二つの世界
ポラリスの装甲板を外すと、その下に別の世界があった。
カイ・セヴァルは銘殻の内部を覗き込んで息を止めた。装甲の裏側は外の砂の熱が届いておらず、ひやりとしている。関節の軸受けに溶接痕はない。切削の面が指で触れただけで分かるほど滑らかだった。残殻の部品とは比較にならない。
「あなたがこれを直したの」
声がした。振り返ると、女が左腕だけで作業着の袖を捲り上げて立っている。右腕はまだ包帯で固定されていた。額の裂傷は塞がりかけているが縫合糸が残っている。紺色の目がポラリスの外装に走る応急修理の跡を見ていた。
「壊れてたから直しただけだ」
カイは答えてから工具に視線を戻した。
不時着した銘殻を集落の南端へ運んだ時、外装パネルが3枚剥がれて左脚の関節が歪んでいた。カイは残殻の予備部品で応急処理を施した。規格に合うはずもない部品に何度もやすりを当て、嵌めては外し、また削ってようやく押し込んだ。手のひらの皮が一枚薄く剥けた。素人仕事であり、きれいに直したつもりはない。動けなくなるよりはマシだというだけのことだ。
「……見ていいか」
カイが許可を求めると、女は一瞬躊躇してから頷いた。
カイは座席に身を入れた。シートに腰が沈むと、背中と腿が機体に包まれる感覚がある。残殻の硬い座席とは違う。墜落で潰れた左側のクッションでさえ、残殻の新品よりまだ柔らかかった。
コックピットの内壁に手を触れる。視線を動かすと表示が勝手についてきた。目で追った場所に必要な数字が浮かび上がる。装甲の損傷が、機体を象った人型の図に赤く灯っていた。カイは思わずその図の脚を指でなぞりかけて手を止める。手の脂で汚すところだった。
「いい機体だな」
カイは関節の軸受けをもう一度なぞった。削った跡がどこにもない。指の腹を滑らせても引っかかる継ぎ目の一つもなかった。乗る人間の指が触れることまで考えて、誰かがここを磨き上げている。これを仕上げた手がどんな道具を使ったのか見当もつかなかった。
それから外に放してある自分の残殻に思いを馳せた。膝の軸受けは何度削ってもどこかに削り跡が残る。カイは工具を握る手に知らず力を込めていた。
「セルヴィスの技術力の結晶、と言われている」
女の答えは決まり文句を読み上げるような響きだった。言い終えると、彼女の視線は手元に落ちた。
「セルヴィスは灰域をどうするつもりだ」
カイは工具を手にしたまま尋ねた。視線はポラリスの関節に向けたまま、女の顔は見ない。
沈黙が降りた。ポラリスの外装を風が撫で、砂粒が金属の表面を叩く乾いた音が響く。
「……私にも、まだ分からない」
女の声は低かった。それが諦めなのか苛立ちなのかカイには分からない。
カイは何も言わず、「分からない」という答えをそのまま受け取った。
* * *
二人は無言でポラリスの修理に取りかかった。
女は操手であって技匠ではないが、自機の基本的な整備知識は持っている。左手一本で工具を扱い、外装パネルの固定ボルトの位置を正確に指示した。カイはそれに従って歪んだパネルを外していく。
女が左手でボルトを押さえようとするものの、届かない位置で手間取った。包帯の右腕は使えない。カイは黙ってそのボルトを指で押さえ、女が締める。それを何度か繰り返すうちに、どちらが先に手を出すかという呼吸が少しずつ合ってきた。どちらも礼は口にしない。
損傷箇所を一つずつ洗い出していく。左脚関節の歪み。右肩装甲の亀裂。背部ハードポイントの固定具の破損。通信系統は生きているものの、長距離送信のアンテナは折れていた。
被覆材で保護された配線が、結束バンドで等間隔に固定されている。カイは指でその束をなぞった。自分の機体の配線は廃材から剥がしたケーブルを撚り合わせた代物で、走らせるとたまに指先が焦げ臭くなる。
「この関節、手動で調整してるだろ。溶接痕がない」
「セルヴィスの専属技匠が手作業で仕上げている。ポラリスの担当技匠は、一つの関節に3日かける」
3日。カイは残殻の膝関節を一日で削り直す。精度を出すために手が痺れるまで削っても、まだ甘いと感じる。3日かけられる手のことをうまく想像できなかった。
工具を手渡す時、指が一瞬触れ合った。
女の指は冷たかった。カイの指は鉄粉で黒く汚れている。カイは手を引いて作業着の腿で指先を拭ったが、汚れは落ちない。次のボルトに向き直り、作業を続けた。
* * *
ガルド・ヴェッセンが様子を見に来たのは日が傾き始めた頃だった。
赤葉の煙草を咥えてポラリスの周囲をゆっくりと歩く。飄々とした普段の表情は消え、暗い茶色の目が銘殻のフレームを舐めるように観察していた。
「いい設計だ」
ガルドが呟き、外装パネルの裏側を指で叩いて音を聞く。
「だが重量配分がセルヴィス的だ。楔形で弾を逸らす設計は悪くないが、脚部に回すべき重量が胴体に取られてる」
女が振り向いた。
「防御を犠牲にすべきだと?」
「犠牲にしろとは言ってない。偏ってると言った。装甲に重量を食われて、脚部の加速性能が死んでる。あと5ミリ薄くすれば、関節の負荷が15パーセント減る。その分を機動力に回せる」
女は何も言い返さない。包帯の腕がわずかに動いて止まった。
「セルヴィスは『守る』ことを重視する。装甲で弾を受け止め、陣地を維持する。管区を守る発想だ。だがこの装甲の重さじゃ、灰域では逃げ切れない。灰域では守るより、動くほうが生き延びる」
ガルドは煙を吐いたが、すぐには去らなかった。
煙草を咥えたまま、カイと女をしばらく見つめている。技匠が機体を見る目とは違う、何か遠いものを見るような目だった。カイがそれに気づいて顔を上げると、ガルドは目を逸らし、女を一瞥して何も言わずに去っていく。
カイはその背中を見送った。ガルドが何を考えていたのかは分からない。
* * *
作業を終えた夕方。
ポラリスの外装パネルを仮止めし、工具を布に包んで片づける。やすり、レンチ、当て木。一本ずついつもの順で布に巻いていく。指は鉄粉で黒く、爪の間まで灰色だった。手の甲で額を拭うとざらりと砂の感触がする。
日が沈みかけて灰色の空が赤紫に染まりつつあった。砂塵が光を散乱させて地平線がぼやけている。片付けを手伝えない女は、ポラリスの脚に背を預けてそれを見ていた。
「あなたの残殻と、ポラリスを並べると……」
長い間のあとに女がぽつりと言った。ポラリスの隣に放置されたカイの残殻を見ている。寄せ集めの装甲。錆びた関節。欠けた胴体装甲。銘殻の隣に置くとその差は残酷なほど明白だった。
「同じ鉄殻なのに、全然違う」
カイは手を拭きながら答える。
「違って当然だ。お前たちが持ってて、俺たちが持ってないもので作ってるんだから」
女は何も言い返せない。紺色の目が残殻とポラリスの間で揺れていた。
カイは工具を肩に担いで集落へと歩き出す。最後まで振り返ることはなかった。




