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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
鉄の鳴く夜

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灰色の鎚

最初に見えたのは煙だった。

 ストーンクロスの北門から灰域の荒野を望んだとき、北西の地平線の上に黒い柱が3本空に向かって伸びていた。鉄根樹の林の向こうで何かが燃えている。風が煙を南に流し、灰色の空に墨を溶かしたような筋が這っていく。


 カイはケストレルのコックピットから身を乗り出してその煙を見つめていた。

 整備台の上でケストレルは静止している。昨日まで3日間の訓練で操縦桿の握りに指が馴染み始めたところだった。残殻とは違う。操縦桿を倒した瞬間の応答が鋭く関節の動きは滑らかで、機体の重心も常に安定している。それなのに目が勝手に北西へ戻る。煙はさっきよりも太くなっていた。


「見えるか、カイ」


 ボルトの声が地上から飛んできた。整備台の下に立って同じ方角を睨んでいる。腕を組み、目を細め、風に髪を乱されながら。


「あの方角はグレイハンマーだ」


 グレイハンマー。ストーンクロスの北西約30kmにある小集落だ。一度だけ廃材の取引で行ったことがある。年寄りと子供ばかりの四十人かそこらの集落で、盾になる残殻は2機。どちらも旧世界の農業重機を改造した代物だった。


 煙が3本。集落の建物が燃えている。


  * * *


 彼らがストーンクロスの北門に現れたのはそれから4時間後だった。

 日が傾き始め、凍った地面が橙色の光を鈍く反射している時刻。門番のフランが走ってきて息を切らしながら報告した。


「北から避難民が来ます。20人以上。鉄殻はなし。徒歩です」


 カイはケストレルから降りて門に向かった。ボルトとリントは既に門の前に立っていた。トワは少し離れた壁の上に腰を下ろして北の道を見下ろしている。


 彼らは列になって歩いてきた。

 先頭の男は背が高いものの右足を引きずり、杖代わりに旧世界の鉄パイプを突いていた。その後ろを毛布で身を寄せ合う女たちが歩き、少年が荷車を引いている。荷車の上には壺や布の束や革袋など、彼らの生活のすべてが載っていた。


 子供の泣き声が聞こえる。

 列の中ほどに幼い子供を胸に抱いた母親がいた。子供は3歳か4歳くらいで泣き声を上げている。母親はそれを止めようと自分の手で子供の口を覆おうとしてやめた。代わりに声が外に漏れないよう子供の頭を胸に強く押しつける。


 列の小さな肩が震えていた。煤にまみれた小さな震えが目に刺さり、カイは思わず拳を握りしめた。


 先頭の男がボルトの前に立った。年齢は50を過ぎているように見える。顔は煤で汚れ、髪には灰が混じっていた。右足の具合が悪いのは怪我ではなく古い障害のようだった。


「グレイハンマーの代表、ソーン・ドラグだ。助けてくれ」


 声は乾き、語尾が掠れる。


「シンダーが来た。昨日の昼だ。汎殻が4機。集落を囲んで、武装解除を要求された。俺たちの残殻は2機しかなかった。抵抗する間もなかった」


 ボルトが腕を組んだまま頷く。


「残殻はどうなった」


「壊された。動力炉を撃ち抜かれた。人は殺されていない。だが、家を焼かれた。3軒。抵抗した者の家だ。見せしめだと」


 ソーンの声が途切れた。唇を噛んで目を閉じ、それから搾り出すように言う。


「グレイハンマーはもう住めない。食料庫も焼かれた。冬を越す蓄えが全部、灰になった」


 列の後ろで老人が膝を折るように座り込んだ。足を引きずって30kmも歩いてきたのだ。隣の女が老人の背中を支えて水筒を差し出す。老人の手は震えていて水筒を受け取れない。女が水筒の蓋を開け、老人の唇に当てた。


 子供の泣き声はまだ続いている。母親は子供を揺すりながら目だけでボルトを見上げた。その目をカイは直視できなかった。


 カイは拳を握ったままその光景を見つめていた。


  * * *


 集会場にボルト、トワ、リント、カイ、マイロの5人が集まったのは避難民に食事と寝床を手配した後だった。

 灯された2本の蝋燭。地図がテーブルの上に広げられている。マイロが書き込んだシンダーの進軍経路の上にグレイハンマーの位置が新たに赤い点で加えられていた。


「グレイハンマーの制圧で、シンダーの進路が確定した」


 マイロが地図を指す。


「アシュバレー、レッドパイン、ダストフォード、そしてグレイハンマー。4点を結べば直線になる。この延長線上にストーンクロスがある。到達予測は5日後」


「5日」


 リントが舌打ちした。


「迎撃の準備が間に合うのか」


「間に合わせるしかない。だが、もう一つ手がある」


 ボルトが壁から背を離し、地図の上に太い指を置いた。


「シンダーの弱点は補給線だ。12機の汎殻と銘殻1機。あれだけの部隊を動かすには、弾薬と燃料と食料が必要になる。補給車列が4台。あの車列が止まれば、シンダーは前進できなくなる」


 マイロが頷く。


「行軍速度を落とせれば、時間が稼げる。時間があれば、ストーンクロスの防備を固められる」


「ゲリラ戦だ」


 ボルトが言った。


「4機で補給線を叩く。俺とトワとリントと、カイ。正面から殴り合う必要はない。補給車列を襲って、護衛の汎殻を引きつけて、撤退する。敵に消耗を強いる。それを繰り返す」


 壁にもたれたまま目を閉じていたトワが、その目を薄く開く。


「補給車列の護衛は2機だった。隊列本体と分離している時間帯がある。その間に叩けば、本体との合流前に撤退できる」


「カイ」


 ボルトがカイを見た。


「ケストレルの初陣だ。準備はいいか」


 カイは無言で頷いた。喉の奥がひどく乾いている。


  * * *


 翌日の早朝。気温は氷点下12度。

 4機の鉄殻がストーンクロスを出発した。


 先頭はトワのシルフだ。骨のように細い機体が凍った荒野を低い姿勢で駆ける。続いてボルトのハウラーが継ぎ接ぎの装甲を寒風に晒しながら重い足音で地面を叩く。3番目のリントのキャリバーは黄土色の装甲を荒野に紛れさせ、頭部の丸いセンサードームを左右に振って索敵を続けている。


 最後尾をカイのケストレルが走る。

 猛禽の頭部を思わせる尖ったバイザーが正面を見据え、背部にある2基のスラスターは折り畳まれた翼のように控えている。装甲表面に残る無数の修復痕。18年分の傷が刻まれた機体が新しい操手を乗せて走っていた。


 右腰には鍛翼刀、右手にはファルケの短銃身型を装備し、左前腕にはヴェスペを内蔵している。両腰のハードポイントにドナーが1基ずつ。煙幕のネーベルも腰部に2基備えていた。


 コックピットの計器は安定を示している。燃料残量98%。機関温度は冷態始動の余韻で低めに推移しており、装甲健全度は全セクションが緑だった。白く曇る呼吸が計器のバックライトに照らされて消えていく。


 本隊から離れる時間帯があるのだとトワは言った。その隙は決して長くない。


 2時間の移動の後、トワが停止の合図を出した。

 丘陵地帯の窪みに4機が身を潜める。頭上を覆う鉄根樹の枯れた林が空からの視認を遮っていた。


「見えた」


 トワの声が通信に入った。


 カイがメインカメラの倍率を上げると、丘の向こうの凍結した旧世界の道路上を補給車列が移動していた。物資を積んだ幌付きの6輪装甲輸送車が4台。護衛の汎殻2機が車列の前後についている。暗緑色の装甲はグランヴェルトの標準塗装だ。右腕に突撃銃を持ち左腕にシールドを構えている。


 カイは冴覚を伸ばした。

 距離800m。汎殻に乗る2人の操手の意識が感じ取れた。前方を警戒する片方は集中度が高い。もう片方は車列の後方を振り返りながら歩いており、わずかに注意が散漫だった。


「後方の1機が甘い」


 カイが言った。


「分かってる」


 トワが応じた。


「ボルト、リント、前の1機を引きつけろ。カイと俺で後ろを叩く。車列に触れたら即座に離脱。深追いするな」


「了解だ」


 ボルトの声にいつもの荒々しさが戻っていた。


「行くぞ」


 4機が同時に動く。


 ボルトのハウラーが丘の斜面を駆け下りた。33tの重量が凍った地面を揺らし、足場のアンカーボルトが氷を砕いて地面に噛みつく。リントのキャリバーがハウラーの右に展開し、ファルケを構えて走る。


 前方の汎殻が反応した。突撃銃を構えてシールドを正面に向け、車列の前に立ちはだかる。後方の汎殻も振り返って銃を構えようとした。


 その瞬間にトワが飛び出す。

 シルフが丘の稜線を一気に越え、凍った斜面を滑るように降りていく。脚部のスラスターが地面すれすれで噴射し、氷の粉塵を巻き上げながら車列の後方に回り込んだ。後方の汎殻が照準を合わせようとするものの、シルフの接近速度に追いつけない。


「カイ、右から入れ」


 カイはケストレルを走らせた。

 足が氷を踏む。滑る——と思った足首が勝手に立て直す。2歩目。3歩目。今度はしっかりと氷を噛んだ。


 後方の汎殻が銃口をカイに向ける。

 右に跳べと冴覚が叫んだ。

 カイが操縦桿を右に倒すとケストレルが横に飛ぶ。背部のファルターが一瞬だけ噴射して機体を横方向に跳ね飛ばした。75mm弾が左肩の横を通過し、風圧が装甲を叩く。


 冴覚が敵の意識を読んでいた。次弾の装填。照準の微修正。撃つ。左に。

 カイは左に身をかわしながらファルケを構えて引き金を引いた。75mm弾が汎殻の右肩に命中して装甲が歪み火花が散る。だが貫通はしていない。汎殻の正面装甲は厚かった。


 同時にトワのシルフが汎殻の背後に回り込んでいた。戦闘短刀を逆手に握り、関節の隙間を狙って突き上げる。刃が右膝の装甲の繋ぎ目に食い込んで金属が裂ける音が響き、汎殻の右脚が崩れた。


 だが倒れない。

 汎殻の操手が左脚で踏ん張り、上体を回転させてシルフに銃口を向けた。近距離。回避が間に合わない距離だ。


「トワ!」


 カイはヴェスペを撃った。左前腕の三連装機関砲が30mm弾を吐き出し、汎殻の頭部センサーに弾丸が叩きつけられる。センサードームが砕け散った。視界を奪われた汎殻の射撃は明後日の方向に逸れ、弾丸が凍った地面を抉る。


 トワが離脱した。シルフが後方に跳んで車列から距離を取る。


 前方ではボルトとリントが前衛の汎殻と撃ち合っていた。ハウラーが正面から突撃銃の弾を受け止めながら接近し、リントが側面から射撃を加える。前衛の汎殻はシールドを構えてリントの射線を遮り、ハウラーに向けて後退射撃を浴びせていた。連携が取れている。1機の汎殻がシールドと射撃を使い分け、2機を相手に後退戦闘を成立させていた。


「車列に構うな、離脱する」


 トワの声が飛んだ。


 カイは一瞬だけ車列の輸送車を見た。幌の下に積まれた物資。弾薬箱。燃料缶。食料の木箱。あれを破壊すればシンダーの進軍は確実に遅れる。ドナーを1発撃ち込めば輸送車ごと吹き飛ばせる。


 だが車列の輸送車には操手が乗っている。非戦闘員かもしれない。運転席のキャノピー越しに人影が見えた。一人は両手でハンドルを握り締め、もう一人は座席の下に身を屈めていた。


 カイの指がドナーのトリガーに触れたまま止まる。


「カイ、何をしている。離脱だ」


 トワの声が鋭く通信を切った。


 カイはケストレルを反転させ、ファルターを噴射して丘の斜面を駆け上がる。後方から75mm弾が追いかけてきたが、稜線を越えた瞬間に射線が切れた。凍った地面を蹴って鉄根樹の林に飛び込むと枯れ枝が装甲に当たって砕け散る。


 4機が合流した地点でボルトが通信を開いた。


「前衛の汎殻に弾を3発食わせた。右肩と左脚の関節に。致命傷じゃないが、修理が必要になる。時間は稼げた」


「後方も右膝の関節を断った。歩行は可能だが、戦闘機動は無理だ」


 トワが報告する。


「車列は無傷だ。だが護衛が2機とも損傷した。本隊は護衛の交代を送るか、車列を本隊に合流させるかの判断を迫られる。どちらにしても進軍は遅れる」


 マイロの声が通信に入った。ストーンクロスからの遠距離通信だ。


「こちらの計算では、護衛の交代に最低4時間。合流させるなら行軍計画の再編に半日。いずれにせよ、到達予測を1日以上押し戻せる」


「十分だ」


 ボルトの声に満足げな響きがあった。


「全機、ストーンクロスに戻る。今日のところは上出来だ」


 4機が北東に向かって走り出す。

 カイはケストレルの操縦桿を握りながら右手の感触を確かめていた。指が震えている。戦闘の振動ではない。操縦桿を握る力が微かに揺れていた。


 後方の汎殻の頭部センサーを撃ち砕いた。30mm弾が装甲をねじ切る軋みが鼓膜の奥でまだ鳴り止まない。あの汎殻のコックピットには人間が乗っていた。センサーを失った汎殻は戦闘不能になった。殺してはいない。だが、あの距離で射線が少しずれていたら。頭部ではなくコックピットに弾が入っていたら。胃の底に冷たいものが落ちた。


 トワのシルフがケストレルの隣を走っていた。骨のような機体が凍った荒野を音もなく滑っていく。


 通信が開いた。トワの声だった。


「お前、まだ人を殺すことに慣れていないな」


 カイは答えなかった。


 トワもそれ以上は何も言わない。


 凍った荒野を4機の影が走っていく。

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