鉄鴉の足音
ガルド・ヴェッセンの通信傍受が確定的な情報をもたらしたのは朝食の前だった。
カイ・セヴァルはガルドの作業場に呼ばれ、受信機の前に立った。ノイズ混じりの通信音声が流れている。暗号化されたセルヴィスの指揮系統通信。その中にガルドが解読した断片があった。
「『PA-07の捜索を継続。推定座標は以下の通り』。そのあとに座標が続く。ラストヘイムの南東12キロ。昨日の傍受より、近い」
ガルドは赤葉の煙草に火をつけ、煙を吐いた。辛い煙の匂いが狭い作業場に広がる。
「セルヴィスの特務遊撃隊、『鉄鴉』。少数精鋭だ。中に鋳脈者がいる」
「鋳脈者」
「後頭部から頸椎に、生体合成リレー素子を埋め込んだ操手だ。鉄殻のセンサーが拾った情報を、神経に直接流し込む。計器を読む手間がいらない分、反応が速い」
カイは黙って聞いた。人の体に部品を埋め込むという話が半分も飲み込めなかった。整備の対象は鉄であって、人の頸椎ではない。
「おまけに、遊肢を操る」
「ゆうし」
「肩や背中から射出する、無人のユニットだ。母機から離れて、独立で動く。四方向から同時に撃ってくる」
四方向。
カイはその撃たれ方を頭の中で組み立てようとしたが、できなかった。前と後ろと左右から同時に。残殻の腕は二本しかない。盾になる装甲も一面ずつしか向けられない。
ガルドが何でもないことのように喋るのがかえって怖かった。この男はその遊肢とやらを実際に見たことがあるのだろうか。聞きかけてカイはやめた。今はそれを聞いている場合ではない。
「……どうする」
カイの声は低かった。
「俺に聞くな。ゲオルグに聞け」
ガルドは煙草を咥え直し、作業場を出ていった。
* * *
ゲオルグ・ハートが緊急の幹部会議を招集した。
場所はゲオルグの住居。窓のない廃墟の一室で、椅子代わりの廃材が車座に並んでいる。カイが腰を下ろすと廃材が軋んで沈んだ。
ゲオルグが上座に座り、懐中時計をポケットに仕舞う。ロイド・ハートは座らず計算尺を片手に壁際に立っていた。タリアが傍受記録を書き写した紙を床に広げる。ガルドは入り口の脇で煙草を吸っていた。
カイは誰の顔も等しく見える隅に座った。狭い部屋に五人分の息が籠もっている。誰かが咳をしたきり、しばらく誰も口を開かなかった。外からはいつもどおり子供の声が聞こえてくる。その明るさがこの部屋の沈黙と噛み合わなかった。
ロイドが最初に口を開いた。
「引き渡せばいい」
ロイドの声は短かった。言い切ったあと次の言葉までの間がわずかに長かった。
「あの女を引き渡せば、セルヴィスは引き上げる。なぜ俺たちが、彼女のために危険を冒す。200人の住民の命と、見知らぬ軍人の一人。天秤にかけるまでもない」
沈黙が落ちた。誰もすぐには言葉を返さなかった。
計算尺を握るロイドの右手は、親指の爪が黒く変色している。廃材の運搬事故で潰した爪だ。ロイドは去年の冬も崩れた倉庫の下敷きになりかけた老人を自分の手で掘り出していた。爪はその時に剥がれたままで、まだ生え揃っていない。
カイが口を開いた。
「引き渡して、終わりじゃない」
ロイドがカイを見た。
「セルヴィスがここの位置を知った時点で、もう終わりの始まりだ。引き渡そうが匿おうが、コルヴァスが来た事実は消えない。あの女を渡したところで、セルヴィスがラストヘイムを忘れてくれる保証は、どこにもない」
ロイドが何か言いかけて口を閉じた。
ガルドが煙を吐いた。
「コルヴァスは少数精鋭だが、その中に鋳脈者がいる。遊肢を持つ機体がいる可能性が高い。残殻数機で、どうにかなる相手じゃない」
「じゃあ、どうしろと言うんだ」
ロイドの声が鋭くなった。ゲオルグが手を上げて息子を制した。
「まあ、座れ」
ゲオルグの一言で部屋の空気が変わった。ロイドは唇を噛んで近くの廃材に腰を下ろした。
「引き渡すか逃がすか、客人本人に聞いてから決めろ」
ゲオルグの声は穏やかだったが、反論を許さない重みがあった。
「この集落は、30年前にも焼かれた。それでもここにいる。逃げたくなったら、逃げればいい。だが、誰かを差し出して自分が助かるのは、ラストヘイムのやり方じゃない」
ロイドが拳を握りしめた。爪が掌に食い込んでいるのがカイの位置からも見えた。父の言葉にロイドは何も言い返さなかった。
* * *
タリアが通信系統を調整した。
受信機の周波数帯を広げ、方位測定用のアンテナを集落の屋根に設置する。小柄な体で廃材の梯子を登り、風に煽られながらアンテナを固定した。下から見上げると屋根の上のタリアは頼りないほど小さく、強い風が吹くたびに体が揺れた。それでもその手は迷いなく金具を探り当てていた。何度もやってきた手つきだった。
カイは梯子の下でそれが倒れないように押さえていた。集中しているタリアの邪魔をしたくなくて、声はかけなかった。風がアンテナを鳴らし、金具を締めるレンチの音だけが屋根の上から降ってきた。
「セルヴィスの通信は2つの帯域を使ってる。暗号化された指揮系統と、非暗号の短波。短波のほうは、傍受できる」
カイはその紙に書き出された周波数を覚えた。タリアの言うとおりに受信機を回せば、敵の声が拾える。
ラストヘイムに緊張が走った。
子供を抱き寄せる母親がいる。窓を廃材で塞ぐ男たちがいる。リックが双眼鏡で南の空を見つめていた。
マーサだけはいつもどおり子供たちを教室に集めて物語を語っていた。声がいつもより半音高い。子供たちはそれに気づかないふりで聞いている。
30年前も焼かれた場所だ。誰の手も止まってはいなかった。
* * *
夜。ガルドが作業場で地図を広げた。
灰域南部の地形図。旧世界の道路網と廃墟群の配置が手書きで記されている。ガルドの記憶とカラス商隊から入手した情報を合わせたものだ。
「コルヴァスの予想進入路は、ここだ」
ガルドの指が南東の廃墟群を辿った。
「先鋒が一機、偵察に来る。本隊はその後ろだ。先鋒を叩けるかどうかで、次の展開が変わる」
ガルドの指が地図の一点で止まった。廃ビルの並ぶ狭い谷間のような場所だった。両側を高い壁に挟まれていれば、四方向から囲まれることはない。せいぜい前と上からだ。さっき頭の中で組み立てられなかった撃たれ方が、この地形なら二方向まで減る。
カイは自分の手を見つめた。鉄粉で黒く汚れた指。爪の下には錆が溜まっている。その指先がわずかに震えていた。
この手で直した鉄殻は数え切れない。壊れたものを動くようにする手だ。操縦桿を握るのも整備のために試走する時だけで、誰かを撃つために握ったことは一度もなかった。
頭の隅を品の悪い考えがよぎった。あの女が落ちてこなければ、この夜はなかった。それを呑み込んで、カイは震える指をもう一方の手で握り込んだ。
残殻は修理中だ。左腕の動力伝達系統は応急処置を終えたが、全力稼働には不安が残る。燃料は半分で、弾薬は旧式の速射砲弾が三十二発。数え直しても増えはしなかった。
「……やるしかない、か」
カイの声はひどく小さかった。
ガルドは地図から目を上げなかった。赤葉の煙が二人のあいだでゆっくりと崩れた。




