共鳴する刃
通信が割れた。
ボルトの声だった。雑音の向こうに荒い息と金属が軋む音が混じっている。
「ハウラー、右腕機能停止。パイルの反動で関節が死んだ。ファルケは使える。ただし片腕だ」
「動けるか」
「動ける。行け」
カイはケストレルを走らせた。
ライムとの距離は200mを切っていた。ゼルマの意識が冴覚の中で捉えられる。揺れていない——あの一瞬の乱れはもう消えている。パイルバンカーの衝撃を受けた後でも、もう元の静けさに戻っていた。
残る遊肢が2基、ライムの左側面と背後に展開している。右翼を失った配置を即座に再構成した。左翼の1基がケストレルに照準を合わせている。
カイは右に跳んだ。速射砲の20mm弾が左肩を掠め、装甲に刻まれた傷が増える。左肩インジケーターが赤域に入った。だが止まらない。
残り150m。鍛翼刀の間合いには遠い。
遊肢が再照準した。冴覚がタイミングを読んでいる。発射の0.2秒前に右肩が沈む。
左に跳ぶ。20mm弾が右脇を通過した。
残り100m。
ゼルマが動いた。
ライムの右腕ファルケが75mm弾を射出した。冴覚が反応するより先に初弾が来た——いや、初弾ではない。冴覚は捉えていた。だがゼルマの行動の起点が冴覚で読める部分より前にある。感情の揺れがない。冴覚が人間の感情から動作を先読みするなら、感情のない動作は先読みできない。
75mm弾がケストレルの胸部に直撃した。
衝撃で視界が白くなった。コックピットが弾き飛ばされるような激震。シートのベルトが肩に食い込み、計器の表示が一瞬消えて戻った。胸部装甲が大きく歪み、インジケーターが赤域に変わった。機関温度が跳ね上がる。
倒れない。
ケストレルは止まらなかった。損傷を受けながらも慣性で前進し続ける。カイは視界が戻る前に操縦桿を押し込んだ。立て直す動作が体に染み込んでいた。
残り70m。
ゼルマが次弾を装填する動作が冴覚に見えた。感情の揺れではなく機械的な動作のパターンで読む。装填0.4秒。カイはその時間内に距離を詰める。
ライムの左翼遊肢が割り込んできた。速射砲が連射し、20mm弾が雨のようにケストレルに降り注ぐ。右肩、左脇腹、右膝。装甲が次々と撃ち抜かれて火花が飛び散り、破片が飛翔する。ケストレルの駆動系に弾が入り込み、膝の応答が鈍くなった。
速度が落ちる。
まずい。あと一歩踏み込めれば——しかし遊肢がいる。本体との距離を詰めようとすれば遊肢の射程に入り続け、弾を受け続ける。
冴覚を遊肢に向けた。機械的な判断パターン、次の照準軌道、射撃間隔。ゼルマが遊肢を制御している部分は読める。ゼルマ自身の意識が遊肢の制御に触れる瞬間がある。その一瞬、制御信号が走る直前に遊肢の動作を変えさせる。
電子的な干渉ではない。冴覚は電波を遮断できない。だが、制御に向いたゼルマの注意の向きを読んで、遊肢が反応する前の0.1秒を利用することはできる。
試す価値がある。
カイはケストレルの動きを意図的に一定にした。規則的な前進。遊肢の予測に合わせた動作パターン。遊肢が照準を合わせやすい動きをわざとする。
遊肢の速射砲が追従した。次弾の照準がケストレルの移動軌道上に合った瞬間、カイは急に左に跳んだ。
弾は外れた。遊肢が再照準する0.4秒の間に、カイは距離を詰める。
同時に後方からボルトのファルケが遊肢に射撃を加えた。75mm弾が左翼遊肢の推進ユニットを直撃し、爆発が起きた。遊肢が制御を失い墜落する。
「行け!」
ボルトが叫んだ。
最後の1基——背後の遊肢が反応し、ライムの背後からケストレルに速射砲を向けた。
リントの通信が入った。
「背後は俺が引きつける。今だ!」
キャリバーが廃墟の影から飛び出し、背後の遊肢に向けて走りながらファルケを連射した。遊肢が向きを変えリントに照準を向ける。
カイは残る全推力を前に集めた。ファルターが全噴射し、損傷した駆動系が悲鳴を上げる。残り40m。30m。
ゼルマが冴覚の中で大きく動いた。
初めて感情に近いものが動いた。感情ではない——判断の集中だ。全ての注意が一点に集まる。ケストレルだけを見ている。
ライムの正面砲が照準を合わせた。
カイは操縦桿を最大限に入力した。ケストレルが跳んだ。左に大きく。ファルターが横噴射し、機体が地面すれすれで横滑りする。
ライムの75mm弾が右脇を通過した。間一髪だった。
着地と同時に右腰から鍛翼刀を抜いた。振動機構が起動して刃が唸る。ライムの胴体が目の前にある。20m。10m。
刃を振った。
ライムの左腕の盾がケストレルの刃の軌道に入ってきた。ゼルマが盾を滑らせてケストレルの接近角に合わせた。鍛翼刀が盾の装甲に喰い込んだ——盾を貫くほどの角度にならなかった。振動機構が盾の表面を削り、火花が散ったが止まった。
弾かれた。
ケストレルの腕が跳ね返り、体勢が崩れる。その隙にライムの右腕が動いた。ファルケの銃身がケストレルの胴体に押しつけられる。
至近距離だった。
「——ッ」
トリガーが引かれる。冴覚が先読みするより手の動きの方が早かった。
銃声。
ケストレルの左側面装甲が吹き飛んだ。75mm弾が至近距離で左腹部を直撃し、装甲板ごと内部フレームを抉った。コックピット全体が弾き飛ばされるような衝撃が来て、計器が半数消えた。
カイは操縦桿を握り続けた。手が震えて力が入らない。コックピットの内壁に叩きつけられた右肩が悲鳴を上げる。シートのベルトが胸に食い込んで息ができない。
ケストレルが後退した。よろめきながら、しかし倒れなかった。
ライムが一歩踏み込んできた。
機体のインジケーターがほとんど赤域に染まっていた。左腹部は装甲喪失。胸部は大きく損傷。右膝の応答は鈍く、左肩は動きが制限されている。燃料残量28%。あと数発まともに受けたら、ケストレルは動けなくなる。
逃げろ。
体の奥から声がした。
退けばまだ生きられる。ケストレルの速さがあればライムから離脱できる。損傷しているが走れる。今すぐ背を向ければ——
冴覚がゼルマの意識を読んでいた。
静かだった。ゼルマは追わない。確認している。目の前の機体が戦闘不能かどうかを見極めている。退けば追わない。脅威でなくなったと判断したら興味を失う。だがストーンクロスには進む。
退けない。
カイはケストレルを前に向けた。
损傷した左腹部から油圧液が漏れており、踏み出すたびに挙動がずれる。修正し続けながら前進する。振動機構が唸る鍛翼刀を構え直す。刃先に盾の削り跡が残っていた。
冴覚を使い切る。ゼルマの行動起点が読めないなら、機体の物理的動作を読む。装甲の動き、関節の入力、重心の移動。感情がなくても、機体の動作には物理的な予兆がある。
ライムの右肩が動いた。
カイは左に跳んだ。75mm弾が右肩装甲を掠めて火花が散る。着地して即座に踏み込む。あと10m。
今度は盾を狙わない。
刃先をライムの盾の端に当てて滑らせながら、ケストレルの全重量をライムにぶつけた。体当たりだ。25tと33tがぶつかり合い、衝撃でライムが体勢を崩す。ゼルマの意識が乱れた——物理的な衝撃で体勢制御に注意が割かれる。
その一瞬に鍛翼刀を右膝の裏の関節に叩き込んだ。
盾がない場所。傾斜装甲がない場所。振動機構が関節の金属を削り、装甲の繋ぎ目に喰い込む。ライムが膝から崩れた。
倒れなかった。
ゼルマは片膝をつきながら上半身を保持した。右手のファルケをケストレルに向け直す。距離3m。当たる。
「カイ!」
ボルトの声が通信を割った。
ハウラーが全速でぶつかってきた。片腕のハウラーが33tの全重量でライムの側面に体当たりする。ライムが右に傾き、ファルケの銃口がずれた。発射された75mm弾がケストレルの頭部装甲を掠めて飛んでいく。
カイはケストレルを後退させた。膝に刃が残ったままライムが崩れかけている。
ライムの通信が開いた。
「——撤退する」
低い声だった。男の声だ。ゼルマ・ヴォルフの声は初めて聞いた。感情はなかった。損傷の状況を分析して撤退を判断した機械的な宣告だった。
ライムが立ち上がった。膝の損傷で動きが鈍いが立てた。残る遊肢1基を手元に引き寄せ、ゆっくりと後退を始める。リントに追われていた遊肢も離脱を始めた。
カイはケストレルでその後退を眺めていた。追う力が残っていなかった。追う理由もある——だが足が動かない。損傷した駆動系が最低限の姿勢維持だけを続けており、一歩踏み出せるかどうか分からない。
ライムが靄の中に消えていった。
凍結湿地帯が静まり返った。
計器に目を落とす。燃料残量26%。主要インジケーターが赤域。ケストレルは戦闘継続不能に近い状態だった。
通信が入った。
「本隊が後退している」
マイロの声は抑制されていたが、その奥に安堵がある。
「ライムが撤退を選択した。汎殻部隊も追随を始めた。シンダーの侵攻が止まった」
止まった。
「ストーンクロスを守れるか」
「防衛線は維持できる。シンダーの前進は今日止まった」
カイはコックピットの中でシートに体を預けた。ベルトを緩め、肩から手を離す。右肩がずきりと痛んだ。気づかなかった。コックピット壁への衝突は記憶しているが、その後の痛覚は戦闘中には届いていなかった。
今届いた。
右肩、左肘、胸。当たった場所全部が時間差で主張してくる。ベルトの跡が肋骨に残っている。
「カイ」
ボルトの声だった。
「生きてるか」
「生きてる」
「そうか」
それだけだった。ボルトの通信が切れ、ハウラーが湿地帯の縁で停止しているのが見えた。右腕が動かないハウラーが立っている。傷だらけの継ぎ接ぎ装甲が白い湿地帯の靄の中に立っていた。
トワのシルフが廃墟の影から歩み出てきた。
リントのキャリバーが南側から姿を現した。
4機が凍結湿地帯の縁に並んだ。誰も何も言わなかった。銃声が消えた後の静寂の中で、4機の排気音だけが低く湿地帯の空気を震わせていた。
靄の向こうにライムの姿はもうなかった。




