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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
鉄の鳴く夜

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208/218

鋳脈の刻印

 走った。

 建造物の残骸を飛び出し、凍結平原の開けた地面をケストレルが駆ける。左脚の関節が悲鳴を上げている。膝のアクチュエータが正常出力の6割まで落ちていた。踏切のたびに機体が右に流れ、それを操縦桿で補正する。補正のたびに0.1秒を失う。

 構わない。

 カイは操縦桿を左に倒し、ケストレルをソルスティスの左側面に向けて走らせた。


 遊肢(ゆうし)が反応した。東と北東の2基がケストレルの進路を追い、射線を再構築しようとしている。西と南西の2基はソルスティスの左側に展開している。左側の管轄。リーヴの左手が操る領域。

 カイは遊肢(ゆうし)の配置を計器で読み取りながら、呼吸を一つ、止めた。

 西の遊肢(ゆうし)と南西の遊肢(ゆうし)の間隔。42メートル。2基の遊肢(ゆうし)が形成する弾幕の交差範囲には、射角の死角がある。2基が同時にケストレルを捉えられない角度が、弧の中に1カ所だけ存在する。


 そこだ。

 裂け目。


 FALTERを噴かした。背部スラスターが炎を吐き、ケストレルが斜め左前方に跳んだ。凍結した地面を蹴る衝撃が左脚の関節を貫き、計器が構造体限界の警告を赤く点滅させた。左膝の内部で何かが割れる音がした。金属の破断音。アクチュエータの歯車が1枚、砕けた感触が足裏のペダルに伝わった。

 左脚が死にかけている。

 だがケストレルは跳んだ。右脚の踏切とFALTERの推力で、壊れかけた左脚の分を補って余りある加速を叩き出す。


 西の遊肢(ゆうし)が撃った。20ミリの連射。

 遅い。

 0.3秒。カイが予測した通りの遅延。リーヴの左手がフィードバック不全を起こし、遊肢(ゆうし)への射撃指令が鈍った。弾道がケストレルの右側を通過した。2メートル外れている。

 南西の遊肢(ゆうし)が軌道を変えようとした。ケストレルの進路に割り込み、射線を塞ごうとする。だがその軌道修正にも同じ遅れが乗った。リーヴの左手が操縦桿の入力角度を触覚で確認できないまま指令を送り、遊肢(ゆうし)が意図した軌道から外側に1.5メートル膨らんだ。

 修正に0.2秒。


 その0.2秒で、カイは裂け目を抜けた。

 西と南西の遊肢(ゆうし)の弾幕交差範囲を突き破り、ケストレルがソルスティスの左斜め前方に躍り出た。


 距離120。


 * * *


 ソルスティスの赤い単眼が、ケストレルを捉えた。

 リーヴが動いた。遊肢(ゆうし)の包囲が破られた瞬間、本体の戦闘に切り替える判断は一瞬だった。ソルスティスの両手が腰部に伸び、2本の刀を引き抜いた。

 双牙刀。

 左右一対の2.8メートルの短剣が、凍結平原の灰色の光を受けて鈍く光った。リーヴの二刀白兵戦。遊肢(ゆうし)による遠距離殲滅が破られた時の、もう一つの顔。


 カイは右手でFALKEを腰部ハードポイントに戻し、鍛翼刀の柄を掴んだ。右腕の変形した装甲が肘に引っかかり、抜刀に0.2秒余計にかかった。3.8メートルの片刃実体剣が鞘から滑り出し、凍結した空気を裂いた。柄の振動機構が起動し、刀身全体が微細に震え始める。

 FALKE残弾34。温存する。ここから先は刀だけで十分だ。


 ソルスティスが踏み込んだ。

 10.8メートルの漆黒の巨躯が、想像を超える速度で距離を詰めてくる。逆関節の脚がケストレルと同じ構造でありながら、出力は倍以上。一歩の踏切で30メートルを喰い、3歩で距離120が距離30に縮まった。


 右の双牙刀が上段から振り下ろされた。

 速い。

 カイは鍛翼刀を斜めに構え、刃を受けた。金属の衝突音が凍結平原に轟いた。衝撃が右腕の関節を駆け上り、肩のマウントが軋んだ。ケストレルの右腕が押し込まれる。重い。ソルスティスの出力がケストレルを上回っている。

 だが受けた。

 片刃の鍛翼刀が双牙刀の刃を滑らせ、衝撃を斜めに逃がした。金属の擦れる音が耳を劈いた。火花が散り、凍結した空気の中で一瞬だけ橙色の光が咲いた。


 左の双牙刀が横薙ぎに来た。

 受けたばかりの右腕では間に合わない。カイは後ろに跳んだ。FALTERの残燃料を削りながら、ケストレルの胴体を刃の軌跡から引き剥がす。刀身の先端がケストレルの胸部装甲を掠め、薄い金属の切削音がした。浅い。装甲表面を削っただけだ。

 着地。左脚が着地の衝撃に耐えきれず、膝が折れかけた。機体が前のめりに傾いた。


 ソルスティスが追った。

 間を置かない。リーヴの本体戦闘は遊肢(ゆうし)とは別の種類の圧力だった。連撃。双牙刀の2本が交互に振るわれ、右上段、左横薙ぎ、右突き、左斬り上げと、休むことなく斬撃が連なる。1本を受け流す間にもう1本が来る。防御が追いつかない。

 単体の切断力では鍛翼刀が上回る。だが連撃速度が違いすぎた。鍛翼刀の1振りに対して、双牙刀は3振りを返す。


 右の斬り下ろし。鍛翼刀で弾いた。

 左の横薙ぎ。後退して躱した。

 右の突き。鍛翼刀の腹で逸らした。

 左の斬り上げ。


 避けきれなかった。

 双牙刀の刃がケストレルの左脇腹を斬った。装甲が裂け、内部フレームの一部が露出した。浅い。だが装甲に切れ目が入った。次にここを叩かれれば、内部構造に届く。

 操縦席に振動が走った。計器の左胴部装甲表示が黄色から赤に変わった。


 * * *


 遊肢(ゆうし)が戻ってきた。

 距離120の白兵戦に入った瞬間、遊肢(ゆうし)は射撃を止めていた。この距離ではソルスティスの本体にも弾が当たる。味方撃ちを避けるために、4基の遊肢(ゆうし)は射撃を止め、上空で旋回するだけになっていた。

 だが完全に無力ではない。遊肢(ゆうし)はケストレルの退路を塞いでいる。後退すれば遊肢(ゆうし)の射程に戻る。前に出るしかない。ソルスティスとの白兵戦の中に留まるしかない。


 カイはそれを承知で突入した。

 遊肢(ゆうし)の精密操作が効かない距離。それがこの距離の意味だった。


 ソルスティスの右の双牙刀が突いてきた。

 カイは鍛翼刀を右に振り、刃同士をぶつけた。火花。衝撃。金属の悲鳴。弾いた勢いで鍛翼刀の切先をソルスティスの左肩に向けて跳ね上げた。

 リーヴが左の双牙刀で受けた。

 ここだ。

 左手の受け。カイは鍛翼刀を押し込んだ。全出力を右腕に注ぎ、ケストレルの腕部アクチュエータが唸りを上げる。双牙刀の刃を押し返し、ソルスティスの左腕のガードを崩しにかかる。

 リーヴの左手が操縦桿を握り直した。冴覚(さいかく)がそれを捉えた。指先が滑っている。フィードバックが返ってこない左手が、力加減を測れないまま操縦桿を動かしている。

 ソルスティスの左腕の反力が揺らいだ。

 一瞬。0.2秒。鍛翼刀を押し込む力に対して、左の双牙刀の抵抗が弱まった。


 カイは鍛翼刀を引いた。

 押し込むと見せて引く。ソルスティスの左腕がガードに出力を割いた分だけ、引いた瞬間に姿勢が前に崩れる。リーヴはすぐに修正した。修正は速い。右手が右の双牙刀を振って体勢を立て直す。

 だが左手が遅れた。

 0.3秒。右手の修正に左手が追いつかない。右腕は既に次の攻撃態勢に入っているのに、左腕がまだガードの位置に戻りきっていない。左の双牙刀が体の外側に開いたまま、0.3秒の空白が生まれた。


 そこを斬った。

 鍛翼刀がソルスティスの左腕の肘関節を捉えた。振動機構が全開で回り、高周波の切削力が装甲を噛んだ。金属が裂ける音。低く鈍い、引き千切るような音。ソルスティスの左前腕に集中していた装甲が、関節部の隙間から斬り込まれた鍛翼刀の刃で割れた。

 浅い。

 切断には至らなかった。装甲を斬り割いただけだ。だが左肘関節の装甲が剥がれ、内部のアクチュエータが露出した。次にここを斬れば、腕が落ちる。


 * * *


 リーヴが後退した。

 ソルスティスが2歩下がり、間合いを取った。距離40。白兵戦の間合いの外縁。双牙刀を構え直し、左の双牙刀を体の前に寄せた。左肘の損傷を庇うように、左腕の動きが変わった。大振りの斬撃を避け、短い突きと受けに限定した運用。

 防御的な構えだった。リーヴが守りに入った。


 カイは追った。

 待てない。ここで間合いを切れば、遊肢(ゆうし)の射程に戻る。リーヴに体勢を立て直す時間を与えれば、包囲が再構築される。追い続けるしかない。


 ケストレルが踏み込んだ。左脚が軋んだ。膝の歯車がもう1枚砕けた感触がペダルに伝わった。出力が4割まで落ちている。歩行にすら支障が出始めている。

 右脚で踏切り、距離40を一歩で詰めた。鍛翼刀を右下段から振り上げる。

 ソルスティスの右の双牙刀が迎撃に来た。上段からの振り下ろし。鍛翼刀と双牙刀がぶつかり、火花が散った。

 同時に、カイは左前腕のWESPEを撃った。30ミリ、3発。至近距離。ソルスティスの左脇腹に向けて。

 WESPE残弾151。

 リーヴは右に躱した。2発が外れ、1発がソルスティスの左腰部装甲を叩いた。装甲が凹んだが貫通はしていない。

 だが目的は当てることではなかった。ソルスティスを右に動かすこと。右に躱せば、左腕が開く。左肘の露出した関節部が、一瞬だけガードの外に出る。


 カイは鍛翼刀を振り下ろした。

 全力。

 ケストレルの右腕が持つ全出力を刃に乗せた一撃が、ソルスティスの左肘関節に叩き込まれた。振動機構が金切り声を上げ、高周波の刃がアクチュエータを噛み、歯車を割り、配線を断ち、骨格フレームに到達した。

 金属が断裂する音は、想像していたよりもずっと静かだった。


 ソルスティスの左腕が落ちた。

 肘から先が切断され、左の双牙刀を握ったまま凍結した地面に落下した。3.2トンの金属の塊が白い地面を割り、破片と氷の粉が舞い上がった。


 * * *


 遊肢(ゆうし)が止まった。

 上空を旋回していた4基の遊肢(ゆうし)が、一斉に動きを止めた。停止ではない。推進ノズルは噴いている。だが軌道の修正が止まった。散開パターンが崩れ、4基がばらばらの高度で静止した。

 操手(そうしゅ)の動揺が、遊肢(ゆうし)に伝播していた。

 鋳脈(ちゅうみゃく)のフィードバック回線は操手(そうしゅ)の神経系と直結している。操手(そうしゅ)の感覚が乱れれば、遊肢(ゆうし)の挙動も乱れる。リーヴの左腕が切断された衝撃が、神経を通じて鋳脈(ちゅうみゃく)に流れ、鋳脈(ちゅうみゃく)から遊肢(ゆうし)へと波及した。

 幻肢痛。

 存在しなくなった左腕の感覚が、リーヴの神経に灼熱として残っている。機体の腕であって操手(そうしゅ)の腕ではない。だが鋳脈(ちゅうみゃく)接続が機体と神経を融合させている以上、機体の左腕の喪失は操手(そうしゅ)の神経に「左腕がなくなった」という信号を送り続ける。


 カイは遊肢(ゆうし)が止まったのを計器で確認した。

 4基が再起動するまでの時間。長くはない。リーヴは最強の操手(そうしゅ)だ。動揺はすぐに収まる。遊肢(ゆうし)はすぐに再起動する。

 だがカイには、この一瞬で十分だった。


 ケストレルが踏み込んだ。

 鍛翼刀を右腰に引き、突きの構えを取った。ソルスティスの胸部装甲の下、腰部の左側面。そこに動力機関のインテーク・ハウジングがある。銘殻(めいかく)の心臓に等しい駆動機関の、冷却用吸気口。装甲で覆われているが、左腕が失われた今、その装甲のボルト締結部が露出している。左腕の基部装甲が兼ねていた構造的な覆いが、腕とともに消えた。


 リーヴが右の双牙刀を振った。

 片腕の迎撃。速い。リーヴの右手は健在だ。右手だけの双牙刀が弧を描き、ケストレルの突きを弾こうとする。

 カイは突きのフェイントを入れた。刺突の軌道を微かに上にずらし、双牙刀の迎撃を誘った。リーヴの右手が反応し、双牙刀が上方に振られた。

 その下を潜った。

 鍛翼刀の切先がソルスティスの腰部左側面に突き立った。吸気口の装甲板を貫通し、刃が内部に沈んだ。振動機構が最後の力で回り、内部構造を切り裂いた。冷却パイプが断裂し、駆動機関のシリンダーブロックに刃が食い込んだ。

 金属と油の焼ける匂いが、外部センサーを通じてかすかに検知された。


 ソルスティスの機関が停止した。

 最初に回転数が落ちた。10.8メートルの漆黒の巨躯を駆動していた機関の重低音が、みるみる音程を下げていく。振動が減衰し、関節に出力を供給していた油圧が抜けていく。ソルスティスの右腕が力を失い、双牙刀がだらりと下がった。赤い単眼の光が明滅した。バッテリーに切り替わった微弱な電力が、最後の光を灯している。

 脚部の出力が消えた。


 ソルスティスが膝をつく。

 逆関節の脚が折れ、10.8メートルの機体が凍結平原に崩れ落ちた。膝が白い地面にめり込み、氷の破片が放射状に飛び散った。腰部から鍛翼刀が突き出したまま、ソルスティスは片膝をついた姿勢で停止した。駆動機関の残響が、低い唸りとなって数秒だけ続き、やがてそれも消えた。


 静寂が戻った。

 凍結平原に風の音だけが残った。ケストレルのエンジンが喘ぐように回り続けている。左脚は出力3割。右腕の装甲は変形したまま。燃料44パーセント。鍛翼刀はソルスティスの腰部に刺さったままだ。


 通信機が鳴った。

 オープン回線の接続音。ソルスティスのバッテリー電力で通信機だけが生きている。リーヴの回線が開いた。

 カイは操縦席の中で、荒い呼吸を繰り返しながら通信機の音を聞いた。


 声は出なかった。

 リーヴの通信は開いたまま、何も伝えなかった。呼吸音すら聞こえない。回線だけが繋がり、沈黙が流れた。通信機の小さなランプが緑色に点灯し、接続を示しているだけだった。


 カイは操縦桿から手を離した。

 指が震えていた。汗で濡れた掌が、操縦桿のグリップに貼りついていた。こめかみの奥で圧迫感が脈打ち、鼻の奥に鉄の味がした。冴覚(さいかく)の代償が、戦闘が終わった今になって押し寄せてくる。

 鋳脈(ちゅうみゃく)を持たない操手(そうしゅ)が、鋳脈(ちゅうみゃく)の最高傑作を打ち破った。

 リーヴの通信は開いたまま、声を発さない。


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