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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
鉄の鳴く夜

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端子に残るもの

修復の2日目は鋳脈接続端子の除去から始まった。

 ガルドは作業台の前に立ち、ケストレルの右前腕部に取りかかっていた。前日に8つ外した。残り29。フレームの関節ごとに埋め込まれた端子を一つ一つ精密ドライバーで外していく。急ぐ理由はいくらでもあったが、急いでいい作業ではなかった。


 手首関節の端子は小さい。小指の爪の半分ほどの金属片がフレームの窪みに精密に嵌め込まれている。固定ボルトは3本。1本目を外し、2本目を外し、3本目に差しかかったところでドライバーの先がわずかに滑った。


 ガルドは手を止めた。煙草を咥え直し、深く吸って吐いた。


 指先の感覚が鈍い。左手の中指と薬指は火傷で前からそうだが、今日は右手の親指にも微かなこわばりがある。冷えのせいだ。仮設作業場の気温は日中でも息が白くなる程度にしか上がらない。ガルドは右手を握ったり開いたりして血を巡らせ、再びドライバーを構えた。


 3本目のボルトが回り、端子が浮く。ピンセットで摘み上げる。


 端子の裏側に褐色の染みがあった。


 ガルドの手が止まった。煙草の煙が目に沁みるのも忘れてその染みを見つめた。


 血だ。テオの血だ。

 歳月で酸化して金属に薄く膜のようにこびりついている。コックピットの爪痕と同じだ。

 ガルドは指の腹でその染みをなぞった。分厚いタコに覆われた指先に凍てついた鉄の冷たさが這い上がってくる。


 ガルドは端子を布の上に置いた。9つ目。残り28。


 作業灯が1つ点滅している。昨日から直していないし、直す気もなかった。光が足りない時は指の感触で判る。ガルドの指は、このフレームのどのボルトが何回転で締まり、どの関節がどの角度で引っかかるかを覚えている。設計図が消えても手が覚えている。30年分の油が染み込んだ指先が工具の重みと噛み合う。


 外から重い足音が近づいてきた。

 等間隔で地面をしっかり踏む歩き方だった。軍人の足音ではないし、鉄殻乗りの足音でもない。足を運ぶことに慣れた実直な歩き方だ。


「ガルド・ヴェッセンか」


 低い声が作業場の入口に響いた。ガルドは振り向かずに答えた。


「誰だ」

「コンラッド・ナルミだ。アイアンウェルから鉄材を運んできた」


 ガルドは手を止めて振り返った。

 入口に立っている男は思ったより小柄だった。白髪混じりの黒髪を後ろに流し、丸い顔に穏やかな目をしている。だがその穏やかさが何でできているのかはガルドには分からなかった。防寒着の上から革の手袋をはめた両手で布に包まれた鉄材の束を抱えている。右手の薬指に古い指輪が光っていた。


「入っていいか」

「足元に気をつけろ。工具が散らかってる」


 コンラッドは鉄材の束を作業場の隅に降ろした。布を解くと黒みがかった鉄材が姿を見せた。断面が鈍く光っている。ガルドは煙草を灰皿に押しつけ、鉄材の1本を手に取った。


 重さを量り、指で表面を擦る。爪で弾いて音を聞く。


「悪くない」


 ガルドは呟いた。


「炭素の含有率は高めだな。硬いが脆い。叩いて成形するには向かないが、削り出しなら使える」

「アイアンウェルの炉で鋳た。旧世界の合金には及ばないが、灰域で手に入る鉄材としてはましな部類だ」

「まし、で十分だ。ケストレルのフレームはアルマナック合金だが、外装は通常の鋼材で代替する。重量配分を計算し直せば、使えるものは使う」


 コンラッドは頷き、フレームだけになったケストレルに目を向けた。銀色の骨格が作業灯の光を反射している。外装を剥がされた鉄殻は普通の人間にはただの金属の塊にしか見えないだろう。だがコンラッドの目はフレームの関節部に視線を留めた。


「聞いていた通りだ」

「何をだ」

「あの機体の設計者に直接会えるとは思わなかった」


 ガルドは鉄材を置いて新しい煙草に火をつけた。


「設計者ってのは聞こえがいいが、要は人の体を壊す仕組みを作った男だ」


 コンラッドは黙った。しばらく間があり、作業灯の点滅が壁に不規則な影を落としている。


「知っている。鋳脈の話は、バートンから聞いた」

「なら分かるだろう。俺がこの機体に触れるのは、贖いみたいなもんだ。設計者の矜持なんて立派なもんじゃない」


 ガルドはケストレルのフレームに向き直り、次の端子に取りかかった。左肘関節。ここは右よりも奥まった位置にあり、ドライバーの角度が窮屈になる。


 コンラッドは壁際の木箱に腰を下ろし、左膝を庇うように足を少し投げ出す。


「俺は大崩落の前、建物を建てていた」


 ガルドの手は止まらなかった。ドライバーを回しながら耳だけをコンラッドに向けた。


「建設作業員だ。鉄骨を組んで、コンクリートを流して、壁を立てた。手に職があるってのはそういうことだと思っていた。自分の手で形あるものを作り、人がそこに住む。それが誇りだった」


 ガルドはボルトを1本外した。


「大崩落で全部壊れた。俺が建てたものも、他の誰かが建てたものも。津波と爆撃と地盤沈下で、何もかもだ」


 コンラッドの声は低く平坦だった。


「崩れる瞬間を見たことがある。自分で建てたものが、崩れるのを」


 ガルドの手が一瞬だけ止まった。

 再びドライバーを回す。ボルトが2本目、3本目と外れていく。端子が浮き、ピンセットで摘み上げる。10個目。残り27。


「同じじゃない」


 ガルドは低く言った。


「あんたの建物は、住む人間を壊さない。俺の機体は、乗る人間を壊した」


 コンラッドは何も言わなかった。しばらく沈黙が続いた。作業灯の点滅とドライバーが金属に触れる音だけが作業場に響く。


「そうかもしれない」


 コンラッドがようやく口を開いた。


「だが、建物だって人を殺す。手抜き工事で倒壊すれば人が死ぬ。俺の同僚に、それで現場を離れた男がいた。自分の手で建てたものが人を潰したと言って、二度と鉄骨に触れなくなった」


「あんたは触れ続けたのか」


「ここにいる。アイアンウェルの建物は俺が建てた。崩れたら直す。直しても崩れる。それでも建てる」


 ガルドは煙草の煙を吐いた。天井に向かって白い筋が昇り、点滅する作業灯の光に揺れた。


「技匠の格言がある」


 ガルドは端子を布の上に並べながら言った。


「機体は嘘をつかない。壊れる時は正直に壊れる」

「いい言葉だ」

「いい言葉じゃない。残酷な言葉だ。壊れたのは、どこかで俺の手を通っているってことだ」


 コンラッドは右手の指輪を親指で回した。指輪の表面は長年の摩耗で模様が消えかけている。


「あんたの言う通りかもしれない。だが、壊す仕組みを作った男が、今それを取り除いている。それは何だ」


 ガルドは答えず、ドライバーを持ち替えて次の端子に向かった。


 11個目の端子を外した時、ガルドの手が完全に止まった。


 端子の表面に刻まれた回路パターンが他のものと微かに違っていた。

 パターンの密度が高い。他の端子が平行線を基調とした配列なのに対し、この端子は中心から放射状に広がる模様になっている。回路の幅も細く、ガルドが設計した仕様にはない配列だった。


 ガルドは端子を作業灯に翳した。


「何だ、これは」


 コンラッドが木箱から腰を上げて近づいてきた。


「どうした」

「この端子だけ、回路パターンが違う。俺が設計した仕様と合わない」


 ガルドは端子を指先で回した。裏面にも同じ放射状のパターンが刻まれている。素材の質感もわずかに異なる気がした。他の端子は指で弾くと甲高い金属音がするが、この端子の音は低く余韻が長い。


「素材が違うのか」


 コンラッドが聞いた。


「分からない。見た目はほぼ同じだが、音が違う。組成に何か入っている。俺が使った合金にはない成分だ」


 ガルドは端子を布の上に置いて他の端子と並べた。大きさは同じ。重さもほぼ同じだ。


「30年以上前に俺がこの端子を作った時には、こんなパターンはなかった。鋳造後に変化したのか、それとも最初から別の素材が混入していたのか。どちらにしても、俺の手には覚えがない」


 ガルドは眉を寄せた。煙草の火が指先に近づいていたが気づかない。コンラッドが黙ってそれを指差し、ガルドは舌打ちして煙草を灰皿に押しつけた。


「旧世界の技術には、まだ分からないことが多いということか」


 コンラッドが言った。


「分からないものを、人の体に埋めていた」


 ガルドの声は低く硬かった。


 コンラッドは何も言わず、壁際の木箱に戻った。


 作業は午後まで続いた。

 コンラッドは途中で水筒から白湯を注いでガルドにも渡した。ガルドは無言で受け取り、一口飲んで作業台の端に置く。コンラッドも自分の分を飲み、木箱に座ったままガルドの手の動きを見ていた。


 技匠の手は止まらなかった。端子を外し、ボルトを布で拭ってフレームの接合面を磨く。同じ動作の繰り返しだが一つとして雑な手つきはない。37箇所の端子は全て微妙に形が異なる。関節の大きさと可動域に合わせて個別に設計されている。その全ての形をガルドの指は覚えていた。


「あんた」


 コンラッドが不意に言った。


「その手つきは、機械相手のものじゃないな」


 ガルドは返事をしなかった。前日にトワにも同じことを言われたし、否定しても意味がない。


「この機体にはテオが乗っていた」


 ガルドは端子を外しながら低く言った。


「俺が設計して、テオが乗った。テオの神経がこの端子を通って、フレームの隅々まで繋がっていた。テオが右腕を動かせば、ケストレルの右腕が動いた。テオが痛みを感じれば、ケストレルのどこかが壊れていた。機体と人間の境目がなくなる。それが鋳脈だ」


「だから、機械相手の手つきにならない」


「そうだ」


 15個目の端子を外した。残り22。午後の光が作業場の窓から差し込み、フレームの銀色が暖かく光った。


 ガルドは外した端子を全て布の上に並べた。15個の小さな金属片。それぞれに微細な回路パターンが刻まれ、いくつかにはテオの血の痕が褐色の染みとなってこびりついている。


 ガルドは布の端を折って端子を包んだ。


「これを捨てる気にはなれない。テオの体の一部みたいなもんだからな」


 コンラッドは立ち上がって防寒着の襟を正した。


「明日も鉄材を運ぶ。追加で必要なものがあれば、バートンに伝えてくれ」

「板材が要る。外装の裏打ちに使う薄板だ。厚さ2ミリ、幅は300ミリ以上。アイアンウェルの炉で圧延できるか」

「やってみる」


 コンラッドは入口に向かった。途中で一度振り返り、布に包まれた端子の束を見た。


「技匠ってのは、物を作る人間だと思っていた」

「作りもするし、壊しもする」

「壊したものを覚えている人間は、また作れる」


 ガルドは答えなかった。コンラッドの足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。


 作業場にガルドだけが残った。

 布に包まれた15個の端子を工具箱の一番奥にしまった。鍵をかける手がいつもより長く取手に残った。


 ガルドは新しい煙草に火をつけ、ケストレルのフレームに向き直った。16個目の端子。残り21。


 技匠の手がまた動き始めた。

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