灰色の静寂
格の差が、残殻を砕く。四方から迫る遊肢の前で、少年の力は届かない。
4基の遊肢が空中に散開した。
扁平な流線型のユニットが、それぞれ異なる方角へ滑るように動く。推進ノズルの噴射が砂を巻き上げ、小さな砂嵐が四方に広がった。上面にセンサーの光が点滅し、前面の速射砲が銃口をカイの残殻に向けた。
包囲。
前後左右を遊肢に囲まれている。そしてその中心に、銘殻が立っていた。
残殻とは次元の違う機体だった。装甲の表面が滑らかで、光を吸い込むような漆黒をしている。関節の隙間と胸部の装甲端にだけ、血のように暗い朱のラインが走る。関節部に遊びがない。立っているだけで、機体の重心が完璧に均衡しているのが分かる。肩部と背部のハードポイントに、遊肢を格納していた痕跡がある。
カイ・セヴァルの心臓が、鷲掴みにされたように締まった。
何が起きているのか、理解が追いつかない。鉄殻から分離したユニットが、独立して動いている。しかもそれぞれが異なる角度から、こちらに銃口を向けている。
四方向からの同時攻撃。
先ほどの汎殻とは、格が違いすぎる。
遊肢の1基が撃った。
右斜め前。速射砲の光条が砂塵を裂いた。カイは咄嗟に操縦桿を倒し、機体を左に振った。弾丸が右肩の装甲を掠める。装甲健全度、右肩が黄色に。
次の瞬間、背後からも撃たれた。
2基目。背中の装甲に衝撃が走り、コックピットが揺れた。計器のランプが点滅する。背部装甲にダメージ。まだ貫通していない。だが装甲が薄い残殻では、あと2発で抜かれる。
カイは冴覚で銘殻本体の動きを読もうとした。先ほどの汎殻と同じように、本体の重心移動から次の動きを予測する。
だが遊肢は別だった。
本体を読んでも、遊肢の射線は予測できない。本体と遊肢が別々の意志で動いているように見える。読めない。体が何も教えてくれない。
3基目が右から。4基目が頭上から。
同時射撃。
カイは残殻を前に跳ばした。着地と同時に転がるように廃墟の壁の影に逃げ込む。壁が弾丸に削られて崩れた。粉塵が視界を白く染める。
機関温度計が赤域に入った。オーバーヒート警告が連続で鳴っている。残殻の動力炉が限界を訴えている。
壁の影から覗くと、遊肢が陣形を変えていた。2基が左右に広がり、残りの2基が上方に位置を取る。包囲網が狭まっている。
銘殻本体が一歩踏み出した。
ゆっくりと。圧倒的な余裕を持って。
通信が開いた。開放回線。
「冴覚持ちか」
声は穏やかだった。若い男の声。丁寧な言葉遣い。だがその穏やかさの奥に、刃のような何かがあった。
「鋳脈なしでフィンを退けるとは。驚いた」
フィン。先ほどの汎殻の操手の名前だろう。カイは答えなかった。操縦桿を握る手が、汗で滑る。
遊肢が動いた。2基が同時にカイの左右から射撃。カイは残殻を後退させたが、背後の壁が崩れて退路がない。正面から銘殻本体の砲撃。装甲に直撃。
衝撃がコックピット全体を揺らした。金属の軋む音。計器のガラスが割れて破片が飛び散る。装甲健全度表示、左腕が赤。そして次の瞬間、左腕が落ちた。
鉄殻の左腕が、肩の付け根から千切れて地面に落下した。砂埃が舞い上がる。左腕の動力ケーブルが切断され、油圧が一気に抜けた。コックピット内の左側のランプが全て消灯した。
残殻が傾いだ。
バランスを崩した機体を右脚で支えようとしたが、遊肢の1基が右脚の膝関節を狙い撃ちした。精密な射撃。関節部の装甲が砕け、フレームが露出した。右脚が折れるように曲がり、残殻は片膝をついた。
行動不能。
左腕を失い、右脚が砕かれ、機関温度は赤域。燃料残量31%。速射砲弾、残り16発。だが撃つ腕がない。右腕だけでは照準が安定しない。
数秒だった。
銘殻が姿を現してから、残殻が行動不能に陥るまで。圧倒的な格の差。戦闘ですらなかった。
銘殻が歩み寄ってきた。遊肢4基がカイの残殻を囲んだまま、銃口を向けている。
通信が再び開いた。
「セルヴィスに来い」
穏やかな声。だが拒否を許さない圧がある。
「お前の力は灰域で腐らせるには惜しい。冴覚は訓練で磨ける。灰域にいても、使い道がない」
カイは歯を食いしばった。コックピットの中で、鼻血が上唇を伝っている。頭痛がこめかみの奥で脈打つ。先ほどの冴覚の代償が、今になって体に押し寄せている。
「俺はここの人間だ」
声が掠れていた。だが言葉は明確だった。
通信の向こうで、一瞬の沈黙があった。微かな息遣い。そして、
「……灰域の人間、か」
声の温度が、僅かに変わった。穏やかさの底にあった刃が、一瞬だけ揺れたように聞こえた。だがすぐに元に戻った。
「残念だ」
遊肢の銃口が、残殻の胸部装甲に向けられた。動力炉の位置。ここを撃たれれば、終わりだ。
カイは操縦桿を握りしめた。動けない。撃てない。逃げられない。
これが、格の差。
これが、灰域と管区の差。
遊肢のセンサーが光った。射撃体勢。
その瞬間、通信に新たな声が割り込んだ。
「待って」
女の声だった。
ノイズ混じりの通信。だが声は明瞭だった。聞き覚えがある。紺色の瞳を持つ、あの女の声。
「リーヴ。その人を殺さないで」
銘殻の動きが止まった。遊肢の銃口が、僅かに逸れた。
「リオン」
銘殻の操手が、女の名前を呼んだ。リオン。それが、あの女の名前だった。
「通信を繋ぎなさい。話がある」
リオンの声は、震えていなかった。軍人の声だった。覚悟を決めた人間の声。
カイは壊れた残殻のコックピットの中で、その声を聞いていた。
頭痛がこめかみを割るように脈打ち、鼻血が顎から滴り落ちた。視界が明滅する。意識の端が白くぼやけている。
だが声は聞こえた。
リオン。その名前が、通信のノイズの向こうから、確かに聞こえた。
遊肢の戦術的特性――遊肢は母機から離れて独立機動し、複数方向からの同時攻撃を可能にする。操手は鋳脈のフィードバック回線を通じて遊肢を「自分の指先」のように感じて操作する。ただし遊肢に感覚帯域を割くほど、本体の操縦精度は低下する。




