読めない群れ
荒野の地平線に影が並んでいた。
ケストレルの正面カメラが捉えた映像を、カイは操縦桿を握ったまま凝視した。距離2400m。灰域の東に広がる枯れた平原の上を等間隔で移動する灰色の点。1つ、2つ。数えていくうちに指が足りなくなった。
「22」
トワの声が通信に入った。
「いや、23だ。左翼の端にもう1つ見える」
リントが訂正した。キャリバーの照準センサーが遠距離の識別に切り替わったらしく、通信の向こうで微かにレンズの駆動音が聞こえた。
「ポーンか」
カイが言った。昨夜の作戦会議でリオンから送られてきた戦術分析を読んだ。アサルト・ドール「ポーン」。セルヴィス管区が灰域浄化作戦に投入する無人歩兵。全高5.4m。プログラム行動。火器は右腕固定の20mm機関砲。頭部はない。胴体上部にセンサードームが載っているだけの顔のない人型。
「散開するか」
リントが訊いた。
「いや。等間隔で来ている。横に広がれば各個に回り込まれる。正面で止めろ」
トワが応じる。
「カイ、正面を頼む。私が左翼を削る。リント、右翼を撃て。中央を突破されるな」
「了解」
カイは操縦桿を握り直した。ファルケの残弾26発。ヴェスペ120発。ドナー2発。ネーベル2基。ファルターの推進剤は72%。ストーンクロスで補給を受けたが元の積載量には届いていない。灰域の弾薬事情ではこれでも恵まれた方だった。
距離1800m。ポーンの群れが近づいてくる。
カイは息を整え、意識を研ぎ澄ませた。
冴覚を開く。
いつもならここで灰色が落ちる。世界から色が引き、音が遠ざかり、心臓の音だけが残る。敵の殺意が圧力として肌を押し、次の動きが見える。ゼルマの時もヴァルカンの隊列と撃ち合った時も、灰色の静寂はカイの背中を押してくれた。
何も来なかった。
距離1500m。ポーンの群れが正面カメラの中でゆっくりと大きくなっていく。逆関節の脚部が規則正しいリズムで地面を踏む。23体が同じ歩幅、同じ速度、同じ間隔で前進している。
カイは冴覚をもう一度深くまで押し込んだ。戦場で対峙する相手には必ず何かがある。殺意。恐怖。焦り。怒り。意地。覚悟。人間が操縦桿を握っている限りその感情は機体の挙動に滲み出る。カイの冴覚はそれを読む。「来る」と分かる。「右だ」と感じる。
ポーンの群れからは何も来なかった。
殺意がない。恐怖もない。焦りも怒りもない。機械の関節が設定されたパラメータ通りに動いているだけの空っぽの動き。灰域の荒野に立つ23体の灰色の金属はただ前進していた。
灰色の静寂が発動しない。世界に色がないまま、色のない敵が近づいてくる。
「勘が、効かない」
カイは呟いた。
距離1200m。ポーンの先頭列が有効射程に入る。
「撃つ」
トワの通信と同時に左翼でシルフの軽い銃声が響いた。トワの戦闘短刀ではなく右腕保持の短銃身ライフル。中距離からの精密射撃で左端のポーンの胴体を撃ち抜いた。ポーンが前のめりに倒れ、逆関節の脚が一度だけ痙攣して止まった。血は出ない。破孔から油と部品の破片が飛散し、灰色の金属が灰色の地面に転がっただけだった。
群れは止まらなかった。
1体が倒れても残りの22体は同じ速度で前進を続けた。倒れた仲間を避けもしない。踏み越えもしない。隊列がわずかにずれただけですぐに等間隔に戻った。
右翼でリントのファルケが火を噴いた。75mm弾が右端のポーンのセンサードームを粉砕し、頭部を失った機体が数歩よろめいてから膝を折った。リントは間髪入れず2発目を撃ち、隣のポーンの右腕を根元から吹き飛ばした。武装を失ったポーンはそれでも前進を続けた。左腕のマニピュレータを振り上げてキャリバーに向かって歩き続ける。
「武装を落としても止まらない。胴体か脚を壊せ」
リントが通信で報告した。声に苛立ちが混じっていた。
距離800m。カイはファルケを構えた。
何も来なかった。
計器だけが現実だった。距離計の数字と残弾表示の数字。それしか頼れるものがない。
カイはファルケの照準を正面のポーンに合わせた。距離計が780mを示している。残弾表示26の数字を確認して引き金を引いた。75mm弾がポーンの胸部に命中し、薄いプレス成形の装甲を貫通して背面から抜けた。ポーンが仰向けに倒れ、逆関節の脚が空を蹴った。胴体の穿孔から油が飛び、歯車の破片が地面に散った。
次。距離計を見る。760m。照準を隣のポーンに移す。撃つ。命中。胴体に穴が開き、内部の駆動系が火花を散らして停止した。
次。740m。撃つ。命中。センサードームが砕けて破片が灰色の地面に転がった。だが脚は3歩動いてからようやく止まった。プログラムが停止信号を出すまでの空走。人間なら即座に倒れる損傷でもポーンは命令が途切れるまで動き続ける。
カイの喉が乾いていた。冴覚で読めないなら目で見て計器で測り、手で撃つ。それだけのことだった。だがカイの手は微かに震えていた。「来る」と感じるはずの圧がない。静寂が静寂のまま何も教えてくれない。背後から殴られるような不安が操縦桿を握る指の間から染み込んでくる。
ポーンの群れが射撃を開始した。
20mm機関砲の連射音が荒野に響いた。同時ではなかった。バラバラに、だが絶え間なく。右腕を固定したまま前進しながら撃ってくる。個々の射撃精度は低い。プログラム行動の限界だ。弾道は直線的で予測射撃もしない。だが20体以上が同時に撃てば弾幕は面になる。20mm弾がケストレルの足元の地面を叩いて土と砂利が跳ね上がった。跳弾した1発が左脚の装甲に当たり、甲高い金属音が響いた。
カイはフットペダルを踏み込み、ケストレルを右に動かした。冴覚に頼れない以上は弾道を目で追うしかない。正面カメラに映るポーンの右腕の角度から射線を推測する。右腕は固定式だ。機体の向きがそのまま射線になる。ポーンの向いている方向から弾が来る。単純な理屈だった。だが23方向から同時に射線を読むのは目と頭だけでは限界がある。冴覚なら一瞬で全体が見えた。今は1体ずつ追うしかない。
左に戻る。20mm弾がケストレルの右脚装甲を掠めて塗装が削れた。浅い。だが被弾は被弾だ。
距離600m。残弾22発。
撃つ。ポーンの脚部に命中して逆関節が砕けた。機体がバランスを崩して横倒しになったが、上半身が地面に倒れたまま右腕の20mmを撃ち続けている。弾が明後日の方向に飛んでいく。もう1発使って胴体を抜き動力炉を止めた。
撃つ。センサードーム。視力を失ったポーンが見当違いの方向に20mmを撃ち続けている。もう1発。胴体。停止。2発で1体。弾の無駄だ。
残弾18発。
左翼でトワのシルフが高速で動いていた。ポーンの弾幕の間を縫うように走り、至近距離から1体ずつ仕留めている。シルフの細い機体が20mm弾の雨の中を滑るように駆け抜ける。逆関節の長い脚がアスファルトを蹴り、急激な方向転換でポーンの射線の外に出る。装甲がない分1発でも当たれば致命傷だ。だがトワは当たらない。冴覚の自覚がなくても14年の傭兵人生が培った「勘」がトワの機体を弾道の隙間に滑り込ませている。
右翼ではリントが動きながら撃っていた。キャリバーの移動射撃。足を止めずに75mm弾を叩き込む。左腕のルークで牽制しながら右腕のファルケで急所を撃つ。キャリバーの黄土色の装甲に20mm弾が何発か当たっていたがリントは構わず前進していた。
カイだけが戸惑っていた。
これまで頼ってきたものがここにはない。
距離400m。ポーンの群れが3列に圧縮されてきた。先頭列の5体がケストレルに集中して射撃を始めた。20mm弾がコックピットの正面装甲を叩き、衝撃がカイの歯を鳴らした。ケストレルの装甲なら20mmは止められる。だが連続的な衝撃が操縦桿の微調整を狂わせる。照準がぶれる。
カイはヴェスペに切り替えた。左前腕の30mm三連装が火を噴き、正面のポーン2体の上半身を引き裂いた。センサードームが飛び、腕が千切れ、油と金属片が宙に散った。人間なら悲鳴が上がる距離。だがポーンは無音で壊れた。腕が千切れ、油が散る。それきり何の音もしなかった。
* * *
残りが8体になった時、ポーンの動きが変わった。
等間隔の隊列が崩れ、8体が3方向に分散した。プログラムの分岐条件に引っかかったのだろう。一定数を失った時点で包囲行動に移行するよう設定されていた。
「散った。3体がそっちに回るぞ、カイ」
リントの声が飛んだ。
右後方から3体のポーンが接近してくる。距離200m。カイはケストレルを振り向かせた。ファルケの残弾を確認する。14発。
冴覚を試みた。もう一度だけ。
ポーンの群れに意識を向け、灰色の幕が落ちるのを待った。
何も起きなかった。灰色の静寂は読むべきものがない時には訪れない。
カイは計器に視線を戻した。距離180m。ファルケを構える。撃つ。右腕の20mm機関砲を撃ちながら突進してくるポーンの胴体を撃ち抜いた。2体目。距離が詰まっている。150m。撃つ。頭部のセンサードームが砕けた。だが脚は止まらない。盲目のまま最後に記憶した方向に走ってくる。もう1発。胴体に命中してようやく倒れた。
3体目が至近に迫っていた。距離50m。左腕のマニピュレータがケストレルの胸部装甲に届く距離。カイは右腰の鍛翼刀を引き抜いた。振動機構を起動する余裕がなかった。そのまま薙ぎ払った。3.8mの片刃がポーンの胴体を横一文字に断ち、上半身と下半身が別々の方向に崩れ落ちた。切断面から油が噴き、ケストレルの脚部装甲に黒い飛沫が散った。
通信にトワの呼吸音が入った。
「左翼、片付いた」
続いてリント。
「右翼、残り1体――落とした。終わりだ」
* * *
荒野に23体のポーンの残骸が散乱していた。
灰色の金属が灰色の地面に転がり、区別がつかない。どれも同じ形で同じ色で、同じように壊れている。個体差がない。23体が全て同じ設計図から打ち出された同じ部品の集合体だった。破孔から漏れた油が乾いた土に黒い染みを広げている。動力炉の残熱でいくつかの残骸から薄い蒸気が立ち上っていた。血は一滴もない。悲鳴も呻き声も最期の言葉もない。人間を壊したのではない。機械を止めただけだ。
静かすぎる。むせ返るような血の匂いがどこにもない。その静寂の中で自分の心拍だけが酷く生々しく響いていた。
計器を見た。
ファルケ残弾10発。ヴェスペ74発。ドナー未使用2発。ネーベル2基。ファルターの推進剤は68%。
弾薬の3割を使った。23体のポーンに3割。ゼルマのような銘殻の操手ではない。量産型の無人機だ。1体あたりの脅威は汎殻にも遠く及ばない。それでも3割。数は質を押し潰す。
「カイ」
トワの声が通信に入った。落ち着いた声だ。
「手、震えてるだろう」
カイは操縦桿から目を離し、自分の右手を見た。指が小刻みに揺れていた。握り直しても止まらなかった。ゼルマの時とは違う震えだった。あの時は分かっていた。今は分からない。機械を壊しただけだ。なのに怖い。
「……ああ」
「読めない敵は怖い。冴覚が効かないんだろう」
カイは答えなかった。
「計器だけで戦えたなら、それでいい。勘に頼れない時に計器に戻れるのは、悪い操手じゃない」
リントの声が割り込んだ。
「俺は最初から計器しかないがな」
軽口だった。だがリントの声にもいつもの余裕はなかった。キャリバーの装甲に20mm弾の痕がいくつも刻まれているのがカイの正面カメラに映っていた。
「リオンの分析では、これは先遣だ」
トワが言った。
「先遣の23体で弾の3割。本隊が来たら足りない」
沈黙が通信を満たした。エンジンのアイドル音と風の音だけが聞こえる。
カイは荒野を見た。ポーンの残骸の向こうに東の地平線が灰色に霞んでいる。あの向こうからまだ来る。顔のない灰色の群れが殺意もなく恐怖もなく、ただ前進してくる。何体来るのか分からない。50か。100か。セルヴィスの工場では1日に何体のポーンが生産されているのか。
カイの手はまだ震えていた。




