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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
鉄の鳴く夜

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205/218

四つの射線

 カイは答えなかった。

 リーヴの問いかけが通信機の中で消えた。オープン回線の残響が操縦席の空気を震わせ、すぐに途切れた。沈黙が戻った。

 距離600。計器の数字がそこで止まっている。ソルスティスは歩みを止めたまま、ケストレルを見ている。赤い単眼の光が、灰色の凍結平原の上に一点だけ色を持っていた。


 遊肢(ゆうし)が動いた。

 4基同時ではない。東から1基が前進し、0.4秒遅れて北東の1基が降下した。西と南西は動かない。東と北東の2基が先行し、残り2基が待機する。さっきと同じパターン。

 いや、違う。

 カイは計器のレーダー表示を凝視した。東の遊肢(ゆうし)が前進した軌道が、さっきまでと微かに異なっていた。直進ではなく、弧を描いている。ケストレルの右側面を回り込むように曲線を描きながら接近している。


 射線が変わる。

 東の遊肢(ゆうし)が右側面に回れば、北東の上空遊肢(ゆうし)との挟み撃ちになる。右上と右横。2方向から同時に撃たれれば、右に跳んでも左に跳んでも片方の射線に入る。

 カイは左に走った。ケストレルの逆関節の脚が凍結した地面を蹴り、機体が横に滑る。北東の遊肢(ゆうし)が撃った。上方からの3発。20ミリ弾がケストレルの右肩上方を抜けた。左に動いたことで射線から外れた。

 だが東の遊肢(ゆうし)が追いかけてきた。弧の軌道を修正し、ケストレルの移動先に回り込もうとしている。


 速い。

 遊肢(ゆうし)の推進ノズルが白い排気を吐き、エイの形をしたユニットが凍結平原の上を滑走した。ケストレルよりも速い。当然だった。遊肢(ゆうし)は脚がない。推力だけで飛んでいる。重量も軽い。ケストレルが走って逃げられる相手ではない。

 東の遊肢(ゆうし)が射撃位置についた。ケストレルの右側面、距離120メートル。速射砲の砲口がこちらを向いている。同時に北東の遊肢(ゆうし)が高度を下げ、ケストレルの右斜め上方、距離150メートルに位置を取った。


 2基が撃った。

 右横と右上。2方向からの20ミリ弾が交差するように飛んでくる。カイは前に跳んだ。FALTERのスラスターを一瞬噴かし、射線の交差点の前方に体を投げ出す。弾道が背後を通過した。着地。凍結した地面が砕け、白い破片がケストレルの膝周りに舞い上がった。


 西の遊肢(ゆうし)が動いた。

 待機していた2基のうちの1基。カイが前方に跳んだ瞬間を待っていたように、左側面から射撃位置に入った。距離140メートル。砲口がケストレルの左脇腹を狙っている。

 3方向。東、北東、西。ケストレルの右と左と上を、3基の遊肢(ゆうし)が囲んでいる。残る1基、南西の遊肢(ゆうし)は低空で待機したまま動かない。動かないことで、カイの注意を分散させている。4基目がいつ動くか分からないという不確定要素が、カイの判断を遅らせる。


 これがリーヴの遊肢(ゆうし)だった。

 シーラの遊肢(ゆうし)は本体と切り離されていた。遊肢(ゆうし)に全てを注ぎ、本体は空っぽになる。だからリオンは本体を狙った。遊肢(ゆうし)が強ければ強いほど、本体が薄くなる。

 リーヴは違う。遊肢(ゆうし)4基を動かしながら、ソルスティス本体は600メートル先で微動だにしない。武器も抜いていない。両腕を下ろし、赤い単眼でケストレルを見据えている。遊肢(ゆうし)に意識を割いている気配がない。遊肢(ゆうし)が手足なら、リーヴの場合は呼吸に近い。意識しなくても動く。


 * * *


 視界の端に影が見えた。

 凍結平原の南東方向。地表に何かが横たわっている。レーダーには映らない。金属反応はあるが、動力反応がない。死んだ構造物だ。

 旧建造物の残骸だった。

 大崩落(ダウンフォール)時に崩壊した工場か倉庫の跡。コンクリートの壁面が半ば崩れ落ち、鉄骨が灰色の空に向かって突き出している。壁面には無数の弾痕が穿たれていた。30年前のものか、もっと最近のものか。灰域(アッシュランド)では区別がつかない。全てが等しく錆び、等しく朽ちていく。

 残骸の高さは8メートルほど。ケストレルの全高より低い。だが壁面と鉄骨が入り組んでおり、遊肢(ゆうし)の射線を遮る障害物にはなる。


 カイは走った。

 旧建造物の残骸に向かって、ケストレルを全速で走らせた。逆関節の脚が凍結平原を3歩で蹴り、残骸の陰に滑り込んだ。コンクリートの壁がケストレルの右側面を覆う。頭上に鉄骨が交差し、上方からの射線を部分的に遮断した。

 北東の遊肢(ゆうし)が撃った。20ミリ弾が鉄骨に当たり、金属が弾ける音が響いた。火花が散り、錆びた鉄骨の破片が降ってきた。弾は通らなかった。鉄骨の隙間を抜けるには角度が足りない。

 東の遊肢(ゆうし)も撃った。コンクリートの壁面に着弾。壁が砕け、灰色の粉塵が噴き上がった。だが壁はまだ残っている。30年前のコンクリートは脆いが、20ミリ弾を数発耐える厚みはあった。


 射線が2本消えた。

 北東と東の遊肢(ゆうし)からの射撃が、旧建造物の残骸に遮られている。西の遊肢(ゆうし)は壁の反対側にいるため、ケストレルを直接狙えない。残るのは南西の低空遊肢(ゆうし)だけだ。

 カイは息を吐いた。操縦桿を握る手の汗を、一瞬だけ緩めて拭った。


 冴覚(さいかく)を集中させた。

 600メートル先のリーヴ本体に意識を向ける。遊肢(ゆうし)の射撃が止まった今なら、読める。リーヴの神経の揺らぎを。次の動きの兆しを。


 ――色が、薄れた。

 灰色が深くなる。コンクリートの壁も、鉄骨も、凍結平原も、全てが同じ灰色に沈んでいく。音が遠ざかった。風の唸りが消え、計器のアラート音が水底に沈むように薄れていく。

 残ったのは心臓の音。

 そして、600メートル先の気配。


 リーヴの兆しが見えた。

 灰色の世界の中で、ソルスティスの操縦席にいる人間だけが色を持っていた。冷たい青。暗い、深い、凍った湖の底のような青。リーヴの神経が発する周波数が、カイの冴覚(さいかく)に触れている。

 リーヴが動こうとしている。右脚。踏み出す兆し。ソルスティスが前に出ようとしている。


 同時に、別の色が動いた。


 青の中に、4つの脈動がある。遊肢(ゆうし)だ。リーヴの神経が遊肢(ゆうし)の制御信号を発している。その脈動が冴覚(さいかく)に触れた。直接的ではない。遊肢(ゆうし)そのものの軌道は読めない。だがリーヴが遊肢(ゆうし)に命令を送る瞬間の、神経の揺らぎは読める。

 4つの脈動が、同時に変わった。

 遊肢(ゆうし)の再配置。リーヴがカイの位置を把握し、旧建造物の残骸を迂回するように遊肢(ゆうし)を動かそうとしている。


 カイは目を開けた。灰色の静寂が砕けた。色が戻る。音が戻る。


 遊肢(ゆうし)が動いていた。

 東の遊肢(ゆうし)が壁の端を回り込み、北東の遊肢(ゆうし)が高度を上げて鉄骨の上を越えようとしている。西の遊肢(ゆうし)は大きく迂回して南側に回った。3基が同時に位置を変え、旧建造物の残骸が作る死角を潰しにかかっている。

 速い。冴覚(さいかく)で兆しを読んでから、遊肢(ゆうし)が実際に動き始めるまでの間隔が短い。リーヴの命令伝達と遊肢(ゆうし)の応答が、ほぼ一体化している。


 盾が消える。

 カイは残骸の裏側に回った。崩れた壁の反対側に移動し、新しい遮蔽を取る。コンクリートの破片が足元で砕けた。鉄骨の間をケストレルの体が通り抜け、東側の射線から身を隠した。

 東の遊肢(ゆうし)が回り込んだ先に、ケストレルがいない。一瞬の空白。その間に北東の遊肢(ゆうし)が鉄骨の上を越え、上方から残骸の内部を覗き込んだ。砲口が下を向く。


 カイは残骸から飛び出した。

 南に向かって全速で走り、崩れたコンクリートの瓦礫を踏み越えた。背後で20ミリ弾が残骸の内部を叩いた。カイがさっきまでいた場所にいくつもの弾痕が穿たれた。


 再び凍結平原の上に出た。遮蔽物がない。4基の遊肢(ゆうし)が再び包囲を形成し始める。


 だがカイは、一つ分かった。

 冴覚(さいかく)で読めるものがある。遊肢(ゆうし)の軌道そのものは読めない。だがリーヴが遊肢(ゆうし)に命令を送る瞬間、リーヴの神経に揺らぎが走る。その揺らぎの方向と強さから、どの遊肢(ゆうし)にどんな命令を出したかを推測できる。右に強い脈動が走れば、右側の遊肢(ゆうし)が動く。上に向かう脈動なら、上空の遊肢(ゆうし)が高度を変える。

 完全ではない。推測にすぎない。だが何も読めないよりはましだ。


 * * *


 冴覚(さいかく)を開いたまま走った。

 灰色の世界と色のある世界が交互に瞬く。完全な灰色の静寂には入らない。入れば遊肢(ゆうし)の射撃を目で追えなくなる。半開きの冴覚(さいかく)。リーヴの兆しを拾いながら、同時に計器と目視で遊肢(ゆうし)を追う。集中力が削られる。頭の奥が熱い。


 リーヴの兆しが変わった。

 青の中に、問いかけがあった。言葉ではない。神経の揺らぎが形作る意志の輪郭。カイが冴覚(さいかく)で読んでいることを、リーヴは知っている。冴覚(さいかく)持ち同士だ。カイがリーヴの兆しを読んでいるように、リーヴもカイの兆しを読んでいる。


 カイが右に跳ぼうとした。

 その瞬間、右側の遊肢(ゆうし)が先に動いた。カイが右に跳ぶ先に、射線を置いている。カイの冴覚(さいかく)が読まれている。右に跳ぼうとする意志が神経に表れた瞬間を、リーヴが捉えた。

 カイは右への跳躍を中断し、左に切り返した。FALTERのスラスターが逆噴射し、機体が急激に方向を変えた。燃料計が動いた。59パーセント。


 左に跳んだ先に、西の遊肢(ゆうし)がいた。

 砲口がケストレルを向いている。20ミリの連射。カイはさらに前に加速して射線の前を通過した。弾道が背後を抜けた。


 読まれている。

 カイがリーヴを読むように、リーヴがカイを読んでいる。冴覚(さいかく)同士の対峙。互いの意志が透けている。カイが動こうとすれば、その兆しをリーヴが読み、遊肢(ゆうし)を先に配置する。リーヴが遊肢(ゆうし)を動かそうとすれば、その兆しをカイが読み、射線から外れる。

 問いかけと応答。

 攻撃と回避が、無言の対話になっていた。


 カイがWESPEを北東の遊肢(ゆうし)に向けて撃った。3連射。遊肢(ゆうし)は横に流れた。外れた。だがカイはその射撃の裏で冴覚(さいかく)を絞り込み、リーヴ本体の兆しを読もうとした。

 リーヴの青が、一瞬だけ深くなった。

 気づいている。カイが射撃を囮にして冴覚(さいかく)を集中させたことに、リーヴは気づいた。その気づきすらもが、冴覚(さいかく)を通じてカイに伝わった。

 透明すぎる。

 互いの意図が見えすぎている。駆け引きにならない。カイが何を考えても、リーヴに読まれる。リーヴが何をしようとしても、カイが察する。だがカイが察したことをリーヴが察し、リーヴが察したことをカイが察する。無限の鏡合わせ。


 均衡は長くは続かなかった。

 リーヴには遊肢(ゆうし)が4基ある。カイには何もない。読み合いが五分でも、手数が違う。リーヴは4方向から同時に射線を変え、カイは1つの体で全てを避けなければならない。時間が経つほど、リーヴが有利になる。弾薬が減り、燃料が減り、装甲が削れていく。


 東の遊肢(ゆうし)が撃った。3発。カイは左に跳んで避けた。

 北東の遊肢(ゆうし)が追撃した。2発。前に走って射線の下を潜った。

 西の遊肢(ゆうし)が横から撃った。4発。FALTERで右に弾かれるように跳んだ。


 そして南西の遊肢(ゆうし)が、動いた。

 ずっと沈黙していた4基目。低空から這い上がるように上昇し、ケストレルの左脚を狙った。カイの注意が東と北東と西に向いている、その一瞬。

 冴覚(さいかく)がリーヴの神経の脈動を拾った。下。左。脚。

 遅い。

 知覚してから操縦桿を動かすまでの0.3秒。その間に20ミリ弾がケストレルの左脚に到達した。


 衝撃が操縦席を突き上げた。

 左のフットペダルが足裏で跳ね、ハーネスがカイの体を座席に叩きつけた。金属が裂ける音。鈍い振動が左脚の操縦系統を伝わり、膝から下の入力が重くなった。

 計器が赤く点滅した。左脛部装甲、貫通。左膝関節、動作制限。装甲健全度が一気に赤域に落ちた。

 左脚が死んでいた。

 完全な機能喪失ではない。膝は曲がる。だが動作速度が半分以下に落ちている。左脚の装甲を貫通した20ミリ弾が膝関節の駆動系を損傷し、油圧ラインの一部が破れたのだろう。操縦席の足元から、微かに油の匂いが漂ってきた。


 走れない。

 ケストレルの機動力が、左脚の損傷で致命的に落ちた。右脚だけで体重を支え、左脚を引きずるように歩くことはできる。だが高速の方向転換はもうできない。FALTERのスラスターで横に跳ぶことはできるが、着地で左脚が機体を受け止められない。跳べば倒れる。倒れれば、遊肢(ゆうし)の的になる。


 燃料計が57パーセントを示していた。FALKE残弾40。WESPE残弾178。右腕の装甲は変形したまま。背部装甲に表面損傷。そして左脚が死んだ。


 リーヴのソルスティスは600メートル先で、まだ武器を抜いていなかった。


 時間が、カイの敵になった。

 このまま立っていれば、遊肢(ゆうし)の弾幕がケストレルを削り切る。動けば左脚が足を引っ張り、次の被弾を呼ぶ。リーヴは急いでいない。急ぐ必要がない。時間はリーヴの味方だ。カイの弾薬が尽き、燃料が尽き、装甲が尽きるのを待てばいい。

 何かを変えなければ。

 このまま続ければ負ける。読み合いは五分でも、手数と機動力でリーヴが上回っている。遊肢(ゆうし)の射線を避け続けるだけでは、ジリ貧だ。


 カイは操縦桿を握り直した。

 汗で滑る掌に、革巻きのグリップが食い込んだ。冴覚(さいかく)が拾うリーヴの青い兆しが、600メートルの距離を越えて、まだそこにあった。冷たく、鋭く、揺るぎなく。

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