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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
鉄の鳴く夜

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206/218

遊肢の間隙

 左脚が重い。

 計器の装甲健全度表示が赤く染まっている。左脛部装甲、貫通。左膝関節、動作制限。ケストレルの逆関節の脚は左右で踏力が異なり、右に跳べば深く、左に跳べば浅い。不均衡な機動が、走るたびに機体を右に流す。

 カイは操縦桿を握り直した。手のひらの汗がグリップの革を湿らせていた。


 距離500。

 ソルスティスは正面に立っている。動かない。遊肢(ゆうし)4基がケストレルの周囲を旋回し、20ミリの弾幕が断続的に降り注いでくる。リーヴは本体を動かさない。遊肢(ゆうし)だけで十分だと判断している。


 東側の遊肢(ゆうし)が撃った。3発。着弾予測を冴覚(さいかく)が捉え、カイは右に跳んだ。凍結した地面が左脚の接地で砕け、機体が傾いた。左膝の動作制限が踏切角度を歪ませ、姿勢の回復に0.4秒かかった。その0.4秒に、北東の遊肢(ゆうし)が追撃した。2発が左肩装甲を掠め、火花と装甲片が散った。

 WESPE残弾174。FALKE残弾38。燃料58パーセント。

 数字の全てが、時間の味方をしていなかった。


 * * *


 リオンの声が、頭の中で鳴っていた。

 通信ではない。記憶だ。模擬戦の後、格納庫の隅で交わした会話。リオンが低い声で言った言葉が、弾幕の合間に蘇る。


 ――遊肢(ゆうし)使いの弱点は、遊肢(ゆうし)と本体を同時に制御する時の意識の分割にある。


 分かっている。シーラの時はそれが明確だった。感覚帯域の9割を遊肢(ゆうし)に注ぎ、本体を犠牲にしていた。だからリオンは本体に飛び込んで勝った。

 だがリーヴは違う。

 4基の遊肢(ゆうし)を展開しながら、本体の戦闘能力を一切落とさない。感覚帯域の分割が常人とは根本的に異なる。シーラの弱点だった「本体の隙」が、リーヴにはない。


 ――でも原理は同じ。遊肢(ゆうし)に意識を引き込ませる瞬間は、リーヴにもある。


 ある。あるはずだ。

 カイは走りながら冴覚(さいかく)を研いだ。遊肢(ゆうし)の射撃パターンに意識を向けた。計器のレーダーが表示する4基の反応。東、北東、西、南西。それぞれの遊肢(ゆうし)が撃つタイミング。移動するタイミング。射撃と移動の切り替わり。


 東が撃った。3発。

 0.6秒後、北東が撃った。2発。

 0.8秒後、西が位置を変えた。射線を切り替える移動。

 0.3秒後、南西が撃った。2発。


 カイはその数字を体に刻んだ。計器の時間表示を横目で追いながら、遊肢(ゆうし)の射撃間隔を数えた。東と北東の間が0.6秒。北東から西の移動開始まで0.8秒。西から南西の射撃まで0.3秒。南西から東の次の射撃まで――


 0.9秒。


 合計すると、4基が一巡するのに約2.6秒。だがその中に、微細な間隔がある。

 北東が撃ち終わってから西が動き出すまでの0.8秒。この0.8秒の中に、リーヴの意識が遊肢(ゆうし)から本体に切り替わる瞬間がある。遊肢(ゆうし)の射撃指令を送り、次の遊肢(ゆうし)の移動指令を組み立てる。その間、リーヴの意識は遊肢(ゆうし)に集中し、本体への入力が僅かに鈍る。


 0.8秒のうち、意識が最も遊肢(ゆうし)に偏る瞬間。

 カイの冴覚(さいかく)が、それを捉えた。


 0.08秒。

 北東の射撃が止まった直後、西の遊肢(ゆうし)が動き始める直前。その間に0.08秒の空白があった。リーヴの意識が北東の射撃結果を確認し、西への移動指令を構築するまでの処理時間。人間の脳が4つの手足ではなく8つの手足を同時に動かすために必要な、意識の切り替え時間。


 見えた。

 冴覚(さいかく)が、リーヴの意識の隙間を捉えた。


 だが。


 * * *


 見えても、体が追いつかない。

 カイは歯を食いしばった。0.08秒の空白を冴覚(さいかく)で捉えることはできる。だがその0.08秒の間にケストレルを動かし、ソルスティスの本体に攻撃を加えることは不可能だった。


 理由は単純だ。

 ケストレルには鋳脈(ちゅうみゃく)接続がない。


 鋳脈(ちゅうみゃく)を持つ操手(そうしゅ)は、機体を自分の体のように動かせる。思考と動作の間にラグがない。「動かそう」と思った瞬間に、機体が動く。リーヴがそうだ。4基の遊肢(ゆうし)を指先の延長として操り、本体の近接戦闘を同時にこなせるのは、鋳脈(ちゅうみゃく)が思考と操作を直結させているからだ。

 カイにはそれがない。

 カイがケストレルを動かすには、操縦桿を倒し、ペダルを踏み、スイッチを切り替える物理操作が必要だった。冴覚(さいかく)で敵の動きを読んでから、その情報を判断に変換し、判断を指先の動作に変え、操縦桿の角度を変え、機体のアクチュエータが応答するまで。

 その間、0.3秒。

 冴覚(さいかく)が捉えた0.08秒の空白に対して、カイの操作には0.3秒かかる。空白が開く前に操作を始めなければ、空白が閉じた後に攻撃が届く。間に合わない。


 カイは右に跳んだ。東側の遊肢(ゆうし)の射撃を避けながら、思考を巡らせた。左脚の損傷が着地のたびに機体を揺らす。計器の数字が視界の端で明滅していた。燃料55パーセント。スラスター配分に余裕がなくなってきている。


 読める。見える。だが、届かない。

 冴覚(さいかく)があっても、鋳脈(ちゅうみゃく)がなければ0.3秒を埋められない。

 これがカイの限界だった。テオから受け継いだケストレル。鋳脈(ちゅうみゃく)接続機構を除去した機体。その操縦系統は全て物理入力。操縦桿、ペダル、トグルスイッチ、レバー。人間の筋肉と骨格が動かす機械的なインターフェース。冴覚(さいかく)でどれだけ先を読んでも、体を動かす時間は圧縮できない。


 20ミリ弾がケストレルの右脛を叩いた。

 衝撃が足首のペダルに伝わり、カイの右足が跳ねた。FALTERのスラスター制御が一瞬乱れ、機体が前のめりに傾いた。体を引き起こす。計器が右脛装甲の表面損傷を報告していた。浅い。だが蓄積が止まらない。


 * * *


 距離450。

 ソルスティスが一歩を踏み出した。ゆっくりと。漆黒の装甲が凍結平原の灰色に影を落としている。本体が動き始めた。遊肢(ゆうし)で削り終えたと判断したのか、それともカイの抵抗が長引いていることに対する修正か。どちらでもいい。本体が近づけば、双牙刀の間合いに入る。近接戦闘が始まれば、左脚が損傷したケストレルでは機動力で劣る。


 時間がない。

 カイは操縦桿を握る指に力を込めた。


 考えろ。

 0.08秒の空白は見える。だが0.3秒のラグで届かない。リオンは何と言っていた。


 ――受動的に待つのではなく、能動的に作る。


 能動的に、作る。

 リオンがシーラに勝った時の手順が頭の中を駆けた。遊肢(ゆうし)の攻撃を意図的に受けて、相手の意識を遊肢(ゆうし)に引き込む。遊肢(ゆうし)に意識が偏った瞬間に、本体に飛び込む。

 だがリーヴにはそれが通じない。意図的に被弾しても、リーヴの意識は引き込まれない。リーヴの感覚帯域は常人とは根本的に異なる。被弾を餌にした誘導が効かない相手。


 では、どうする。

 読めても追いつかない。誘導しても引き込まれない。0.08秒の空白は存在するが、0.3秒のラグが壁になる。


 カイは西側の遊肢(ゆうし)の射撃を避けながら、凍結した地面を蹴った。左脚の損傷で踏切が浅く、飛距離が短い。南西の遊肢(ゆうし)が追いかけてくる。20ミリの連射がケストレルの背中を叩いた。背部装甲の警告が再び点灯した。亀裂が広がっている。


 そのとき。

 リオンの言葉が、別の形で蘇った。


 ――読む力だけなら、私より上。足りないのは、読んだ情報をどう使うかの判断だけ。


 読む力。

 カイは遊肢(ゆうし)の弾幕の中で、一つの思考に辿り着いた。


 0.08秒の空白を「利用する」のではない。0.08秒の空白が「生まれる状況」を作るのだ。

 リーヴの意識が遊肢(ゆうし)に偏る瞬間を待つのではなく、リーヴが遊肢(ゆうし)に意識を割かざるを得ない状況を、カイの側から作り出す。


 リーヴの遊肢(ゆうし)は4基。4基を同時に動かす時、リーヴの意識は4つに分かれる。だがその分配は均等ではない。状況に応じて、最も重要な遊肢(ゆうし)に意識が偏る。射撃中の遊肢(ゆうし)には多く、待機中の遊肢(ゆうし)には少なく。

 カイが特定の方向に動けば、その方向の遊肢(ゆうし)が対応を迫られる。対応する遊肢(ゆうし)にリーヴの意識が偏る。偏った分だけ、他の遊肢(ゆうし)と本体への意識が薄くなる。0.08秒の空白が、0.1秒に広がる。0.12秒に広がる。


 それでも0.3秒には届かない。

 だが。


 カイは遊肢(ゆうし)の配置を計器で確認した。東、北東、西、南西。4基が等間隔でケストレルを囲んでいる。この配置を崩せばいい。4基のうち2基を同時に動かさざるを得ない状況を作れば、リーヴの意識の分配が一瞬、大きく偏る。


 2基が同時に射線を変える瞬間。

 リーヴが2基の遊肢(ゆうし)の軌道修正に意識を割く瞬間。

 その瞬間に、本体の反応が鈍る。0.08秒ではなく、もっと長い空白が生まれる。


 だがそれでもまだ足りない。0.3秒のラグは消えない。


 カイの指が操縦桿の上で止まった。

 思考が、最後の一段を登った。


 読んでから動くのでは、間に合わない。

 ならば。


 読む前に、動く。


 リーヴの0.08秒の空白を読み取ってから操作を始めるのではなく、空白が生まれる「前」にケストレルを動かし始める。リーヴの射撃パターンは読めている。2.6秒の周期。北東が撃ち終わってから西が動くまでの0.8秒。その中に生まれる0.08秒の空白。

 パターンが読めているなら、空白がいつ来るかは予測できる。予測できるなら、0.3秒前に操作を始めれば、空白が開いた瞬間にケストレルは既に動いている。


 読むのではない。先に動く。

 リーヴの次の動きを待つのではなく、リーヴが「こう動かざるを得ない」状況を作る。遊肢(ゆうし)を2基同時に動かさざるを得ない方向にケストレルを走らせ、リーヴの意識が遊肢(ゆうし)に偏る瞬間を「予約」する。その瞬間が来る0.3秒前に、本体への突撃を始める。


 冴覚(さいかく)で相手を読むのではなく、冴覚(さいかく)で自分の動きを設計する。

 0.3秒後の未来に、リーヴの空白がある場所へ、今この瞬間に体を投げ込む。


 南西の遊肢(ゆうし)が撃った。2発。カイは左に跳んで回避した。左脚の関節が軋みを上げ、着地が崩れた。計器のアラートが鳴った。左膝関節、動作限界に接近。


 だがカイの目は、もう遊肢(ゆうし)を見ていなかった。

 500メートル先で歩き始めたソルスティスの本体を見ていた。漆黒の装甲。赤い単眼。双牙刀を腰に懸架したまま、まだ抜いていないリーヴの機体を。


 読むのではなく、先に動く。

 この答えで、0.3秒の壁を越えられるかどうかは分からない。理論と実践は違う。頭で組み立てた戦術が、凍結平原の上で通用する保証はどこにもなかった。

 だが他に手はなかった。

 弾が減り、燃料が減り、装甲が削れ、左脚が壊れかけている。時間はリーヴの味方だ。このまま遊肢(ゆうし)の弾幕に削られ続ければ、本体が近づく前にケストレルが動けなくなる。


 カイは操縦桿を握り直した。

 汗を拭く余裕はなかった。掌が滑るまま、指に力を込めた。


 次の周期が来る。

 北東の遊肢(ゆうし)が撃ち終わる瞬間を、待つのではなく、迎えに行く。

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