↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
鉄の鳴く夜

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

170/270

残殻と銘殻

操縦桿を右に倒した。

 ほんの僅か。残殻に乗っていた時と同じ入力量のつもりだった。


 ケストレルは反応した。速すぎる。


 機体が右に跳ねるように旋回してカイの体がハーネスに食い込んだ。Gで眼球が揺さぶられる。メインカメラの映像が横に流れ、灰色の荒野と鉄根樹の黒い影が溶け合って1本の線になった。左足のペダルを踏み込んで制動をかける。機体は止まったが止まり方が荒い。関節部が軋み、慣性で上体が前のめりに傾いだ。


「過剰入力だ」


 通信にトワの声が入った。


「残殻の半分で入れろ。銘殻の関節は遊びが少ない。操縦桿を倒した分だけ、そのまま動く」


 カイは唇を噛んだ。

 分かっている。頭では分かっている。だが体が覚えているのは残殻の鈍い応答だ。操縦桿を倒してから機体が動くまでのあの一拍の遅れ。入力に対して機体が返す反応の鈍さを前提にカイの体は操縦を組み立てていた。先読みして大きく入力し、遅れて返ってくる反応を体で受け止める。それが残殻の乗り方だった。


 ケストレルにはその遅れがない。


 情報が多すぎた。残殻では感じなかった細かな振動が全身に流れ込んでくる。


 訓練場はストーンクロスの南東に広がる荒野だった。旧世界の農業用地だったらしく地面は比較的平坦だが、焦土紀の地殻変動で所々が隆起して低い丘が点在している。過去の模擬戦で刻まれた轍が凍結した地面に残り、鉄殻の足跡が交差しては消えていた。轍の縁からは鉄根樹の若木が生え始めている。


  * * *


「もう一度」


 トワの声に促され、カイは操縦桿を握り直した。

 掌に汗が滲んでいる。コックピットの暖房は切ってあるのに体が熱い。緊張ではなく集中が体温を上げている。


 正面にトワのシルフが立っていた。

 骨格のような灰色の機体が訓練場の中央で微動だにせずカイを見ている。装甲を限界まで削った異形のシルエットは鉄殻というよりも巨大な虫を思わせた。単眼カメラがこちらを捉えている。


 カイはケストレルを前に出した。

 今度は入力を抑えた。残殻の半分。操縦桿を傾ける角度を意識的に小さくする。ケストレルが滑るように前進した。足音が軽い。残殻の重く不揃いな足音とは違って左右の接地音が均一でリズムが整っている。関節の動きに引っ掛かりがなく、歩くたびに機体全体が連動して重心を移していく。


 速い。残殻の倍は出ている。踏んだ瞬間に脚が動き、待つ間がない。


 シルフが動いた。


 右に回り込んでくる。トワの操縦は滑らかでシルフの細い脚が地面を蹴る音すら聞こえないほど軽い。カイは反射的に操縦桿を左へ倒し、シルフを正面に捉えようとした。


 また過剰入力だ。


 ケストレルが左に振れすぎ、シルフの位置を通り越して背中を見せる形になった。トワはその隙を見逃さない。シルフが一瞬で距離を詰め、右腕の模擬刀がケストレルの背部装甲を叩いて軽い衝撃がコックピットに伝わった。


「死んだ」


 トワの声に抑揚はなかった。


「残殻の感覚で銘殻を動かすな。機体の応答速度に体を合わせろ。逆だ」


 カイはフットペダルを踏み直してケストレルを正面に向け、深く息を吐く。



  * * *


 3度目の模擬戦からリントが加わった。

 キャリバーの黄土色の装甲が訓練場の東側から姿を現した。頭部のセンサードームに取り付けられた照準補助センサーがこちらを向いている。


「遅くなった。整備に手間取った」


 リントの声は素っ気なかった。通信越しでも不機嫌そうな顔が目に浮かぶ。


「トワ、どうだ。銘殻乗りの腕前は」


「まだ残殻の乗り方が抜けていない」


「だろうな」


 リントが短く笑った。嘲りではないが甘くもない。


「じゃあ俺が先にやる。セヴァル、見てろ」


 キャリバーが前に出た。シルフと向き合った一瞬の静止の後、リントが仕掛けた。中距離からの射撃で牽制し、シルフの回避方向を読んで側面に回り込む。残殻同士の戦い方だ。機体の限界を知り尽くした操手がその限界の中で最大の成果を引き出す動き。キャリバーの旋回は鈍いが、リントはその鈍さを計算に入れて1手先に機体を動かしている。


 トワのシルフは別の生き物だった。リントの射撃を最小限の動きで避け、距離を詰めてくる。キャリバーが側面に回ろうとした瞬間、シルフは逆方向に跳んで死角に入った。模擬刀がキャリバーの脇腹を掠め、リントは舌打ちしながらバックステップで距離を取った。


「くそ、やっぱり速え」


「お前は読みがいい。だが機体が追いつかない」


 カイはそのやりとりを見ながらケストレルのコックピットで拳を握った。リントの読みは速いのに機体がそれを殺している。あの読みがもし俺のケストレルに乗っていたら——そこまで考えて奥歯をすり潰すように噛んだ。乗っているのは俺なのにまだ勝てる気がしない。


「セヴァル、次はお前だ」


 トワが呼んだ。カイはケストレルを前に出した。


 今度は意識を変え、操縦桿を「倒す」のではなく「添える」つもりで動かした。力を入れず指先で方向を示すだけにすると、ケストレルは応えた。滑るように右に旋回し、シルフの側面に回り込む。入力と反応が一致した。初めてケストレルの動きが自分の意図と重なった。


 シルフが反応してトワが正面に向き直る。カイは右腰の鍛翼刀に手を伸ばした。3.8mの片刃がホルダーから引き抜かれて右腕に吸い付くように収まり、柄のグリップが掌に馴染む。残殻の武器とは重量バランスが違う。刀身の重心が手元に近く、振り回すのではなく切り込むための設計だった。


 踏み込むと背部のスラスターが火を噴いた。


 想像を超えた加速で体がシートに押しつけられ、視界が狭くなる。速すぎる。鍛翼刀を振るうタイミングがずれてシルフの左側を通り過ぎ、空振りした。慌てて減速しようとするも慣性で機体が前に流れる。


「スラスターの出力を覚えろ。全開にするな。3割で十分だ」


 トワの指示が飛ぶ。カイは旋回してシルフに向き直った。


 もう一度スラスターを3割に絞って踏み込む。今度は加速を制御できた。シルフに接近して鍛翼刀を横薙ぎに振ると、トワが模擬刀で受け止めた。接触の衝撃がケストレルの腕部を通じて伝わってくる。硬い手応えだ。


「離脱しろ」


 トワの声にカイは腰部のディスペンサーへ手を伸ばし、ネーベルを射出した。白い煙幕が吹き出してシルフの視界を覆い、カイはその煙の中からケストレルを後退させる。サブスラスターを軽く吹かし、斜め後方に滑るように離脱する。煙幕が風に流れて薄れる頃にはシルフとの距離が50m以上開いていた。


「悪くない」


 トワの声に初めて僅かな肯定が混じった。


「だがまだ体に入っていない。考えてから動いている。考える前に動けるようになるまで、繰り返せ」


 カイは頷く。操縦桿を握る掌が痺れていた。残殻に乗っていた時間が長すぎる。ケストレルの応答速度に体が追いつかない。


 リントがキャリバーを寄せてきた。


「銘殻に乗ってるからって調子に乗るなよ」


 リントの声は低く静かだ。


「残殻でも殺せる。機体が良くたって、乗り手が甘けりゃ同じだ。今のお前は残殻の俺にも負ける」


 カイは否定せず、言い返したい言葉を飲み込んで操縦桿を握る手だけに力を込めた。


「分かってる」


「分かってるなら、体で証明しろ」


 リントはそれだけ言ってキャリバーを訓練場の端に戻した。


  * * *


 日が傾き始めている。

 灰色の空が橙に染まることはなく、ただ明度が落ちて荒野の色が一段暗くなるだけだ。鉄根樹の影が長く伸び、訓練場の轍の上に黒い線を引いている。


 カイはケストレルのコックピットの中で汗に濡れた手袋を外した。指が震えている。疲労ではなく神経の使いすぎだ。残殻では使わなかった繊細な入力を何時間も繰り返した結果だった。


 シルフが隣に立っていた。トワがコックピットのハッチを開けて外気に顔を晒している。冷たい風が彼女の黒髪を揺らした。


「3日で仕上げろ」


 トワの声が通信ではなく直接聞こえた。距離が近い。


「シンダーは待ってくれない」


 3日。それだけしかない。カイは痺れた指を握り込んだ。


 カイは手袋を嵌め直して操縦桿を握った。まだ馴染まないが朝よりは確実に近づいている。ケストレルの「癖」が少しずつ見え始めていた。スラスターの出力曲線、鍛翼刀を振る時の重心の移動、ネーベルを射出してから煙幕が有効範囲に広がるまでの秒数。一つずつ体に刻み込んでいく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。