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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
鉄の鳴く夜

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208/270

鋳脈の刻印

走る。

 建造物の残骸を飛び出し、凍結平原の開けた地面をケストレルが駆ける。左脚の関節が悲鳴を上げ、膝のアクチュエータは正常出力の6割まで落ちている。踏切のたびに機体が右に流れるのを操縦桿で補正し、そのたびに0.1秒を失う。

 構わない。

 カイは操縦桿を左に倒し、ケストレルをソルスティスの左側面へ向けて走らせる。


 遊肢が反応する。東と北東の2基がケストレルの進路を追い、射線を再構築しようとしている。西と南西の2基はソルスティスの左側に展開している。左側の管轄であり、リーヴの左手が操る領域だ。

 カイは遊肢の配置を計器で読み取りながら呼吸を一つ止める。

 西と南西の遊肢の間隔は42メートル。2基の遊肢が形成する弾幕の交差範囲には射角の死角がある。2基が同時にケストレルを捉えられない角度が弧の中に1カ所だけ存在する。


 そこだ。

 裂け目。


 FALTERを噴かす。背部スラスターが炎を吐いてケストレルが斜め左前方に跳ぶ。凍結した地面を蹴る衝撃が左脚の関節を貫き、計器が構造体限界の警告を赤く点滅させる。左膝の内部で金属の破断音が響く。アクチュエータの歯車が1枚砕けた感触が足裏のペダルに伝わる。

 左脚が死にかけている。

 だがケストレルは跳んだ。右脚の踏切とFALTERの推力で壊れかけた左脚の分を補って余りある加速を叩き出す。


 西の遊肢が20ミリの連射を放つ。

 遅い。

 0.3秒。カイの予測通りの遅延だ。弾道がケストレルの右側を流れる。遅い。読んだ通りだ。リーヴの左手が撃つべき一拍を取りこぼしている。

 南西の遊肢が軌道を変え、ケストレルの進路に割り込んで射線を塞ごうとする。だがその軌道修正にも同じ遅れが乗る。リーヴの左手が操縦桿の入力角度を触覚で確認できないまま指令を送り、遊肢は意図した軌道から外側へ1.5メートル膨らんだ。

 修正に0.2秒。


 その0.2秒でカイは裂け目を抜ける。

 西と南西の遊肢が成す弾幕の交差範囲を突き破り、ケストレルがソルスティスの左斜め前方に躍り出る。


 距離120。


 * * *


 ソルスティスの赤い単眼がケストレルを捉える。

 リーヴが動く。遊肢の包囲が破られた瞬間に本体の戦闘へ切り替える判断は一瞬だ。ソルスティスの両手が腰部に伸びて2本の刀を引き抜く。

 双牙刀。

 左右1対の2.8メートルの短剣が凍結平原の灰色の光を受けて鈍く光る。リーヴの双刃白兵戦。遊肢による遠距離殲滅が破られた時のもう一つの顔だ。


 カイは右手でFALKEを腰部ハードポイントに戻して鍛翼刀の柄を掴んだ。右腕の変形した装甲が肘に引っかかり抜刀に0.2秒余計にかかる。3.8メートルの片刃実体剣が鞘から滑り出して凍結した空気を裂く。柄の振動機構が起動し刀身全体が微細に震え始める。

 FALKE残弾34。温存する。ここから先は刀だけで十分だ。


 ソルスティスが踏み込んだ。

 10.8メートルの漆黒の巨躯が想像を超える速度で距離を詰めてくる。逆関節の脚はケストレルと同じ構造でありながら出力は倍以上だ。一歩の踏切で30メートルを喰い3歩で距離120が30に縮まる。


 右の双牙刀が上段から振り下ろされる。

 速い。

 カイは鍛翼刀を斜めに構えて刃を受ける。金属の衝突音が凍結平原に轟く。衝撃が右腕の関節を駆け上り肩のマウントが軋んだ。ケストレルの右腕が押し込まれる。重い。ソルスティスの出力がケストレルを上回っている。

 だが受ける。

 片刃の鍛翼刀が双牙刀の刃を滑らせて衝撃を斜めに逃がす。金属の擦れる音が耳を劈き、火花が散って凍結した空気の中で一瞬だけ橙色の光が咲いた。


 左の双牙刀が横薙ぎに来る。

 受けたばかりの右腕では間に合わない。カイは後ろに跳んだ。FALTERの残燃料を削りながらケストレルの胴体を刃の軌跡から引き剥がす。刀身の先端がケストレルの胸部装甲を掠め薄い金属の切削音がした。浅い。装甲表面を削っただけだ。

 着地。左脚が衝撃に耐えきれず膝が折れかけ、機体が前のめりに傾いた。


 ソルスティスが追ってくる。

 間を置かない。リーヴの本体戦闘は遊肢とは別の種類の圧力だ。連撃。双牙刀の2本が交互に振るわれ、右上段、左横薙ぎ、右突き、左斬り上げと休むことなく斬撃が連なる。1本を受け流す間にもう1本が来る。防御が追いつかない。

 単体の切断力では鍛翼刀が上回るが、連撃速度が違いすぎる。鍛翼刀の1振りに対して双牙刀は3振りを返す。


 右の斬り下ろしを弾き左の横薙ぎを後退で躱す。逸らした突きの余韻が消えないうちにもう左が来る。


 斬り上げ。


 避けきれなかった。

 双牙刀の刃がケストレルの左脇腹を斬る。装甲が裂けて内部フレームが冷気に晒される。操縦席が鳴り、左胴部の表示が黄から赤へ。操縦席に振動が走り、計器の装甲表示が切り替わる。


 * * *


 遊肢が戻ってくる。

 距離120の白兵戦に入った瞬間、遊肢は射撃を止める。この距離ではソルスティスの本体にも弾が当たる。味方撃ちを避けるため4基の遊肢は射撃を止め上空で旋回するだけだ。

 だが完全に無力ではない。遊肢はケストレルの退路を塞いでいる。後退すれば遊肢の射程に戻るため、前に出てソルスティスとの白兵戦の中に留まるしかない。


 カイはそれを承知で突入する。

 遊肢の精密操作が効かない距離。それがこの距離の意味だ。


 ソルスティスの右の双牙刀が突いてくる。

 カイは鍛翼刀を右に振って刃同士をぶつけた。火花。衝撃。金属の悲鳴。弾いた勢いで鍛翼刀の切先をソルスティスの左肩に向けて跳ね上げる。

 リーヴが左の双牙刀で受けた。

 ここだ。

 左手の受け。カイは鍛翼刀を押し込んだ。全出力を右腕に注ぐとケストレルの腕部アクチュエータが唸りを上げる。双牙刀の刃を押し返しソルスティスの左腕のガードを崩しにかかる。

 リーヴの左手が操縦桿を握り直した。冴覚がそれを捉えた。指先が滑っている。フィードバックが返ってこない左手が力加減を測れないまま操縦桿を動かしている。

 ソルスティスの左腕の反力が揺らいだ。

 一瞬。0.2秒。鍛翼刀を押し込む力に対し左の双牙刀の抵抗が弱まる。


 カイは鍛翼刀を引く。

 押し込むと見せて引く。ソルスティスの左腕がガードに出力を割いた分だけ引いた瞬間に姿勢が前に崩れる。リーヴはすぐに修正した。修正は速い。右手が右の双牙刀を振って体勢を立て直す。

 だが左手が遅れた。

 0.3秒。右手の修正に左手が追いつかない。右腕は既に次の攻撃態勢に入っているのに左腕がまだガードの位置に戻りきっていない。左の双牙刀が体の外側に開いたまま0.3秒の空白が生まれた。


 そこを斬った。

 鍛翼刀がソルスティスの左腕の肘関節を捉える。振動機構が全開で回り高周波の切削力が装甲を噛んだ。金属が裂ける音。低く鈍い引き千切るような音。ソルスティスの左前腕に集中していた装甲が関節部の隙間から斬り込まれた鍛翼刀の刃で割れた。

 浅い。

 切断には至らなかった。装甲を斬り割いただけだ。だが左肘関節の装甲が剥がれて内部のアクチュエータが露出した。次にここを斬れば腕が落ちる。


 * * *


 リーヴが後退した。

 ソルスティスが2歩下がって間合いを取る。距離40。白兵戦の間合いの外縁だ。双牙刀を構え直し左の双牙刀を体の前に寄せた。左肘の損傷を庇うように左腕の動きが変わった。大振りの斬撃を避け短い突きと受けに限定した運用だ。

 防御的な構えだった。リーヴが守りに入った。


 カイは追った。

 待てない。ここで間合いを切れば遊肢の射程に戻る。リーヴに体勢を立て直す時間を与えれば包囲が再構築される。追い続けるしかない。


 ケストレルが踏み込んだ。左脚が軋み、膝の歯車がもう1枚砕けた感触がペダルに伝わる。出力が4割まで落ちている。歩行にすら支障が出始めている。

 右脚で踏切り距離40を一歩で詰めた。鍛翼刀を右下段から振り上げる。

 ソルスティスの右の双牙刀が迎撃に来た。上段からの振り下ろし。鍛翼刀と双牙刀がぶつかって火花が散る。

 同時にカイは左前腕のWESPEを撃った。30ミリを3発。至近距離からソルスティスの左脇腹に向けて。

 WESPE残弾151。

 リーヴは右に躱した。2発が外れ1発がソルスティスの左腰部装甲を叩いた。装甲が凹んだが貫通はしていない。

 だが目的は当てることではなく、ソルスティスを右に動かすことだった。右に躱せば左腕が開く。左肘の露出した関節部が一瞬だけガードの外に出る。


 カイは鍛翼刀を振り下ろした。

 全力。

 ケストレルの右腕が持つ全出力を刃に乗せた一撃がソルスティスの左肘関節に叩き込まれる。振動機構が金切り声を上げ、高周波の刃がアクチュエータを噛み、歯車を割り配線を断ち骨格フレームに到達した。

 金属が断裂する音は想像していたよりずっと静かだ。


 ソルスティスの左腕が落ちた。

 肘から先が切断され左の双牙刀を握ったまま凍結した地面に落下する。3.2トンの金属の塊が白い地面を割り破片と氷の粉が舞い上がった。


 * * *


 遊肢が止まった。

 上空を旋回していた4基の遊肢が一斉に動きを止めた。停止ではない。推進ノズルは噴いているが軌道の修正が止まった。散開パターンが崩れ4基がばらばらの高度で静止した。

 操手が揺らいでいる。腕を1本もがれて平気でいられる人間はいない——それが機体の腕でも。


 操縦桿を握り込むカイの指の関節が熱く軋んだ。この一拍の静寂だけで事足りる。


 ケストレルが踏み込んだ。

 鍛翼刀を右腰に引いて突きの構えを取る。ソルスティスの胸部装甲の下、腰部の左側面。そこに動力機関のインテーク・ハウジングがある。銘殻の心臓に等しい駆動機関の冷却用吸気口。装甲で覆われているが左腕が失われた今、その装甲のボルト締結部が露出している。左腕の基部装甲が兼ねていた構造的な覆いが腕とともに消えた。


 リーヴが右の双牙刀を振った。

 片腕の迎撃。速い。リーヴの右手は健在だ。右手だけの双牙刀が弧を描きケストレルの突きを弾こうとする。

 カイは突きのフェイントを入れた。刺突の軌道を微かに上にずらして双牙刀の迎撃を誘う。リーヴの右手が反応し双牙刀が上方に振られた。

 その下を潜った。

 鍛翼刀の切先がソルスティスの腰部左側面に突き立つ。吸気口の装甲板を貫通して刃が内部に沈んだ。振動機構が最後の力で回り内部構造を切り裂く。冷却パイプが断裂し駆動機関のシリンダーブロックに刃が食い込んだ。

 金属と油の焼ける匂いが外部センサーを通じてかすかに検知された。


 ソルスティスの機関が停止した。

 最初に回転数が落ちた。10.8メートルの漆黒の巨躯を駆動していた機関の重低音がみるみる音程を下げていく。振動が減衰して関節に出力を供給していた油圧が抜けていく。ソルスティスの右腕が力を失い双牙刀がだらりと下がった。赤い単眼の光が明滅する。バッテリーに切り替わった微弱な電力が最後の光を灯している。

 脚部の出力が消えた。


 ソルスティスが膝をつく。

 逆関節の脚が折れ10.8メートルの機体が凍結平原に崩れ落ちた。膝が白い地面にめり込み氷の破片が放射状に飛び散る。腰部から鍛翼刀が突き出したままソルスティスは片膝をついた姿勢で停止した。駆動機関の残響が低い唸りとなって数秒だけ続き、やがてそれも消えた。


 静寂が戻った。

 凍結平原に風の音だけが残る。ケストレルのエンジンが喘ぐように回り続けている。左脚は出力3割。右腕の装甲は変形したまま。燃料44パーセント。鍛翼刀はソルスティスの腰部に刺さったままだ。


 通信機が鳴った。

 オープン回線の接続音。ソルスティスのバッテリー電力で通信機だけが生きている。リーヴの回線が開いた。

 カイは操縦席の中で荒い呼吸を繰り返しながら通信機の音を聞いた。


 声は出なかった。

 リーヴの通信は開いたまま何も伝えない。呼吸音すら聞こえない。回線だけが繋がり沈黙が流れた。通信機の小さなランプだけが緑色に点灯し接続を示している。


 カイは操縦桿から手を離す。

 指が震えていた。汗で濡れた掌が操縦桿のグリップに貼りついている。こめかみの奥で圧迫感が脈打ち、鼻の奥に鉄の味がした。


 リーヴの通信は開いたまま声を発さない。

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