ポーンの足音
通信のノイズが変わった。
いつものざらついた雑音ではなく、高い周波数の断続音が混じっているのはタリアが構築した中継回線の特徴だった。灰域の廃棄通信塔を修理して繋いだ即席のネットワークだ。信号はストーンクロスからアイアンウェルを経由し、そこからクレスタのサーラ・モレノが管理する商用通信帯域に乗り換えて東方の情報をここまで運んでくる。迂回に次ぐ迂回で遅延は避けられない。だがこの回線がなければ灰域の東で何が起きているかを知る手段はなかった。
マイロの声が入った。
「東方から通信が入った。確認してほしい」
カイはケストレルのコックピットで背筋を伸ばした。右肩装甲のないケストレルがストーンクロス東方の荒野に膝をついている。露出したフレームに凍った風が吹きつけ、金属が収縮する微かな軋みが外部マイクを通じて聞こえた。ゼルマを退けてから2時間。ハウラーの右脚は応急処置で油圧管を繋ぎ直したもののまだまともに歩けない。4機とも弾薬が心許なく、整備のためにストーンクロスに戻る途中だった。凍った荒野の地面に鉄殻の足跡が点々と続いている。どの足跡も深く重い。機体の消耗が足取りに出ていた。
マイロのリレイが30m先の岩陰に停まっている。センサーと通信機能を強化した軽装の残殻は戦場でこそ後方に控えるが、こういう時に真価を発揮する。マイロが中継回線の暗号を解いて受信データを整理し、各機に転送していた。
「送信元は」
「不明。だがタリアの中継回線を経由している。暗号の書式がセルヴィスの軍用通信と一致する」
カイの背中を冷たいものが走った。セルヴィスの軍用通信。タリアの回線を使って。
それを送れる人間は一人しかいない。
* * *
データの転送が完了した。
マイロが通信で内容を読み上げる。声は平坦だったが言葉を選ぶ間が普段より長かった。
「セルヴィス防衛機構、灰域浄化作戦が本格始動。コルヴァスを先鋒に、正規軍3個師団が灰域東部から侵入を開始。進軍速度は1日あたり15km。現在地はアイアンウェルの東方約400km」
ボルトの舌打ちが通信を叩いた。
「来やがったか」
「それだけじゃない」
マイロが続けた。
「正規軍の前方に、ドールの大規模展開が確認されている。型式はSv-AD-II。セルヴィス制式のアサルト・ドール」
「ドール?」
ボルトの声に苛立ちが混じった。ドールという単語は知っている。無人の戦闘機械だ。だが灰域でドールの群れと交戦した経験はレイダーズにはなかった。
「コードネームは『ポーン』。全高5.4m、重量8.2t。二足歩行型。右腕に20mm機関砲を固定装備。操手なし。プログラムで動く」
「数は」
「確認されているだけで、先遣群が80体以上。後続はまだ見えていない」
80体。カイはその数字を噛み締めた。ゼルマのシンダーとその護衛部隊だけで4機が限界だった。ボルトの指揮とリントやトワの連携があってようやく退けたに過ぎない。80体の無人機。1体ずつ潰すとしても——途中で計算が止まった。弾薬の残量を思い出したからだ。
通信に別の信号が割り込んだ。
タリアの中継回線を通じてもうひとつのデータパケットが届いていた。マイロが解析する。
「追加データがある。送信元は同一。戦術分析だ」
マイロは短い沈黙のあとに読み上げた。
「ポーンの行動パターン。索敵はセンサードームの光学・熱源走査に依存。有効探知距離は約800m。それ以遠は事実上の盲目。プログラム行動は定型パターンの組み合わせで構成されており、不規則な機動に対する適応能力が低い。特に側面からの急激な進路変更に対して反応が0.8秒から1.2秒遅延する」
カイは息を止めた。
内部の人間にしか書けない情報だ。セルヴィスのドール運用マニュアルの中身をそのまま翻訳して送ってきている。
「続きがある」
マイロの声が硬くなった。
「弱点。関節部の装甲が薄く、膝の駆動系を破壊すれば行動不能になる。ただし装甲が薄いとはいえ20mmでは貫通できない。最低でも75mm以上の直撃が必要。頭部のセンサードームを破壊すれば完全に停止するが、ドームの外殻は防弾合金製で、正面からの射撃では弾く。横から撃て」
マイロが読み上げを止めた。
「最後に一文だけ書いてある」
短い間があった。
「『数が多い。気をつけて』」
カイは操縦桿を握っていた手を緩めた。
リオンだった。
合流より先にできることをやっている。コルヴァスでドールの運用を現場で見てきた人間だ。射角の指示まで実戦の手触りがあった。
気をつけて。軍用暗号の末尾にそこだけ平文で書いてあった。暗号にする必要のない言葉だ。カイはもう一度それを読んだ。
* * *
ボルトが口を開いた。
「ドールか。人が乗ってない鉄の箱が80体。面倒だな」
「面倒で済むかどうか」
マイロが応じた。声に普段の穏やかさがなかった。
「ドールの最大の脅威は個々の性能じゃない。数だ。1体は汎殻以下の戦闘力しかないが、20体、30体の群れで来る。弾薬の消耗が段違いになる。さっきのゼルマ戦でファルケの残弾がどれだけ減ったか、覚えているだろう」
カイは計器を見た。ファルケ残弾10発。補給なしではあと1戦が限界だった。
「しかもドールには冴覚が効かない」
マイロの言葉にカイの指が止まった。
「操手が乗っていない。意識がない。カイ、お前が読んでいるのは敵の操手の意識だろう。ドールにはそれがない。来る気配が読めない相手と戦うことになる」
カイは答えなかった。灰色の静寂を東へ広げた瞬間、探る神経の先が虚空を掻いた。ゼルマのときに触れたあの揺るがない圧がない。底なしの不在だけがある。来る気配がどこにも映らない相手と戦うのは初めてだった。
ボルトが低い声で言った。
「俺たちは冴覚なしで30年戦ってきた。読めない敵はいつものことだ。だが80体は別の話だ」
「東からセルヴィス、西からグランヴェルト」
マイロが言った。声が沈んでいた。
「灰域は挟撃される形になった」
沈黙が落ちる。
カイはコックピットの正面カメラを切り替えて広角に設定した。荒野が広がっている。灰色の空の下で凍った大地がどこまでも続く。西の地平線にはゼルマのシンダーが退いた方角がある。あの暗緑色のライムが遊肢を1基失いながらも整然と退いていった方角。東は見えない。400km先で80体以上のドールが灰域に向かって歩いている。顔のない二足歩行の機械が逆関節の脚で凍った大地を踏んでいる。その足音は聞こえない。まだ聞こえない。
マイロがリレイのコックピットで広げた地図を通信で共有した。カイの計器パネルの補助画面に灰域の概略図が表示された。中央にストーンクロス。西にグランヴェルト管区からの矢印。ゼルマのシンダーが先陣を切り、その後方に本隊が控えている。東にセルヴィスの矢印。コルヴァスと正規軍3個師団がドールの群れを前面に押し立てて進軍している。
二つの矢印が灰域を左右から挟み込んでいた。西の矢印は太く短い。グランヴェルトとの距離が近い分だけ圧力が直接的だった。東の矢印は細く長い。だがその先端にコルヴァスの名前があった。リーヴ・シェイドが率いる特務遊撃隊。
ストーンクロスはその真ん中にあった。800人が暮らす灰域最大の集落が二つの矢印に挟まれた小さな点として地図に載っている。
「どっちを先に相手にする」
ボルトが言った。低い声だった。答えを知っている声ではなかった。
「どちらも同時に来る」
マイロが答えた。
通信が沈黙した。ノイズだけが残った。タリアの中継回線が拾う微かな雑音が凍った荒野の空気を震わせていた。カイは計器パネルの補助画面に映った地図を見つめていた。二つの矢印。東と西。その間にある小さな点がストーンクロスだった。
ケストレルの外部マイクが風の音だけを拾っていた。東方から何も聞こえない。まだ何も。




