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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
鉄の鳴く夜

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206/270

遊肢の間隙

左脚が重い。

 計器の装甲健全度表示が赤く染まっている。左脛部装甲、貫通。左膝関節、動作制限。ケストレルの逆関節の脚は左右で踏力が異なり、右に跳べば深く左に跳べば浅い。不均衡な機動が走るたびに機体を右へ流す。

 カイは操縦桿を握り直した。手のひらの汗がグリップの革を湿らせていた。


 距離500。

 ソルスティスは正面に立ったまま動かない。遊肢4基がケストレルの周囲を旋回し、20ミリの弾幕が断続的に降り注ぐ。リーヴは本体を動かさない。遊肢だけで事足りると思っているらしい。


 東側の遊肢が撃った。3発。着弾予測を冴覚が捉え、カイは右へ跳ぶ。凍結した地面が左脚の接地で砕けて機体が傾いた。左膝の動作制限が踏切角度を歪ませ、姿勢の回復に0.4秒かかった。その0.4秒に北東の遊肢が追撃してくる。2発が左肩装甲を掠め、火花と装甲片が散った。

 WESPE残弾174。FALKE残弾38。燃料58パーセント。

 数字の全てが時間の味方をしていなかった。


 * * *


 リオンの声が頭の中で鳴っていた。

 通信ではない、記憶だ。模擬戦の後に格納庫の隅で交わした会話。リオンが低い声で言った言葉が弾幕の合間に蘇る。


 ――遊肢使いの弱点は、遊肢と本体を同時に制御する時の意識の分割にある。


 分かっている。シーラの時はそれが明確だった。感覚帯域の9割を遊肢に注いで本体を犠牲にしていたから、リオンはそこへ飛び込んで勝ったのだ。

 だがリーヴは違う。

 4基の遊肢を展開しながらも本体の戦闘能力を一切落とさない。感覚帯域の分割が常人とは根本的に異なり、シーラの弱点だった「本体の隙」がリーヴにはない。


 ――でも原理は同じ。遊肢に意識を引き込ませる瞬間は、リーヴにもある。


 ある。あるはずだ。

 カイは走りながら冴覚を研ぎ澄まし、遊肢の射撃パターンに意識を向ける。計器のレーダーが表示する4基の反応。東、北東、西、南西。それぞれの遊肢が撃つタイミングと移動するタイミング、そして射撃と移動の切り替わり。


 東が撃った。3発。

 0.6秒後に北東が撃った。2発。

 0.8秒後に西が位置を変える。射線を切り替える移動。

 0.3秒後に南西が撃った。2発。


 0.9秒。

 合計すると4基が一巡するのに約2.6秒かかるが、その中に微細な間隔がある。

 北東が撃ち終わってから西が動き出すまでの0.8秒。この時間内にリーヴの意識が遊肢から本体へと切り替わる瞬間がある。遊肢へ射撃指令を送り、次の移動指令を組み立てる。その間は意識が遊肢に集中し、本体への入力が僅かに鈍るのだ。


 0.8秒のうち意識が最も遊肢へ偏る瞬間を、カイの冴覚が捉えた。


 0.08秒。

 北東の銃火が途絶えた直後であり西の遊肢が蠢き出す直前——冴覚の世界からふっと一切の色彩が抜け落ちた。八つの手足を統べる脈動が向きを変える狭間に生じた、冷たい息継ぎにも似た0.08秒の空白。


 見えた。


 だが。


 * * *


 見えても体が追いつかない。

 カイは歯を食いしばった。0.08秒の空白を冴覚で捉えられても、その間にケストレルを動かしてソルスティスの本体へ攻撃を加えるのは不可能だった。


 理由は単純だ。

 ケストレルには鋳脈接続がない。


 鋳脈を持つ操手は機体を自分の体のように動かせる。思考と動作の間にラグがなく「動かそう」と思った瞬間に機体が動く。リーヴがそうだ。4基の遊肢を指先の延長として操りつつ本体の近接戦闘を同時にこなせるのは、鋳脈が思考と操作を直結させているからに他ならない。

 カイにはそれがない。

 ケストレルを動かすには操縦桿を倒し、ペダルを踏んでスイッチを切り替える物理操作が必要になる。冴覚で敵の動きを読んでから情報を判断に変換し、判断を指先の動作に変えて操縦桿の角度を変え、機体のアクチュエータが応答するまで。

 その間に0.3秒。

 冴覚の捉えた0.08秒の空白に対し、カイの操作には0.3秒かかる。空白が開く前に操作を始めなければ攻撃は届かず間に合わない。


 カイは右へ跳んだ。東側の遊肢の射撃を避けながら思考を巡らせる。左脚の損傷が着地のたびに機体を揺らし、計器の数字が視界の端で明滅していた。燃料55パーセント。スラスター配分に余裕がなくなりつつある。


 読める。見える。だが届かない。

 冴覚があっても、鋳脈がなければ0.3秒を埋められない。


 20ミリ弾がケストレルの右脛を叩く。

 衝撃が足首のペダルに伝わってカイの右足が跳ねた。FALTERのスラスター制御が一瞬乱れ、機体が前のめりに傾く。体を引き起こすと、計器が右脛装甲の表面損傷を報告していた。浅い。だが蓄積が止まらない。


 * * *


 距離450。

 ソルスティスがゆっくりと一歩を踏み出した。漆黒の装甲が凍結平原の灰色に影を落としている。本体が動き始めた。遊肢で削り終えたと判断したのか、それともカイの抵抗が長引いていることに対する修正か。どちらでもいい。本体が近づけば双牙刀の間合いに入る。近接戦闘が始まれば、左脚が損傷したケストレルでは機動力で劣る。


 時間がない。

 カイは操縦桿を握る指に力を込める。


 考えろ。

 0.08秒の空白は見えても0.3秒のラグで届かない。リオンは何と言っていた。


 ――受動的に待つのではなく、能動的に作る。


 能動的に作る。

 リオンがシーラに勝った時の手順が頭の中を駆け巡る。遊肢の攻撃を意図的に受けて相手の意識を引き込み、遊肢に意識が偏った瞬間に本体へ飛び込む。

 だがリーヴにはそれが通じない。意図的に被弾しても意識は引き込まれない。感覚帯域が常人とは根本的に異なり、被弾を餌にした誘導が効かない相手だ。


 ではどうする。

 読めても追いつかず、誘導しても引き込まれない。0.08秒の空白は存在するが0.3秒のラグが壁になる。


 カイは西側の遊肢の射撃を避けながら凍結した地面を蹴る。左脚の損傷で踏切が浅く飛距離が短い。そこへ南西の遊肢が追いかけてくる。20ミリの連射がケストレルの背中を叩き、背部装甲の警告が再び点灯した。亀裂が広がっている。


 そのとき。

 リオンの言葉が別の形で蘇る。


 ――読む力だけなら、私より上。足りないのは、読んだ情報をどう使うかの判断だけ。


 読む力。

 カイは遊肢の弾幕の中で一つの思考に辿り着く。


 0.08秒の空白を「利用する」のではない。0.08秒の空白が「生まれる状況」を作るのだ。

 リーヴの意識が遊肢に偏る瞬間を待つのではなく、遊肢へ意識を割かざるを得ない状況をカイの側から作り出す。


 リーヴの遊肢は4基ある。4基を同時に動かす時、意識は4つに分かれるがその分配は均等ではない。状況に応じて最も重要な遊肢へ意識が偏る。射撃中の遊肢には多く、待機中の遊肢には少なく。

 カイが特定の方向へ動けばその方向の遊肢が対応を迫られ、そこへリーヴの意識が偏る。偏った分だけ他の遊肢と本体への意識が薄れ、0.08秒の空白が0.1秒に広がり、0.12秒に広がる。


 それでも0.3秒には届かない。

 だが。


 カイは遊肢の配置を計器で確認した。東、北東、西、南西。4基が等間隔でケストレルを囲んでいる。この配置を崩せばいい。4基のうち2基を同時に動かさざるを得ない状況を作れば、リーヴの意識の分配が一瞬だけ大きく偏る。


 2基が同時に射線を変える瞬間。

 リーヴが2基の遊肢の軌道修正に意識を割く瞬間。

 その瞬間に本体の反応が鈍り、0.08秒よりも長い空白が生まれる。


 だがそれでもまだ足りない。0.3秒のラグは消えない。


 カイの指が操縦桿の上で止まる。

 思考が最後の一段を登り詰めた。


 読むのではなく先に動く。


 0.08秒の空白を読み取ってから操作を始めるのではなく、空白が生まれる「前」にケストレルを動かし始める。リーヴの射撃パターンは読めている。2.6秒の周期。北東が撃ち終わってから西が動くまでの0.8秒。そしてその中に生まれる0.08秒の空白。

 パターンが読めているなら空白がいつ来るかは予測できる。予測できるなら0.3秒前に操作を始めれば、空白が開いた瞬間にケストレルは既に動いている。


 読むのではない。先に動く。

 リーヴの次の動きを待つのではなく「こう動かざるを得ない」状況を作る。遊肢2基を同時に動かさざるを得ない方向へケストレルを走らせ、意識が遊肢へ偏る瞬間を「予約」するのだ。その瞬間が訪れる0.3秒前に本体への突撃を始める。


 冴覚で相手を読むのではなく、冴覚で自分の動きを設計する。

 0.3秒後の未来にリーヴの空白がある場所へ、今この瞬間に体を投げ込む。


 南西の遊肢が2発撃った。カイは左に跳んで回避するが、左脚の関節が軋みを上げて着地が崩れる。計器のアラートが鳴った。左膝関節、動作限界に接近。


 だがカイの目はもう遊肢を見ていなかった。

 500メートル先で歩き始めたソルスティスの本体を見据えている。漆黒の装甲。赤い単眼。双牙刀を腰に懸架したままでまだ抜いていないリーヴの機体を。


 読むのではなく先に動く。


 だが他に手はなかった。

 弾が減り燃料が減り、装甲が削れて左脚が壊れかけている。時間はリーヴの味方だ。このまま遊肢の弾幕に削られ続ければ、本体が近づく前にケストレルは動けなくなる。


 カイは操縦桿を握り直す。

 汗を拭く余裕はない。掌が滑るまま指に力を込めた。


 次の周期が来る。

 北東の遊肢が撃ち終わる瞬間を待つのではなく、迎えに行く。

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