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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
鉄の鳴く夜

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鋼の産声

 通信機が鳴った。

 夜明け前だった。ストーンクロスの格納区画は薄暗く、天井の照明灯が半分だけ点いている。カイはケストレルの足元で仮眠を取っていた。防寒外套を体に巻きつけて、機体の右脚に背を預けて座っていた。毛布も寝台もない。鉄殻(てっかく)の脚部装甲の冷たさが背中に染みていたが、それでも格納区画の中は風が来ない分だけましだった。


 通信機が2度目に鳴った。

 振動の間隔が短い。定時連絡ではない。カイは目を開けた。まだ暗い。格納区画の入口から差し込む光は灰色で、外の空がまだ夜と朝の境にあることを示していた。


 通信機を取り出した。周波数を確認した。タリアの通信網ではない。クレスタの中継帯域だ。この周波数を使う人間は限られている。


「カイ・セヴァル。起きてる?」


 ルイ・ヴェルデの声だった。

 ノイズが多い。距離がある。クレスタの中継塔を2つ以上経由している音の質だ。だが声は明瞭だった。ルイの声にはいつも、聞き手の耳に滑り込む独特の切れがある。穏やかなのに鋭い。


「起きた」

「よかった。時間がないから単刀直入に言う」


 ルイの声から軽さが消えた。

 この女が前置きを省く時は、情報の鮮度に猶予がない時だ。カイは通信機を耳に押し当てた。


鋼城(こうじょう)が動いた」


 空気が変わった。

 カイの背中に触れていたケストレルの脚部装甲が、急に硬くなった気がした。硬さは変わっていない。変わったのはカイの体の方だ。背筋が伸び、腹筋が固まり、指先に力が入った。


「建造が完了した。グランヴェルトのヴェルクシュタット北方の工廠から、3日前に出発している。進路は南東。灰域(アッシュランド)に向かってる」


 カイは何も言わなかった。言葉が出なかった。鋼城(こうじょう)という単語は何度も聞いてきた。ガルドから、バートンから、ルイから。設計データの断片も見た。だが「動いた」という言葉は、それら全てを別の重さに変えた。


「全長は120メートル超。私の情報源が確認した範囲ではね。脚部は6本。移動速度は不明だけど、地表を踏んで歩いてるのは確か。通過した地点の振動がセンサーに拾われてる。グランヴェルトの管区民が、地震だと思って通報した記録がある」


 120メートル超。

 ガルドが語った数字とは違う。ガルドは3キロを超えると言っていた。だがルイの情報源が把握できた範囲がそれだということだ。鋼城(こうじょう)の全容は、外部からの観測だけでは掴みきれない。


「護衛部隊は」

「シンダー。ゼルマ・ヴォルフの部隊が鋼城(こうじょう)に随伴してる。アルベルト・ヴァイスのミラージュも確認されてる。それからドール。センチネル・ドールが鋼城(こうじょう)の周囲に密集配備されてる。数は不明。だけど、鋼城(こうじょう)がドールの生産施設を内蔵してるなら、数を数えることに意味はない」


 生産施設の内蔵。ガルドが言っていた。鋼城(こうじょう)は歩きながらドールを作り続ける。戦えば戦うほど、敵の数が増える。


「なぜ今なんだ」


 カイは聞いた。声が低かった。自分の声が自分のものではないように聞こえた。


「あなたたちが勝ったから」


 ルイの声に、ほんの僅かな苦味が混じった。


灰域(アッシュランド)連合がリーヴ・シェイドを退けた。コルヴァスが撤退した。シンダーも一時的に灰域(アッシュランド)から後退した。セルヴィスもグランヴェルトの先遣部隊も、灰域(アッシュランド)を制圧できなかった。この結果を見て、グランヴェルトの理事会が判断を変えた。通常戦力での灰域(アッシュランド)平定を断念して、鋼城(こうじょう)の直接投入を決断した」


 勝ったから、より大きな力が来る。

 勝利が罰のように返ってくる。


「ヴィルヘルム・ブラントが鋼城(こうじょう)の司令塔から指揮を執ってる。彼は鋼城(こうじょう)から降りない。灰域(アッシュランド)が更地になるまで」


 更地。

 その単語がカイの頭の中で反響した。ラストヘイムの通りを。ストーンクロスの石壁を。アイアンウェルの精錬炉を。全てを潰して、踏み均して、灰にする。鋼城(こうじょう)はそのために作られた。


「ルイ。ヴィルヘルムの声は聞いたか」

「いいえ。鋼城(こうじょう)の通信は完全に暗号化されてる。ヴィルヘルムの声は傍受できない。鋼城(こうじょう)の内部に関する情報は、外からはほとんど取れない」


 ヴィルヘルムの顔が浮かばなかった。カイはヴィルヘルム・ブラントに会ったことがない。声も聞いたことがない。灰域(アッシュランド)を焼き尽くそうとしている男の顔を、カイは知らない。顔のない敵が、3日前から灰域(アッシュランド)に向かって歩いている。


「お代の請求は後にする。生きて帰りなさい」


 通信が切れた。


  * * *


 カイがバートンの元に着いた時、バートンは既に起きていた。

 ストーンクロスの中央棟。石壁に囲まれた会議室に、作戦地図が広げられている。バートンは地図の前に立っていた。白髪交じりの髪を撫でつける暇もなかったのか、右のこめかみの辺りが乱れている。カイが入ってきた時、バートンの目が動いた。


 リオンがカイの後ろにいた。カイが格納区画を出た時から、無言でついてきていた。


「ルイから聞いたか」


 カイは言った。


「ああ。さっき別回線で入った」


 バートンの声は低かった。いつもの老獪な抑揚がない。クレスタの管区長だった男が、言葉の表面を磨く余裕を失っている。


鋼城(こうじょう)が来る」


 バートンは地図を見たまま言った。右手が地図の上にあった。小指のない右手が、灰域(アッシュランド)の東端を示す線の上に置かれていた。


「コルヴァスを退けたことで、我々は自分の首を絞めた。通常戦力で灰域(アッシュランド)を潰せないと判明した以上、グランヴェルトには鋼城(こうじょう)を投入する大義名分ができた。理事会の中で鋼城(こうじょう)投入に反対していた交易拡大派も、コルヴァスの敗北で口を閉じた」


 バートンの顔は蒼白だった。

 照明灯の光が顔の皺を深く見せていたが、それだけではない。血の気が引いている。55歳の政治家の顔が、恐怖を隠しきれずにいた。


鋼城(こうじょう)を止めなければ、灰域(アッシュランド)は終わる」


 声が震えなかったのは、バートンの矜持だった。だが声の底にある重さは隠せなかった。15年かけて築いた灰域(アッシュランド)の集落連合が、一つの兵器によって消し飛ぶ。その可能性を、バートンは数字と政治の知識で正確に理解していた。


 扉が開いた。

 マイロが入ってきた。手にメモ帳と鉛筆を持っている。いつもの穏やかな表情はなく、目の下に隈があった。眠っていない。ルイからの通信を受けて、すぐに動いていたのだろう。


「進軍路の予測を出した」


 マイロは地図の前に立ち、鉛筆を走らせた。グランヴェルトの北方工廠から南東へ伸びる線が、灰域(アッシュランド)の西端を掠めて東へ向かう。


鋼城(こうじょう)の移動速度は不明だが、地表踏破型の多脚なら時速15キロが上限だろう。管区の舗装路ならもう少し出る。灰域(アッシュランド)に入れば凍結平原と瓦礫地帯だ。速度は落ちる」


 鉛筆が灰域(アッシュランド)の地図の上に線を引いた。ストーンクロスの北西から東へ向かう弧。


「最短ルートならストーンクロスまで8日から10日。だが鋼城(こうじょう)が直線で来るとは限らない。周辺の集落を潰しながら進む可能性がある。その場合は遅くなるが、我々の後方が先に消える」


 バートンが地図を見つめていた。小指のない右手が、地図の端を握っていた。指が白くなるほど強く。


 リオンがカイの隣に立っていた。腕を組み、地図を見ている。表情は動かなかった。だがカイには分かった。リオンの呼吸が浅い。セルヴィスの軍人として鋼城(こうじょう)の存在は知っていたはずだ。だが「動いた」という事実は、知識とは別の重さを持っている。


 マイロの鉛筆が止まった。予想進軍路の線が、ストーンクロスの上で終わっている。


「ここが最終防衛線になる。ストーンクロスを抜かれたら、灰域(アッシュランド)の組織的抵抗は終わりだ」


 沈黙が落ちた。

 石壁に囲まれた会議室に、4人の呼吸だけが聞こえた。


 カイは地図を見ていた。鉛筆で引かれた線を。灰域(アッシュランド)の集落を示す小さな印を。ラストヘイムは地図の西端にあった。ストーンクロスから300キロ。鋼城(こうじょう)がストーンクロスを越えれば、次はラストヘイムだ。タリアがいる。リックがいる。ゲオルグがいる。200人の住民がいる。


 体が動いた。

 カイは会議室を出た。誰も引き留めなかった。リオンの視線が背中に触れた気がしたが、振り返らなかった。


 格納区画に戻った。

 ケストレルが立っていた。薄暗い格納区画の中で、全高10メートルの銘殻(めいかく)が天井近くまで頭部を伸ばしている。装甲は傷だらけだった。リーヴとの戦闘で受けた損傷の修復は終わっていたが、古い傷跡は残っている。右肩の装甲板に走る亀裂の補修痕。左脛の増加装甲の溶接跡。父の機体を受け継いでから、一度も消えたことのない傷。


 コックピットのハッチを開けた。

 操縦席に座った。シートの硬さが背中に馴染んだ。操縦桿に手を伸ばした。冷たい金属が掌に触れた。握った。


 計器盤の電源は入れていない。暗いコックピットの中で、カイは操縦桿を握ったまま、正面の装甲板の裏側を見つめていた。何も見えない。外の景色も、地図の線も、バートンの蒼白な顔も見えない。ただ、暗闇と操縦桿の感触だけがあった。


 鋼城(こうじょう)を止める。


 どうやってかは分からない。全長が120メートルなのか3キロなのかすら分からない。護衛にシンダーがいて、ドールが湧き出て、ヴィルヘルムが司令塔にいる。ケストレル1機で何ができる。残殻(ざんかく)銘殻(めいかく)の寄せ集めで、何ができる。


 分からない。


 でも、止める。


 操縦桿を握る指に力が入った。父がこの操縦桿を握っていた。ガルドがこの機体を組み上げた。タリアが通信を繋いでくれている。リオンが隣にいる。ボルトが後ろにいる。バートンが言葉を尽くしている。マイロが線を引いている。


 一人ではない。

 だが一人でも、止める。


 操縦桿の冷たさが、少しずつ掌の温度に馴染んでいった。


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