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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
鉄の鳴く夜

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凍土の報せ

第4部「鉄の鳴く夜」開幕。焦土紀24年1月、厳冬のストーンクロスから物語が再開します。

水が凍る音がした。

 ストーンクロスの給水路に残った水が、夜の間に膨張して鉄管を軋ませている。マイナス22度。焦土紀(しょうどき)24年の1月は、ここ10年で最も寒い冬を灰域(アッシュランド)にもたらしていた。


 カイは仮設の居住区画を出て、朝の空気を肺に入れた。冷気が気管を刺し、鼻腔の奥が痛んだ。吐く息が白く凍り、眉毛の先に微かな霜がつく。空は灰色だった。灰域(アッシュランド)の空はいつも灰色だが、冬の灰色は重い。雪を含んだ雲が低く垂れ込め、地平線との境目が消えている。


 ストーンクロスは戻ってきた。2週間前に。

 セルヴィスが撤退したのだ。冬の補給線が伸びきったことが原因だった。フォートレスから灰域(アッシュランド)の奥地まで物資を運ぶ輸送車両が、凍結した道路で次々と立ち往生し、コルヴァスの前線部隊は弾薬と燃料の不足に陥った。リーヴが撤退を決めたのは合理的な判断だっただろう。灰域(アッシュランド)の冬は、外から来た者には味方しない。

 だが戻ってきたストーンクロスは、カイたちが知っていた街ではなかった。


 交易広場の石畳は砲撃で砕かれ、瓦礫の隙間から錆苔が赤黒く這い出していた。冬の寒さで成長を止めたはずの錆苔が、砲撃の衝撃で露出した鉄筋に取りつき、壁面を赤い斑点で染めている。バートンの執務室だった建物は北壁が崩れ、隣の倉庫は屋根が落ちていた。住民たちは崩れた建物の中から使える資材を引き出し、壁を塞ぎ、屋根を張り直す作業を続けている。


 給水路の前に人だかりができていた。凍結した水源から水を汲むために、住民たちが鉄の棒で氷を砕いている。金属が氷を叩く乾いた音が、朝の冷気の中に響いた。一人の老女が両手で桶を抱え、割れた氷の間から染み出した水を掬い取っている。桶の縁にも既に薄い氷が張り始めていた。


 カイは給水路の脇を通り過ぎ、バートンの仮執務室に向かった。旧世界の商業ビルの2階。砲撃を免れた数少ない建物の一つだが、窓硝子は全て割れており、布と板で塞いである。階段を上がると、廊下に立っていたボルトと鉢合わせた。


「おう。丁度いい、バートンが呼んでる」

 ボルトは革の袖無しの上に毛皮の外套を羽織っていた。この寒さの中でも腕を出しているあたりが、この男らしかった。39年間戦場で生きてきた体は、寒さへの耐性すら鍛え上げているのかもしれない。

「何かあったのか」

「客が来た。クレスタの鼠だ」

 ボルトは親指で部屋の方を指した。


 * * *


 仮執務室に入ると、バートンが地図を広げたテーブルの前に立っていた。その向かいに、見覚えのない女が座っている。深い栗色の髪を片側に流し、暗緑色の目でカイを一瞥した。灰域(アッシュランド)の作業着に身を包んでいるが、着こなしが灰域(アッシュランド)の人間のそれではなかった。汚れ方が均一すぎる。本当に作業着を着て働いている人間の服は、もっと偏った汚れ方をする。

 テーブルの端には、コンラッド・ナルミが腕を組んで立っていた。アイアンウェルの長は厚い防寒着に身を包み、左手の薬指に銀の指輪を嵌めている。


「カイ、こちらはルイ・ヴェルデ。クレスタの情報屋だ」

 バートンが紹介した。声はいつも通り低く、落ち着いている。だが目の下の隈はストーンクロスを失った時よりも深くなっていた。眠っていないのだろう。この男はいつ眠るのだろう、とカイは思った。

「情報屋」

 ボルトが鼻を鳴らした。

「金で動く連中の話をどこまで信じるかだが」

「金で動くから信じられるんですよ」

 ルイが薄く笑った。声は落ち着いていたが、その落ち着きは訓練されたものだった。

「感情で動く人間は、次に何をするか読めない。金で動く人間は、少なくとも嘘をつく理由がない。嘘をついたら次の仕事がなくなるから」


 バートンが手を上げ、やり取りを止めた。

「報せの中身を聞こう」

 ルイはテーブルの上に小さなデータチップを置いた。金属製の薄い板。クレスタの通信技術者が作る暗号化記録媒体だ。

「グランヴェルトが鋼城(こうじょう)の本格建造に入った。試験段階じゃない。エルツブルクの第3造兵廠に、管区全域から資材と人員が集中している。建造スケジュールの概要と、資材の搬入ルートの一部がこの中に入ってる」

 部屋の空気が変わった。カイは感じた。バートンの呼吸が一瞬だけ止まり、コンラッドの腕組みが微かにきつくなった。ボルトだけが表情を変えなかった。この男は予想していたのだろう。


「完成はいつだ」

 ボルトが聞いた。

「私の情報源が正しければ、早くて3ヶ月。遅くても4ヶ月。春の終わりには動き出す」

鋼城(こうじょう)が動いたら、灰域(アッシュランド)は終わりだ」

 コンラッドが低い声で言った。事実を述べているだけの、感情を排した声だった。

「全長3.2キロメートルの移動要塞が灰域(アッシュランド)を横断すれば、残殻(ざんかく)が何機あっても意味がない。そもそも残殻(ざんかく)で戦う相手じゃない」

「だからこそ動く前に叩く必要がある」

 バートンが言った。

「建造中なら、鋼城(こうじょう)はただの鉄の箱だ。動力が入って、武装が稼働して、鋳脈(ちゅうみゃく)者が接続されて初めて鋼城(こうじょう)になる。その前に手を打つ」


 カイは黙って聞いていた。鋼城(こうじょう)モノリス。24名の鋳脈(ちゅうみゃく)者を接続して動く、グランヴェルトの切り札。テオが命を賭けて止めようとしたもの。

「手を打つと言うが」

 コンラッドが視線をバートンに向けた。

「具体的にはどうする。灰域(アッシュランド)の戦力を掻き集めても、グランヴェルトの正規軍には数で劣る。まして建造廠はグランヴェルト本領の奥にある。辿り着く前に全滅する」

「単独ではな。だから連合を組む」

 バートンはテーブルの地図に手を置いた。灰域(アッシュランド)の集落が手書きで書き込まれた、使い古された地図。

灰域(アッシュランド)の各集落から戦力を集める。ストーンクロス、アイアンウェル、ラストヘイム。それだけじゃない。東の遊牧集落、南の廃鉱集落。灰域(アッシュランド)に散らばっている傭兵団にも声をかける。個別では弱くても、束ねれば数になる」

「数だけ集めても烏合の衆だ」

 ボルトが言った。だがその声には否定の色がなかった。事実を確認しているだけだ。

「俺の傭兵団が前線の骨格を組む。マイロに全体の作戦を練らせる。各集落からの戦力は、俺の部隊の指揮系統に組み込む。バートン、お前は政治を回せ。コンラッド、アイアンウェルからは何が出せる」


 コンラッドは少し間を置いた。左手の指輪に目を落とし、それから顔を上げた。

「鉄材を出す。アイアンウェルの鋳造設備で残殻(ざんかく)の補修部品を作れる。旧世界の合金には及ばないが、灰域(アッシュランド)の鋼鉄なら量は確保できる。それから水。冬の間は凍結で輸送が難しいが、融雪が始まれば街道沿いの集落に水を供給できる。物資の流れを作ることはできる」

「ありがたい」

 バートンが頷いた。

「もう一つ。バルトリア沿岸連合が関税を引き上げるという噂がある。確認は取れているか」

 ルイが答えた。

「噂じゃない。来月から沿岸経由の物資に12パーセントの追加関税がかかる。グランヴェルトへの牽制のつもりだろうけど、とばっちりは灰域(アッシュランド)にも来る。外から入ってくる物資がさらに減る」

 コンラッドが眉を寄せた。

「つまり外からの補給は当てにするなということだ。灰域(アッシュランド)の中で回せるものだけで戦う。鉄と水はアイアンウェルが出す。食糧は各集落の備蓄を共有する。足りないものは」

「足りないものは、足りないまま戦う」

 ボルトが言い切った。

「傭兵は昔からそうしてきた。あるもので戦い、ないものは諦める。シンプルだ」


 * * *


 会議が終わり、ルイが仮執務室を去った後、カイは廊下の窓から外を見た。布で塞いだ窓の隙間から、灰色の空が覗いている。給水路の前の人だかりは少し減っていたが、まだ氷を砕く音が聞こえていた。


 戦場の駒。

 その言葉が、頭の中に浮かんだ。


 バートンの連合構想。ボルトの軍事編成。コンラッドの資源提供。全てが合理的で、全てが必要な手順だった。灰域(アッシュランド)を守るために動かなければならない。それは分かっている。だが会議の間、カイは自分がテーブルの上の駒の一つになっていく感覚を拭えなかった。バートンが地図の上に駒を並べるように、カイもまたどこかに配置される。17歳の操手(そうしゅ)。テオ・セヴァルの息子。灰域(アッシュランド)の旗印。

 自分の意志で戦うことと、誰かの構想の中で戦わされることの境界が、少しずつ曖昧になっていく。


 だが、とカイは思った。

 ラストヘイムがある。タリアがいる。リックがいる。あの小さな集落の人間たちが、凍えながらも水を汲み、壁を直し、日々を繋いでいる。ストーンクロスの住民たちも同じだ。鋼城(こうじょう)が動けば、その全てが踏み潰される。

 駒になることが嫌なのではない。駒として動いた先に、守れるものがあるかどうかだ。

 カイは廊下を歩き出した。


 ガルドの作業場は、旧世界のガレージを改修した建物だった。壁に工具が整然と並び、作業台の上に金属片と油缶が置かれている。油と鉄粉の匂いが染みついた空間。カイが扉を開けると、ガルドは作業台に向かっていなかった。

 床の上に座り込んでいた。

 古い設計図を広げている。大判の紙が3枚、床の上に並べられ、ガルドはその上に屈み込むようにして何かを書き込んでいた。煙草の煙が天井に向かって細く立ち上っている。カイの足音に気づいたのか、ガルドは顔を上げずに言った。

「入るなら静かに入れ。風が入ると図面が飛ぶ」


 カイは扉を閉め、音を立てないように近づいた。設計図は古かった。紙の端が黄ばみ、折り目が擦り切れている。だが線は精密だった。機体のフレーム構造、関節の断面図、装甲の配置。技匠(ぎしょう)の手が引いた線は、一本の迷いもなく紙の上を走っている。

 図面の右下に、文字が見えた。


 ケストレル。


 カイの目が、その文字の上で止まった。

鋼城(こうじょう) -- グランヴェルトが建造する超大型鉄殻。全長3.2キロメートル。24名の鋳脈者(ちゅうみゃくしゃ)を接続して稼働する。

灰域連合 -- バートン・セオが構想する灰域の集落間連合。ストーンクロス、アイアンウェル、ラストヘイムの三集落を中核とする。

ルイ・ヴェルデ -- クレスタ資源同盟のフリーエージェント。情報仲介を生業とする27歳の女性。

バルトリア沿岸連合 -- 旧バルト三国からスカンジナビア南部にかけての小規模自治連合。三大勢力の間で二股外交を行い、独立を維持している。

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