ハルの朝
朝の冷気が肺に刺さった。
リーヴ・シェイドは軍用テントの入口で足を止めて灰色に染まった空を見上げた。雲が低い。灰域の朝はいつもこうだ。太陽の位置が分かるだけで色はない。地平線まで続く荒野にコルヴァスの野営地が灰色の染みのように広がっていた。テントが4張りありその周囲に銘殻が立っている。ソルスティスの黒い装甲が朝露を纏って鈍い光を反射していた。
焦げた匂いがする。
テントの裏手に回るとハル・ブレントが地面に座り込んで携行コンロの上にフライパンを載せていた。
「あ、隊長。おはようございます」
ハルが振り返った。右手にはフォーク、左手には卵。片手で卵の殻を割ろうとして指の間から黄身が滑り落ちそうになったが、かろうじてフライパンに落とした。縁からはみ出した白身がコンロの火で焼けて縮んだ。
「携行糧食に卵があったんですよ。乾燥卵じゃなくて、本物の。補給物資に紛れてたみたいで。ナディルが見つけたんです」
ハルはフライパンの柄を握り直した。焼いている2つの卵の片方はもう焦げ始めている。ハルの手つきを見ていれば料理が苦手なのは一目瞭然だ。
「焦げてる」
リーヴが指摘した。
「そう言わないでください。頑張ってるんです」
ハルはフォークで卵の縁を持ち上げようとしてフライパンごと傾け、コンロの火を一瞬消しかけた。コンロがよろめいて戻り、フライパンの中の卵が乱暴に揺れた。
「もういい。寄越せ」
リーヴはハルの手からフォークを取った。
「え、隊長が料理できるんですか」
「一人暮らしが長い」
半分焦げかけた卵を破かないように丁寧に持ち上げ、かろうじてまともな目玉焼きの形に整える。コンロの火を弱めて蓋をして30秒待つ。仕上がったものをハルの軍用皿に乗せた。
「上手い」
ハルが感嘆した。
「食え」
リーヴは2個目の卵をフライパンに落とした。ハルがフォークを持ち直して目玉焼きを切り分ける。黄身が広がってフライパンの縁まで流れた。
「ポーンの先遣群が殲滅されたそうですね」
ハルは食べながら言った。
「誰から」
「ナディルです。夜中に傍受した通信でグランヴェルト側の報告が入ったみたいで」
リーヴは自分の卵をフライパンから取り出した。
「2波、53体を4機で仕留めた。死者は出ていない」
「4機で53体、ですか」
ハルは箸代わりのフォークを持ったまま止まった。
「すごいな」
「すごくはない。弾薬と機体が限界に達してる。次に来たら持たない」
リーヴは自分の目玉焼きを皿に移してしゃがんだ。フライパンをコンロから下ろし、地面に置く。荒野の乾いた砂がフライパンの底に張り付いた。
「じゃあ私たちが行くんですか」
「そうなる」
ハルはゆっくりと黄身を崩した。フォークの先から黄色い液が流れ、白身に絡まる。
「怖いですよ。正直言えば」
リーヴは答えなかった。
「隊長は怖くないんですか。ゾフィア・ストラヴァが率いてるって聞きましたよ。先遣を壊滅させた灰域の部隊。冴覚持ちの操手がいるって」
「知ってる」
「知ってて怖くないのか、ってことです」
朝の風が吹いた。荒野の砂がテントの布を叩いてパタパタと音を立てた。
「怖いのと向かうのは別の話だ」
リーヴが言った。ハルはしばらくフォークを動かさなかった。それから黄身を全部白身に絡めて口に運んだ。
「あんまり変わらないな。でも少し分かりました」
「何が」
「隊長がそれを言うなら、きっとそうなんだろうなって。根拠はないけど」
リーヴは何も言わなかった。自分の皿の上の目玉焼きを見た。焦げていなかった。
ソルスティスのエンジンが遠くでアイドリングを始める音がした。メンテナンス担当のナディルがどこかで機体の起動確認をしているのだろう。
「食ったら出る準備をしろ」
リーヴは立ち上がった。皿を持って荒野を向いた。地平線の灰色の向こうにストーンクロスがある。
「了解です」
ハルが答えた。まだ卵が残っているのにフォークを砂に刺して立ち上がろうとした。
「食ってから来い」
「え」
「補給が十分にある今、食えるだけ食え。後でどうなるか分からない」
ハルは座り直してフォークを砂から抜いた。
「隊長って時々すごく現実的ですよね」
「常にそうだ」
リーヴはテントの角を回った。エンジンの音が大きくなる。ソルスティスの黒い装甲が朝の光の中に立っていた。




