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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
鉄の鳴く夜

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204/270

冬至の影

距離3200。

 計器の数字が刻々と縮まっていく。ソルスティスは減速しない。凍結した平原の上を時速72キロで直進してくる。10.8メートルの漆黒の銘殻が灰色の大地と空の境界線を裂くように走っている。

 カイはケストレルの操縦桿を握ったまま呼吸を整える。


「カイ」


 リオンの通信だった。短く硬い声。


「ソルスティスが来る。他のコルヴァス機はいない。リーヴ、単騎だ」


「分かってる」


 単騎。50体のポーンで弾薬を削った後にたった1機で来る。それがリーヴ・シェイドの判断だった。正面から1機で灰域連合軍を突破できるという確信。傲慢ではない。実績だ。コルヴァスのエースはこれまで単騎で拠点を落とし部隊を壊滅させてきた。


「私が援護する。射線を――」


「いや」


 カイはリオンの言葉を遮る。


「リオン、ボルトたちと一緒に下がってくれ」


 通信が一瞬沈黙する。


「何を言っている」


「リーヴの相手は俺がやる。1対1で」


 リオンの呼吸が通信越しに聞こえた。反論を組み立てている間がほんの一拍あった。


「正気か。お前のFALKEは残弾42だ。WESPEも200を切っている。ポーン戦で消耗した機体で、ソルスティスと単騎で戦うのは――」


「冴覚が使える。リーヴの兆しが読める。ポーンには効かなかったけど、リーヴには効く」


 カイの声は静かだった。自分でも驚くほど落ち着いていた。恐怖がないわけではない。ソルスティスの黒い影を見た時に背筋へ走ったものは間違いなく恐怖だった。だが冴覚が拾う「兆し」が恐怖よりも先に体を支配していた。リーヴの気配は刃物のように鋭く冷たい。逃げたいと思う本能とあの気配をもっと近くで感じたいと思う冴覚の衝動が体の中で拮抗している。


「それに、遊肢4基の包囲に複数機で入ったら、味方同士の射線が重なる。リーヴはそれを利用する。仲間を巻き込む」


 リオンが黙った。カイの言葉が正しいことをリオン自身が一番よく分かっていた。リオンはかつてコルヴァスの一員だった。リーヴの戦い方を知っている。


「……分かった」


 リオンの声から感情が消える。軍人の声だった。


「ケストレルの燃料は68パーセント。FALTERを使うなら、スラスター燃料の配分に気をつけろ。スラスター側に30パーセント以上残しておかないと、離脱できなくなる」


「ああ」


「鍛翼刀は温存しろ。近接に持ち込むまで抜くな」


「分かってる」


 リオンの通信が切れる。ポラリスの白い機体が後退していく。ボルトのハウラー、リントのキャリバー、トワのシルフ。灰域連合の鉄殻たちが防衛線を下げてカイだけが前に残った。

 凍結平原の上にケストレルが1機。

 その正面からソルスティスが1機。


 距離2400。


 * * *


 遊肢が開いた。

 ソルスティスの背部から4本の懸架アームが展開し扁平な流線型のユニットが射出された。エイの形をした遊肢が4基、母機から離れて左右に散開する。推進ノズルの排気が白い尾を引き凍結した大気の中に4本の軌跡を描いた。

 1基が右に。1基が左に。1基が高く上がった。最後の1基が低く地表すれすれを滑るように横へ流れた。

 等間隔。

 カイは計器に目を走らせた。レーダー表示に4つの反応が映っている。東、西、北東上空、南西低空。ケストレルを中心にした十字の配置。正確に90度ずつ間隔を空けて4基が包囲網を形成していた。

 どこを向いても遊肢がいる。背中を向けた方向にも遊肢がいる。

 退路がない。

 ソルスティスの戦術。遊肢4基で逃走経路を全て塞ぎ本体が正面から押し潰す。リーヴ・シェイドの基本形。敵にとっては「最も暗い夜が明けない」戦場が出現する。


 距離1800。ソルスティスの本体が減速した。歩調を落とし走行から歩行に切り替えている。急いでいない。遊肢の包囲が完成するのを待っている。


 カイは冴覚を研ぎ澄ます。

 意識を絞り込む。計器の数字を見る目を一瞬だけ閉じる。


 ――色が薄れた。

 灰色の世界がさらに深い灰色に沈んでいく。エンジンの振動、凍結平原を渡る風の音、計器のアラート音。全てが遠くなる。水底に沈んでいくように。

 残ったのは心臓の音。

 そして――1800メートル先のソルスティスの操縦席にいる人間の気配。


 鋭く静かで重い——これまで識った操手たちの手触りが残らずこの一人に重なっている。だがその奥底で蠢く異質な層に胃の腑が冷たく軋み、べっとりと掌が汗ばんだ。

 強い。

 カイは目を開ける。灰色の世界が戻る。計器の数字が再び目に入った。


 冴覚でリーヴ本体の動きは読める。だが4基の遊肢がその読みを妨害する。遊肢はドールとは違う。リーヴの鋳脈を通じて制御されている。リーヴの意志の延長だ。だがリーヴの体そのものではない。冴覚が拾うのは人間の神経の揺らぎであり機械の動作予測ではない。遊肢の軌道を冴覚で直接読むことはできない。計器と目視で追うしかない。


 1基目が動いた。

 東側の遊肢が前進し上面のセンサーが赤く点灯した。索敵。ケストレルの位置を確認する電磁波が飛んできた。計器のレーダー警報が短く鳴った。


 2基目。北東上空の遊肢が高度を変えて斜め下方にセンサーを向けた。


 3基目と4基目は動かない。西と南西に位置を保ったまま静止している。


 4基全てが同時に動かない。2基で索敵し2基が待機する。射線を重ねず順番にケストレルの位置を三角測量している。

 正確で無駄がない。シーラの遊肢運用とは質が違った。シーラは3基の遊肢に感覚帯域のほぼ全てを注ぎ込み、本体を犠牲にして遊肢の精度を上げていた。リーヴは違う。4基を操りながら本体も完全に戦闘態勢を維持している。遊肢は「手足」であり本体は「胴体」だ。切り離されていない。一つの体として動いている。


 東側の遊肢が撃った。

 20ミリ速射砲の発射音が平原に響いた。乾いた連射音。3発。

 弾道はケストレルの右側15メートルを抜けた。当てにきていない。索敵射撃だ。弾着の振動と音でケストレルの反応を観察している。カイが右に避けるか左に避けるか動かないか。その初動の癖を読み取るための3発だった。


 カイは動かなかった。

 操縦桿を握ったまま、足をペダルに載せたまま、ケストレルを凍結平原の上に立たせたまま。15メートル横を弾丸が通過するのを目で追った。計器が弾道を表示している。速度、角度、発射元の位置。データが数字になってカイの目に入る。


 北東の遊肢も撃った。2発。こちらはケストレルの左上方を通過した。角度が違う。高い位置から撃ち下ろしている。


 2方向からの索敵射撃。まだ本気ではない。リーヴはケストレルを観察している。ポーン戦でどれだけ消耗しているか、操手の反応速度はどの程度か、冴覚が使えるかどうか。リーヴが拾いたいのはそれだ——とカイは思った。


 カイは歯を食いしばる。

 動かなかったのは判断ではなく意地だった。リーヴには何も見せない。


 * * *


 距離1200。

 ソルスティスが歩みを止める。漆黒の機体が凍結平原の上に立ち、赤い単眼がケストレルを見ている。1200メートルの距離を挟んで2機の銘殻が向かい合った。


 遊肢4基の包囲網が縮まり始めた。

 東と北東の2基が前進し西と南西の2基が外側から回り込む。包囲の直径が小さくなる。退路がさらに狭まる。4基が等間隔を保ったまま同心円を描くようにケストレルへ近づいてくる。


 距離、推定160メートル。遊肢の有効射程内にケストレルが完全に入った。


 カイは冴覚を集中させた。リーヴ本体の兆しを読もうとした。1200メートル先のソルスティスの操縦席にいる人間の、次の動きの「兆し」を。

 掌が逆関節の脚を踏み出す直前の筋肉の収縮。操縦桿を倒す直前の指先の緊張。射撃ペダルを踏む直前の足首の角度変化。それらが神経を伝わる微かな揺らぎとなって冴覚に触れるはずだった。


 触れかけたその瞬間。


 20ミリ弾が来る。

 東側の遊肢からの射撃。今度は索敵ではない。ケストレルの正面、胸部装甲を狙った直撃コースだ。

 冴覚が千切れる。リーヴ本体に集中していた意識が弾道の知覚に引き剥がされた。


 カイは右に跳んだ。FALTERのスラスターが背部で噴射しケストレルの機体を横へ弾く。2発の20ミリ弾がさっきまでいた場所を通過した。着地。凍結した地面が足裏で砕けて白い破片が舞い上がった。


 北東の遊肢が追撃した。上方から撃ち下ろす3発。カイは着地の反動を使って前に走り弾道の下を潜った。30ミリ弾ではない。20ミリだ。遊肢の速射砲は20ミリ。ケストレルの装甲なら直撃でも1発では致命傷にならない。だが数発が集中すれば装甲を抜く。


 西側の遊肢が動いた。

 視界の左端に影が流れた。計器のレーダーが反応位置を更新する。西から南へ移動。射線が変わった。


 3方向から同時に来る。

 カイは走った。ケストレルの逆関節の脚が凍結平原を蹴り機体が前に跳ぶ。走りながらFALKEを構え東側の遊肢に向けて1発撃った。牽制射撃。75ミリ弾が遊肢の20メートル横を抜けた。遊肢は軽く横に流れて回避した。

 当てに行っていない。遊肢に射線を意識させ一瞬だけ射撃を止めさせるための1発。だがFALKEの残弾は41になった。


 南西の遊肢が沈黙を破った。

 低空から這い上がるように上昇しケストレルの背後を取った。20ミリの連射がケストレルの背部装甲を叩いた。

 衝撃が操縦席に伝わった。シートが揺れてハーネスが体に食い込んだ。背部装甲の被弾。計器の装甲健全度表示が赤く点滅した。背部上段、表面損傷。まだ抜かれていない。だが20ミリ弾が鉄紺色の塗装を剥がし装甲板の表面に亀裂を走らせた。


「くそ」


 カイは振り向きざまにWESPEを撃った。30ミリの3連射が背後の遊肢に向かって飛んだ。遊肢は横に滑って回避した。推進ノズルの排気が白い尾を残し視界から消えた。

 WESPE残弾186。


 冴覚をもう一度リーヴ本体に向けようとした。

 意識を絞り込む。1200メートル先のソルスティス。リーヴの兆しを――


 北東の遊肢が撃った。頭上から。2発。

 集中が切れた。弾道を回避するために左へ跳ぶ。着地。東側の遊肢が追いかけてくる。20ミリの連射がケストレルの足元を叩き、凍結した地面が砕けて土砂が噴き上がった。


 読めない。

 リーヴ本体に冴覚を集中しようとするたびに遊肢の射撃が集中を奪う。読めない。

 遊肢の射撃は「当てる」ためではない。カイの冴覚を「使わせない」ためだ。


 * * *


 中距離に入った。

 ソルスティスが歩き始めた。ゆっくりと。距離800まで詰めてきた。遊肢4基の包囲網がさらに縮小し逃げ場がほとんどなくなっている。


 弾幕の密度が変わった。

 索敵でも牽制でもない。削りにきている。4基の遊肢が交互に途切れなく20ミリ弾をケストレルへ送り込んでくる。東が撃ち、北東が撃ち、東が弾倉を入れ替える間に西が撃ち、南西が低い角度から追い打ちをかける。

 絶え間ない弾幕。


 カイは走り続けた。止まれば集中砲火を浴びる。ケストレルの脚が凍結平原を蹴り、機体が左へ右へ不規則に方向を変える。FALTERのスラスターを短い間隔で噴かし急激な横移動で射線を外す。燃料計の数字が目に入った。63パーセント。スラスター燃料の配分が脳裏をよぎった。リオンの言葉。30パーセント以上残しておかないと離脱できなくなる。

 まだ余裕はある。だがこのペースで使い続ければあと5分もたない。


 20ミリ弾がケストレルの右腕に当たった。

 金属が潰れる音が操縦席に響く。重い衝撃が右腕の操縦桿に伝わりカイの右手が一瞬弾かれた。FALKEを保持している右腕だった。装甲健全度表示が赤に変わった。右前腕外装板、変形。

 ひしゃげている。右腕の装甲板が20ミリ弾の直撃で内側に折れ曲がり関節部の動作範囲を制限していた。FALKEを構える角度が狭まった。右腕を上に持ち上げると変形した装甲板が肘関節に干渉して引っかかる。


 アラートが鳴った。

 操縦席の警報灯が赤く点滅し右腕の構造体損傷を告げている。機能喪失ではない。まだ動く。だが精度が落ちた。FALKEの射撃精度が変形した装甲板のせいで低下している。


 もう1発来た。

 北東の遊肢からの上方射撃。ケストレルの右肩装甲に着弾して火花が散った。装甲表面が削れ、鉄紺色の塗装の下から銀色の母材が露出した。深い傷ではない。だが蓄積している。1発1発は浅くても10発20発と積み重なれば装甲が紙になる。


 カイはWESPEを撃ち返した。北東の遊肢に向けて5連射。遊肢は軽やかに横へ流れ弾道を避けた。1発も当たらない。遊肢は小さく速い。30ミリ弾の5連射でも掠りもしない。

 WESPE残弾181。


 ソルスティス本体がさらに距離を詰めてきた。距離600。漆黒の装甲が灰色の凍結平原の上に影を落としている。赤い単眼がケストレルを凝視していた。まだ武器を抜いていない。双牙刀は腰部に懸架されたまま。WESPEも撃たない。本体は一発も撃っていなかった。

 遊肢だけでケストレルを削り本体は温存している。


 通信が入った。

 周波数はオープン。暗号化されていない。聞かせるための通信だった。


「お前が鋳脈を受けていないことは分かっている」


 リーヴの声だった。

 低く平坦で感情のない声。生きた人間の体温を欠いた声。


「その体で、俺に勝てると思うか」


 カイは答えなかった。

 操縦桿を握る手が汗で滑った。リーヴはまだ一発も撃っていない。それだけで十分だった。

 勝てるか。

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