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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
鉄の鳴く夜

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シンダーの影

鉄根樹の枯れ枝が風に軋んでいた。

 乾いた音だった。骨が擦れ合うような、硬く高い音。灰域の荒野を吹き抜ける風は刃のように冷たく、カイは残殻のコックピットの中にいてもその寒気を感じた。暖房は最低出力にしてある。燃料の節約だった。吐く息が白く曇り、計器のバックライトに照らされて消えていく。


 ストーンクロス近郊、北東に約12km。

 丘陵と荒野が交互に続く地形の中に、カイの残殻は身を伏せていた。丘の斜面に機体を寄せ、稜線から頭部だけを出している。メインカメラの倍率を最大にして、北西の地平線を睨んでいた。


 隣にトワのシルフが同じ姿勢で並んでいる。継ぎ接ぎだらけの灰色の装甲が、荒野の色に溶け込んで目立たない。残殻の迷彩とは言えないが、元から統一された塗装がないことが、結果的に風景に紛れる効果を生んでいた。


「見えたか」


 トワの声が通信に入った。低く、短い。


「まだです」


 カイはメインカメラの映像を注視した。北西の地平線は灰色の空と灰色の大地が溶け合い、境界が曖昧だった。凍結した地面の上に霜が降り、白い粉がうっすらと景色を覆っている。鉄根樹の黒い影が点在し、枯れた枝を空に向けて突き出していた。旧世界の送電線の鉄塔が傾いて立っているのが、遠くに何本か見える。


 2時間前、ボルトの偵察隊が戻った。

 レイダーズのディノとジップが灰域西部から48時間かけて帰還し、息を切らしながら報告した内容が、カイの胃に重石のように沈んでいる。


  * * *


 ストーンクロスの集会場。旧世界の講堂の中に、冷えた空気と緊張が充満していた。

 ボルトが腕を組んで壁に背を預けている。マイロが長机の前に立ち、地図を広げている。リントは隅の椅子に座り、片足を椅子の座面に乗せて膝を抱えていた。


「シンダーが動いた」


 ボルトの声は低かった。普段の豪快さが削ぎ落とされて、乾いた響きだけが残っている。


「ディノとジップが確認した。灰域西部の集落が3つ、この5日間で制圧されている。アシュバレー、レッドパイン、ダストフォード。全部、鋼城の予定進路上にある集落だ」


 マイロが地図の上に指を走らせた。3つの点を結ぶ線が、北西から南東に向かって真っ直ぐ伸びている。その延長線上に、ストーンクロスがあった。


「率いているのはゼルマ・ヴォルフ。シンダーの隊長だ」


 リントが顔を上げた。


「聞いたことがある。大崩落を少年兵で生き延びた男だろう。灰域の傭兵団を3つ潰したって話が流れてきてた」


「潰したんじゃない」


 ボルトが言った。


「降伏させたんだ。戦う前に包囲して、補給を断って、選択肢をなくしてから降伏勧告を出す。抵抗した集落だけ叩く。効率的で、被害が少なくて、だからこそ止められない」


 マイロが眼鏡のブリッジを押し上げた。蝋燭の火がレンズに映り、小さな光が揺れている。


「ディノの報告では、部隊構成は汎殻12機。それと――」


 マイロの声が一瞬途切れた。


「遊肢を持つ銘殻が1機。おそらくゼルマ本人の搭乗機だ」


 集会場に沈黙が落ちた。


 汎殻12機。灰域連合の全戦力に匹敵する数だった。ストーンクロスの防衛隊が残殻7機、ボルトのレイダーズが残殻5機、トワのシルフ、リントのキャリバー。合わせて14機だが、その全てが残殻だ。さらに、遊肢を備えた銘殻が1機いる。


「集落の住民はどうなった」


 カイの声が自分の耳に届くまでに、一拍の遅れがあった。口が乾いていた。


「避難している。シンダーは非戦闘員に手を出していない。制圧した後、武装解除だけして去っている」


 ボルトが答えた。その声に、いつもの張りがなかった。


「偵察に行く」


 トワが壁から体を起こした。


「近づけば分かることがある。部隊の間隔、補給車列の長さ、行軍の速度。マイロ、それがあれば計算できるか」


「できる。進路と到達予測時間を出せる」


「カイ、来い」


 トワがカイを見た。


「遠くから見るだけだ。接触はしない。冴覚の効く距離まで近づいて、情報を持ち帰る」


  * * *


 そして今、カイはトワと共に灰域の荒野に伏せている。

 ストーンクロスを出てから3時間。丘陵地帯を低い姿勢で移動し、鉄根樹の林を迂回しながら北西に向かった。通信は最低限に絞り、機関出力を落として排熱を抑えた。「稜線を越えるな」「足音を消せ」「止まれ」。トワの声に無駄がなかった。


 メインカメラの映像が揺れた。

 風が強くなっている。凍結した地面の霜が風に巻き上げられ、白い粉塵が低く流れていく。鉄根樹の枯れ枝が激しく軋んだ。その音に混じって、別の音が聞こえた。


 低い振動。地面を伝わってくる、規則的な震え。


 カイの手が操縦桿を握り直した。


「来たか」


 トワの声が1音だけ低かった。


 北西の地平線の上に、影が現れた。


 最初は1つだった。鉛色の稜線に、黒い染みがひとつ滲んだ。次の瞬間には2つになり、3つになり、4つになった。影は等間隔で並んでいた。浅くなる呼吸を殺し、メインカメラの倍率を上げる。鉄殻だった。


 汎殻。グランヴェルトの暗緑色の塗装が霜に薄く覆われ、灰色がかって見える。全高10m級の標準的な二脚型。右腕に突撃銃、左腕にシールド。肩部に増加装甲。装備が統一されていた。同じ型、同じ塗装、同じ歩幅。4機が横列を組んで歩いている。その後方に、さらに4機。そしてまた4機。3列、計12機。


 カイの背筋が冷えた。


 灰域の傭兵団を何度か見てきた。ボルトのレイダーズも、リントのキャリバーが加わった防衛隊も。彼らの動きには個性があった。歩幅が違い、間隔がばらつき、機体の姿勢も一機ずつ異なる。


 シンダーにはそれがなかった。


 12機の汎殻が、まるで1つの生物の脚のように同じリズムで歩いている。歩幅が揃っている。機体の間隔が揃っている。砲塔の向きが揃っていた。列の外側の機体は外に向けて警戒し、内側の機体は正面を向いている。


 汎殻の列の後方に、別の車列が続いていた。6輪の装甲輸送車が4台。幌で覆われた荷台に補給物資を積んでいるのだろう。輸送車の周囲にも汎殻が2機、護衛についていた。補給線まで手が届いている。


 冴覚を伸ばした。


 丘の向こう、距離にして約2km。冴覚がぼんやりとした輪郭を伝えてくる。操手たちの意識が、均一な緊張感を保っている。怠惰も焦りもない。職務を遂行している人間の、淡々とした集中。それ以上でも以下でもない。恐怖を訓練で均されている。


 そして、隊列の先頭から少し離れた位置に、別の存在があった。


 他の汎殻とは違う輪郭。冴覚が感じ取る意識の「圧」が重い。カイはメインカメラの方向を動かした。隊列の左前方、汎殻の列から50mほど離れた位置を単独で歩いている機体。暗緑色ではなく、土色に近い無彩色の装甲。背部から伸びる懸架アーム。3基の遊肢が格納状態で背中に折り畳まれている。


 銘殻ライム。ゼルマ・ヴォルフの搭乗機。


 距離2kmの向こうに、その機体はいた。単独で歩いている。だが孤立しているのではなく、隊列全体を見渡せる位置に自分を置いているのだ。指揮官の位置取りだった。


「見えたな」


 トワの声が低く通信に入った。


「見えました」


「あの間隔を見ろ。汎殻の列間が15mから20m。灰域の傭兵なら好き勝手に広がるが、あいつらは一定だ。通信で間隔を維持しているんじゃない。訓練で体に染みついている」


 カイは頷いた。


「補給車列が4台。あの量なら、2週間は前線を維持できる。弾薬、燃料、食料、交換部品。全部積んでいる」


 その言葉の一つ一つが、カイの胸に重く積み上がっていく。


「あれが正規軍だ」


 トワが言った。


「俺たちとは違う」


 カイは答えなかった。喉の奥が乾いていた。


 遠方で、シンダーの操手たちの白い息が冷たい空気に立ち上っているのが見えた。コックピットの排気口から漏れる暖気が、凍える外気に触れて白く染まる。12機分の白い息が、等間隔に並んで進んでいく。その光景は美しくすらあった。そして、美しいものほど恐ろしかった。


「戻るぞ」


 トワが機体を丘の斜面に滑り込ませた。カイも続いた。メインカメラを切り替え、後方を確認する。発見されていない。シンダーの隊列は一定の速度で南東に向かって進み続けている。


 来た道を戻る間、カイは一言も喋らなかった。トワも何も言わなかった。


  * * *


 ストーンクロスに戻ったのは夕暮れ時だった。

 灰色の空が一段暗くなり、鉄根樹の影が長く地面に伸びている。集会場にはボルトとマイロとリントが待っていた。焚き火の残り火が赤く燻り、煙が天井の穴から細く立ち上っている。


「汎殻12機、横列3列の標準陣形。列間15から20m。補給車列4台、護衛2機。行軍速度は時速約8km。銘殻1機が隊列の左前方を単独行動、遊肢3基を格納状態で携行」


 トワが簡潔に報告した。マイロはメモを取りながら地図に書き込みを入れていく。鉛筆の先が地図の上を走り、数字が書き加えられていった。


「行軍速度が時速8kmか。汎殻の巡航より遅い。補給車列に合わせているな」


 マイロが呟いた。


「なら夜間は停止する。暗闘での行軍は補給車列の事故リスクが高い。1日の移動距離は日照時間に依存する。今の時期なら、1日8時間で64km」


「ダストフォードからストーンクロスまでの距離は」


 ボルトが尋ねた。


 マイロは地図の上で指を動かし、等高線を辿った。旧世界の地図と手描きの地図を見比べ、2つの距離を突き合わせる。


「直線で約400km。だが地形の迂回を考慮すると、実際の進路は450kmほどになる。行軍速度が1日64kmなら――」


 マイロの鉛筆が止まった。


 地図の上に引かれた線の先に、ストーンクロスがある。マイロは地図を全員に見えるように広げ直した。蝋燭の火が地図の表面を黄色く染めている。


「この進路なら、一週間でストーンクロスの射程に入る」


 リントが舌打ちをした。


「一週間。準備が間に合うのか」


「間に合わせる」


 ボルトが壁から背を離した。腕を組んだまま、マイロの地図を見下ろしている。


「選択肢は2つだ。ストーンクロスで迎え撃つか、こちらから出て途中で叩くか」


「出る方は無理だ」


 マイロが首を振った。


「正面からぶつかれば、数と装備で押し潰される。迎撃なら地形を使える。ストーンクロスの北東には旧世界の工業地帯の残骸がある。建造物の間に引き込めば、汎殻の陣形を崩せる」


 リントが椅子から立ち上がった。


「一週間で、あの化物を止める方法を考えるってことか」


「考える」


 マイロの声は静かだった。地図の上の数字を見つめている目に、焦りはなかった。焦りの代わりにあるのは、問題を解くことだけに集中した頭脳の冷たい輝きだった。


 カイは集会場の壁に背を預け、地図を見つめている。

 シンダーの行軍が目の裏に焼きついていた。統制された歩幅で進む汎殻の列。そして隊列の先頭を静かに歩く、遊肢を背負った銘殻の影。


 一週間。


 あの隊列が、ストーンクロスに届く。

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