ハルの空
灰色の平野が前方に広がっていた。
ソルスティスのコックピットから見る灰域の景色は管区内の任務区域とは違う。瓦礫が地平線まで散乱し、かつて建造物だったものの輪郭が風化した歯のように突き出している。道路の残骸すら判別できない荒野をコルヴァスの4機は菱形陣形で進んでいた。
先頭にリーヴのソルスティス、右翼にシーラのヴァーグラス、左翼にハルの銘殻、後方にナディルの銘殻。菱形の頂点は常にソルスティスが務める。隊長機が先頭を走る理由は単純で、リーヴが最も速く敵を排除できるからだ。
コックピットの計器類が淡い光を放っている。センサーが前方の熱源を読み取っている。ストーンクロスまであと2km。
「前方、人型熱源4機。うち1機は右肩部の装甲欠損を確認」
ナディルの声が通信に入った。後方から全体を観測するのがナディルの役割だった。
「確認した」
リーヴは応じた。右肩欠損。おそらくゼルマのライムと交戦した際の損傷だ。消耗した状態で向かってくるのは分かっていた。
「ハル、左翼から挟み込め。シーラは右翼を持て。俺が正面に出る」
「了解です」
「了解」
ヴァーグラスが右翼に展開し始めた。シーラの動きはいつも正確で、指定した位置への移動に迷いがない。ハルは少し遅れて左翼に移った。コルヴァスの菱形陣形が崩れ、包囲形態へ移行する。
冴覚を開いた。
前方の4つの意識が触れてきた。ぴんと張った糸のような緊張。その中に一つだけ質の違う意識があった。鋭い。まっすぐに向かってくる。感情がないわけではないが、余計なものが少ない。迷いや恐怖が薄い。灰域の操手がこれほど研ぎ澄まされているのは珍しかった。
「冴覚持ちだ」
リーヴが短く通信で告げた。
「どれですか」
ハルが訊いた。
「先頭の機体。ケストレル」
リーヴはソルスティスを前に進めた。
* * *
両軍の距離が1kmを切った。
ケストレルが前に出た。4機の先頭から単独で飛び出してきた軽い機体。猛禽に似た頭部。バイザーの反射が遠目にも確認できた。
「速い」
ハルが言った。
リーヴはケストレルの動きを目で追いながら冴覚で感じていた。相手は自分の位置を読んでいる。それだけではなく、リーヴが次に動こうとする方向も読んでいる可能性があった。
——面白い。
感情ではなく、分析的な判断だった。
「シーラ、右翼から当てるな。ケストレルはこっちに向かってくる。包囲より正面から潰す方が速い」
「分かった。ハルへの援護に回る」
「頼む」
ケストレルとソルスティスの距離が700mになった。リーヴは操縦桿を前に倒した。ソルスティスが加速する。この距離でケストレルに向かって走るのは珍しい選択だったが、リーヴには理由があった。
正面から潰す。
冴覚持ちを相手にするとき、距離を置いた撃ち合いは不利になる。読まれ続ける。近づいて混戦にするか、圧倒的な速度差で処理するかだ。ソルスティスの性能は後者に向いていた。
距離500m。
ケストレルが側方に跳んだ。リーヴが引き金を引く前に動いた。先読みだ。
「速い」
リーヴは少し感心した。感情の色を持たない声で言った。
距離400m。ケストレルが右に動き、また左に戻る。不規則に見えるが、冴覚で読めばパターンが見える。こちらの射線を読んで避けている。先読みで避けている。
つまりこちらの行動意図を読んでいる。
リーヴは試みた。引き金に指をかけるが撃たない。撃つ意図だけを作り、その意図を読ませる。ケストレルが左に動いた。
そこに撃った。
ソルスティスの右腕ヴィストルが高速弾を射出した。ケストレルの左肩を掠めて火花が散った。完全には当たらなかったが、牽制として機能した。
ケストレルが止まった。
0.5秒だけ。だが冴覚持ちが止まることはあまりない。
——ここだ。
リーヴは操縦桿を最大限に倒した。ソルスティスが加速する。エンジンの唸りが上がり、足元の地面を蹴る音が変わった。距離200mを一気に縮めにかかる。この速度なら3秒でケストレルの間合いに入る。
ケストレルが反応した。こちらの加速を感知して後退しようとした。だが遅い。
距離100m。
リーヴは右腕の刃を構えた。ソルスティスの近接武装は刃渡り4.2mの両刃剣。装甲は斬れなくても関節を切れれば機動力を奪える。
ケストレルが鍛翼刀を抜いた。
距離50m。
——刃が来る。
冴覚がリーヴに伝えた。ケストレルの操手が刃を振るう意図を持った。その意図を読んだ。
同時に。
リーヴもケストレルの操手に意図を読まれていた。刃と刃が交差した。ソルスティスの両刃剣とケストレルの鍛翼刀が鍔迫り合いの形で止まった。衝撃がコックピットに伝わり、リーヴの体がシートに押しつけられる。
2機が静止した。
距離1m。コックピット同士が届きそうな距離。センサーアレイが互いの熱源を拾い、計器が近接警告を出し続けた。
「……やるな」
リーヴは通信を開いた。目の前のケストレルのコックピットを見た。バイザーの奥に誰かがいる。自分の意図を読んでいる誰かが。
返答はなかった。
ケストレルが押した。ソルスティスとの力比べ。機体重量はほぼ同じ。だが姿勢の角度でどちらかが有利になる。リーヴは腰部スラスターを噴かして横にずれた。鍔迫り合いを解除し、距離を取る。
離れた瞬間にケストレルのファルケが火を噴いた。
弾丸がソルスティスの胸部装甲を叩き、傾斜装甲に当たって弾かれた。
「——射撃も」
リーヴは言った。近接の隙間に射撃を差し込んだ。冴覚で意図を読みながら戦術を変える。
距離が開いた。100m。200m。
両機が向き合った。
リーヴは冴覚でケストレルの操手を感じた。さっきより糸が細くなっている。疲労だ。ゼルマとの戦闘、ポーンの群れとの連戦、そして今。消耗した状態で向かってきている。
だが意識はまだ鋭かった。
「名前を訊いていいか」
通信を開いた。相手が答えるとは思っていなかった。
しばらく間があった。
「カイ・セヴァル」
答えが返ってきた。リーヴは少し意外に思った。
「テオ・セヴァルの息子か」
「そうだ」
「リーヴ・シェイドだ。コルヴァスの隊長」
相手は答えなかった。
「お前は強い。だがここで終わりにしろ。ストーンクロスを渡せ。命は取らない」
また間があった。
「渡さない」
「理由を聞かせろ」
「ここに生きている人がいる」
リーヴは操縦桿を握り直した。返答が来るとは思っていなかったが、来た答えは予想通りだった。
「そうか」
通信を切った。
ソルスティスが動く。今度は違う動き方で。




