先鋒
初めての戦場。残殻と汎殻の性能差の中で、少年の体は知らない力に動かされる。
砂塵の向こうから、鉄殻が歩いてくる。
汎殻。量産型の鉄殻。残殻より一回り大きく、装甲が隙なく全身を覆っている。灰域の残殻にはない均一な塗装。右腕に長砲身の狙撃銃、左腰に戦闘短刀のラック。肩部には煙幕弾の散布装置。正規軍の標準装備だ。
カイ・セヴァルは残殻のコックピットから、その姿を見た。距離、約800メートル。速射砲の有効射程の外縁。
心臓が速い。呼吸が浅くなっている。口の中に鉄の味がする。恐怖だ。
だが足は動いた。
残殻の脚部ペダルを踏み込み、廃墟の壁の影に機体を滑り込ませた。この辺りの瓦礫の配置は頭に入っている。右に崩れた鉄骨の壁。左にコンクリートの柱。正面に半壊したビルの残骸。射線を通さない遮蔽物が、無数にある。
汎殻が足を止めた。
センサーで周囲を走査しているのだろう。カイの残殻は旧式すぎてセンサー妨害機能がない。隠れても、いずれ見つかる。
だが「いずれ」と「今」は違う。
カイは壁の隙間から汎殻を覗いた。相手は慎重だ。砂塵の中を一定の速度で歩き、廃墟の配置を確認しながら進んでいる。訓練された動き。無駄がない。
残殻を動かした。壁から壁へ、瓦礫を盾にして移動する。関節が軋む。左腕の動力伝達が引っかかる感触がペダルに返ってくる。応急修理の限界だ。
汎殻が方向を変えた。カイの移動を察知したのか、砲塔がこちらを向く。
走った。
ペダルを蹴り込み、残殻を全速で横に跳ばす。コンクリートの壁が砕ける音。弾着。壁の破片が残殻の装甲に当たり、コックピットの中でガラス片が散った。
速射砲弾。撃ってきた。
1発目は外れた。壁を抉っただけだ。だが精度が高い。次は当たる。
カイは廃墟の路地に機体を押し込んだ。天井の低い通路。旧世界の倉庫の残骸だ。汎殻のサイズでは入れない。残殻の小ささが、ここでは武器になる。
通路を抜けると、別の開けた空間に出た。旧世界の駐車場の跡。アスファルトが割れ、鉄柱が錆びて傾いている。ここなら射線が通る。だがカイが先に出た分、一瞬の猶予がある。
振り向いた。汎殻は倉庫を迂回して、駐車場の反対側に回り込もうとしている。冷静だ。正面からの突入を避け、側面を取ろうとしている。
カイは速射砲を構えた。残弾32発。外せない。
だが距離が近い。300メートル。速射砲の精度が最も安定する距離。
引き金を引いた。3連射。
反動がコックピットを揺らす。弾道は汎殻の右肩に集中した。装甲が火花を散らす。だが貫通しない。汎殻の装甲は、残殻の速射砲弾を弾く厚さがある。
汎殻が反撃した。
狙撃銃と腰部の擲弾筒の連続射撃。カイは残殻を鉄柱の影に転がり込ませた。鉄柱が弾丸に削られて傾く。振動が機体全体に伝わった。装甲健全度表示、右腕が緑から黄色に変わった。掠めた。
残弾29。
* * *
交戦が続いた。
カイは廃墟の地形を使い、壁から壁へ、瓦礫から瓦礫へと移動しながら射撃した。汎殻は正面からの撃ち合いを避け、カイの退路を一つずつ潰していく。逃げ道を狭める。プロの戦い方だった。
機関温度計が黄域に入った。
残殻の動力炉は全力稼働に耐えるように設計されていない。20分もたない。オーバーヒートの警告音が、断続的にヘルメットの中で鳴っている。
残弾18。
カイは瓦礫の山の裏で一度止まった。呼吸を整える。汗が目に入る。ゴーグルの内側が曇りかけている。右手で拭い、操縦桿を握り直した。
汎殻が右から回り込んできた。カイの位置を正確に把握している。隠れても意味がない。センサー性能が違いすぎる。
追い詰められた。
背後は崩れた壁。右は瓦礫の山。左は倒壊した鉄骨が道を塞いでいる。正面に、汎殻。距離200メートル。
砲口がこちらを向いた。
その瞬間、何かが弾けた。
汎殻の右肩が、僅かに沈んだ。
それだけだった。だがカイの体は、その微かな重心移動を読み取って既に動いていた。右肩が沈む。右腕が上がる。砲口がこちらを向く。その一連の動作が始まる0.5秒前に、カイの残殻は左に跳んでいた。
弾丸がカイのいた場所を貫いた。壁が崩れ、粉塵が舞い上がる。だがカイはその中にいない。
カイは着地の勢いのまま速射砲を撃った。2連射。至近距離。弾丸は汎殻の右膝関節に吸い込まれた。装甲の薄い関節部。火花。軋み。汎殻の右脚が僅かに揺らいだ。
汎殻が体勢を崩した。一瞬。その一瞬を、カイは逃さなかった。
残殻を駆けさせた。廃墟の路地に飛び込み、天井の低い通路を走り抜ける。汎殻は追えない。膝関節の損傷で、速度が落ちている。
カイは通路を抜けて振り返った。汎殻は追ってこなかった。膝を庇いながら、ゆっくりと後退していく。
通信が入った。汎殻からの開放回線。
「……灰域の残殻乗りか」
男の声だった。若い。だが落ち着いている。
「鋳脈なしでこの動き。腕がいいな」
カイは答えなかった。操縦桿を握る手が震えている。全身の筋肉が強張っている。今のは何だ。なぜ相手の動きが「見えた」。
汎殻が砂塵の向こうに消えていった。撤退したのか、本隊と合流するために戻ったのか。
* * *
カイの体が震えていた。
あれは何だ。相手の右肩が沈んだ。それだけの情報から、次の動きの全てが読めた。読めたというより、体が勝手に動いた。考える前に。
頭痛がこめかみの奥で脈打つ。鈍い、重い脈動。鼻の奥に鉄の味が広がる。鼻血だ。上唇を伝って、顎に垂れた。
答えを考える暇はなかった。
砂塵の向こうから、新たな通信が入った。別の周波数。別の機体が接近している。一機ではない。
そしてカイは、見たことのないものを目撃した。
鉄殻の肩から、扁平な物体が分離した。流線型の無人ユニットが、空中に浮かび上がる。推進ノズルの光が砂塵を照らした。
1つ。2つ。3つ。
4つ。
4基の遊肢が、空中に散開していく。
冴覚――一部の人間が持つ、五感を超えた知覚能力。超能力ではなく、人間の感覚器官が極限まで研ぎ澄まされた状態。先天的素養と極度のストレスによって発現する。




