鶺鴒の骨格
仮設作業場は旧世界のガレージを改修した建物だった。
コンクリートの壁には前の時代の排気ダクトが錆びた口を開けたまま残り、天井の鉄骨には作業灯が3つぶら下がっている。そのうち1つは点滅を繰り返し、壁に掛かった工具の影を不規則に揺らしていた。ガルドは気にしない。光が足りなければ手の感触で判る。30年以上同じフレームに触れてきた。
ケストレルは作業台の上に横たわっていた。
外装を全て剥がされた状態だった。鉄紺色の装甲板は壁際に番号順に並べられ、露出したフレームが作業灯の光を鈍く反射している。アルマナック合金の骨格。深い銀色の金属は30年以上の歳月を経てなお、鋳造直後のような光沢を保っていた。
ガルドは煙草を咥えたままフレームの右肩関節に手を伸ばした。
関節の可動部に付着した古いグリスを布で拭い取る。グリスの下から現れた接合面には微細な加工痕がそのまま残っていた。ガルドが27歳の時に刻んだ旋盤の跡だ。精度は0.02mm以内。当時の自分の腕前をこの金属が記憶している。
「錆びない金属ってのは、厄介なもんだ」
独り言が煙と共に漏れた。
この合金は錆びない。30年経ってもまるで昨日鋳造されたようだ。旧世界の技術で作られたアルマナック・フレームは現在の炉では再現できない組成を持っている。ガルドは若い頃にグランヴェルトの工房で初めてこの合金に触れた時の衝撃を覚えている。切削工具が刃こぼれした。通常の鋼材では考えられない硬度と靭性の両立。それでいて適切な温度と圧力を加えれば精密な成形が可能だった。
ガルドは肩関節のボールジョイントを分解して内部の鋳脈接続端子を露出させた。
神経と鉄をつなぐ小さな継ぎ目だ。ケストレルの全身に37箇所。それを一つ残らず除去する。
精密ドライバーで端子の固定ボルトを外す。ボルトは4本。1本目。2本目。3本目。4本目を外した瞬間、端子がわずかに浮いた。ガルドはピンセットで端子を摘み上げて布の上に置いた。小指の先ほどの金属片。表面には微細な回路パターンが刻まれている。
テオの神経がここを通っていた。
ガルドの手が止まった。煙草の灰が長く伸び、やがて重みに耐えかねて落ちて作業着の膝に散る。
テオ・セヴァル。かつての相棒。この機体の最初の操手。ガルドが設計してテオが乗り、二人で灰域を駆けた。あの頃はこれが人を強くする技術だと疑わなかった。神経を機体に繋げば鉄が手足になる。痛みごと自分のものになる。グリスの染みついた手をウエスで拭きながらガルドが語ると、テオは薄暗い天井を見上げて笑い、無防備な首の後ろを迷いなく差し出してきた。
代償を知ったのはテオの左手が震え始めた時だった。
ガルドは新しい煙草に火をつけて次の端子に取りかかった。右肘関節。ここの端子は肩よりも小さく奥まった位置にある。狭い隙間にドライバーを差し込み、指先の感覚だけで作業する。左手の中指と薬指は古い火傷で感覚が鈍いが、右手の五指は健在だった。
足音が聞こえた。
軽く均等な間隔。迷いのない歩き方だった。ガルドは振り向かずに作業を続ける。
「邪魔するぞ」
トワの声だった。低く簡潔だ。
ガルドは煙草を咥え直した。
「見るだけなら構わない。触るな」
「触らない」
トワは作業場の入口に立ったままフレームが剥き出しになったケストレルを見つめていた。黒のライダースジャケットの襟を立て、細い煙草を1本取り出して火をつける。二人分の煙が天井へ向かって昇った。
ガルドはトワの視線がフレームの脚部に向かっていることに気づいた。逆関節に近い高跳躍型の脚。膝から下が長く、足部は3本爪の鳥足型だ。装甲がない状態ではその構造の異常さが際立つ。残殻や汎殻の脚部が直線的な構成なのに対し、ケストレルの脚は生き物の骨格のような曲線で繋がっている。
しばらく無言が続いた。作業灯の点滅とガルドのドライバーが金属に触れる微かな音だけが響く。
「いい機体だ」
トワが呟いた。
ガルドは手を止めない。
「どこを見てそう思う」
「フレームの構成。関節の軸線が全部、コックピットを中心に放射状に配置されてる。操手の意思が末端まで最短距離で伝わる設計だ」
「よく見てる」
「14年乗ってれば、機体の骨格くらい読めるようになる」
ガルドは肘関節から端子を取り外して布の上に並べた。7つ目。あと30。
トワが一歩近づいた。ガルドがフレームの関節部品を磨く手つきをしばらく黙って見ていた。
「まるで子供を洗っているみたいだ」
ガルドの手が一瞬だけ止まった。
「子供はいない」
「知ってる。だからみたいだ、と言った」
ガルドは鼻を鳴らし、何も言い返さなかった。
「この金属は傷つかないが、汚れは溜まる。長年の煤と油を落としてやらないと、組み直した時に精度が出ない」
「理屈は分かる。だが、あんたの手つきは精度のためだけじゃない」
ガルドは答えず、布で関節面を磨く手を動かし続けた。
トワは壁に背を預けて黙って煙草を吸っていた。詮索してこない相手といるのは久しぶりだった。
ガルドは膝関節の端子に取りかかった。ここは可動域が大きいぶん端子にかかる負荷も高い。固定ボルトの1本が摩耗で頭が潰れていた。専用のビットに換えて慎重に回す。
「外装はどうするんだ」
トワが聞いた。
「問題はそこだ。アルマナック合金は手に入らない。通常の鋼材で代替するが、重量配分が変わる。フレームの応答性を殺さないように装甲の厚さと配置を一から計算し直さなきゃならない」
「薄くするのか」
「薄くする。元々ケストレルは回避型だ。重くしたら持ち味が死ぬ」
トワは小さく頷いた。
外から足音が近づいてきた。今度は速い。若い足音だ。
「ガルド、ケストレルは――」
カイが作業場の入口に立っていた。フレームだけになったケストレルを見て目を見開く。
「装甲、全部外したのか」
「外さなきゃ中身をいじれない。当たり前だ」
「いつ乗れる」
ガルドは手を止めてカイを見た。
「乗れない」
「いつまで」
「完成するまでだ。中途半端な機体に乗せるわけにはいかない」
カイの顔に焦りが浮かんだ。灰域連合が動き始めている。鋼城が建造されている。時間がないことはカイもガルドも分かっていた。
「急いでくれとは言わない。でも――」
「なら黙って待ってろ」
ガルドの声に普段の飄々とした調子はなかった。カイは口を閉じる。
トワが煙草を短くなるまで吸って携帯灰皿に押し込んだ。
「技匠が完成だと言うまで待て。半端な機体で戦場に出れば死ぬ。それは操手の問題じゃなく、機体の問題だ」
カイはトワを見た。トワの目は冷静だった。
「分かった」
カイはそれだけ言って作業場を出ていった。足音が遠ざかる。
トワもジャケットの襟を立てて出口へ向かい、去り際に一度だけ振り返った。
「あの機体が完成したら、見せてくれ」
「暇なら見に来い」
トワは小さく頷いて寒風の中に消えた。
作業場にガルド一人が残った。
点滅する作業灯の下でケストレルのフレームが銀色に光っている。外装を剥がされた骨格だけの姿は鳥が羽を毟られたように見えなくもなかった。だがその骨格には30年以上の歳月を物ともしない強靭さがある。
ガルドは工具を置いて煙草を灰皿に押しつけた。
フレームの胸部に設けられたハッチを開く。コックピットだった。計器類は取り外されて操縦席だけがぽつんと残っている。座面の革は擦り切れ、左の肘掛けには深い爪痕があった。テオが戦闘中に掴んだ痕だ。
ガルドはコックピットに身体を滑り込ませた。
狭い。操手用に設計された空間に技匠の体格は収まりが悪い。だがシートに腰を下ろした瞬間、背中にテオの体温の残滓を感じた。
計器のない操縦席は暗く静かだった。
ガルドは目を閉じた。
肩が擦れるほど狭いコックピット。擦り切れたシートに身を沈めると、かつてここに座っていたテオの重みが背中に張りついてくる。ガルドが旋盤で削り出した関節に繋がれ、首の後ろに埋めた端子で機体と一つになって戦った。
テオの命を支えたのもテオの体を壊したのも同じ手だ。
端子を抜いた跡にセンサーを仕込む。外装を鋼材で作り直す。計器表示系統を増設する。やることは山ほどあった。
ガルドは目を開けた。暗いコックピットの中で自分の呼吸だけが聞こえた。
「お前の息子に、これを渡す」
声は低く掠れていた。誰にも聞こえない。聞かせるつもりもなかった。
「鋳脈なしで。それが俺の答えだ」
ガルドは爪痕の残る肘掛けを一度だけ撫でた。革の擦り切れた感触が指の腹に残る。
ガルドはシートから立ち上がってコックピットを出た。工具を手に取り次の端子に向かう。8つ目。あと29。
点滅する作業灯の下で技匠の手が動き続けた。




