真冬の接敵
朝の哨戒に出ていたリントが、慌ただしく帰ってきた。
格納庫の前で待っていたカイの元へ、残殻から降りたリントが駆け寄ってくる。息が白い。頬が赤く染まり、ゴーグルに霜がこびりついている。走ってきた足が、雪を蹴って小さく滑った。
「東に4機。汎殻だ。コルヴァスの前衛じゃない、正規編成の偵察隊だ」
バートンが無線越しに即座に応じた。
「距離は」
「15キロ。時速30で西進中。このまま来れば、30分でストーンクロスの哨戒圏に入る」
カイは格納庫に振り返った。
ケストレルが薄暗い空間の中で沈黙している。鉄紺色の装甲に、天窓から差し込む冬の光が薄く落ちている。背部の翼状スラスターは折り畳まれたまま。計器の待機ランプだけが、暗がりの中で静かに瞬いていた。
「出る」
カイはコックピットに滑り込んだ。ハッチが閉まる。冷え切った操縦桿を握ると、金属の冷たさが掌を刺した。手袋越しでも、それは伝わる。
計器が一つずつ立ち上がる。機関温度は青。関節も装甲も異常なし。弾はFALKEもWESPEも満載に近い。コンラッドが運んでくれた分だ。ストーンクロスの備蓄だけなら、こんなには撃てなかった。指先で操縦桿の握りを確かめる。整備した手が、機体の状態を勝手に拾っていく。
通信回線を開いた。
「ボルト、聞こえるか」
「ああ。リントの報告は聞いた。俺は残殻3機で正面に出る。重いのが前に立ってりゃ、敵も的を絞りにくい」
トワの声が割り込んだ。
「私は北から回る。側面を突く。深追いはするな」
「分かってる」
カイはケストレルを起動させた。
格納庫の扉が開く。
白い世界が広がっていた。一夜で降り積もった雪が灰域を覆い、錆びた廃墟の稜線を丸くしている。空は低く、灰色の雲が地平線を押し潰していた。
ケストレルが踏み出した。
足裏の3本爪が雪を噛み、凍った地面の手応えが操縦桿越しに掌へ返ってくる。掴めている。冬の足場で残殻なら関節が固まる頃だが、ケストレルの脚はまだ素直に応えた。整備の差だ。背後で排熱が白く尾を引くのが、横目に映る。位置を晒す。分かっていても、止められない。
東の丘陵地帯へ走る。リントが先導し、カイがその後方を追う。丘の稜線に出ると、白い平原が一望できた。
見えた。
地平線の手前に、灰色の点が4つ。等間隔に並んで西へ進んでいる。鉄殻の影だ。雪原に黒い足跡を引きずって、機械みたいに揃った歩調でこっちへ来る。セルヴィスのウォーデン型。
カイは丘の稜線でケストレルを止めた。
冴覚が、静かに研ぎ澄まされていく。4機の動き。歩調の揃い方。間隔の取り方。偵察にしては、数が多い。しかも4機目の歩調だけが、微かに遅い。なぜ遅いのかまでは、読めなかった。機体の不調か、操手が慎重なのか。理由は分からない。冴覚が拾うのは動きのずれだけで、その奥までは、いつも見えるわけではなかった。ただ、その機体だけが、列の揃った歩調から半歩ずれている。
「リント」
「ああ」
「右の2機を引きつけてくれ。牽制でいい。俺が左から回り込む」
「了解。ただし深追いはしない」
「分かってる」
リントの残殻が丘の右側から射線を通した。ROOK機関砲の短い連射が雪原に弾着し、雪柱が立ち上がる。先頭の汎殻が動きを止めた。残りの3機が、一斉に砲口をリントの方へ振る。引きつけられている。今だ。
カイはケストレルの背部スラスターを点火した。
機体が丘の稜線から跳び出す。白い蒸気の尾を引いて、左の丘を回り込む。冷気がコックピットを揺らした。機関温度が一気に跳ね上がる。青から緑へ。加速は短く切り上げる。長く吹かせば、それだけ位置を晒す。
雪煙の向こうで、左翼の汎殻2機が動いた。先頭の影が姿勢を低くし、ストライダー狙撃銃の砲口をこちらへ向ける。
来る。
思考より早く、背筋に悪寒が走った。跳ねるように、両腕が操縦桿を引いていた。ケストレルが雪を蹴って深く沈み込む。直後、頭上を90ミリ弾が通過した。背後の斜面に弾着し、雪と凍った土が噴き上がる。
間合いを詰める。600メートル。500メートル。
遊肢の影はない。偵察隊なら積んでいない。詰められる。カイの得意な距離だ。
FALKE短銃身型を構える。狙うは左機の肩関節。機体の上下動で、照準の十字がぶれる。走りながらの射撃。頭の奥に、冷たい針が滑り込むような感覚が走った。冴覚だ。相手は右に逸れる。そう判じた瞬間、カイは照準を右の虚空へずらして、引き金を引いた。
反動が腕に来る。雪煙で視界が切れて、当たったかどうかは分からない。だが直後、何かを穿った鈍い手応えが、操縦桿越しに掌を撫でた。
当たった。
75ミリ弾が2発、汎殻の右肩に着弾していた。装甲が剥がれ、関節部が露出する。右腕が下がり、射撃姿勢が崩れた。
もう1機が後退しながら援護射撃を放つ。カイは丘の残骸を盾にして弾を避けた。だが避けきれない。コックピットの中でビープ音が鳴り、機体が左へ傾いだ。左肩に被弾した。心臓が一瞬縮んだ。装甲を抉られる鈍い衝撃が、シートを通して背中に走る。
息を詰める。指が操縦桿を握り直す。痛みはない。機体が痛むわけではない。だが、自分の体の一部を殴られたような、嫌な感覚だけが残った。健全度はまだ保つ。それを計器で確かめて、ようやく息が戻る。姿勢を立て直す。被弾した左肩をかばうように、機体をわずかに右へ振った。
右の方で、ROOK機関砲の連射音が続いている。リントとボルトが2機を抑えているはずだ。トワの回線が一度、「回り込んだ」と短く言った。退路が、塞がりつつある。
右肩をやられた汎殻が、後退信号を上げた。4機が一斉に反転する。引き際が早い。整然と、東へ退いていく。
追うか。一瞬、足が前に出かけた。
「追うな」
ボルトの声だった。
「偵察隊だ。帰れば本隊が来る。それでいい」
カイはケストレルの足を止めた。
丘の上から、撤退していく汎殻の背中を見る。黒い影が、白い雪原を東へ遠ざかっていく。
トワが通信で言った。
「リーヴ・シェイドの銘殻は後方にいるはずだ。遊肢の展開は、まだ確認されていない」
リーヴは、まだ来ていない。
カイはコックピットの中で、息を吐いた。白い息がバイザーの内側を曇らせ、すぐに消えた。左肩の被弾の感触が、まだ機体に残っている。掠っただけだったが、あと半秒、回避が遅れていたらと思うと、背中に冷たいものが伝った。
偵察隊が相手で、これだ。遊肢も積んでいない、ただの偵察機が相手で。本隊が来れば、これとは比べものにならない。リーヴの銘殻が来れば、もっと。分かっていたはずのことが、被弾の感触と一緒に、今さら腹の底に落ちてきた。
ケストレルの足元で、雪が風に吹き上げられている。白い地平線の彼方、偵察隊が消えた方角。その先のどこかに、コルヴァスがいる。
その時、雪の煙る地平線の上に黒い点が滲んだ。一つではない。いくつも。偵察隊が消えた、その同じ方角から。ゆっくりと、こちらへ向かってくる。
カイは冷たい操縦桿を、もう一度握り直した。掌に張りついた冷たさは、まだ消えない。滲んだ黒い点は、まだ輪郭を結ばない。カイはそれを、見つめ続けた。




