カイとリオンの再合流
リオンの姿が灰域の丘陵の向こうから現れたのは、夕暮れだった。
カイは格納庫の前に立っていた。ケストレルの装甲パネルを拭く布を手に持ったまま、西の空を見ていた。地平線は灰域特有のくすんだ橙色に染まり、その上に灰色の雲が重なっている。リオンが戻る日だとバートンから聞いていた。朝から何度も西の方角を見ていた。自分でも落ち着かないことは分かっていた。
ルイ・ヴェルデの小型輸送車が、灰域の獣道を揺れながら近づいてくる。旧世界のピックアップトラックを改造した車両で、荷台にはクレスタの商品を装った木箱が積まれている。その木箱の間に、一人の乗客が座っていた。
車が止まった。エンジンが止まると、灰域の静寂が戻る。風の音と、遠くで鳴く鳥の声だけ。
ルイが運転席から降りた。長い黒髪を一つに結んだ痩身の男。顔に疲労の色はあるが、目は鋭い。大げさに肩を回し、腰を伸ばした。
「無事届けたぞ。ポートガードの検問は面倒だった。通行証の偽造精度を上げないと、次は引っかかるかもしれん」
ルイはカイに向かって片手を上げた。
「料金は後で請求する。バートンに言っておいてくれ」
そのままストーンクロスの酒場の方へ歩いていった。情報屋であり運び屋であるルイにとって、人を運ぶのも商品を運ぶのも同じ仕事だ。感傷はない。
リオンが荷台から降りた。
灰域の防寒着を纏い、髪を帽子の中に押し込んだ姿は、数日前に見送った時と変わらない。だが顔には疲弊の色が濃かった。頬がこけ、目の下に隈がある。唇が乾いている。ポートガードから灰域まで、まともに眠れなかったのだろう。セルヴィスの管区内に潜入し、内部文書を受け取り、追跡を避けながら脱出する。その緊張が、顔の全てに表れていた。
しかし目に力があった。深い紺色の瞳に、灰域の夕日が映っている。任務を果たした人間の目だ。
カイはリオンの顔を見た。何日ぶりかの再会。言葉が出てこない。「おかえり」と言おうとして、それは違うと思った。ここはリオンの家ではない。リオンはセルヴィスの軍人で、脱走兵で、灰域に身を寄せている人間だ。帰ってきたのではなく、戻ってきたのだ。
リオンも同じことを考えたのだろう。「ただいま」と言いかけて、口を閉じた。唇が動いて、音にならずに止まった。
「お疲れ」
カイはそれだけ言った。それ以上の言葉を持っていなかった。
リオンは小さく頷いた。帽子を取り、長い黒髪が肩に落ちた。風が髪を揺らす。
二人はバートンの執務室ではなく、格納庫の隅にある作業台の前に座った。格納庫の中はケストレルの整備の匂いがする。油と金属粉と、冬の冷えた空気。リオンは革の鞄から書類の束を取り出した。アイリスから受け取ったセルヴィスの内部文書。冴覚児童回収計画の更なる証拠。
リオンは書類を広げ、セルヴィス管区で見たものを話し始めた。声は冷静だった。軍人の報告口調。感情を排除し、事実だけを述べる。だが、手が書類の端を掴む力が強い。紙の角が僅かに曲がっている。
「保護民居住区を見てきた。灰域から保護された住民が収容されている区画。建物は清潔で、食事も出る。セルヴィスの管区民と同じ水準の生活が保障されている。暖房もある。医療も受けられる。灰域にはないものが、全てある」
「だが」
「だが、子供たちは分離されている。冴覚検査の施設が居住区に隣接していた。表向きは定期健康診断。実際は冴覚の素養を測定する検査だ。ヘッドギアを装着して、光点を追わせたり、音の方向を答えさせたり。適性が認められた子供は、士官学校に送られる。親には『教育の機会を提供する』と説明される」
リオンは一度言葉を切った。呼吸を整えている。
「管区民の大半は、この計画を知らない。セルヴィスの市民は悪人じゃない。朝起きて、仕事に行って、家族と食事をして、眠る。普通の人たちだ。ただ知らないだけ。知らされていないだけ。自分たちの組織が灰域の子供を素材として回収していることを、知らない」
カイは黙って聞いていた。セルヴィスの管区を見たことがない。灰域から出たことがない自分には、リオンが見てきたものを想像することしかできない。清潔な施設。温かい食事。白い壁。整えられた街路。そして、その裏側にある選別の仕組み。
「お前は、セルヴィスの市民を恨んでいるのか」
「恨めない」
リオンは目を伏せた。紺色の目が、書類の文字を見つめている。だが文字を読んでいるのではない。自分の中にある感情を、見つめている。
「私はあの中で育った。あの秩序の中で教育を受け、軍人になった。父がいて、母がいて、同期がいた。市民を恨むのは、自分自身を恨むのと同じだ。私が守りたかったのは、あの秩序だった。秩序そのものは間違っていない。秩序の中で行われていることが、間違っている」
カイはリオンの横顔を見た。リオンの弱さが見えた。組織を離れても、組織を愛している自分を捨てきれない。セルヴィスが間違っていると知りながら、セルヴィスの秩序が守ってきたものの価値を否定できない。その矛盾を抱えたまま、灰域にいる。
同時に、自分の弱さも見えた。灰域を出たことがない。世界の半分しか見えていない。リオンが見てきたものを自分の目では見られない。
「俺には分からないことが多い」
カイは言った。正直に。
「セルヴィスの内側も、管区民の暮らしも、灰域の外にあるもの全部。お前が見てきたものを、俺は想像するしかない。想像と実際は違う。分かっているけど、それでも想像するしかない」
「私も同じよ」
リオンが顔を上げた。紺色の目がカイを見ていた。硬質な光の中に、柔らかさが混じっている。
「灰域の暮らしを、私は想像するしかなかった。ここに来るまでは。カイ、あなたもガルドも、灰域の人々も、私が知らなかった世界だった。私の想像は間違っていた。灰域は無秩序な場所だと思っていた。でも違った。違う形の秩序があった」
二人の間に、短い沈黙が落ちた。格納庫の外で風が吹き、砂塵がケストレルの装甲を叩く乾いた音がした。夕日が沈みかけている。格納庫の中が暗くなり始めた。
「あなたも弱いところがある」
リオンが言った。目がまっすぐにカイを見ていた。
「でも、私も弱い。だから一緒に戦える」
「変な理屈だ」
カイは返した。だが否定はしなかった。
弱いから一緒に戦える。普通は強いから一緒に戦える、だろう。だが、リオンの言葉には感覚的な正しさがあった。互いの弱さを知っているからこそ、補い合える。自分が見えないものをリオンが見て、リオンが届かない場所にカイがいる。強さだけで組んだ関係は、強さが失われた瞬間に崩壊する。弱さを知った上で隣にいる関係は、簡単には壊れない。
「バートンに報告するか」
「ええ。書類を整理してから」
リオンは書類を鞄に戻した。立ち上がる時、僅かによろめいた。疲労が限界に近い。カイは手を伸ばしかけて、止めた。リオンは自分で体勢を立て直した。助けを求められていない時に手を出すのは、リオンの矜持を傷つける。カイはそれを知っていた。
二人は格納庫を出た。ストーンクロスの夕空は灰色と橙の境界が溶け合い、地平線が燃えるように赤い。灰域の空は、いつもこの時間が一番色を持つ。




