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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
鉄の鳴く夜

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180/270

機械の圧

地平線が灰色に揺れていた。

 カイはケストレルの正面カメラを東に向け、荒野の果てに目を凝らした。風が砂を巻き上げ、視界が不規則に霞む。センサーの熱源表示に点が増えていく。10、15、20。数字が止まらない。


「第2波だ」


 通信に入ったマイロの声は静かだった。リレイの広域センサーが拾った情報がカイの計器に転送されてくる。


「30以上。接近速度は毎時25km。7分で交戦圏に入る」


 30。

 カイは計器パネルに視線を落とした。ファルケの残弾は7発、ヴェスペは26発。ドナーは両方とも使い切っておりネーベルは2基。ファルターの推進剤は残り10%だ。右肩の装甲は先のゼルマ戦で失ったままで、フレームが剥き出しになっている。


「マイロ、地形を見ろ。東に2kmほど行ったところに何がある」


 ボルトの声だった。通信越しでも声の底に力がこもっているのが分かる。ハウラーの右脚は動かないままなので、ボルトは後方から指揮に徹していた。


「旧鉄道橋梁です。大崩落前のインフラ遺構。橋脚が6本残っていて、橋の両側は崩落した瓦礫で狭くなっています。幅は鉄殻2機分がぎりぎり通れる程度」


「使える」


 ボルトが即座に言った。


「カイ、リント、トワ。橋梁に移動しろ。あの狭い地形に誘い込めば、30体が一度にこっちに来られない。3体か4体ずつ相手にできる」


「了解」


 カイはフットペダルを踏み込み、ケストレルを東に走らせた。


 * * *


 旧鉄道橋梁は想像していたよりも巨大だった。

 赤茶色に錆びたレールが宙へ伸び、途中で折れて地面に突き刺さっている。コンクリートの橋脚は苔と灰塵に覆われて表面がざらついていた。6本の橋脚のうち2本は根元から折れ、残る4本が傾きながらも空を支えている。橋脚の1本には風化した文字が刻まれていた。焦土紀以前の数字で、おそらく建造年だろう。この橋はまだ鉄道が走り、人々が列車に乗って旅をしていた時代の遺物だった。


 橋梁の両側には崩落したコンクリート片と曲がった鉄骨が積み重なり、天然の隘路を形成していた。正面からなら鉄殻2機が並べる幅だが、それ以上は詰まってしまう。


 カイはケストレルを橋梁の手前に立たせた。右側にリントのキャリバーが並ぶ。黄土色の装甲には先の戦闘で増えた弾痕がいくつも刻まれていた。


「トワは上だ」


 ボルトが指示する。


「崩落した橋の上に乗れ。高所から撃ち下ろせ。弾が尽きたら降りて来い」


「了解」


 トワのシルフが身軽に跳躍して折れた橋桁の上に着地した。細い脚で錆びた鉄骨を掴み、不安定な足場の上でも微動だにしない。ルークの銃口が東の荒野を向く。


「リント、お前は右側の瓦礫の陰に入れ。正面はカイに任せろ。カイが食い止めている間に側面から撃て」


「分かった」


 リントがキャリバーを瓦礫の陰に寄せる。ファルケを構え、照準補助センサーのカバーを外した。


 東の地平線に灰色の影が見え始めた。

 低い。鉄殻の半分ほどの背丈だ。頭のない胴体の上にセンサードームが露出し、逆関節の脚が不自然な速さで地面を蹴っている。1体、2体、5体と瓦礫の間から次々に姿を現し、横一列に広がりながら接近してくる。塗装のない灰色の金属。顔のあるべき場所に据えられたセンサードームだけがこちらを向いていた。


 冴覚を伸ばしたが何も返ってこない。人間の敵なら感じ取れる殺意や緊張や呼吸のリズムがポーンには全くなかった。灰色の静寂が灰色のまま広がり、カイの知覚は空を掴む。


「来るぞ」


 カイが言った。


 先頭のポーン3体が橋梁の隘路に突入してきた。

 右腕のティックが火を噴く。20mmの弾丸が橋脚のコンクリートを削って破片が飛散した。カイはケストレルを半歩下げ、ファルケを構えて先頭のポーンの胴体に照準を合わせる。


 引き金を引いた。75mm弾がポーンのセンサードームを貫通し、胴体上部が弾け飛ぶ。火花が散って黒い油が霧のように噴き出した。血ではない。部品が飛散し、千切れたケーブルが蛇のようにのたうつ。ポーンは数歩よろめいて膝から折れ、前のめりに倒れた。動力炉から漏れた油が地面に黒い染みを広げていく。


 2体目が倒れた仲間を踏み越えて突進してくる。そこには一切の躊躇がない。


 リントのファルケが右側面から火を噴いた。75mm弾が2体目のポーンの胸部を横から撃ち抜いて内部のフレームを露出させる。ポーンは横向きに倒れ、隘路を半分塞いだ。3体目がその上を乗り越えようとした瞬間、頭上からトワのルークが40mm弾を叩き込む。センサードームが砕け散って制御を失ったポーンは橋脚に衝突し、錆びた鉄骨ごと崩れ落ちた。


「3体。あと27以上」


 マイロの声が通信に入った。感情の色を持たない淡々とした報告だった。


「残弾に注意してください。カイさん、ファルケは温存を。ヴェスペで対処できる距離なら切り替えてください」


 カイはファルケを下ろして左前腕のヴェスペに切り替える。ポーンの薄い装甲を抜くには30mm弾の射程と威力で十分だ。次の3体が隘路に入ってきた。ヴェスペの三連装が唸りを上げ、30mm弾が先頭のポーンの脚部関節を砕く。倒れたポーンが後続の進路を塞ぎ、2体目が足を取られてよろめいたところをリントが撃ち抜いた。


 だが4体目と5体目は倒れた機体を避け、隘路の壁際を擦るようにして前進してくる。


 * * *


 8体を倒したところでマイロの声色が変わった。


「側面。橋梁の北側を迂回する個体がいます。7体。瓦礫の外を回り込んでいる」


 カイの背筋に冷たいものが走る。


「迂回だと。ポーンにそんな判断ができるのか」


「判断ではありません。進路を塞がれた場合の分岐条件がプログラムに組まれているんでしょう。直進できなければ別のルートを探す。単純な条件分岐です。でも結果は同じだ」


「トワ、北側を見ろ」


 ボルトの声が飛んだ。


「見えてる。7体。200mまで来てる」


 トワが橋桁の上からルークを北へ向けた。40mm弾が迂回してきたポーンの先頭に直撃して肩の装甲板を吹き飛ばす。それでも止まらない。ポーンは肩が欠けたまま歩き続け、ティックの照準をトワの方へ向けた。


「降りろ、トワ。橋の上は的になる」


「分かってる」


 トワはシルフを橋桁から飛び降りさせた。着地と同時にスラスターを噴かして北側の瓦礫の裏へ滑り込む。ポーンの20mm弾がシルフの直前までいた場所の鉄骨を叩き、激しく火花が弾けた。


 正面と北側の2方向から圧をかけられている。


「リント、正面を頼む。俺は北に回る」


 カイがケストレルを動かそうとした瞬間、リントの声が割り込んだ。


「待て。正面まだ来てる。6体。ここを俺だけにするな」


 カイは強く歯を噛み締めた。正面を空ければそこから雪崩れ込まれ、北を放置すれば側面を突かれてしまう。


「マイロ、北側の7体が到達するまでの時間は」


「90秒。ただし正面の残りも同時に押してきます。計20体前後がほぼ同時に」


 20体をたった3機で。しかも弾薬は減り続けている。


「数の暴力か」


 ボルトが低く唸った。


「戦術で裁ける数じゃねえな。構うな、正面に集中しろ。北はトワに任せる。トワ、時間を稼げ。殺さなくていい、足を止めろ」


「煙幕を使う」


 トワが即答した。腰部のディスペンサーからネーベルが射出され、北側の瓦礫の間に白い煙が広がる。ポーンのセンサードームが煙に呑まれた。


 正面では新たなポーンの群れが隘路に殺到していた。倒れた仲間の残骸を踏み、乗り越え、押し退けて前進してくる。瓦礫の壁に体をぶつけながらただひたすらに直進する。恐怖も逡巡もない前進だ。人間なら仲間の死体を見れば足が止まるが、機械にはそれがなかった。


 カイは鍛翼刀を抜いた。もはや弾を使っている余裕はない。隘路に入ってくるポーンを近接で仕留めるしかなかった。


 3.8mの片刃が柄の振動機構によって低く唸り始める。高周波振動が刀身を走り、灰色の空気の中で金属が共鳴した。


 先頭のポーンが隘路を抜けてきた。ティックの銃口がケストレルを向く。

 カイは力強く踏み込んだ。ケストレルの鳥足型の脚部が地面を蹴り、ポーンとの間合いを一瞬で詰める。鍛翼刀が横薙ぎにポーンの胴体を両断した。高周波振動が装甲を噛み砕き、切断面から火花と油が噴き出す。ポーンの上半身と下半身は別々の方向へ倒れ、部品が地面に散らばった。


 間を空けずに2体目が突進してくる。カイは刀を返し、突きの形でセンサードームを貫いた。刃がポーンの胴体を背面まで突き抜け、引き抜くと黒い油が刀身を伝って滴り落ちる。


 血は出ない。悲鳴も断末魔もない。ただ部品が散って油が垂れ、動いていたものが動かなくなるだけだった。にもかかわらず次から次へと同じ姿の機械が迫ってくる。同じ速度、同じ角度で、同じ無表情のセンサードームをこちらに向けて。


 恐怖の質が違っていた。1体を壊しても全く同じ動きで次が来るのだ。


 リントのファルケが乾いた音を立てた。空撃ちだ。弾が切れた。


「ファルケ、弾切れだ」


 リントの声に焦りはなかった。ファルケを投げ捨ててルークに切り替える。40mm弾が正面のポーンの脚を砕くが、ルークの残弾も決して多くはなかった。


「弾を節約しろ。本命はこの後だ」


 トワの声が通信に入った。北側の煙幕の中で戦いながらも冷静に全体を見ている。本命とはコルヴァスの鉄殻部隊だ。ポーンは前座に過ぎず、ここで弾を使い切れば本当の戦闘で対抗手段がなくなってしまう。


 やがてリントのルークも弾が尽きた。


「ルークも空だ」


 リントは短く報告すると左腰からシュティレットを引き抜いた。1.5mの短刀は鉄殻の近接武装としては小さい。リントは射撃が本領であり近接戦は得意ではない。それでもキャリバーの逆関節脚で瓦礫を蹴り、突っ込んできたポーンの関節部にシュティレットを突き立てた。刃が逆関節の膝の隙間を抉ってポーンが姿勢を崩す。リントはそのまま刃を捻り、引き抜いて後退した。


 だが次のポーンのティックが至近距離で火を噴いた。20mm弾がキャリバーの右腕に3発直撃する。肩関節のアクチュエータが砕け、右腕がだらりと垂れ下がった。リントが苦痛の声を漏らす。


「右腕の駆動系が死んだ。腕は動く、力が入らない」


 右腕が使い物にならないのは射撃主体のリントにとって致命的だった。シュティレットを左手に持ち替え、左腕のイージスを構える。盾と短刀という本来のスタイルとは真逆の構えだった。


 カイは鍛翼刀を振り続けた。1体、また1体と隘路に入ってくるポーンを切り伏せる。油と金属片が飛散し、ケストレルの装甲が黒く汚れていく。刀を振るたびに切断面から火花が散り、一瞬だけ灰色の景色をオレンジに染め上げた。


 北側ではトワがシルフのスラスターを全開にし、ポーンの群れの間を縫うように走り回っていた。シュティレットが閃き、ポーンの脚部を次々と切り裂いていく。殺さず動きを止めるだけだ。脚を切れば歩けなくなり、歩けなくなれば追ってこない。トワの戦い方は徹底して効率的だった。


 * * *


 最後のポーンが沈んだ瞬間、操縦桿を握る両腕からごっそりと感覚が抜け落ちた。酷使された腱が焼け焦げたように熱く、肘の奥で鈍く脈打っている。密閉されたコックピットには荒い呼気だけが反響していた。計器パネルを見る。ファルケは残弾3発でヴェスペは9発。ネーベルは残り1基。ファルターの推進剤は残り4%。鍛翼刀の刀身には油と金属粉がこびりつき、振動機構の唸りがわずかに不規則になっていた。


 カイは通信を開いた。


「リント、状況は」


「右腕はだめだ。肩のアクチュエータが3つ割れてる。ファルケもルークも弾がない。シュティレットと盾だけだ」


 リントの声は平坦だ。怒りも嘆きもなくただ事実を並べている。キャリバーの右腕は肩から先が力なく垂れ、関節の隙間から潤滑油が滴り落ちていた。


「トワは」


「煙幕を2基使った。残り2基。ルークの弾は11発。シュティレットは健在。機体に損傷はない」


 トワが簡潔に答える。


 カイは目を閉じた。

 橋梁の周囲には破壊されたポーンの残骸が散乱している。灰色の金属片や千切れたケーブルにひしゃげたセンサードーム、そして地面に広がる黒い油の染み。人間の戦場なら血と肉の匂いがするはずの場所に、機械油と焼けた金属の匂いだけが漂っていた。橋脚に刻まれた旧文明の数字が残骸の向こうに静かに見えた。


「退けたな」


 ボルトの声が入る。


「だが弾が足りねえ。リントの右腕も終わってる。次が来たら持たない」


 次とはコルヴァスの本隊でありゼルマの遠征軍だ。鋼城モノリスが生み出す無限のドール。今倒した30体はその生産ラインから吐き出されたほんの一握りに過ぎない。


 カイは操縦桿を握り直した。指の震えが止まらない。ゼルマとの戦闘では怖くても相手の意図が読めた。冴覚が相手の殺気を捉えて次の手を予測できたのだ。だがポーンの群れからは何も読めない。灰色の金属が無感情に押し寄せてくる圧力は、戦術で削り取れる限界をすでに超えていた。


 勝ったのではない。退けただけだ。


 油にまみれた鍛翼刀を鞘へ押し込む。這いずるような鈍い摩擦音が、かろうじて生き延びたという事実を鼓膜へと刻みつけた。

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