撤退戦
ストーンクロスの防衛線は、3日で崩壊した。
コルヴァスの攻勢は灰域側の予想を超えていた。リーヴの遊肢4基が防衛線の要所を狙い撃ちにし、その間に汎殻部隊が正面から押し上げる。残殻では汎殻の装甲を抜けない場面が増え、ボルトの部隊は徐々に後退を強いられた。
フィン・カーターの汎殻がリントと激しく交戦し、リントの残殻の右腕が吹き飛ばされた。リントは左腕だけで応戦しながら後退し、辛うじて生き延びた。
4日目の朝、バートンが決断した。
「ストーンクロスを放棄する」
通信越しの声は平坦だった。だがその奥に、15年分の重みが押し込められていた。この防壁を築いたのはバートンだ。この集落を維持してきたのもバートンだ。それを、自分の口で捨てると宣言した。
「住民を西に避難させる。アイアンウェルに向かわせる。戦闘員は殿を務めろ」
殿。
追撃を受けながら最後に退く部隊。損耗率が最も高い任務だ。
カイはケストレルで東の防衛線に残った。
ボルトが正面。リントが左翼。トワが右翼。リオンは住民の避難誘導にまわった。残殻に乗れる戦闘員は、カイを含めて8機。対してコルヴァスの汎殻は7機以上。性能差も含めれば、圧倒的に不利だ。
住民の避難が始まった。
800人のストーンクロスの住民が、西に向かって歩き始める。老人、子供、赤ん坊を抱えた女。冬の灰域を徒歩で移動する民間人の列が、集落の西門から延々と伸びていく。荷車に最低限の食料と毛布を積み、白い息を吐きながら雪道を進む。
カイはそれを背中に感じながら、東を見た。
コルヴァスの汎殻が前進してくる。
ケストレルのFALKE短銃身型を構え、牽制射撃を繰り返した。残弾が減っていく。22。18。15。
ボルトの残殻が正面の汎殻2機と組み合った。近接距離まで踏み込み、体当たりで押し返す。だが汎殻の装甲は厚い。残殻の打撃では致命傷を与えられない。
「ボルト、退け。無理するな」
「うるせえ。まだ住民が出切ってない」
ボルトの残殻の胸部装甲が陥没した。汎殻の拳が叩き込まれたのだ。だがボルトは退かない。右腕のROOK機関砲を零距離で叩き込み、汎殻の左脚関節を破壊した。
残殻が1機、被弾して動かなくなった。操手は脱出した。
また1機、左脚を失って転倒した。
時間が過ぎていく。
15分。30分。
その間に残殻が3機失われた。操手は全員脱出できたが、機体は回収不能だ。
バートンから通信が入った。
「住民の避難完了。全戦闘員、撤退しろ」
カイはケストレルを後退させた。
殿の中の殿。最後に退く。
背を向けた瞬間に撃たれる。だから正面を向いたまま退く。操縦桿を引きながら、FALKEの残弾で牽制射撃を繰り返す。残弾8。5。3。
最後の3発を、追撃してくる汎殻の足元に撃ち込んだ。直撃は狙わない。弾着の爆風で雪と土を巻き上げ、視界を遮る。
FALKEの弾倉が空になった。
銃を捨てる。
ケストレルが西に走る。背部スラスターを点火し、短い加速で距離を開ける。機関温度が赤域の手前まで跳ね上がった。
ストーンクロスの西門を抜ける。
振り返った。
ストーンクロスの集落が、冬の夕暮れの中に沈んでいた。
防壁の上に、セルヴィスの旗が立てられている。バートンが15年かけて築いた壁の上に。
灯りが消えていく。
住民が去った集落は、ただの石と鉄の塊だ。そこに住む人間がいなければ、集落は集落ではない。
だが、それでも。
カイの胸の奥で、何かが軋んだ。
灰域の中心が、落ちた。
カイは操縦桿を握りしめた。
FALKE残弾0。WESPE残弾61。DONNER1発。燃料残量38%。装甲健全度、右肩0%、左肩64%、左脚22%。ケストレルは満身創痍だ。
西の空が赤く染まっている。
冬の短い夕暮れが、灰域を朱色に照らしている。避難する住民の列が、白い雪道の上に長く伸びていた。
取り戻す。
必ず取り戻す。
その言葉を、カイは誰にも言わなかった。操縦桿を握る手に力を込めただけだった。




