ダリオとの再戦
リーヴとの接触から2日後、コルヴァスの攻勢が一気に本格化した。
複数の方角から、同時に圧力がかかる。フィン・カーターの汎殻がリントと交戦し、互角の戦いを繰り広げていた。ボルトの残殻部隊は、正面の汎殻3機と組み合い、徐々に押されている。
カイはケストレルで南に回り込んだ。リーヴの本隊とは別に、ダリオ・メイスの汎殻が単独で南方から侵入している、との報告を受けたからだ。
南方の旧工業施設。
大崩落以前の製鉄所の残骸が、雪に半ば埋もれて広がっている。天井が崩落した区画と、まだ鉄骨の骨組みが残っている区画が混在していた。鉄柱が林立し、崩れたクレーンの腕が、地面に突き刺さっている。
ケストレルが施設の入口に立った時、カイの冴覚が反応した。
中にいる。
ケストレルの足を、施設の中へ踏み入れた。鉄骨の間を縫うように、慎重に進む。天井の崩れた隙間から雪が舞い込み、錆びた床に白い模様を描いていた。ケストレルの足音が金属の床を踏み鳴らし、反響が、閉じた空間の中で重なる。
進みながら、カイは指で機体の調子を確かめた。弾はまだ食える。燃料も、今日いっぱいは保つ。問題は右肩だ。フレームが露出したまま、応急のカバーを当てただけ。ここに一発もらえば、骨ごと持っていかれる。指先が、その薄いカバーの心許なさを撫でた。
鉄骨の陰に、汎殻のシルエットが見えた。
ダリオ。
遊肢は、たたまれていた。鉄骨が縦横に走るこの空間では、エイ型のユニットが射線を取る隙間がない。ダリオもそれを承知で、ここを選んだのだろう。母機同士で、素手で組み合う気だ。
カイの得意な距離だ。だが、それを承知で引き込まれたのかもしれない、とも思った。
ダリオの汎殻が動いた。鉄骨の間をすり抜けて、ケストレルの右側面に出ようとする。重装甲のはずなのに、その動きは滑らかだった。鋳脈のフィードバックが、機体をカイの残殻時代には届かなかった精度で操っている。
カイは鍛翼刀を構えた。
ダリオは、腰のNAGELに手をかけない。代わりに、汎殻の両拳を構えた。素手の組み打ち。近接武装も使わず、真正面から来るつもりだ。
鉄骨の柱を挟んで、対峙する。
ダリオが先に動いた。右拳がケストレルの胸部を狙って突き出される。重い。カイは操縦桿を横に倒し、ケストレルを鉄柱の陰にずらした。拳が鉄柱に当たり、柱が根元から折れる。鈍い破断音が、施設じゅうに反響した。
鉄柱が倒れ、視界を遮る。その一拍の隙に、カイはダリオの裏に回り込んだ。鍛翼刀を横薙ぎに振る。ダリオの汎殻が半身になって躱した。刀身が肩の装甲を掠め、火花が散る。
近い。互いの機体の手が届く距離だ。
ここまで来ると、計器を読む暇はない。あるのは冴覚だけだ。ダリオの方は、機体が拾う何かを丸ごと体で受け取っているのだろう。鋳脈者にしか視えない情報。カイにはない。読み負ければ、その瞬間に終わる。
ダリオの左拳が来る。
冴覚が告げた。左拳は囮。本命は右膝、蹴り上げだ。
カイは操縦桿を手前に引き、ケストレルを後退させた。ダリオの膝蹴りが、ケストレルの腹部装甲を掠める。衝撃が座席を揺らしたが、直撃は避けた。
即座に踏み込む。鍛翼刀を上段から振り下ろした。ダリオの汎殻が左腕で受ける。金属と金属の激突音が天井に反響し、上から雪と錆びた破片が降ってきた。
刃を受け止めたダリオの腕は、びくともしない。押し込もうと出力を上げても、機体がじりっと逆に押し返してくる。重い。冴覚で先を読んでも、その先をもう塞がれている。8年、戦場に立ち続けた男の体だ。正面では勝てない。
だが――崩れる場所が、一つだけある。
左拳がまた来る。読んだ通りに躱した。だが、その勢いで流れたケストレルの右肩が、鉄骨の梁を擦った。露出したフレームに、固いものが当たる感触。背筋が冷えた。あと少し深ければ、骨ごと削られていた。
立て直して、距離を取る。
カイは左前腕のWESPEを起動した。30ミリ3連装砲を、至近で撃ち放つ。弾は外れた。だが、狭い鉄の箱の中で爆ぜた銃声が、逃げ場をなくして反響した。
ダリオの動きが半拍、強張った。
反響だ。増幅された音が、あの壊れかけの耳の奥に刺さったのだ。
その隙を、カイは逃さなかった。ケストレルが踏み込む。鍛翼刀の振動機構を全開にし、ダリオの汎殻の左脚関節を狙った。
横薙ぎに振り抜く。高周波を帯びた刀身が、左膝関節のカバーを断ち割る。関節機構が露出し、油圧管が切断された。汎殻の左脚が崩れ、壁にもたれかかるように倒れ込む。
勝った。
だが、その手応えにすぐ別のものが混じった。握り込む掌が、じっとりと嫌な汗をかいている。
またこれだ。
結局また、あの男の壊れた耳を突いた。反響音で聴覚を狂わせて、その隙に脚を断った。前にこいつと戦った時と、同じだ。自分の戦術で勝った、と言いたかった。閉所に引き込んだのも、遊肢を封じたのも、自分の判断だ。だが結局、最後に勝負を決めたのは、ダリオの壊れた耳だった。それを、綺麗な勝ちと呼べるのか。
遊肢が施設の外から射線を探そうとしていた。だが鉄骨と壁が邪魔で、撃てない。ダリオはそれを悟り、遊肢を収容した。
通信が入った。ノイズ交じりの、掠れた声。前回より、更にひどい。
「お前、強くなったな。テオの息子」
テオ。父の名を、ダリオが口にした。この男は、父を知っているのか。どんな父だったのか。戦場で、どんなふうに戦っていたのか。訊きたいことが、喉元まで上がってくる。だが、刃を向け合ったこの間合いで訊くことではなかった。カイは鍛翼刀をダリオの汎殻に向けたまま、答えた。
「あんたも、まだ強い」
嘘ではなかった。閉所で遊肢を封じなければ、正面からは勝てなかった。ダリオの格闘は、カイが今まで対峙した中で、一番深かった。
ダリオが笑った。通信越しの、掠れた笑い声。
「もう長くない。耳も、指も。だがまだ戦える」
一拍の間があった。
「戦えるうちは、ここにいる」
その声は、静かだった。怒りも嘆きも、そこには乗っていなかった。
「コルヴァスを出る気はないのか」
「出てどうする。鋳脈者の行く場所なんぞ、戦場の他にない」
カイは、何も言えなかった。鍛翼刀を静かに下ろした。
ダリオの汎殻が、壁を支えにして立ち上がった。左脚を引きずりながら、施設の出口へ向かう。
「次に会う時は、俺はもっと壊れてる。その時は、遠慮するな」
カイは黙って見送った。
ダリオの汎殻が、施設を出ていった。左脚を引きずる足音が、雪に吸われて遠ざかっていく。引き止める理由も、止めを刺す理由も、カイにはなかった。ただ、その背を見送るしかなかった。
旧製鉄所の天井から、雪が舞い込んでいた。白い結晶が錆びた鉄骨に触れ、溶けて、床に落ちる。
カイは鍛翼刀を鞘に戻した。掌の汗を、太腿で拭う。それでも、嫌な感触は残ったままだった。
戦えるうちは、ここにいる。
ダリオの声が、まだ胸の底に沈んでいた。操縦桿を握り直す手が、いつもより、ずっと重かった。




