が赤く残っていて、口元だけが場違いに笑っている。


 左側にトワが立っていた。壁に肩を預け、片足を後ろに引いた姿勢で、興味なさそうに天井を見上げている。だがカイには分かる。トワの目は天井を見ていない。講堂の出入り口を視界の端で押さえている。29年間、戦場で生き延びてきた人間の癖だ。


 マイロが長机の前に座り、灰域(アッシュランド)の地図を広げていた。丸い眼鏡の奥の細い目が、地図の上を行き来している。手元に鉛筆が3本。書き込みの跡が地図の上に蜘蛛の巣のように走っていた。鋼城(こうじょう)の予想進軍路。各集落の人口。使用可能な残殻(ざんかく)の数。弾薬の在庫。全てが数字で書き込まれている。数字の横に、マイロの癖である小さな注釈が並んでいた。


 講堂の扉が開いた。

 冷たい外気が流れ込み、灯りが揺れた。


 コンラッドだった。

 小柄な男が、防寒着の襟を立てたまま講堂に入ってきた。左膝を僅かに引きずっている。旧傷だ。その後ろに、3人の男が続いた。アイアンウェルの輸送隊だった。背中に鉄板を束ねた荷を背負い、両手に木箱を抱えている。


「遅くなった」


 コンラッドの声は低く、疲れていた。穏やかな丸顔に、普段より深い皺が刻まれている。


「アイアンウェルの残りだ。鉄材が620キロ。弾芯用の硬化鋼が180キロ。装甲板の予備が4枚。これが最後だ。坑道の奥はもう掘り尽くした」


 輸送隊の男たちが木箱を床に降ろした。鈍い音が講堂に響いた。620キロの鉄。灰域(アッシュランド)にとっては、それだけの重さが生死を分ける。


 バートンが頷いた。


「ありがとう、コンラッド」

「礼はいい。これで負けたら、礼も何もない」


 コンラッドは右手の結婚指輪を無意識に回しながら、マイロの地図の前に座った。穏やかな目が地図の上の数字を読み取り、一瞬だけ細くなった。数字の意味を理解した顔だった。


  * * *


 ボルトが一歩前に出た。


「戦力確認だ」


 太い声が講堂に響いた。ボルトの声には装飾がない。必要なことを、必要な音量で言う。それだけだ。


「レイダーズ。稼働機4。俺のハウラー、マイロのリレイ、フランとジップの残殻(ざんかく)。ディノの機体は動力炉がやられてる。部品取りに回した」


 ボルトの視線がフランに向いた。


「フラン。左腕は」

「撃てます」


 フランの声は短かった。左腕を吊った布の下で、指が動いているのが見えた。操縦桿を握る動作だ。肩は動かないが、指は動く。残殻(ざんかく)の射撃は指で行う。


「ジップ」

「機体の右腕が肘から先がないっす。でも、左腕と脚は動きます。速射砲も左側は生きてます」


 ジップが笑った。片腕の残殻(ざんかく)に乗る17歳が、笑っている。カイはその笑みの中に、恐怖が混じっていないことに気づいた。恐怖がないのではない。恐怖の上に別の何かが乗っている。ジップはそれを言語化できないだろう。だがカイには分かった。自分も同じものを持っているからだ。ここで退いたら、次はもうないという直感。


「ストーンクロス防衛隊の残殻(ざんかく)が6機。うち完全稼働は4。残り2機は脚部に問題があるが、固定陣地なら使える」


 マイロが眼鏡を押し上げながら、地図の上に数字を書き加えた。


「トワの機体を含めて11機。銘殻(めいかく)はケストレルとポラリスの2機。合計13機」


 13機。

 鋼城(こうじょう)モノリスの護衛部隊は、それだけで20機を超えると聞いている。


 マイロが続けた。


「弾薬は各機平均で速射砲120発分。予備弾薬は今コンラッドが持ってきた硬化鋼で追加生産できるが、せいぜい全機に30発ずつ。燃料はストーンクロスの備蓄が残り40時間分。長期戦は不可能です」


 数字が並んでいく。全ての数字が足りないことを示していた。機体が足りない。弾が足りない。燃料が足りない。人も足りない。


 バートンは黙って聞いていた。

 全ての報告が終わるまで、一言も挟まなかった。


  * * *


 沈黙が落ちた。

 講堂の灯りが微かに明滅した。電力供給が不安定なのだ。ストーンクロスの発電設備は旧世界の残骸を修理したもので、負荷がかかると電圧が揺れる。


 バートンが口を開いた。


「数字は聞いた」


 静かな声だった。声量は大きくない。だが講堂の隅まで届いた。55年を生きた男の声だった。クレスタの管区長を務め、それを捨てて灰域(アッシュランド)に出た男の声だった。


「足りないものだらけだ。機体も弾も燃料も。我々には何もない。国もない。軍もない。旗もない。名前すらない」


 バートンの目が、講堂の人間を一人ずつ見た。ボルトを。マイロを。フランを。ジップを。トワを。コンラッドを。壁際のカイを。その隣に立つリオンを。


「だが、ここが我々の土地だ」


 声は変わらなかった。高ぶりもしなければ、震えもしなかった。ただ事実を述べるように言った。


「30年前に統治機構体(とうちきこうたい)が見捨てた土地だ。灰に埋もれ、鉄が朽ち、水が涸れた土地だ。誰も欲しがらなかった土地だ。だが我々はここで生きてきた。ここで飯を食い、ここで子を育て、ここで死んだ仲間を埋めた。この土地は我々のものだ。奪われてたまるか」


 フランの目が据わったまま、バートンを見ていた。ジップの笑みが消えて、唇が引き結ばれていた。コンラッドの指が結婚指輪の上で止まっていた。


 ボルトが笑った。

 低い、腹の底から出る笑いだった。


「寄せ集めの連合軍か」


 両腕を組んだまま、ボルトの口元が歪んだ。歪み方は粗野だったが、目は笑っていなかった。笑っていない目の奥に、灰域(アッシュランド)で30年を生き延びた傭兵の覚悟が座っていた。


「だが、俺たちは最初から寄せ集めだ」


 誰も反論しなかった。


 マイロが眼鏡の奥で目を細めた。トワが天井から視線を下ろし、初めてまっすぐ前を見た。コンラッドが小さく息を吐いた。白い息が講堂の冷たい空気に溶けて消えた。


 リオンがカイの隣にいた。

 防寒外套の下で、腕を体の横に下ろしている。表情は動かない。セルヴィスの軍人として訓練された顔だ。だがカイは気づいていた。リオンの右手の指先が微かに握られていること。外套の布地を掴むように、指が動いていること。


 カイは講堂の中を見渡した。


 灰域(アッシュランド)の傭兵がいた。ボルトの下で戦ってきた男たち。フランの吊られた左腕。ジップの擦過傷。ディノの機体から取り外された部品が、格納庫のどこかで別の残殻(ざんかく)の一部になっている。


 元セルヴィスの士官がいた。リオン・アスフォード。かつて敵だった女が、今はカイの隣に立っている。ポラリスの穿月銃を灰域(アッシュランド)のために撃つ日が来るとは、半年前の彼女は想像もしなかっただろう。


 マイロの地図の上に、クレスタの情報屋ルイ・ヴェルデが送ってきた鋼城(こうじょう)の解析資料が重なっていた。鋼城(こうじょう)の装甲構成、動力配置、護衛部隊の編成。金で動く情報屋が、この資料だけは対価を求めなかった。


 講堂の隅の木箱の中に、ラストヘイムのクレアが用意した医療品が詰まっていた。消毒液、止血帯、鎮痛剤、神経回復剤。灰域(アッシュランド)の辺境集落の医師が、手持ちの全てを送り出した。


 寄せ集めだった。

 国を持たない傭兵と、国を捨てた士官と、国に見放された集落の長たちの寄せ集め。統一された旗はない。共通の軍服もない。指揮系統は即席で、通信設備はタリアが廃材で組んだ中継網に頼り、弾薬は旧世界の坑道から掘り出した鉄から鋳造する。


 だが、一つの目的で繋がっている。


 灰域(アッシュランド)を守る。


 それだけだった。それだけが、この講堂にいる全員を繋いでいた。言葉にすれば単純で、実現するには全てが足りない。だが足りないことは今に始まったことではなかった。灰域(アッシュランド)は30年間、足りないまま生きてきた。


 カイは壁から背を離した。

 右手を開いた。薬指と小指に残る痺れが、指先を冷たくしている。この手でケストレルの操縦桿を握る。片腕の残殻(ざんかく)に乗るジップと同じだ。足りないまま、あるもので戦う。


 バートンの目がカイを捉えた。

 一瞬だけだった。首長の読めない目が、カイの顔を見て、視線を外した。何かを確認するような目だった。カイがここにいること。カイがまだ立っていること。それだけを確認して、次の人間に目を移した。


 ボルトが腕組みを解いた。


「よし。やることは決まった。マイロ、配置の詳細を詰めるぞ」

「はい。各機の燃料配分から始めましょう」


 マイロの鉛筆が地図の上を走り始めた。数字が書き込まれていく。足りない数字が。それでも書かなければ、戦えない。


 講堂に動きが戻った。人が動き始め、声が交わされ、木箱が運ばれ、地図の上で指が動いた。寄せ集めの連合軍が、戦争の準備を始めた。


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