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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
鉄の鳴く夜

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鶺鴒、起つ

作業灯の点滅が止まっていた。

 ガルドが直したのだろう。3つの作業灯が全て安定した光を落とし、仮設作業場の中を均一に照らしている。それだけでこの場所の空気が変わって見えた。


 カイは作業場の入口に立ったまま息を呑んだ。


 ケストレルが立っている。


 前に見た時はフレームだけの骨格だった。銀色の骨を剥き出しにして作業台に横たわっていた姿は鳥が羽を毟られたようだったが、今目の前にある機体は全く別のものだ。

 鉄紺色の装甲が全身を覆っている。深海のように暗い紺色だ。関節部と装甲の縁に入った鈍い銀の差し色が、作業灯の光を静かに弾いている。細身で肩幅が広く腰が絞られた逆三角形のシルエットは、汎殻の四角い無骨さとは何もかもが違った。直線ではなく鳥を思わせる流麗な曲線が全身を貫いている。

 小型で鋭角的な頭部は前方に尖ったバイザーが突き出し、その奥にデュアルカメラの細長いレンズが収まっている。横から見ると猛禽類の頭部だ。頭頂部のブレードアンテナが天井に向かって真っ直ぐ立ち、機体のシルエットに一本の鋭い線を加えている。

 背部には2基の主スラスターが肩甲骨の位置に斜めに配置されていた。格納された状態でも展開すれば翼のように広がることが見て取れる。ケストレル。チョウゲンボウ。鳥の名を冠された機体は鳥の形をしていた。


 脚部は逆関節に近い高跳躍型だ。膝から下が長く、三本爪の鳥足型の足部がコンクリートの床をしっかりと掴んでいる。カイが乗ってきた残殻の直線的な脚部とは構造からして別物だった。


 装甲の表面には無数の修復痕がある。18年分の傷が鉄紺色の塗装の下に浮き出ている。新しい鋼材で補修された部分は旧い装甲とわずかに色が違うが、それは傷ではなく勲章のようだった。


「見てないで入れ」


 奥から響くガルドの声に、カイは作業場の中に足を踏み入れた。


 ケストレルの足元にいるガルドは工具箱の蓋を閉め、布で手を拭いている。珍しく煙草は咥えていなかった。


「終わったのか」

「終わった」


 布を工具箱の上に置いたガルドがカイの方を向く。


「乗れ」


 説明も前置きもない一言だった。ガルドがケストレルの胸部に手を伸ばしてハッチの開放レバーを引くと、油圧の低い音と共にハッチが持ち上がりコックピットの内部が露出する。


 カイは脚部のステップに足をかけて胸部のハッチまで登り、コックピットの中を覗き込んだ。


 以前フレームだけの状態で見た時とは全く違い、計器類が増設されている。正面のパネルには燃料残量計や機関温度計に装甲健全度表示が横一列に並び、その上に高度計と速度計が配置されていた。左右のサブパネルには弾薬残量のインジケータと通信系統の制御盤がある。膝の両脇から伸びる2本の操縦桿と3つのペダル。フットレストの高さはカイの脚の長さに合わせて調整されていた。


 テオの爪痕が残っていた左の肘掛けは新しい革で巻き直されている。


 カイはコックピットに体を滑り込ませた。


 シートに腰を下ろした瞬間、背中にフレームの感触が伝わった。硬いが残殻のシートとは硬さの質が違う。廃材を組み上げた粗さから来る残殻の硬さとは異なり、これは精密に体を受け止めるための硬さだ。座面が腰椎のカーブに沿って背もたれが肩甲骨の下端を支え、五点式のハーネスを締めると体がシートにしっかりと固定された。


 操縦桿に手を伸ばす。


 右手でグリップを握った瞬間、カイの指先に異質な感覚が走った。グリップの表面がひどく滑らかなのだ。残殻の操縦桿は継ぎ接ぎの金属パイプで握るたびに溶接の段差が掌に食い込んだが、ケストレルのグリップには段差がない。アルマナック合金の表面が指の一本一本に密着するように成形されている。冷たいが滑らかで、金属というより磨き込まれた石のような手触りだった。


 左手でも操縦桿を握る。


 両手で操縦桿を握ったまま正面の計器パネルを見つめた。電源は入っておらず計器の針は全てゼロを指して表示灯も消えているが、操縦桿を通じてフレームの存在を感じた。指先に伝わる微かな振動。機関が停止していてもアルマナック合金のフレームが操縦桿の入力を待っているような静かな緊張感がある。


 残殻とは全く別の存在だ。


 電源は入っていないというのに握っているだけで掌が落ち着かなかった。


「計器は全部入れ替えた」


 コックピットの外から聞こえたガルドの声にカイが顔を上げると、彼がハッチの縁に肘をかけて中を覗き込んでいた。


「テオの時はな、鋳脈で機体の状態を直接感じ取れたから、計器は最低限でよかった。だがお前には鋳脈がない。機体が何を訴えているかを、目で読み取る必要がある」


 ガルドの指が正面パネルの計器を順に指す。


「左から燃料残量。中央が機関温度。右が装甲健全度。燃料計の目盛りは残殻より細かくしてある。ケストレルの機関はテオ用にチューニングしてあったのを、直接操縦向けに再調整した。出力特性が変わったから、燃費の感覚も残殻とは違う。慣れるまでは数字を見ろ」


 カイは頷いた。


「操縦桿のストロークはテオより短くした。お前の方が手が小さいからな。ペダルの位置も変えてある。踏み込みの角度が0.5度違うだけで、跳躍の軌道が変わる。最初は過剰入力になるだろうが、3日もすれば体が覚える」


「3日」


「時間はない。分かってる」


 ガルドの声が一瞬だけ硬くなり、すぐに戻る。


「お前の父さんの機体だ」


 ガルドはハッチの縁から手を離して一歩下がった。


「鋳脈なしで乗れるように直した。お前にあれは使わせない」


 カイはガルドの目を見た。怒りなのか後悔なのか判じきれない静かさの底に何かが据わっている。この機体を渡すともう決めてしまった者の顔だった。


 カイは黙って頷く。言葉は要らなかった。


  * * *


 ガルドが計器の操作手順を説明した。起動シーケンスは残殻より複雑だ。メインスイッチを入れて機関の暖機を30秒待ち、油圧が規定値に達したことを確認してから駆動系に通電する。残殻なら電源を入れて5秒で動けるがケストレルはその6倍かかる。だがその分各系統が安定した状態で動き始める。


 カイは指示に従い正面パネル左下のメインスイッチに手を伸ばした。


「やってみろ」


 スイッチを入れる。


 計器パネルに光が灯り、表示灯が左から順に点灯していく。燃料残量計の針が動いて機関温度計がゼロから緩やかに上昇を始め、コックピットの床から足裏に機関の暖機による低い振動が伝わってきた。


 30秒が過ぎ、機関温度計の針が規定値の線を越える。


「油圧を見ろ」


 サブパネルの油圧計を確認する。針が緑の範囲に入っている。


「駆動系、通電」


 カイは右手でスイッチを倒した。


 唐突に掌のグリップが脈動を始めた。


 手の中のグリップを通じてフレーム全体の振動が指先に流れ込んでくる。フレームの関節一つ一つが駆動系に繋がり、その全てが操縦桿に集約されている。右手を傾けるとフレームのどこかが応じる感触がした。


 アルマナック合金のフレームが待っている。


 カイは操縦桿をわずかに右に倒した。コックピットの外でケストレルの右腕が動く。手が倒れるのと腕が動くのが同じ瞬間だ。残殻の腕なら動き出しにガクンと揺れるが、ここにはその段差がない。


 左の操縦桿。左腕。ペダルを踏むと脚の関節が軋みもなく屈伸し、三本爪の足部が床を掴み直す感触が足裏に返ってきた。


 これが銘殻だ。


「このフレームに使われている合金は、今の炉では溶かすことすらできない」


 ハッチの縁に背を預けて腕を組むガルドの声が外から聞こえた。


「アルマナック合金。旧世界の技術だ。錆びない。劣化しない。鋳造された時の精度がそのまま残ってる。だから操縦桿の入力がフレームの末端まで遅れなく伝わる。外装は通常の鋼材で代替したが、骨格はそのままだ。この機体の真価はフレームにある」


 カイは操縦桿を握り直す。合金の冷たさが掌に馴染んでいた。


「ガルド」

「何だ」

「この機体は、父さんが最後に乗っていた時と同じなのか」


 ガルドは少し黙った。


「違う。鋳脈の接続機構を全部外した。37箇所。操縦系統も計器も全部入れ替えた。テオのケストレルとは別の機体だ。だが骨格は同じだ。テオが命を預けたフレームの上に、お前のための機体を組み直した」


 カイは頷いた。


「一つ聞いていいか」


 ガルドの声の調子が変わり、カイは計器から目を上げた。


「鋼城の動力源は」


 低く掠れた声でガルドが言った。


「お前は知らないほうがいい」


 カイの手が操縦桿の上で止まる。


「どういう意味だ」

「そのままの意味だ」

「ガルド。あの鋼城がストーンクロスに向かって来ている。一週間で届く距離にいる。知らないほうがいい、で済む話じゃない」


 ガルドは答えず、腕を組んだままケストレルの胸部装甲を見つめている。その視線の先に何があるのかカイには分からなかった。


「鋼城の設計にはグランヴェルトの技匠が関わっている。俺の知っている奴もいる」


 ガルドの声は平坦だった。感情を排しているのではなく押し殺している声だ。


「動力源に使われている技術は、今の時代のものじゃない。それだけだ」


「旧世界の技術か」


「答えない」


 ガルドの声が硬くなった。それ以上は踏み込ませないという壁のような拒絶だった。


 カイは口を閉じる。こういう顔のガルドに何を言っても壁は開かないと知っているからだ。


 ただ、知らないほうがいいという言葉がやけに引っかかった。ガルドが何かを恐れているように見えたが、何を恐れているのかまでは分からなかった。


  * * *


 ガルドが一歩下がった。


「エンジンをかけろ」


 カイは正面パネルの機関制御スイッチに手を伸ばした。暖機は終わって油圧も正常で駆動系は通電済みだ。残るのは機関の本起動だけだった。


 スイッチを倒す。


 ケストレルが唸った。


 内臓を直接蹴り上げるような振動がコックピット全体を包んだ。機関温度計の針が跳ね上がって出力計が一気にアイドリングの値まで駆け上がり、作業場の壁が震える。天井から埃が落ち、工具が棚の上で微かに跳ねた。


 操縦桿を通じてその力が手に伝わってくる。機関の出力がフレームから四肢に流れ、関節の一つ一つが起動した状態で待機している。カイが操縦桿を倒せばこの機体は動いて走り、跳び、戦うのだ。かつて父が駆った銘殻が今カイの手の中にある。


 計器の表示灯が全て緑に変わる。燃料残量は満タン、機関温度は正常範囲、装甲健全度は全域で100%。全ての数値がこの機体が戦える状態にあることを示していた。


 カイはハッチの外を見た。


 ガルドは背を向けている。


 工具を片づけていた。棚から取り出した工具を一つ一つ布で拭い所定の位置に戻している。ドライバーやレンチ、ピンセットにノギス。30年以上使い続けてきた道具を丁寧に静かにあるべき場所に戻している。


 その手がわずかに震えていた。


 カイはそれを見て、目を逸らす。


 ケストレルの機関が低く唸り続けている。作業場の壁が振動に共鳴して工具箱の蓋が微かに鳴り、エンジンの鼓動は安定していた。30年以上の歳月を経てなお精度を保つアルマナック合金のフレームが、新しい操手の入力を静かに待っている。

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