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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
鉄錆の邂逅

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ポラリスと|残殻《ざんかく》

潤滑油の匂いが、朝の冷気に混じっていた。

 カイ・セヴァルは、ポラリスの左脚関節のカバーを外し、内部の損傷を確認していた。歪んだフレームが軸受けを圧迫している。このまま動かせば、3歩で関節が焼きつく。


「軸受けの内径を0.1ミリ広げるか、フレームを矯正するか。どっちが先だ」


 カイは独り言のつもりで呟いた。


「フレームが先。軸受けの遊びを増やしても、フレームの歪みが残っていれば負荷がかかる方向が変わらない」


 背後から声がした。女が、左手に工具を握って立っていた。右腕の固定具を外し、薄い副木だけを巻いている。クレアに許可を取ったのかは怪しい。

 紺色の目がポラリスの脚部を見ている。操手(そうしゅ)の目ではなく、自機を知る人間の目だった。


「ポラリスの左脚は第7関節から下が一体成型。フレームを矯正するなら、ここのボルトを2本抜いて、関節ブロックごと引き出す必要がある」


 カイは黙って指示に従った。ボルトの位置は確かにそこだった。銘殻(めいかく)の構造を知らない人間には、見当もつかない場所。


 二人は無言で工具を手渡し合い、損傷した外装パネルを外していった。カイが外装を外し、女が内部を確認し、修理の手順を指示する。操手(そうしゅ)技匠(ぎしょう)の役割が自然に分かれた。

 カイは銘殻(めいかく)の内部を間近で見た。潤滑油の色が違う。残殻(ざんかく)に使う再生油は黒く濁っているが、ポラリスの潤滑油は淡い琥珀色で、粘度が均一だった。指ですくうと、絹のように滑らかに流れ落ちる。


「この油、合成品か」

「セルヴィスの化学工場で精製している。温度変化に強い」

灰域(アッシュランド)じゃ手に入らない。うちのは廃材から搾った再生油だ。3ヶ月で酸化する」


 女は黙った。3ヶ月。セルヴィスでは潤滑油の交換サイクルは半年だ。灰域(アッシュランド)では、その半分の期間で油が腐る。


 * * *


 フレームの矯正は力仕事だった。

 カイが腕の太さほどの矯正バーをフレームの間に差し込み、体重をかけて歪みを押し戻す。女が関節の隙間にゲージを差し込み、矯正の精度を確認する。


「あと0.3ミリ。もう少し」

「これ以上押したらフレームに亀裂が入る」

「入らない。ポラリスのフレーム材はセルヴィス規格のA7複合材。降伏点はこの程度の負荷では超えない」


 カイは力を加えた。フレームが軋む音が腕を伝わり、歯の奥に響く。金属が悲鳴を上げる周波数。それでも女は「まだ」と言った。


 最後の一押しで、フレームが正位置に戻った。反発力が消え、カイの体が前に倒れかけた。女が左手でカイの肩を掴み、支えた。


「……悪い」

「いい。今ので軸芯が出た」


 女はすぐに手を離した。カイの肩に残った感触は、冷たい指の圧力だけだった。


 軸受けを嵌め直し、ゲージで遊びを確認する。0.05ミリ。ガルドが求める精度に近い。カイは指先で軸受けを回した。滑らかに回る。引っかかりがない。


「うちの残殻(ざんかく)でこれだけ精度が出れば、半年は保つ」

「ポラリスなら2年」


 同じ作業、同じ精度。だが機体の性能差が、寿命を4倍にする。それが灰域(アッシュランド)と管区の差だった。


 * * *


 昼になった。

 タリアが灰域(アッシュランド)パンと干し肉の包みを持ってきた。カイと女は、ポラリスの足元に座って昼食をとった。パンは相変わらず硬く、干し肉は塩辛い。風が砂を運んできて、パンの表面に薄く砂粒が乗る。カイは気にせず齧った。女は砂を指で払ってから口に運んだ。


 黙って食べた。会話はなかった。だが沈黙の質が変わっていた。最初の日の張り詰めた沈黙ではない。同じ作業をした後の、緊張が少し緩んだ沈黙。


 食後、カイは残殻(ざんかく)の修理に取りかかった。ポラリスの横に放置された自分の機体。女がその作業を見ている。


 カイの手つきは銘殻(めいかく)を扱う時と変わらなかった。丁寧に、正確に、手に入る部品で最善を尽くす。溶接の火花が散り、やすりが鉄を削る音が響く。残殻(ざんかく)の部品は古く、規格がばらばらで、合わないものは削って合わせる。その工夫が、女の目に留まった。


「……あなたの修理は粗い」


 女が言った。


「知ってる」


「でも、工夫がある」


 カイは手を止めた。振り向くと、女はポラリスの装甲に寄りかかって、カイの手元を見ていた。


「手に入るもので最善を尽くしている。そのやり方は、セルヴィスの技匠(ぎしょう)にはない」


 カイは何も言わず、作業に戻った。褒められたのか、同情されたのか、分からなかった。ただ、女の声にあったのは上から見下ろす憐憫ではなかった。技術を見る目だった。


 * * *


 ガルド・ヴェッセンが夕方に来た。

 ポラリスの修理の進捗を確認し、女に短い質問をいくつか投げた。関節の設計者。装甲材の規格。動力炉の型番。女は答えられる範囲で答え、機密に触れる部分は黙った。ガルドはそれ以上聞かなかった。


 カイは宿舎に向かいかけて、足を止めた。

 ガルドの作業場から、受信機の周波数を合わせる音が漏れていた。微かなノイズの奥に、暗号化された通信の断続的な信号が混じっている。セルヴィスの周波数帯だ。


 扉の隙間から覗くと、ガルドが受信機の前に座り、方位と信号パターンを紙に書き出していた。煙草に火をつけ、赤葉(レッドリーフ)の辛い煙を吐く。紙の上のペンが止まり、距離を推算しているようだった。


 ガルドの顔が、険しくなった。


鉄鴉(コルヴァス)か」


 その呟きが、扉の隙間から漏れた。カイは息を詰めた。鉄鴉(コルヴァス)。セルヴィス防衛機構・特務遊撃隊。リオンの回収に動いたのか。


 ガルドは受信機の電源を落とし、立ち上がった。煙草の火を踏み消す。作業場の扉を開けると、カイの姿に気づいた。一瞬、目が合った。

 ガルドは何も言わなかった。ただ夜空を見上げた。星は見えない。灰色の雲が空を覆っている。


 カイもその視線を追った。あの空の向こうに、鉄殻(てっかく)の群れがいる。どれほどの戦力が来るのか。カイには見当もつかなかった。

 ガルドの指が、工具箱の縁を叩いた。箱の奥に、カイが以前見かけた精密な金属部品がある。灰域(アッシュランド)の技術ではないもの。


「明日、話がある」

 ガルドは短く言った。カイとゲオルグに向けた言葉だと分かった。

コルヴァス -- セルヴィス防衛機構の特務遊撃隊。鋳脈者で構成される精鋭部隊である。

鋳脈者ちゅうみゃくしゃ -- 鋳脈を施された操手の呼称。機体のセンサー情報を自身の体感として知覚できる。

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