表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
鉄錆の邂逅

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/154

焚き火の夜

焚き火の炎が、廃墟の壁に揺れる影を作っていた。

 リオン・アスフォードは、火から少し離れた位置に座っていた。住民が焚き火を囲んでいる。干し肉を串に刺して炙り、遺灰酒(いはいしゅ)の瓶を回す。芋から蒸留した透明な酒は、口に含むと喉の奥が焼けるような辛さだった。リオンは一口だけ飲んで、瓶を隣に回した。


 夜の集落は、昼とは違う顔を見せた。

 焚き火の光が顔を照らし、影を深くする。昼間の労働の疲れが、酒と火の温もりで溶けていく。あちこちで笑い声が上がり、子供たちが焚き火の周りを走り回っている。


 マーサ・ウィンターが、子供たちを膝元に集めた。


「今夜は、血鉄のレオーネの話をしようかね」


 子供たちの目が光った。


「昔、大崩落(ダウンフォール)が始まったばかりの頃、一人の鉄殻(てっかく)乗りがいた。名前はレオーネ。誰のために戦うでもなく、灰域(アッシュランド)を一人で歩いていた。レオーネの鉄殻(てっかく)は血のように赤い装甲を纏っていて、行く先々で壊れた集落を直し、傷ついた人間を助けた。報酬は求めなかった。ただ、行く。直す。去る。そういう男だった」


 マーサの語りは穏やかだった。抑揚は控えめだが、声に力がある。焚き火の音がその間を埋める。


「ある日、レオーネは泥の中で倒れていた女を見つけた。名前はエレナ。戦火で村を焼かれ、泥の中を這って生き延びた。レオーネはエレナを担いで歩き、水を探し、食料を分けた。エレナはレオーネに問うた。『あなたは何のために歩いているの』。レオーネは答えた。『分からない。ただ、止まると死ぬ気がする』」


 リオンは、マーサの声に耳を傾けていた。セルヴィスには口承文学はない。全ての記録は文書化され、データベースに保管される。焚き火の前で年寄りが語る物語という形式は、リオンにとって初めてのものだった。


「レオーネとエレナは一緒に歩いた。二人で集落を回り、壊れたものを直し、傷ついた人を助けた。やがて人々はレオーネを『血鉄のレオーネ』と、エレナを『泥の聖女エレナ』と呼ぶようになった。二人は伝説になった。だけど――」


 マーサの声が低くなった。


「二人が最後にどうなったかは、誰も知らない。ある日、灰域(アッシュランド)から姿を消した。残されたのは赤い鉄殻(てっかく)の残骸だけ。レオーネの体は見つからなかった。エレナも」


 子供たちが静まり返った。焚き火が爆ぜる音だけが残った。


「だから灰域(アッシュランド)の人間は、赤い鉄殻(てっかく)を見ると手を合わせる。レオーネがまだどこかを歩いていると信じて」


 * * *


 タリア・ホリーがリオンの隣に座った。

 灰域(アッシュランド)パンの欠片を火に翳して焼きながら、屈託なく話し始めた。


「ここは何もない。でも、何もないから自分で作るしかない。それが楽しいんだ」


 タリアの目が焚き火の光を反射している。明るい茶色の瞳が、炎の揺れに合わせて金色に見えた。


「通信機、知ってるでしょ。あたし、廃材から部品を集めて自分で組んだの。最初は全然動かなくて、半年かかった。でも動いた時はね、泣いた。本当に泣いた。自分の声が、隣の集落まで届いたんだよ」


 リオンは軍の宿舎を思い出していた。整然とした部屋。時刻通りの食事。規律正しい日課。何不自由ない生活。だがそこには、焚き火を囲んで酒を回す夜はなかった。自分の手で何かを作って泣くほど喜ぶ経験もなかった。


「あんた、いい人ね。軍人って聞いてたから怖い人かと思った」


 タリアが笑った。そばかすが焚き火の光に照らされている。


「私は……ただの少尉よ」


 リオンの声は、自分でも驚くほど小さかった。ただの少尉。参謀長の娘。銘殻(めいかく)操手(そうしゅ)。士官学校の首席。それらの肩書きが、この焚き火の前では何の意味も持たなかった。


 焚き火の向こう側に、カイがいた。

 壁に背を預け、遺灰酒の瓶を膝の上に置いている。飲んではいない。ゲオルグの隣に座り、何かを聞いている。

 目が合った。

 焚き火の炎越しに、灰色の瞳と紺色の瞳が交差した。

 すぐに逸れた。カイが先に視線を外し、ゲオルグの方を向いた。リオンも手元のカップに目を落とした。


 タリアは二人の間の空気に気づいている顔をしたが、何も言わなかった。代わりに遺灰酒の瓶を持ち上げて、リオンのカップに注いだ。


「もう一杯、どう。灰域(アッシュランド)の酒は体が温まるよ」


 ゲオルグが酒を片手にリオンに声をかけた。


「客人、遠慮なく食え。ここの飯は粗末だが、分け合うのだけは得意だ」


 リオンはドライベッド・シチューを口に運んだ。乾燥豆と干し肉と根菜の煮込み。塩が強い。だが温かい。軍用糧食よりずっと美味い。胃の底から体に広がる温もりが、リオンの胸を突いた。


 * * *


 焚き火が消えかけた頃、タリアがリオンの袖を引いた。


「ねえ、ちょっと来て。見せたいものがあるの」


 タリアの通信小屋は、廃墟の一角を改装した小さな部屋だった。壁には旧世界の回路図が炭で書き写してあり、棚には分解した通信機の部品が種類別に並んでいる。中央の作業台に、タリアが組み上げた通信機があった。


 旧式の部品を寄せ集めた自作の受信機。タリアが周波数を合わせると、スピーカーからノイズ混じりの音声が流れてきた。


「……焦土の声、って呼ばれてる。灰域(アッシュランド)の非公式ラジオ。誰が発信してるか分かんないんだけど、灰域(アッシュランド)の情報を流してる」


 ノイズの向こうから、声が聞こえた。低い男の声。感情を排した、事実だけを述べる口調。


「――セルヴィスが灰域(アッシュランド)に動いている。南方に部隊展開の兆候あり。複数の鉄殻(てっかく)反応を確認。方位は南南東。推定距離――」


 リオンの背筋が冷えた。

 南南東。ラストヘイムから見て、南南東。セルヴィスの部隊がこちらに向かっている。

 タリアの顔を見た。タリアの表情は固い。この情報の意味を理解している。


「……あたしたちのこと、もう知られてるのかな」


 タリアの声は小さかった。

 リオンは答えなかった。答える代わりに、自分の左手を握りしめた。軍服の襟の感触が、指先に蘇った。自分がここにいることが、この人たちを危険に晒している。

遺灰酒いはいしゅ――芋を原料とするラストヘイム産の蒸留酒。灰域の酒の中では比較的マシな味とされる。名前の由来は「灰域の遺産」。

「焦土の声」――灰域で受信できる非公式のラジオ放送。発信者は不明。灰域の軍事動向や交易情報を流している。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ