|灰域《アッシュランド》集落連合の結成宣言
ストーンクロスの広場は旧世界の駅前の跡地だった。
東の端に錆びたレールが途中で途切れている。枕木が朽ちかけた歯のように並んでいた。どこにも通じていない線路だ。カイが物心ついた頃には、もうここは人ではなく、集会のための広場だった。
朝から人が集まり始めた。
ストーンクロスの住民が大半だが、レイダーズの傭兵や近隣の小集落から来た人間もいる。アイアンウェルからコンラッドが護衛と共に到着し、ラストヘイムからはタリアが通信中継器を担いでやってきた。ゲオルグは膝が悪くて来られないが、タリアの通信機越しに声を拾えるようにしてある。広場を埋めた人の数をカイはざっと数えてやめた。これだけ集まったのを見たことがない。
吐く息が白い。手袋の中でもう指の感覚が鈍い。爪先から這い上がる冷えに、近くの誰かが肩をすぼめ、足踏みをしている。それでも誰も帰らない。バートンが何かを言う。その何かを聞きに来たのだ。
どこかで子供がぐずり、母親が小さく宥める声がした。瓦礫の隙間から痩せた犬が顔を出し、人の多さに驚いたのかすぐに引っ込んだ。広場の隅でカイは布の擦り切れた手袋を握り直す。整備の手垢で指先のところが黒く光っていた。こういう場に立つのはどうにも落ち着かない。だが来るなとは誰にも言われなかった。
バートンは広場の中央に立っていた。
旧クレスタ仕込みのスーツに似た上着。灰域では浮く服装だが、今日のバートンには似合って見えた。元管区長が灰域の住民に向かって肉声で話そうとしている。
声を張った。年の割に太い声が冷えた空気を貫いた。
「我々は捨てられた土地の住人だ」
広場が静まり、風の音だけが残る。
「統治機構体は我々を無秩序と呼ぶ。法がない、政府がない、軍がない。だから浄化の対象だと。整理すべき不安定要素だと。彼らの書類の上では、我々は人口ではなく数字だ。管理すべき変数だ」
声を荒げることはない。低いまま、それでも広場の隅にいるカイの胸まで届いてくる。
「だが我々には秩序がある。この灰色の空の下で助け合い、分かち合って生きてきた秩序が」
バートンは広場を見渡した。
「ゲオルグがラストヘイムに最初の家を建てた。法律はなかった。だが彼は隣人と話し合い、壁を作り屋根を葺いた。コンラッドがアイアンウェルの鉱山を開いた。契約書はなかった。だが彼は鉱夫と握手し、鉄を掘って食糧と交換した。それが我々の秩序だ。紙の上ではなく、手と手の間にある秩序だ」
「秩序」という言葉に何人かが顔を上げた。カイの前に立つ白髪の男のすぼめていた肩がわずかに開く。
「本日をもって、ストーンクロス、アイアンウェル、ラストヘイムの3集落は、灰域集落連合を正式に結成する」
広場にざわめきが走った。連合、と誰かが繰り返す声があちこちで重なる。
コンラッドが前に出た。小柄な体を精一杯伸ばすと、右手の結婚指輪が冬の光を鈍く弾いた。
「アイアンウェルは鉄鉱石を提供する。残殻の補修に要る部品を、こちらの鋳造設備で造る体制も整える」コンラッドは一度言葉を切った。「ただし、それは連合がきちんと回ればの話だ。形だけの旗なら、資源の融通はそこで止まる。そこは確認しておきたい」
ボルトが腕を組んだまま一歩前に出た。広場の隅にいるカイの耳まで地を這うような低い声が届く。
「防衛線を作る。ストーンクロスを軸に、東の丘陵に展開する。各集落から操手と残殻を出せ。バラバラで戦ったら、一機ずつ潰される。俺が一つにまとめてやる。そこだけ信用しろ」
整備の手が足りない夜に、文句を言いながらも工具を運んでくれたのはこの男だ。カイは知らず、小さく頷いていた。あの太い声の裏側を広場の何人が聞き分けているのかは分からない。それでも、頷いた顔がいくつもあった。
そしてリオンが前に出た。
暗色の戦闘服を着たリオンが長い黒髪を結い上げ、紺色の目で広場を見渡す。集まった顔のいくつかがあからさまに強張った。セルヴィスの軍人だった女だ──カイの近くで誰かがそう囁いた。隣の男が、聞こえよがしに舌打ちをした。この視線の中に立つのは、楽なことではないはずだ。だがリオンは怯まず背筋を伸ばし、声を張った。
「セルヴィスの灰域浄化計画には、公にされていない目的がある」
リオンは書類を掲げた。管区の内側から流れてきた内部文書の写しだ。
「冴覚児童回収計画。浄化した集落から冴覚の素養を持つ子供を選別し、鋳脈の素材として確保する。過去3年で14名の子供が、保護の名目で回収された。うち3名は既に鋳脈処置を受けた」
リオンの声がそこで一拍止まった。
「1名は、適合に失敗して、植物状態にある」
広場が静まり返る。風の音すら消えたかのようだった。
誰も声を出さなかった。カイの前に立つ大柄な男の組んでいた腕がほどけて拳になる。その向こうで、子を抱いた女が一歩後ずさった。
マーサ・ウィンターが広場の端から声を上げた。杖をついた小さな体からは信じられないほどその声はよく通った。
「書き残さなければ、誰も覚えていない。私が記録係を務めよう」
マーサは杖を脇に挟み、ポケットから分厚いノートと鉛筆を取り出した。娘が編んだマフラーを首に巻き、かじかむ手で鉛筆を握り直す。ノートを開いて最初の一行を書きつけた。
カイは広場の隅にいた。
演説する場所にはいない。言葉は、何も持っていない。あれはバートンやリオンの領分だ。カイの手は、ケストレルの工具にしか馴染まない。
番号をつけられて回収された子供。そのうちの一人が何年か前の父だったかもしれない。リオンの掲げた書類をカイは遠くから見た。あの紙に父の名前が載っているのかどうか、ここからでは分からない。確かめたいのか確かめたくないのか、それすら自分で決められなかった。喉の奥が、少しだけ詰まる。
だがここにいる。この広場に立ち、この言葉を聞いている。この場所を守る側に自分はいる。それだけははっきりしていた。
ガルドがカイの隣に立った。煙草は吸っていない。ポケットに手を突っ込んで黙ってバートンの演説を聞いている。嘘が明かされてから二人の間には言葉が減った。前なら、どちらからともなく軽口が出ていた。整備の段取りや、機体の調子や、どうでもいい話が。それが今はない。だが、ガルドは隣にいる。カイもそこを動かなかった。
初雪が降った。
灰域の重い空から白い破片が舞い降りてくる。広場の人々が次々と頭上を見上げた。鈍色の空に白い点が散らばり、音もなく落ちてくる。砕けたストーンクロスの瓦礫の上に、赤錆の浮いた旧鉄道のレールの上に、見知らぬ誰かの肩の上に。マーサが抱えたノートの表紙の上に。
焦土紀24年が近い。冬は深まる。
だが灰域は初めて一つになろうとしていた。
カイは片手を差し出して雪を受けた。手のひらに着いた白い結晶があっけなく輪郭を崩し、冷たさだけを残してただの水になる。隣でガルドが黙って空を仰いでいる。その横顔から、何を思っているのかは読み取れない。カイは何も訊かなかった。手のひらに、ひと粒ぶんの冷たさが残っていた。




